魔術都市ムナール
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──魔術都市ムナール
エリックとフィーネ、そしてオメガの学習の日々は続いた。
「えっと。これは……」
「霊体に集中して、眉間のあたりに力を込めてしっかりと霊体を見て、そして『実体化』と念じるの。やってみて」
「はい、フィーネお姉さん」
死霊術に関してはフィーネがオメガにアドバイスする側だった。
オメガはフィーネの影響もあってか、死霊術にとても興味を示している。フィーネは弟ができたみたいで嬉しく、自分の出来ることを次々にオメガに教えていっている。そのオメガでも動物霊との交信や木の霊との交信は不可能だったが。
「ええっと。ここは……」
「ここはこの方程式を使うんですよ」
「わあ。そうだった! ありがとう、オメガ君!」
数学に関してはフィーネがオメガに教えを乞う立場だった。
「しかし、17歳差というものがありながら、オメガ君に頼る私というのは……」
フィーネはがっくりする。
「17歳差なんて些細なものですよ。お父様とメアリーおば──お姉さまは200歳差でありながら、ほとんど同い年って言い張ってますから。17歳なんて年月、お父様たちのようなリッチーになればあっという間に過ぎてしまいますよ」
「うん。そうだね。けど、私はまだリッチーじゃないよー」
「でも、リッチーになるんですよね?」
「うん。そう考えてる。リッチーになったらエリックさんとずっと一緒にいられるし」
「そうですか」
オメガは少しで少し考えたような顔をした。
「自習は進んでいるかね?」
「エリックさん。オメガ君に教えてもらって進んでいますよ」
「そうか。オメガも成長が早いな」
「きっと賢い子なんですよ」
フィーネはそう告げてオメガの頭を撫でてやった。
「それはそうと魔術都市ムナールに行くことになった」
「ムナールって世界魔術科アカデミーの本部がある?」
「ああ。その通りだ。しかし、用事があるのは世界魔術アカデミーではない。神の智慧派の集会が開かれることになった。昨今の情勢からして私も参加しておくべきだろうと考えている」
「黒魔術師への圧力の件ですよね」
「それだけではない。ダイラス=リーンでの純潔の聖女派のテロ、世界魔術アカデミーに対する黒魔術以外の魔術への研究費削減の圧力。今、世界は発展に関して危機にさらされている。そのことについて神の智慧派で話し合っておきたい」
アラン・モーアランドが言うには神の智慧派は教会内部にモグラを飼っているそうだった。モグラというのはスパイのことだ。教会内部の権力闘争の勢力図が分かれば、この理不尽な状況がいつまで続くのか分かるだろう。
「君たちもムナールに行ってみるかね? 神の智慧派の集会には参加できないが」
「是非! 私、ムナールにも興味があったんです。アルファさんにも挨拶しておきたいですし、是非とも同行させてください!」
エリックが尋ねるのにフィーネがふたつの返事で了解した。
「オメガ。君はどうする?」
「見聞を広げておきたいので同行させていただけるなら同行させていただきたいです」
「よし。では3名で出かけよう」
オメガも参加だ。
「エリザベートさんは?」
「彼女はすっかり魔導書にはまり込んでいる。魔導書クラブに通い詰めだ。誘ってもこないだろう。彼女は権力闘争というものに関心がないこともあるが」
エリザベートは最近は魔導書の解読作業が楽しくてたまらないらしく、暇さえあれば魔導書クラブに通っている。正気を失って帰宅することはないが、いつかそうなりそうで心配になるエリックたちであった。
「権力闘争なんですか?」
「そうとしか思えないことが起きている。ダイラス=リーンのテロ。あれは預言者の使徒派を純潔の聖女派が蹴り落とそうとした事件だと思われている」
ダイラス=リーンのテロは結局のところ、首謀者不明のままだった。
内乱罪として銃殺刑に処された預言者の使徒派の教区長の魂を呼び出して改めて尋問したが、彼は純潔の聖女派に脅されていたと告げている。それに対して純潔の聖女派はそのような事実はないと証言している。
だが、目的ははっきりしている。
まずはダイラス=リーンという都市に対しての攻撃。科学都市と言われるだけあって発展した科学を有するダイラス=リーンを憎んだ純潔の聖女派が世界科学アカデミーに圧力をかける狙いもあり、攻撃を仕掛けたということ。
次に預言者の使徒派である教区長を首謀者に仕立て上げ、預言者の使徒派に政治的ダメージを与えようとしたこと。
どちらの目標も達成されなかったが、このような事件が起きるほどにセレファイス──教皇庁の権力争いは激しくなっているということが分かった。
純潔の聖女派は手段を選ばずに、セレファイスの権力を握ろうとしている。テロで無関係の人間が死のうとお構いなし。純潔の聖女派はとにかく権力を得ようとしている。
思えば純潔の聖女派は存在感を示すために冒険者ギルドへの圧力をかけていたのではないだろうか。自分たちこそが権力を握ったと民衆に思わせ、従わせるために冒険者ギルドから黒魔術師を追放したのではないだろうか。
今思うと全てが権力のためのパフォーマンスだったように思える。権力基盤を固めるために、自分たちの支持層にアピールするために、大図書館で焚書を行い、大学に黒魔術のカリキュラムの停止を求めた。
そして、その権力基盤は着々と固まりつつあるようだ。
「まあ、そういう事情で神の智慧派の集会に参加することにした。君たちはふたりでムナール観光をしておいてくれるかい。フィーネ、オメガはしっかりしているようでまだ子供だから面倒をみてやってくれるかな?」
「任せてください!」
エリックの頼みにフィーネが頷いた。
「それではムナール行きの準備をしたまえ。滞在日程は7日間を予定している」
「了解!」
フィーネは一目散に部屋を出て、自分の部屋に囲み、旅行鞄に必要なものを詰め込み始めた。内容はダイラス=リーンに行った時とあまり変わらない。歯ブラシなどはホテルのアメニティとして準備してあるからいらないし、洋服はクリーニングするので3着あれば十分だ。今は秋だし、汗もそうかかないだろう。
それでもジャケットの類はしっかりと代わりを準備しておく。魔術師が魔術を使えなかったら何の意味もない。
フィーネが替えの下着を詰め込んでいるとき、部屋の扉がノックされた。
「どうぞー」
「失礼します」
やってきたのはオメガだった。
「ああ。オメガ君。どうしたの?」
「旅の支度をしようと思ったのですが、どうしていいか分からず。フィーネお姉さんにアドバイスをもらおうと思いまして」
「それなら任せて! 私にはダイラス=リーンに向かったときの経験があるから」
「流石です、フィーネお姉さん」
「まずは洋服と下着の替えだよ。それからローブかジャケットも忘れないようにね。旅先ではどんなことが起きるか分からないから。歯ブラシとかタオルはホテルのアメニティがあるし、必要最小限の品を詰めて、身軽にしておこうね」
「なるほどですね。参考になりました」
「あれ? そういえばエリックさんは教えてくれなかったの?」
「お父様は一先ず自分でやってみなさいと言われていて」
「うーむ。厳しい教育姿勢だね」
「でも、そのおかげで毎日いろんなことを学習できています」
オメガはそう告げて微笑んだ。
「最近ではフィーネお姉さんから学ぶことも多いです」
「私もオメガ君に教えてもらってることは多いよ! これからもよろしくね!」
「はい」
フィーネとオメガはふたりで旅の準備をし、魔術都市ムナールに向かう準備を整えた。そして彼女たちがムナールに向けて出発したのは明日のことだった。
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船旅は特にトラブルもなく終わった。ダイラス=リーンに向かう時と違って快速船を利用したので1日で到着した。快速船もサービスは定期便と変わらず、シャワーは浴びれたし、船内で料理を食べることもできた。
「到着!」
「到着!」
フィーネとオメガが同時に船から降りる。
「では、まずはホテルに向かおう。あそこで待っている馬車に乗ればいい」
「了解です!」
フィーネたちはタクシー代わりに待っている馬車に乗った。
「ムナール・リバティホテルまで」
「畏まりました」
御者はフィーネたちが乗ると馬車を出発させた。
「ところでお父様」
「どうしたんだい、オメガ?」
「フィーネお姉さんとはいつ結婚するんですか?」
フィーネが唐突なオメガの質問にむせて咳き込み始め、エリックは考えるような表情をした。
「どうして私たちが結婚すると?」
「お父様はフィーネお姉さんのことが好きではないのですか?」
「いや、そんなことはない。好きか嫌いかで言われたら好きだろう」
「それでは結婚なさらないのですか?」
「……オメガ。そう簡単に結婚という言葉を口にしてはいけないよ」
エリックはいたずらっ子を注意するような口調でそう告げた。
「でも……」
オメガがフィーネを見る。
「僕はフィーネお姉さんにお母さんになってほしいです」
フィーネに衝撃が走った。
またキスすらしていないのに子供ができるわけである。フィーネの受けた衝撃はすさまじいものであった。だが、オメガの母になるということはエリックと結婚するということだ。それは大歓迎だ。むしろそうしたい。
「わ、私としてもオメガ君には母親が必要だと思います」
「つまり、私と結婚したいと?」
「そ、そうなります……。嫌ですか?」
フィーネは上目遣いにエリックを見た。
「考えておこう」
エリックはそうとだけ返した。
フィーネは顔を真っ赤にしたままムナールの街並みを眺めた。
ムナールのインフラはダイラス=リーンと違って魔術で構築されているとされていた。この街にはダイラス=リーンとは変わった面もあるだろう。
しかし、エリックの件だ。
フィーネは思いを伝えた。しっかりと好意を伝えた。
それに対してエリックはどう返してくるのだろうか?
拒絶されたら立ち直れそうにないなと思いながら、フィーネはキリキリと胸が締め付けられるのを感じていた。
エリックはフィーネの好意に応えてくれるだろうか?
フィーネはそればかり考えており、ムナールの街並みは禄に頭に入ってこなかった。
そして、同時にエリックも考えていた。
フィーネがこうもストレートに好意を伝えてくるとは思ってもみなかった。いずれはあるかもしれないと期待のような、予想のようなことはしていたものの、こういうタイミングで告白されるとは思ってみなかった。
どうにも調子が狂う。
あそこまではっきりと好意を伝えられたら、知らぬ顔はできない。ちゃんと自分の思いを伝えなければならない。マリアの面影を重ね、マリアより大事だと思うフィーネへの思いを伝えなければならない。
もう師匠と弟子という関係ではいられなくなるなとエリックは少し寂しく思った。
だが、新しい関係が築けると思うと、それはそれで悪くないように思える。これまではエリックが一方的にフィーネに教えていたものを教え合う関係に変える。フィーネはエリックの知らないことをたくさん知っている。
そして、フィーネは魅力的な少女だ。正直なところ、自分にはもったいないとエリックが思ってしまうほどに魅力的だ。本当に自分などで、ただグランドマスターという偉そうな称号だけが取り柄の男などで釣りあいが取れるのだろうかと思う。
だが、エリックは分かっている。自分もフィーネのことが好きだと。
ふたりは悶々とした思いのままホテルに付き、チェックインするとスイートルームに入った。オメガだけがムナールの夜景に興味を示していた。
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