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国王の協力のもと国を混乱に陥れた後、自身の命と引き換えに邪魔な貴族たちを自身の共犯に仕立て上げて処刑台に引きずり込む。彼女の語った計画はとても正気の沙汰とは思えぬ無謀なものだった。だがそれを無謀と一笑してしまえるほど、私はベアトリーチェ・モラトリアスという人間を低く評価していなかった。
何よりも、例えこの計画が失敗に終わったとしても王家にとってそれほどの痛手にはならない。邪魔な貴族を一掃出来ないことは腹立たしく思うが、ベアトリーチェの評判が地に落ちれば婚約破棄自体にはそれほど反発は起こらないだろう。この国からベアトリーチェ・モラトリアスという人間を一人失うだけである。
そしてまたもう一つ、彼女の言葉を無視できない理由があった。それは私が積年抱き続けてきた貴族への復讐心である。
嘗て、私の兄であったアレサンドロは落馬事故で命を落とした。しかし何より乗馬を得意としていたあの兄が落馬し、命を落とすとはどうしても信じられないでいたのである。兄の死亡原因に違和感を抱いていた私は、兄を乗せていた馬を詳しく調べるべきであると父王に進言した。しかし、父王は兄を殺した原因である馬を即座に焼き殺し、裁判も開かれないままに馬丁を処刑した。そのため、遂に真実は闇の中を彷徨うこととなったのである。
疑いが確信に変わったのは私が王となってからだった。奴は、奴らは、兄のような人望もなく、強固な後ろ盾もなく、若い、それでいて病弱な私の方がよっぽど御しやすいと判断したのだろう。今となっては祖父の崩御や父王が続けざまに病に倒れたことも疑わしい。だが、それらの証拠も私が実務を担う頃には何一つ手元に残らなかったのである。
体調は日に日に悪化している。私が王でいられなくなる時間が刻一刻と迫っているのだ。既に王としての実務を私一人で担うことが難しくなっている。病は確実に私の心と体を蝕んでいた。もし道半ばで倒れることがあれば、私や兄の怨念はいったいどこに帰結するというのだろう。
だがこの計画が実現すれば。これまで私一人の力では成し得なかった復讐が、悲願が、ベアトリーチェ・モラトリアスという駒を手中に収めるだけで叶うかもしれぬ。私の中で常に渦巻いていた復讐心と焦燥感がこの時、その決断を後押ししてしまったのだった。
彼女が語った叩き上げの案に少しずつ肉付けをしていくように、既に私の中で様々な計略が渦巻き始めていた。だがそれでも尚、確かめておきたいことがあった。
私個人の思惑を除いて国としての未来だけを考えれば、ベアトリーチェ・モラトリアスを失うことは本人が思う以上に損失が大きい。このような無謀な計画を立てずとも、彼女の知略を持ってすればアレサンドロを護り支えることは如何様にもできよう。だが何故、彼女はこのような自暴自棄ともとれる結論に至ったのか。彼女がモラトリアスだからという理由だけでは到底納得いかぬものであった。
「ベアトリーチェよ。自身の命とモラトリアスの名誉を犠牲として、そなたが得られるものは何だ」
私の鋭い視線をものともせず、彼女は静かに語る。
「私がエリオス殿下に騎士としての忠誠を誓ってからこれまで、日々殿下の支えとなるべく努力してまいりました。私はモラトリアスの誇りとして、主の剣となり盾となることを望みます。殿下の御心に添う、殿下のお役に立つ。まさに今がその時なのです。確かに今のままでは、殿下のお望みはただの夢物語になるでしょう。ですが、それを現実的なものにするのが私の役目で、私の…ラスウィーク・モラトリアスの子孫としての矜持でもあるのです」
「では、ただ騎士として、主君の為に死にたいと申すのか。それが名誉ある死にならずとも」
「ある友人が申しておりました。愛しているなら、戦うべきと。戦って愛を貫くべきと。殿下はまさに、愛のために戦おうとされています。国への愛のために。ヘレナ様への愛のために。私も、自分自身の愛を貫くために戦いたいのです」
「そなたは…アレサンドロを好いているのか? だが、身を引くだけが愛ではないだろう」
「いいえ。私は臣下として、殿下をお慕いしております。ですが私は……」
ここで初めて彼女は表情を崩した。いつでも完璧な令嬢の振る舞いを見せていた彼女には珍しいことだった。彼女は不安げに視線を俯かせしばらく言いよどむと、やがて意を決したように視線を上げた。
「陛下、私は……私は、同性愛者です」
「まさか! それは大罪ではないか!」
サーニアス信仰において、愛についての戒律は非常に厳格だ。それはサーニアス信仰そのものがサーニアスとアガイシスの夫婦神を主軸としているからだろう。生涯ただ一人を伴侶とし、愛すること。ただしそれは必ず成人を迎えている男女でなくてはならない。これを破ると、例え貴族であっても異端審問にかけられ厳罰がくだされるのだ。
「ええ、私はアガイシスに裁かれる身です。その共連れに、エリオス殿下の御代に必要のない者たちを、アガイシスの御許まで誘いたく存じます」
彼女は尚も決意した眼差しで続ける。
「私には殿下を真の意味で愛することができません。しかし殿下が真実の伴侶を得た今、私は王妃の役目を下りてただ殿下のための騎士となることができます。殿下にはどうか、愛し愛される生を送っていただきたい。そのためにこの命を使えることを心から幸せに思います。そして私自身も、これ以上自分の心を偽ることなく、生きていきたい。私は、私自身の愛を貫くために戦いたいのです」
「そなた…」
「……彼女を愛することが罪となるならば、私は堂々と胸を張って、アガイシスの裁きを受け入れましょう」
例え神の戒律に反することになっても、例え裁きの女神に裁かれることになっても、自分の心を偽ることなく愛を貫き戦う。そう言ってのける目の前の令嬢が、私には直視するのも難しいほど眩しく思えた。私は最初からベアトリーチェ・モラトリアスという人間の真髄を見誤っていたのだ。それは私にさえ、畏怖にも似た思いを抱かせる輝きであった。
「王が王たるためにはあらゆる犠牲を知り、その犠牲への責任を持たねばならぬ。私は王として、いつかアレサンドロに真実を告げる日がくるであろう。だが約束しよう。そなたのその想いだけは、私がアガイシスの御許に赴く日まで大切に仕舞っておくと」
彼女は静かに一礼した。
呼吸が苦しい。世界が霞んで見える。同時に、ああ私の命の灯もこれで尽きるのだと悟った。まるで命の灯が最後の瞬間までその灯を明々と燃やし尽くすように、自身のこれまでの人生が走馬灯のように脳裏を駆け巡っていた。その明く燃ゆる灯が、アガイシスの御許へ詣るための導となるのだろうか。
残されたアレサンドロやカンタレツィアの今後は気にかかるが、ここ数年は我が息子ながら目まぐるしい成長を見せている。きっと、よい国にするのだろう。
あの子ほど真にこの国を愛している者はいない。復讐心に囚われていた私などよりもよほど、よい王となるはずだ。
私の人生は挫折の連続であった。私も多くの罪を犯し、アガイシスに裁かれるのを待つ身だ。もしアガイシスの御許で彼女に会うことがあったなら、こう言おう。
『そなたとの約束は守った』と。
そして彼女がいなくなった世界のことを。彼女がもたらした奇跡を大いに語らおう。
エリオス一世の視点はここで終わりです。次回は本編の最終話です。




