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大司書長閣下

本日9回目の更新です。

……………………


 ──大司書長閣下



「凄い……」


 フィーネは大図書館に入ったと同時にそう告げた。


 ピラミッドの内側は本で満ちていた。


 大図書館の天井──ピラミッドの頂上から1階までは一筋の光が差し込んでおり、そこに昇降機が設置されていた。その昇降機の設置された吹き抜けからは各フロアの本棚が窺える。膨大な数の本棚と本だ。


「こ、これ全部、自由に読めるんですか?」


「一部の危険な魔導書を除いては全てが無料で閲覧できる。本は青魔術で固定化のエンチャントで物理的に劣化することを避けているから、文字通り本は万人に開かれている。それが彼女の自慢だったよ」


「確かに流石は大図書館……」


 フィーネは呆気にとられたまま、入り口で呆然としており、エリックは彼女ために暫し足を止めて、フィーネとともに大図書館を見上げた。


 ここには人類の叡智が詰まっている。人類がこれまで積み上げてきたもののうち無事だったものがここには収められている。発展を促すものもある。破滅を促すものもある。だが、全ては知識だ。知識はそれを使う人間次第で全てが変わる。


「フィーネ。そろそろいいかね?」


「あ。はい! すみません。田舎者丸出しでした……」


「いいや。ここに初めてきて、君のような反応をしなければ嘘というものだ。これは何度見ても圧巻の光景だ」


 エリックはフィーネを連れてカウンターに向かう。カウンターではエルフの司書が、おどおどした様子で書物を運び出す聖職者たちを見ていた。


「失礼」


「は、はい!」


 エリックがそっと声をかけるとそのエルフの女性は飛び上がった。


「大司書長に会いたい。エリック・ウェストが来たと伝えてくれ」


「大司書長閣下は今御多忙でして……」


「ひとまずエリック・ウェストが来たと伝えてはくれないか?」


「分かりました」


 エルフの司書は内線専用の魔道話具を取り出すと、目的の人物につないだ。


「大司書長閣下ですか? はい。御多忙なのは分かっております。ただ、エリック・ウェストなる方が来ておられて、お会いしたいと……。あ、はい。分かりました」


 エルフの司書が受話器を置く。


「お会いになられるそうです。地下にどうぞ」


「ありがとう」


 エルフの司書は怪訝な表情を浮かべながらも、昇降機を指さした。


「地下があるんですか?」


「ああ。この大図書館は上部のピラミッドとは逆のピラミッドと一体で構成されている。この大図書館は地下にも広いのだよ」


「凄いですね……。まだまだ広いだなんて……」


 エリックたちは昇降機に乗り込み、地下最下層を支持るする。


 昇降機はゆっくりとした速度で地下に降りていく。1階から地下に入ると、人工的な青色の光に照らされた地下ピラミッドの構造が見えてくる。上階と同じように本棚で満ちた景色をフィーネは張り付くようにして見ている。


 彼女の学習意欲は本物だなとエリックは思う。本を好きな人間は大抵勉強も好きなものだ。本を読むだけでも勉強になるのだから。


 昇降機はゆっくりとゆっくりと降下していき最下層に到達した。


「ここに私の友がいる」


「お友達ですか? そういえば大司書長って言ってましたけど……」


「ああ。アレクサンドリア大図書館大司書長エリザベート・フォン・アイレンベルクは私の800年もの間の友人であり、よきアドバイザーだ」


「だ、大司書長ってこの大図書館の一番偉い人ですよね……?」


「ああ。そうなるな」


 エリックはそう告げてフィーネに手を貸して昇降機を降りた。


 一方のフィーネはグランドマスターは人脈も凄まじかったと呆気に取られていた。


「彼女は静かなのを好む。静かに頼むよ」


 エリックはそう告げて最下層にある唯一の扉をノックした。


「どうぞ」


 部屋からハスキーな女性の声が響く。


「やあ、エリザベート。久しぶりだね」


「ああ。久しぶりだ、エリック。大体4年振りか。人間の時間で考えるならば久しぶりだが、我々の時間だと一瞬だな」


 エリックたちを出迎えたのは首に下げられた金の懐中時計と白いブラウスに黒いベスト、そして灰色のロングスカートを身に着けた女性だった。年齢は20代前半ほどだろうか。その知的な瞳から発される光は彼女がこの大図書館の主であることを窺わせていた。


「君は何年経っても変わらないな」


「そういう君こそ何も変わっていない」


 エリザベートと呼ばれた女性は濡れ羽色のとても長い長髪をポニーテイルにして纏めており、その瞳は血のように真っ赤であった。この青白い照明で照らされた大図書館地下では、その肌は病的に白く見える。


「あのー……。おふたりはどのようなご関係で?」


 フィーネがエリックの背後からおずおずと顔を出した。


「彼女は友人だ。紹介しよう、エリザベート。彼女はフィーネ・ファウスト。死霊術師の見習いで私の弟子だ」


「ほう。君が弟子とはね。何十年振りだね? それもこんな酷い時代に死霊術師を目指すとは酔狂な。君は変わった人間を見つけてくるのが上手いのだろうか。君のパーティメンバーも愉快な人間たちだったが」


「それは君が図書館に籠り切りで外の人間を見ていないからだよ、エリザベート。外には様々な人間がいる。たまには外に出てみるといい」


「奇遇だな。我もそう考えていたところだ。外の人間の無理解に遭遇したばかりでね。外の人間には確かにいろいろな人間がいるのだろう。人をイラつかせる天才のような」


 僅かな嫌悪を込めてエリザベートはそう語った。


「焚書の件だね」


「そうだ。サンクトゥス教会も地に落ちたものだ。今の時代に焚書とは。時代錯誤も甚だしい。彼らは本を一冊燃やす度に先人の知識がどれほど失われていくのか理解しているのだろうか。きっと理解していないに違いない。だから、あんな愚かしい真似が平然とできるのだ。失われた知識を取り戻すのにどれほどの時間が必要なのかも理解してはいまい。黒魔術を本気で禁止して、何が得られるというのだ?」


 エリザベートは大司書長室の本棚に並んだ本を見てそう告げる。


「純潔の聖女派が力を持った。彼らは黒魔術を嫌悪している。理由がどうあれ、黒魔術は彼らと共存できない。どちらかが力を失うまでこの権力をかけたゲームは続くだろう。だが、どうして抵抗しなかったのだ、エリザベート。君なら抵抗できたはずだ」


「我がミスカトニック市議会で発言力を持っているからか? ミスカトニック市議会の発言力は修道騎士団を前に無くなった。ペンは剣よりも強しと言ったのは、ある記者だったと記憶しているが、ここではどうやら魔道式小銃があるせいかパワーバランスが逆転したようだな。市議会は沈黙し、我は抗議する機会さえ与えられなかった」


 エリザベートはそう告げてため息をついた。


「やれることは全てやった。焚書を要求する聖職者どもにここにある本の価値を説くのに我がどれほど苦労したものか。本一冊に込められた知識が、将来においてどれほどの役に立つのか説くのに我がどれほど言葉を使ったか」


「だが、ダメだったというわけか」


「そういうことだ。奴らは我が大司書長でいることも気に入らないらしい。市議会に解任を求める圧力をかけている。我としては奴らが圧力をかけるまでもなく、出ていくつもりだがね。こんな政治的に利用されるようになった図書館に長居するつもりはない」


「やはりか。純潔の聖女派は吸血鬼も嫌っているからな。私は君が既に大司書長の立場を解任されているためにこんなことが起きているのだとばかり思っていたよ」


 エリックはそう告げた。


「え。吸血鬼? あの吸血鬼ですか?」


「そうだ。彼女は吸血鬼だ。エリザベート、腹が立っているだろうが、私の弟子に自己紹介をしてくれないかな?」


 フィーネが驚き、エリックがそう告げる。


「我はエリザベート・フォン・アイレンベルク。始まりの吸血鬼13真祖のひとりであり、吸血鬼の女王のひとりだ。もっとも、我は吸血鬼らしいことをまるでしないがな」


「きゅ、吸血鬼の真祖!?」


「図書館では騒がない。特にこの大司書長室では」


「す、すみません。けど、真祖って吸血鬼の中の吸血鬼じゃないですか。あの吸血鬼の帝国を作ったヴラジーミル・ヴェルシーニンや世界を7週間暗闇に包んだダーシャ・フォン・ヴァレンシュタインと同じなんですよね?」


「我をあのような頭の出来の悪い真祖どもと同列に並べられるのは些か不愉快だな。あの連中が悪評を振りまいてくれたおかげで、純潔の聖女派に吸血鬼は狙われるようになったのだ。以前のようにヴァンパイア・ハンターなどは飼っていないようだが、隙あらば我のことを灰にしてやろうと思っていることだろう」


「あ、頭の出来が悪い……?」


「人間はこの世界の支配者だ。ドラゴンたちが衰退して以降、名実ともにリンドヴルの支配種族だ。エルフは数が少なすぎるし、ドワーフは絶滅寸前だし、ドラゴンは今やかつての叡智を失い空飛ぶトカゲとなり果てた。それら全てを押しのけ、人間は支配種族となった。そんな人間の秩序を否定し、喧嘩を売るような行為を賢いと言えるか?」


「でも、人間って弱いですよ?」


「個々の人間は一部の例外を除けば確かに弱い。だが、集団になった人間は恐ろしいほどに強い。連携する力のあるものたちを甘く見るのは己の力に酔っている馬鹿のやることだ。少なくとも我はそう思っているよ」


「うーむ」


 人間はそんなに強いのだろうかと思ってフィーネはエリックを見た。


 あ。滅茶苦茶強い人がいた、とフィーネは思い直した。


「それで、我が友よ。焚書は止められない。万策尽きた。市議会があそこまで弱腰になるとは思ってもみなかった。仮にも自由都市が教会の修道騎士団に脅されて、領地内で好き勝手やらせるなど悪しき前例を作ったな」


 エリザベートは机に膝をついてそうぼやく。


「都市軍は?」


「大図書館を守ろうと抗戦を訴える将校もいたが、命令はでなかった。自由都市もサンクトゥス教会とは敵対したくないと見える」


 都市を守るだけの都市軍がまともに異端者を地の果てまで追い詰めて撃滅する修道騎士団とやり合えば、修道騎士団が勝つ。彼らは装備にも練度にも差がありすぎるのだ。


 勝ち目のない戦争はしない。市議会はそう判断したのだろう。


「そうか。君はどうする? もう大司書長を続ける気はないのだろうし、何より教会の圧力がかかっているのだろう?」


「そうだな。何もかも放り出してどこかの田舎に逃げ込み、回想録でも書こうかと思っていたところだ。だが、面白い客がこうしてやってきた。君たちはこれからどうするつもりだ? そもそも我に会うためだけに大図書館に来たのか?」


「フィーネは王立リリス女学院で死霊術を学んでいたのだが、黒魔術科が廃止になって途中で退学となってしまった。彼女のために死霊術の基礎をここで振り返るつもりだったのだ。ここにはいい本が揃っていたからね」


「なるほど。それは間が悪かったな」


 エリザベートが同情の視線をフィーネに向ける。


「それから我々はこれから私の研究室に向かうつもりだ。かつての友人たちに近況を知らせておきながら。君も知っている面子だよ。トレントのベルトランド爺様。変わり者のダークエルフのデルフィーヌ・ダルシアク女史。廃棄地域の管理者チェスター・コヴェントリー辺境伯閣下」


「懐かしい面子だ。かつてはこの世のあり方について森で論じたものだ。我々は世界がより知的に発展していくだろうと予想していたが、まるで逆のことが起きたね」


「それもまた予想できない世界のあり方だ」


 フィーネは知らない名前が並ぶのにきょとんとしていた。


「かつての仲間に会うのもこの荒んだ心を癒すのにちょうどいいのかもしれないな。君たちの旅に同行させてはくれないか?」


「本気で大司書長を辞めるのか。ここにある本の半分以上は君の私的なコレクションだろう。敢えて大図書館という形を取って寄贈しているだけで」


「市議会と教会が揃って辞任しろと圧力をかけているんだ。仕方ない。退職金はいただいていくが、それだけだ。それにちょっとした嫌がらせもしておいたしな。バレる前にさっさと逃げた方がいいだろう」


「聖職者に憑りついていた怨霊。あれは君の仕業か」


「ご明察。とびきり性質の悪いのを憑けておいてやった。迅速に祓わないと酷い目に遭うだろうな。我々の本を焼いたんだ。それぐらいの落とし前は付けてもらわないとね」


「まあ、彼らにも白魔術があるから死にはしないだろうが」


 怨霊を取り除けるのは黒魔術と白魔術だけだ。


 黒魔術は死者の気持ちを汲み取り、その原因を取り除いて死者たちを冥界に導く。白魔術は半ば強制的に冥界へと送り出す。どちらが優れているとは考えない。黒魔術の方法にも、白魔術の方法にもメリット、デメリットがある。


「明日までに辞任の手続きを済ませる。馬車くらいはもらえるだろう。市議会は少なくとも多少の後ろめたさは感じていたようだからね。本についてはのちの世代が学べるよう、そのまま残していく。お気に入りの私物は持っていくが」


「分かった。明日まで待とう。私たちは宿にいる。君と食事をした宿だ」


「ああ。分かった。辞任の手続きが終わったら伺うよ」


 そう告げてエリザベートが立ち上がる。


「再会のハグはなしかな?」


「君がそれを必要とするならば」


 エリックはエリザベートの方に向かい、彼女を抱きしめる。


「我が友よ。心安らかになるまで傍にいてくれ」


「ああ。我が友よ。君の望むままに」


 エリザベートは顔をエリックの肩にうずめてそう告げた。


 フィーネはその様子を僅かに頬を赤くしながら見ていた。


 エリックの身長が190センチほどでエリザベートの身長が175センチほど。長身のすらりとしたふたりの姿は演劇の俳優のようだった。エリックの真っ白な髪とエリザベートの濡れ羽色の髪がまたコントラストを描いており、美男美女のふたりが抱き合っていると、フィーネの心臓がドキドキした。


 同時にエリックに抱き着いているエリザベートを見るとちょっと心がもやもやした。


「あの、そろそろ行きません?」


「そうだな。行くとしよう。待っているよ、エリザベート」


 フィーネがもじもじと告げ、エリックがエリザベートから離れた。


「では、明日。我が友よ」


「ああ。ここからもさようならだ」


 エリックとフィーネはその後昇降機に乗り、地上に戻った。


 フィーネは横目でエリックを見る。


 フィーネが抱き着いたらエリックの胸に顔を埋めることになる。フィーネはエリザベートのように長身ではないし、抱き合っても親子や兄妹が抱き合っているように見えるだろうが。とてもではないが恋人同士のようには……。


 そこまで考えてフィーネの顔が真っ赤になった。


 何を考えているんだ、自分は! エリックは師匠なのに!


 だが、と思う。


 エリックは魅力的だ。フィーネの知らないことをいっぱい知っていて、フィーネのために世話を焼いてくれる。何より死霊術師として育ててくれると約束してくれた。


 エリックはとても魅力的。できれば誰にも渡したくないほどに。


「フィーネ?」


「あ。はい。今日のお昼ご飯はどうします?」


「店を探そう。明日でこのミスカトニックから去ることになった。精一杯満喫してきたまえ。流石の純潔の聖女派も酒場や食堂を取り締まったりはしていないだろうからね」


「了解です!」


 世界は狂っていっているけれど、今のフィーネは幸せだ。


……………………

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