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悪女の消えた世界  作者: 三食うどん
エリオス・サー・アレサンドロ
10/22


 私と彼女は長らく婚約関係にはあったが、所謂(いわゆる)一般的な婚約者のような間柄ではなかった。

 私の前では彼女は常に臣下の姿勢を貫いていて、婚約者というよりは信頼できる従者と言ったほうがしっくりくるほどだ。年に数度ほど行われる婚約者との逢瀬においても、交わす会話は主に国際情勢や政治についてであった。父の意思を継いで将来的に国民の身分格差をなくしたいと考える私に賛同し、実現可能な政策や夢物語のような将来設計まで、様々なことを幾度となく話し合った。彼女は聡明で、私の無謀な考えにも現実的な落としどころをつけてくれる。

 彼女との会話は刺激的であったが、男女の熱を持った雰囲気は皆無に等しかった。

 彼女と過ごすにつれて浮き彫りになっていくのが、彼女の聡明さと上に立つものとしての素質だ。彼女の思想は父王のそれに近かったように思う。先を見通し、合理的に考え、その決断に私情を挟まない。父王が殊更(ことさら)に彼女を気に入っていたのもそれが理由だったのだろう。

 私はこの国の唯一の王子であり王位継承者の筆頭でもあるが、残念ながら父王の求める水準や資質を満たしてはいない凡庸(ぼんよう)な人間であった。だからこそ、ベアトリーチェ・モラトリアスのような優秀な者を私の支えとして傍に置くことにしたのだろう。多感な時期に差し掛かっていた私はそんな父王の思惑を鋭敏(えいびん)に感じ取り、父王が彼女を称賛するたびに落第者の烙印(らくいん)を押されたような鬱屈した気持ちを抱いていたのである。

 そんな中でも私と彼女の関係はそれほど悪いものではなかった。正直に言えば自身の劣等意識を刺激される彼女の存在になんの憂慮も抱かなかったわけではない。しかしそれでも彼女を(うと)ましく思えなかったのは、彼女が私自身を仕えるべき主と定め、さながら主君に命を懸けて忠誠を誓う物語の騎士であるかのような態度を崩すことがなかったからに他ならない。常に私の言葉に追随(ついずい)するではないにせよ、私の意思を汲みそれらを遂行(すいこう)することに何よりの重きを置いていたように思う。そうやって(つちか)ってきた私とベアトリーチェの絆は、ただの婚約者というだけでなく、オースレシアからの独立を勝ち取ってカンタレツィア王国を築いた初代王アレサンドロと、その最も信頼に厚い騎士であったラスウィーク・モラトリアスのような強い絆で結ばれていると、そう信じて疑わなかったのである。

 ヘレナのことを話した時も、彼女ならば反対することはないだろうと(たか)(くく)っていた。ヘレナとの未来や私の野望の為に、ああでもないこうでもないと話し合いながら、理想と現実の折り合いをつける策を共に考えてくれるはずだと、私は浅はかにもそんな風に考えていたのだ。

 彼女があそこまで取り乱す様を見たのはその時が初めてのことで、沈着冷静ないつもの彼女とは全く違う姿に私はただただ吃驚仰天(きっきょうぎょうてん)するしかなかった。しかし彼女が再び冷静さを取り戻したなら、また私の臣下として今後のことに協力してくれるのだろうと、その時の私は本気で考えていたのである。


 気が付けば杯に注いだ酒が随分と減っていた。

 目を凝らすと、目の前の薄ぼんやりとしたもやが人の形を作り、もう一脚の杯に手を伸ばす。そしてその杯に口をつけると、赤い口元がうっすらと曲線を描いた。


「今日の酒はラスウィークの領地で作られたものだ。なんと言ったかな? 果実の搾りかすを使っていて、こういう色をしているものは一般的でないそうだな。以前モラトリアスの領地のみで作られていたものを、コルラードが復活させたようだ。今年ようやく納得のいく味になったと漏らしていたよ。君にとっては懐かしい味だろう」


 エイブラムもコルラードもあれほど酒を好むのだ。コルラードは忙しさの(かたわ)ら領地の酒造業に非常に力を注いでいるし、エイブラムに至っては大人しく引きこもるのに飽きたのか、最近は酒造りのために農夫の真似事までし始めたらしい。なぜそのような物にそこまで情熱を傾けられるのかてんで理解はできないが、それが我が国の経済によい影響を与えているのは事実である。きっとモラトリアスの地で同じように育った彼女も酒が好きなのだろう。

 目の前にいる彼女の、手元の杯を傾ける頻度が増えるのを見て私は大変満足した。

 思えば彼女と彼女自身についての話をすることはあまりなかった。彼女があまり自分のことを話したがらなかったし、それ以上に話すべきことが我々にはあったからだ。

 けれども幼いころはまだそれよりお互いのことも話していたように思う。彼女がもっと饒舌で表情も豊かだった頃のことだ。


 私とベアトリーチェが婚約したのは彼女が7歳で、私が8歳の誕生日を迎えたばかりであった。

当時は婚約というものを真に理解していなくて、婚約者と過ごす時間を設けるために定期的に登城する彼女の存在を単なる話し相手の一人としか認識していなかった。その頃の私は歴史の授業でカンタレツィア王国の建国にまつわる史実や逸話などを詳しく習ったばかりであり、そしてこの国の男児のほとんどがそうであるように、初代王と共にこの国を勝ち取った騎士たちとの関係に憧れを抱いてもいた。その騎士のうちの一人で、初代アレハンドロ王の信頼が最も厚かったと言われるラスウィーク・モラトリアスの子孫との対面に心躍らせていたが、実際にやってきたのは小さな淑女であったことに心底がっかりしたものだ。

 ところが彼女とは意外なほど話が合った。私が建国史の、とりわけ初代王とラスウィークの逸話を好むと知ると、モラトリアスに伝わるラスウィークの逸話や人柄を話し聞かせてくれた。ラスウィークの騎士としての活躍を話す時などはまるで同世代の男児のように目を輝かせていた。

 婚約者として彼女と会い始めてしばらく経つと、私は彼女を騎士のように従えて連れまわすようになった。その頃の私は、自身がこの国の唯一の王子で、いずれ王となるのだということを悪い意味で自覚していた。傲慢なふるまいを恥とも思わないほど幼く、無謀さを勇敢さと勘違いしていたのだ。

 私たちは護衛騎士の目を()(くぐ)って庭園から城内に逃れると、使用人や騎士たちを敵に見立て彼らに見つからないようにあちこちを探検した。普通の令嬢ならばそうもいかなかっただろうが、彼女は驚くべき俊敏性と身体能力で、息ひとつ乱さず私についてきた。そして彼女の機転や機敏によって我々の冒険は全てうまくいっていた。それはまるで兵を従えて何度も死線を潜りながら自由を勝ち取った在りし日のアレハンドロ王とラスウィーク・モラトリアスのように思えた。


「そなたは、なぜそのように体力があるんだ?」


 護衛騎士から追われ身を隠すために使用人用の小部屋へ逃げ込んだ最中、疲れた顔を見せず周りの様子を警戒している彼女に声をかけた。すると、彼女は一瞬(きょ)を突かれたような顔をして、恥ずかしそうに下を向いた。


「私は……騎士になりたかったのです。一時は剣術訓練の真似事などもしていたので、普通のご令嬢よりは体力があるのでしょう」

「流石ラスウィークの子孫だな。モラトリアスでは女も剣を握るのか」

「……いえ、騎士の家系と言えども女が剣を握ることは推奨されません。私がいくら努力をしても、女の身では決して騎士になることはできないと父に(さと)されました」


 彼女は益々顔を(うつむ)かせる。私は純粋に感嘆したのだが、思いがけず彼女の苦悩を刺激してしまったようだった。なぜ女だと騎士になってはいけないのか。彼女はこんなにも――ラスウィーク・モラトリアスのように勇敢だというのに。彼女がいるからこそ、ここまで騎士たちに見つからずに冒険が続けられているというのに。純粋にもったいないと思った。


「それなら私の騎士になればいい。私が王になったら女でも騎士になれるようにこの国を変えてやろう」

「ですが、私は殿下の将来の伴侶となるよう決められています」

「そうか……なら、王妃と騎士、どちらもやればいいではないか。いいか、今日からそなたは私だけの騎士だ! 王を護るための騎士じゃない。このエリアス・サー・アレハンドロだけの騎士になれ!」


 それがどんなに無謀なことかは知らず、私は幼さに任せて得意気に言い放った。彼女が目を見開くと、それから先ほどまで暗く(かげ)っていたその瞳がみるみるうちに輝き出した。自分がこの美しく勇敢な少女の瞳を輝かせたのだと思うと、いわれもない全能感が湧き上がるのを感じた。

 夕日が差し込む窓辺で、我々は物語の中のように騎士が行う主への忠誠の誓いを行った。それは剣もなければ立会人もいない、単なる子どものごっこ遊びに過ぎないが、窓から差し込んできた夕日を(まと)って薄く透けて見えるような彼女の髪の幻想的な美しさと、光をはらんだ輝くような眼差しを向けられた自分の身が酷く高揚していたのを覚えている。

 そしてその時の光景は今でも私の胸に強く刻み付けられている。

次回の更新は2月15日です。

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