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悪女の消えた世界  作者: 三食うどん
外伝
18/22

とある妃の懺悔と希望 1

 私はいわゆる禁忌の子でした。


 (しゅ)(いわ)く 我、創造を(つかさど)るものなり。我、大地に降臨し、地に住まう全ての生命を創造せり。あまねく大地に住まう生命は全て我の手ずから創りし我が子に(たが)わず。我は子を慈しみ恩恵を(もたら)すものなり。

 (しゅ)(いわ)く 我、終息を(もたら)すものなり。全ての生命に死と安寧を与えり。また、教義を犯すものあれば裁きをもってこれを(あが)うものなり。


 孤児院の朝は毎日、この祈りの文言から始まります。これは全知の神、創造の神であるサーニアスを主軸とするサーニアス教。その経典の冒頭部分です。


 我が国カンタレツィアを始め、周辺諸国は例外なく、このサーニアスを信仰しております。この地にある最大の宗教であるサーニアス教は、その影響力の大きさから国を問わず大小様々な協会が各地に点在しているのです。そして、私が育った王都のトラスト孤児院を始め、ほとんどの孤児院は教会に併設されています。孤児とサーニアス教は切っても切れない関係と言えるでしょう。


 私自身も、言葉の意味を理解するより前からこの文言を何度も唱えていました。冒頭の文章どころか、経典に書かれていることならばどこを取っても、一言も余すことなく全て(そら)んずることができるでしょう。それほど孤児院での生活は、サーニアスの教えを重んじておりました。

 けれども、その教えが必ずしも自身の血となり肉となるとは限りません。特に、私のような境遇の者には――


 祈りの文言は淀みなく唱えられても、私は今まで心の底から神に祈りを捧げたことがありません。なぜならば、私がどんなに祈りを捧げたとしても、サーニアスの恩恵も、アガイシスの安寧も私には与えられるはずがないのです。全ては私が、神の教えから外れた禁忌の子だからでした。


 孤児院には様々な境遇の子どもが集められます。親を亡くした子、経済的な理由で育てられないと判断された子、他にも様々な理由で不要とされた子。そして、私のような禁忌の子。

 私の育ったトラスト孤児院は、王都にある一番大きな孤児院でした。そのためか、私と同じ境遇の子どもがとりわけ多く集められ、私が孤児院にいた頃でも5人ほどが在籍していました。


 サーニアス教は創造の神サーニアスと、破壊の神アガイシスを信仰する宗教です。そして、この二神は夫婦神でもあります。


 ある日、光り輝く我が神サーニアスが、荒れ果てた大地に降臨されました。荒れた大地にサーニアスの光が行き渡ると、そこに植物の芽が生えました。それは一本のトリネコの木でした。サーニアスはこれと似たようなものを増やそうとお考えになり、あらゆる植物を創造しました。荒れ果てた大地は瞬く間に緑豊かになりました。そして次に、あらゆる生き物をお創りになりました。その頃の大地は何時(なんどき)も光溢れ、生命には死や休息の概念がありませんでした。

 そんな日々が幾年(いくとせ)も続いた後、サーニアスはある女神と出会います。それは破壊の神、裁きの女神とも呼ばれる我が神、アガイシスです。二神が愛し合うようになると、大地には夜が、生き物には死が訪れるようになりました。

 サーニアスの創造した生命に死を(もたら)してしまうことを嘆くアガイシスのため、サーニアスは死んでしまった生き物の命を再び創造することにしました。こうして、死者の魂は死して後、その魂は循環され再び新たな生を受けることとなったのです。

 やがてサーニアスは、自身とアガイシスに似た生命を創ろうとお考えになりました。そこでサーニアスとアガイシスの髪の毛を人房ずつお取りになり、それを芯として創られたのが我々“人”なのです。


 以上が幼い子どもでも当然のように知っているサーニアス創世記のお話です。我々が信仰しているのはサーニアスとアガイシスの夫婦神、そして我々人は二神それぞれの一部から創られた神の子どもでもあるのです。だからこそ、サーニアス教は愛の宗教とも呼ばれ、愛についての戒律が厳しく、また多くを占めています。

 いついかなる時も、ただ互いのみ愛し合うサーニアスとアガイシスに習い、我々信徒にも生涯にわたりただ一人を愛すべしという戒律があります。神の御前で婚姻を誓うことは、神にその相手ただ一人を一生愛しぬくと宣誓するということなのです。もちろん、これを破った者にはアガイシスの厳しい裁きが下るでしょう。


 では禁忌の子とは何か、それはこの愛についての戒律に関係します。

 教会には王侯貴族から平民まで、この国全ての婚姻と出生の記録が保管されています。そしてその記録をもとに、何人たりとも神の御前で結婚を誓った相手以外と子をもうけることを禁じられるのです。もちろん、離婚や死別などでの再婚は認められており、その場合は前回の婚姻自体が無効となり新たに神の御前で再婚相手と宣誓を行います。そして、前回の婚姻で子をもうけていた場合、その子どもは新たな婚姻相手との子として教会に記録されるのです。

 ですが、婚姻を継続していながら別の相手と関係を持ったり、隠れて愛人を抱える者も少なからずいるのが事実です。もし神に誓った相手以外との間に子どもが出来たら、生まれる前、もしくは生まれて直ぐに処理されることが大半でしょう。稀に婚姻相手の了承を得て、正式な子として教会に記録するという事例もありますが、これはかなり特殊な場合です。そして、処理される事もないまま生まれてきてしまった子どもは、両親不明のまま孤児院へ預けられます。

 これこそが禁忌の子、サーニアスの許可を得ず生まれてしまった『存在してはいけない子どもたち』なのです。


 禁忌の子は神の子に(あら)ず。それが、サーニアス教の教えです。

 神がその存在を認めていないのですから、当然私たちは神の恩恵を受けられません。禁忌の子が死する時はアガイシスの御許(みもと)には招かれず、魂が循環されることもないまま、その存在全てが立ち消えてしまうと言われています。

 そして私たちはあらゆる迫害を受けます。市井(しせい)に出ることも許されず、婚姻することも出来ず、その一生を修道院でひっそりと過ごさなければならないのです。

 では何故、孤児院は私たちの存在を受け入れるのでしょう。それは、禁を犯して私たちが生まれる原因となった人物がアガイシスの裁きを恐れ、罪を軽くするために教会や孤児院にせっせと寄付を送るからに他なりません。

 ですが例え禁を犯したとしても、その者が死すればアガイシスの御許(みもと)に招かれ、その罪を裁かれ(あがな)えばまた魂は次の生を受けることができるのです。


 私たちはどんなに祈ったところで、裁かれることも許されることもありません。そんな私たちが、私が、一体神に何を祈れというのでしょうか。

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