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幸いにして、唯一の後継たる息子は病弱な私の性質を受け継ぐことなく健やかに育っていた。その性格も、私というよりは兄のアレサンドロに近かった。だが半面、心配な部分もあった。
活発で快活なところは共通すれど、兄には真に己を理解する聡明さも備わっていた。しかし息子はまだ未成熟ゆえか、自身が唯一の王の後継であるという自負があるからか、はたまた環境や周囲の反応がそうさせるのか、自身を過信する言動が目立っていた。また、素直で人がよく、少々人を信じすぎるきらいがある。勉学も敬遠し、本を読むくらいなら馬に乗り剣を振り回していたいと言い出す始末だ。唯一積極的に勉学に励むのは歴史学の時間ぐらいだと教師も手を焼いていた。
そんな時、幼いながらも非常に聡明だと話題に上っていたモラトリアスの娘に目をつけた。
最初こそ、聡明な彼女に刺激を受けて息子が成長してくれたらと願っていただけだった。狙い通り息子の慢心は鳴りを潜め、彼女に相応しくあるため何事にも誠心誠意取り組むようになった。しかし想定外だったのは、ベアトリーチェ・モラトリアスは何より優秀すぎたのだ。私に別の欲を抱かせるほどに。
モラトリアスの性質を色濃く受け継いだ彼女は、息子を生涯の主と定めたようだった。主を定めたモラトリアスほど信頼できるものはない。しかも彼女は騎士ではなく、王妃として、王と並び立つものとしてあるのだ。
私はその頃から、日々自身の体が思い通りにならなくなっていくのを感じていた。どの薬をどの程度服用しているのかも、最早自身では把握できないほどだ。このまま王としての生活を続けていくのが厳しいことも痛感していた。しかし、もし私があっけなく死んでしまえば残された息子はどうなる。若くして王となれば私のように老獪な貴族共に翻弄されるのは目に見えている。いや、それ以上酷いことになるかもしれぬ。それまでに何としても面倒な貴族共の力を削いでおかなければならない。思い通りにいかない現実に私は焦っていた。
しかしそんな焦りにも、ベアトリーチェ・モラトリアスを王妃に据えることで光明が差した。
息子の隣に彼女がいたとしたら……。王に追随するだけの王妃ではなく、ともに王としての責務を負い、互いを補い合っていけたら。幼き頃に我々兄弟が夢に見ていたいつかが、ついに息子の世代で実現するやもしれぬ。その可能性に期待せずにはいられなかった。『王が孤独である必要はない』そう言っていた兄の言葉を証明してやりたかった。
私はベアトリーチェ・モラトリアスに、王妃教育に加えて、王となる者に行われる教育をも同時に課した。王と同等、いやそれ以上の知識を身に付けさせたのだ。私の過剰な期待を背負うことになったにも関わらず、彼女は海綿が水を吸う如くに知識を吸収し、その期待に鮮やかに応えて見せたのだった。王以上に王としてあり、だが決して驕らず出しゃばらず、陰に徹して主を支えるモラトリアスの性質がよい方向に働いていると、私は確信を持っていたのである。
ベアトリーチェ・モラトリアスがいよいよ女学院を卒業し成人を迎えれば、正式に次代の王妃になる者として公の場に立つことになるという時、私は自身の目算が外れていたのを知った。
息子がベアトリーチェとの婚約を破棄し、別の女性と婚約すると言い出したのだ。私が権力を持ちすぎた貴族共の力を削ぐために行っていた、平民へ教育を施して質の底上げをするという試み。また、身分の差に関係なく優秀な者が正当な評価を得られる仕組み、それらを後押しするために平民の出であるヘレナとの婚姻が有効であると主張したのである。
息子は少々夢見がちなところがある。しかしそれを現実的な案に修正するのが今までのベアトリーチェの役割だった。私は初め、息子の意見を歯牙にもかけなかった。
アレサンドロを孤独な王にしないことこそ、私利私欲に憑りつかれた貴族にいいように振り回されないようにすることこそが何よりの至高と信じて疑わなかったのである。
その後にベアトリーチェが面会を申し出てきた際も、私自身は彼女を支持すると表明する心づもりであったのだ。
だがまたしても私の意図したところとは別の方向に変針することとなる。
彼女は王妃に相応しい優雅で気品あふれる礼を取ると、挨拶もそこそこに言い放った。
「陛下。此度の件、どうかエリオス殿下の思うままに、話を進めていただきたく存じます」
当然彼女は息子の世迷言を諫めるよう私に嘆願しに来たのだと思い込んでいた私は、彼女の言葉に面食らうことになった。だが直ぐに表情を取り繕い、彼女の言葉を退ける。
当たり前だ。モラトリアス家との婚約を解消させ、よりによって平民の娘などと婚約させようものなら、モラトリアスは良くともその他の貴族からの反発が起こるのは自明の理だ。もしそのようなことを強行してしまえば私や息子への信頼度は下がり、面倒な貴族共を益々のさばらせることになる。それがわからないほどベアトリーチェ・モラトリアスは愚かではないはずだ。
だが、彼女は決意を固めた表情で続ける。
「もちろん、このままヘレナ様との婚約を進めてしまえばエリオス殿下は多くの支持を失うでしょう。ですがそれについては私に考えがございます。しかしそれは陛下のご協力がなければ実現いたしません。もし陛下にご協力いただけるならば、……この命と引き換えに、陛下にとって必要のない貴族たちを根こそぎ断頭台に引きずり入れてごらんにいれましょう」
何を馬鹿なことを、と一蹴してしまえばよかった。しかしそうは出来ず、代わりにごくり、と喉が鳴った。私の様子を一縷の好機と捉えたのか、彼女は朗々と語りだした。
そしてそれは私にとって、決して抗うことのできない誘惑の調べであった。




