とある妃の懺悔と希望 2
私は私の両親がどこの誰なのかを知りません。
ですが、父親のほうは身分の高い人物のようで、トラスト孤児院内でも一際高い寄付金が継続的に送られているようでした。そのため、孤児の中で禁忌の子とそうでない子という線引きはあれど、孤児院内での私の立場はそう悪いものではありませんでした。
普通禁忌の子は、成人前に孤児院を出て修道院へその身を移し、そこでその生涯を労役や奉仕活動に費やします。ですが私の場合は、私の存在によって齎される寄付金が無くなることを忌避した孤児院長の計らいで、特例として成人以降も孤児院に残されることが決められました。また、十になる頃には徐々に孤児院の運営を手伝う為の教育も施されたのです。成人を迎えると全ての教育が終わり、私は孤児院長補佐という形で孤児院運営のほとんどの業務を担うようになりました。そんなある日、トラスト孤児院に王太子殿下が視察訪問されるという一報が届いたのです。
私のような許されざる者が王族の前に姿を現すなど以ての外とのことで、当日は決して殿下の目に触れることのないよう与えられた部屋に閉じこもっていました。
殿下の視察のための準備に遁走し疲れた果てた私は、解放された安堵感につい部屋でうとうとと微睡んでいました。すると、突然部屋に響いた乱暴なノックの音で現実に引き戻されます。扉を開けると、酷く不機嫌な様子の副院長の姿がありました。聞けば殿下が私をお呼びになっていると言うのです。
私は酷く慌てて、乱れた髪を梳かす間もないままに殿下の前に引きずりだされることとなりました。人前に出ることを想定していなかった私の身だしなみは、それは酷いものでした。
私の姿を目にした途端、孤児院長は酷く顔を顰めました。それもそのはずです。成人して孤児院長の補佐をしているとはいえ、私は孤児で、それも禁忌の子です。表に出る必要もない私には仕立てのいい服などは必要もなく、下位貴族や裕福な商人が着るような衣服を纏っている孤児院長たちと比べると酷く粗末で、よほど襤褸を纏っているように見えるでしょう。それに、殿下の視察の為に新しく設えた服を着ていた他の孤児たちよりもみすぼらしく見えるはずです。
けれども、出てしまったからには仕方ありません。もう後戻りは出来ないのですから。
私はスカートを両手でぎゅっと握り込み、目の前の高貴な存在に頭を下げました。
「お呼びと伺い参りました」
「ああ、突然呼び出して悪かった。どうしてもそなたに話を聞きたかったんだ」
柔らかな声が掛けられました。その場で跪いている私に、殿下は「詳しく聞きたいことがあるから」と殿下の目の前のソファへかけるよう促されました。
孤児院の応接室にあるソファはとても立派な物で、身分の高い方や特別なお客様が座るためにあるものですから、私などが触れることさえ禁止されています。私はどうしたらいいのか分からず、戸惑いの目を孤児院長に向けました。孤児院長は苦虫を嚙み潰したような顔をしながらも、殿下の言うとおりにするよう私を促しました。
「失礼…いたします」
恐る恐る腰かけながら、ちらりと殿下を盗み見ます。
赤みがかった金茶の髪が短く整えられていて、瞳は薄い緑色…でしょうか。
サーニアスの肖像は、白金の長い髪に金色の瞳をした男性として描かれることが多いです。王族も『サー』の名を付けることを許される一族ですから、勝手ながらどこかサーニアスに似た人物を想像していました。けれども殿下は、上に立つ者の威厳を持った絶対者というよりは、どことなく柔らかな親しみやすさを持った方でした。
ふと視線が重なり合い、私の体はびくりと跳ねました。高貴なお方を不躾に見つめるなど大層無礼なことだと思い出し、慌てて目線を逸らします。
「緊張するな…というのは無理だろうな。だが、これ以上護衛を減らすわけにはいかなくてな。そなたが望むなら護衛達に後ろを向かせることもできるが」
「と、とんでもございません! このままで大丈夫です!」
殿下の配慮に私は慌てました。
殿下の護衛の騎士は、殿下の両隣に控えているのが二人、扉の前にも二人、そして扉の向こう側にも二人控えていました。確かに大勢の、それも屈強な男の人たちの視線に曝されるのはとても恐ろしいことです。特に私のような禁忌の子にとっては。
サーニアス教の信者にとって、神に認められない禁忌の子はそれだけで嫌悪の対象だからです。私たちが市井で暮らせないのは、私たち自身を守るためでもあるのです。
けれども、殿下の護衛の方の視線はあからさまな嫌悪や侮蔑といった感情が感じられませんでした。もちろん、心の中でどう思っているのかまではわかりませんでしたが、とにかく耐えられないほど恐ろしくはなかったのです。
「突然呼び立てして大層戸惑ったことと思う。私はエリオス・サー・アレサンドロ。そなたの名を聞いてもいいか?」
「は、はい! ヘレナと申します。王太子殿下にお目にかかれて大変恐縮です!」
「念のため確認するが、そなたは婚外子だと聞いている。間違いはないか?」
婚外子、つまりは禁忌の子です。先ほどまで緊張で早鐘を打っていた鼓動が嫌な音を立てました。じっとりとした汗でぬらつく掌を更に強く握りしめます。
「はい、間違い…ございません」
「そうか。そなたのような境遇の者の話を聞きたいとかねてより思っていた。だが、婚外子の存在は秘されていて、なかなかそのような機会に恵まれなかった。そなたの話を聞かせてほしい」
「はい。なんなりとお尋ねください」
殿下は、私がこれまでどのように生きていたのかをお尋ねになりました。特に孤児院内や市井において、禁忌の子が不当な扱いを受けていないかということを気にされているようでした。
禁忌の子と他の孤児の間には明確な扱いの差があります。けれどもそれを当たり前のものと受け止めてきた私は殿下のお尋ねしたいことの真意が分からず、上手く受け答えすることができませんでした。そんな私を見かねてか、孤児院長が代わりに説明をして下さいます。孤児院長の話を聞けば、私がいかに恵まれているのかがよくわかります。
禁忌の子でありながら成人後も孤児院に留まり、教育すら施してもらえた私はなんて幸運なのでしょう。
「私はいつか、婚外子の受ける差別や迫害を無くしたいと考えている」
殿下の思いがけないお言葉に、はっと顔を上げました。
「そなたは思ったことはないか? 神に誓った相手以外との間に子をもうけることが罪だとして、果たしてそれは親の罪か? 子の罪か? 禁を犯したのは親のほうだというのに、生まれを選べない子までが何故罪を背負わねばならぬのか」
胸が、どくんどくんと音を立てます。今までの教えられていた常識が覆されるような、いえ、厚く塗り固めてあった常識という壁を無残にも打ち崩し、自身の心の奥底に隠していた本音を無理矢理に表出されたような心持ちでした。何も答えることができない私に代わって、孤児院長が答えます。
「殿下。恐れながら申しますと、そのお考えは偉大なる神の教えに背くものでございます」
孤児院長も教会の教職者であり、平民でありながら洗礼名を持つお方です。殿下のお言葉は流石に看過できないと思ったのでしょう。
「何故神の教えに背くと? 教典には『この地に住まう者は皆神の子』とある。であれば婚外子も我々同様、神の子に相違ないだろう」
「それは違います殿下! 神の御前で婚姻を誓った者同士の間でない限り、サーニアス神が新たな生命を創造しお授けになることはありません。婚外子は神が創造なさった者ではない。神の理から外れた許されざる者なのです」
「異なことを言う。全ての生命の誕生がサーニアスの創造の力によるものであるとするならば、そなたの言い分によれば我々人もサーニアスと同様、生命を創造する力があると言っているようなものではないか」
「なにをおっしゃいますか! 神を冒涜するにもほどがあります!」
孤児院長が声を荒げると同時に殿下の隣に控えていた騎士様が剣の柄を握ります。辺りは一瞬にして張り詰めた空気が立ち込めました。しかし殿下はため息と共に騎士に手で合図を送り、その空気を胡散させます。
「失礼した。私も『サー』を名乗る身ゆえ、神を軽視する意図はないし教会と敵対するつもりもない。ましてやそなたと宗教論争をするためにここに来たのでもない。私はいずれこの国の王となる。さすればこの国に住まう者全てに対しての責任が生じるだろう。貴族であろうと、平民であろうと、そして婚外子であろうと、この国に住まう以上は私の民だ。私の民が不当な扱いを受けることがあれば、責任を持つ者としてこれを正さねばならない」
殿下のお言葉を反芻しながら、私は零れる涙を止めることが出来ませんでした。許されざる子、禁忌の子として、生まれた瞬間から存在全てを否定され生きてきた私が生まれて初めて、この国の民として、同じ人間として扱われたのです。
その瞬間から、エリオス殿下は私の全てになりました。
その日から殿下は幾度も、非公式にトラスト孤児院にお越しになりました。殿下の人となりを知るたびに、私はどうしようもなく殿下に惹かれていきました。もちろんこの想いが実をつけることはないと分かっています。ならせめて殿下のお役に立てることができたら…その思いは日に日に強くなっていきました。
そんな時、殿下から私の出生について聞かされました。私の父親は、王族との関係も深い伯爵位を持つ人間だったようです。そして同時にある提案をされました。
その伯爵家の養女となり、平民出身の王妃となってくれないかと。
殿下はおっしゃいました。「今こそ貴族の全盛は終わる。身分に胡坐をかいている無能な貴族は、数において圧倒的な大衆によってその座を追われるだろう。能力のあるものが然るべき地位を得、全ての国民が生まれの差で、不当な差別を受けないような国を作っていきたい。そして新しい時代の象徴として、平民出身の王妃という手札が欲しい」と。
そのようなこと命令ひとつで事足りるでしょうに、殿下は決定権を私に委ねてくださいました。もちろん、私の返事は決まっています。
私は生まれて初めて、神に心から感謝を捧げました。殿下が私を必要としてくださった。ああ、この方のために私は生まれてきたのだと。生まれてはいけない存在だった私が、初めて自分の存在意義を見いだせた瞬間だったのです。




