コヴェントリー辺境伯の依頼
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──コヴェントリー辺境伯の依頼
小春がエリック宅に来てから4日が過ぎた。
『フィーネ殿。朝です』
「ううーん。おはよう、小春さん」
『おはようございます、フィーネ殿』
4日前は例外だったがフィーネの朝は早い。
体力をつけるために朝から距離のある麓の村までメアリーと一緒に買い出しに行っている。小春もフィーネが体力をつけて、世のためになる心霊捜査官になろうとしていると知って、酷く喜んでいた。
フィーネが世間の役に立つということは、小春も世間の役に立つということだから。
「今日はいっぱいお肉が手に入りましたね」
「そうですね。贅沢にステーキにしましょうか?」
「いいですね、いいですね」
麓の村は食糧品はほとんど揃うほどに品ぞろえがいい。例外は酒とチーズぐらいだ。
「あれ? 誰か来てますよ?」
「郵便ですね。ウルタール郵政局の制服です」
緑色の服を着た人物がエリックに何かを手渡すと去っていった。
「おはようございます、エリックさん!」
「おはよう、フィーネ。今日も元気だね」
「それぐらいしか取り柄がありませんので」
フィーネは小さく笑うとエリックの手にあるものに目を向けた。
「手紙ですか?」
「ああ。アカデミーにいる弟子とコヴェントリー辺境伯閣下からそれぞれ1通」
「アカデミーのお弟子さん。確かアカデミーの部長さんでしたっけ」
「そうだ。内容はまだ読んでないので分からないが。あまりいい知らせではないだろう。そんな気がしてくるよ」
エリックはそう告げて手紙をスーツのポケットにしまった。
「今から朝食を準備しますね」
「ああ。頼むよ、メアリー」
そして、いつものように朝が始まる。
今日はいつもと違ってエリックが無口だ。いつも饒舌な人ではないのだが、いつにも増して無口なのである。
「エリックさん。お手紙に何かありました?」
「弟子から助言を求められている。サンクトゥス教会──いや、純潔の聖女派がアカデミーにかなりの圧力をかけているらしい。アカデミーは圧力には屈しない方針だそうだが、先のダイラス=リーンで起きた事件を考えて、アカデミーに所属する研究者たちの命を守ることを優先するべきだろうかと尋ねてきている」
「ダイラス=リーンの事件……。あれで絶対に純潔の聖女派は失脚すると思ったんですけどね。何せ非合法な武器を使ってテロを起こしたんですから」
「私もそう思ったが、純潔の聖女派は問題をうやむやにした。教区長が脅迫を受けていた、受けていなかったで揉め続け、いつの間にか問題はなかったことになった。純潔の聖女派の責任は追及できず、ムナールでも同じことが起きるのではないかと、人々は怯えているのが現状だ」
「悲しい現状です」
「まさしく」
エリックはそう告げてトーストにバターを塗って齧った。
「それからコヴェントリー辺境伯閣下から手伝ってほしいことがあると言われている。森に何か異常が起きたらしい。ベルトランド爺様も警戒しているとか。なので数日間は授業は行えないかもしれない」
「森に異常が?」
「ああ。流れ者かどうかは分からないがワームの姿が確認されている。それはコヴェントリー辺境伯閣下が仕留めたが、他にも魔物が存在する可能性があるそうだ。冒険者ギルドに依頼を出そうとしたそうだが、どうやら世界的な異常のようで、冒険者が足りない、とコヴェントリー辺境伯閣下はおっしゃっている」
「私も手伝いますよ!」
「しかし、危険だ。森の調査となると冒険者が最低でも12名のグループを作って行うものだ。コヴェントリー辺境伯閣下が廃棄地域で最大の戦力である辺境伯軍を動かしたとしても、安全が保証されるわけではない」
「けど、私もお手伝いしたんです!」
「そうか。そこまでいうのならば受け入れよう。今の君には小春がいるからね」
「ええ! 小春さんがいれば大丈夫です!」
小春は会話を聞いて嬉しそうに笑っている。
「君は傷の治療などもできるようになったし、役に立ってくれるだろう。コヴェントリー辺境伯閣下も無下にはなさらぬはずだ」
そう告げてエリックはミルクを入れたコーヒーを取る。
「メアリー。留守番は頼んでいいかね? エリザベートが帰ってくるかもしれない」
「エリザベート様ならもうすぐ帰ってこられますよ」
メアリーがそう告げたとき扉が叩かれた。
「おかえりなさいませ、エリザベート様。魔導書はどうでした?」
「最高のものだったぞ。解読のスリルも、解読の結果も満足いくものだった。あれほどの魔導書はそう簡単には手に入らぬのだろうな」
ホクホクした笑みでエリザベートが帰ってきた。
「エリザベート。コヴェントリー辺境伯閣下から依頼が来ているのだが見てくれるか」
「なんだ? チェスターが何か問題でも起こしたか?」
「違う。何か異常が起きている」
エリックはエリザベートにチェスターからの手紙を見せる。
「ほう。ワームが出たとは。それも5メートル級。流れ者にしては珍しい。これは一度ベルトランド爺様から話を聞いておいた方がいいぞ」
「ああ。そう思う。それから出没した魔物の駆除だが」
「我も居候の身だ。それぐらい手伝うとも」
「ありがとう、エリザベート」
相変わらず気の置けない仲であるエリックとエリザベートを見ると少し嫉妬の心が芽生えるフィーネだった。そんな関係ではないはずなのだが、そんな関係に見えてしまう。エリックとエリザベートは美男美女で背丈も高い。お似合いのふたりだと思う。
それ比べてフィーネはよく食べて、よく運動しているのにまるで背が伸びない。こういう遺伝なのかなと思うが、今では両親の顔も思い出せない。
だけど、いつかは冥府にいる両親に立派になったと誇るのだ。必ず。
「お弁当は必要ですか、マスター?」
「いいや。向こうで準備してくれるだろう。君も暫くゆっくりしたまえ」
「そうさせていただきます。スーツはどうなさいますか?」
「2着、準備しておいてくれ。それから登山用のブーツも」
「畏まりました」
メアリーもエリックとは仲がいい。エリックが何を必要としているかをすぐに理解してしまうし、気も回る。こればかりは長年の経験がなければ不可能だろう。そういう経験を積み上げてきたメアリーが羨ましい。
だが、エリックの心はどこにあるのだろうか?
フィーネにはそれが分からなかった。
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エリックはどうしてフィーネの同行を許可してしまったのだろうかと思った。
冒険者ギルドにいたときに森の調査を行ったことがある。ヘルヘイムの森事件の後で、誰もが森に恐れを抱いていたころに、森の調査の依頼が増えた。
森の調査は危険な仕事だ。森の広さにもよるが、調査のための期間は7日は最低でもかかり、魔物が蠢く森の中で長期間過ごさなければならない。
森も場合によっては魔力が暴走し、多数のダンジョンや強力な魔物が生まれている。それでいてダンジョンのように隠れられる安全地帯はない。
「フィーネ。準備はできたかね?」
「はい! ばっちりです!」
フィーネはブーツに耐衝撃、耐熱などのエンチャントが施されたカーゴパンツ、そしていつも通りのジャケット姿であった。カーゴパンツは万が一のためにと買っておいたものである。それが役立つ日がやってきた。
「森の中で単独行動はしないこと。分かっているね?」
「了解です!」
だが、フィーネがいれば動物霊と交信できる。魔物の把握もやりやすいだろう。
それに彼女が自分も役に立ちたいと言った時にそれをエリックは断れなかった。
マリアの時も同じようなことがあったなとエリックは思い出した。
マリアはその時肺病が悪化し、ほとんど寝たきりの生活を送っていたのだが、ウルタールのある屋敷に怨霊が憑りついたとの知らせを受けて『自分に任せてほしい』と言ったのだ。エリックはその体では無理だと言ったのだが、マリアは『死ぬ前に誰かの役に立ちたい』と言って、結局エリックはマリアを連れていった。
彼女は見事なモーガン・メソッドで怨霊を冥府に送り、仕事を達成し、怨霊からも住民からも感謝された。その時の彼女はとても嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
やはり、自分はフィーネをマリアと重ねているのだろうか? とエリックは考える。
そうであるならば過去のマリアと現在のフィーネのどちらが大事だ?
言うまでもないだろう。マリアは去った。マリアはエリックをおいて自然に運命を任せることにした。死を選んだ。マリアはもういない。
だが、フィーネはまだいる。そして、彼女はエリックとともに不老不死の道を選んでくれることに同意している。そして、マリアの閉ざされた未来と違って、フィーネには開けた将来がある。フィーネはこれから成長していき、どんどん知識を身に着け、自分の成りたいものになり、その分野で活躍するだろう。
そうであるならば、エリックはそれを見守ろう。
1000年という年月は人間から恋愛感情を奪い去るのには十分な年月だった。今のエリックは思春期の少年のような情熱的な恋心をもたない。ただ、自分の専念する分野のために探求を続けることに好奇心を覚える。
そのはずだった。
だが、どこから心が騒がされる。フィーネとともにいると心がまるで青年時代に戻ったような気分になる。エリックはそういうことを決して表に出す人間ではなく、うちに秘めるタイプであるが、その気持ちは間違いなかった。
どういうことだろうか。
この世の中には難しい問題が多すぎるとエリックは思った。
「む。どうした、エリック。考え事か?」
「ああ。少しばかり」
「案ずるな。小娘にも今は守護霊がいるし、我もついている。5メートルだろうが、10メートルだろうがワーム程度に手出しはさせん」
「確かに君がいれば安心だな」
冒険者時代と違ってこちらには装備の質が全く異なる辺境伯軍と真祖吸血鬼であるエリザベートがいる。そう簡単に全滅することにはなるまい。
しかし、世界規模で異変が起きているということは、ヴァージルたちも今頃は森の調査を行っているのだろうか? 彼らは上手くやれているだろうか? 純潔の聖女派の女司祭は自分の後任として仕事を果たせているだろうか?
様々な疑問が浮かぶがエリックは考えても無駄だと思った。
今のエリックにはヴァージルたちを助ける術はない。冒険者ギルドを除名されてしまっているのだ。彼らの役に立ちたくとも冒険者ギルドと純潔の聖女派がそれを許さない。
彼らがせめて生き残れることをエリックは神に祈った。彼の信じる存在する神に。
たとえ、その神が人間の営みに何ひとつ手を下さずとも、何ひとつ手助けしようとしないとしても、対話すら不可能だったとしても、それでもエリックは祈った。
エリックは神は存在するという確かな確信があるのだ。
「それではコヴェントリー辺境伯閣下のところまで向かおう。ベルトランド爺様にも話を聞かなければなるまい。やるべきことがたくさんだな」
「だが、関心がないわけではない。これはフィーネの見た灰色の何かと関わりがあるかもしれないのだろうから」
「そうだな。灰色の何かの正体が分かるかもしれない」
木もオオカミも灰色の何かに怯えていた。
一体、灰色の何かとは何なのだろうか?
「エリックさーん、エリザベートさーん。行きましょう!」
「ああ。今行く」
どうにも嫌な感じがするとエリックは思った。
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