ティンダロス街
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──ティンダロス街
爆発音がエリック宅に響いたのは午前中の授業をフィーネが受けているときだった。
「な、なんですか!?」
「エリザベートの部屋だな。やれやれ、魔導書の解読に失敗したのだろうか?」
エリックは部屋を出るとエリザベートの部屋に向かった。
「エリザベート、いるかね?」
「待て」
暫くしてエリザベートが出てきた。
いつものエリザベートだ。傷を負ったりはしていない。
「何が起きた? 魔導書の解読に失敗したかね?」
「いや。成功した。最後の爆発は粋な魔術師が最後に残しておいた解読成功を祈るファンファーレのようなものだ」
「やけに物騒なファンファーレに聞こえたが」
エリザベートがニコニコの笑みなのに、エリックがため息をつく。
「まあ、家に破損は……あまりない。それにアザトース信仰についての新しい発見があったのだぞ。アザトースは信徒を持たぬ神だとばかり思われていたが、ちゃんと信徒がいるらしいではないか。その信徒についての記述が薄いのが残念だが……」
「家が破損したのだね?」
「少しだ。ほんの少し」
「エリザベート……。魔導書の解読はそもそもペアでやるものだ。君も魔導書クラブに参加するようにしてはどうかね。ここに禄でもないものがまき散らされると非常に困るのだが。あそこになら専門の白魔術師と経験豊富な解読者たちがいるだろう?」
「それもそうだが……。仕方あるまい。次の本はそうしよう」
「次を買ってくるのかね?」
「ここではもう解読しない。保証しよう。ちゃんと魔導書クラブで解読する」
「分かった」
それからエリックがフィーネを見た。
「フィーネ。社会学と数学の教科書が必要だと言っていたね?」
「あ。はい。今の教科書はちょっと難しすぎて……」
「分かった。では、全員でウルタールに出かけることにしよう。メアリーも誘おう」
「わあい!」
フィーネはすっかりウルタールに魅了されていた。
行く度に新しい発見のある街。田舎暮らしと寮暮らしであったフィーネにとってはウルタールは大都会だったし、実際にウルタールは大都会であった。
セラエノ書店だけでも楽しいが、他の場所でのショッピングも楽しい。食事は美味しいし、いろいろな種類がある。もっとも死体市場だけはそう何度も通いたいとは思えない場所だったが。
「では、メアリーを呼んできてくれるかね? メアリーも必要なものがあるだろう」
「了解です!」
フィーネはメアリーを探しに階段を駆け下りた。
メアリーは洗濯機に入れていた衣服を干しているところだった。
「メアリーさん、メアリーさん! エリックさんがウルタールに行こうって誘ってますよ! 何か必要なものあります? なくても一緒に行きましょう!」
「無駄に元気いっぱいですね。そうですね。新しい食器が欲しかったので、それを買いに行きましょうか。それで、いつ出発ですか? 少なくとも今ある仕事を片付けてからにしたいのですが」
「メアリーさんの準備ができたら出発ですよ!」
「分かりました。急いで支度しますね」
「では、エリックさんにはメアリーさんも参加と伝ええてきます!」
フィーネはトトトと階段を駆け上る。
「カーテンがダメになっているではないか」
「むう。ちょっとしたファンファーレだったのだが」
「いや。閃光手榴弾が炸裂したような音だったよ」
エリックとエリザベートはエリザベートの部屋を見渡していた。
「うわ。凄いカオス」
フィーネは初めてエリザベートの部屋に入ったが、本棚には本がみっしりと詰まり、入り切れない本が積み上げられている。そこら中に本のタワーができているような状態で、それが先ほどの“ファンファーレ”によって倒壊していた。幸い固定化のエンチャントをかけていたのか、本が破損した様子はない。
だが、カーテンの一部が破れているし、ベッドにも焦げ跡があった。
「ああ。フィーネ。メアリーは?」
「お洗濯が終わったら参加されるそうです」
「分かった。彼女にはカーテンも見繕ってもらわなければならないな……」
エリザベートはけろっとした顔で肩をすくめている。
「さて、私も支度をしてこよう。今日はティンダロス街まで見学に行きたい。魔導書クラブはそこにあるし、あそこには面白い品を扱っていることがある。何か教材になりそうな品がないか探してみよう」
ティンダロス街。聞いたことがない地名だ。
「ティンダロス街では私から離れないようにね。あそこは迷路のような造りをしている。建物の増改築が今の建築基準法以前のもので、そのせいで区画整備も上手くいかず、まるで迷路なのだ」
「了解です」
迷路みたいな場所か。
ちょっとワクワクするものを感じたフィーネだった。
……………………
……………………
エリックたちはウルタールの街を訪れた。
以前、捜査に協力したこともあってか、入市税は取られなかった。
まずはフィーネの教科書とエリザベートの魔導書のためにセラエノ書店へ。
セラエノ書店は相変わらずびっくりするほど本で満ちている。
「クラーク。珍しい魔導書は入荷していないか?」
「はい。そう思われると思いまして、新しい魔導書を仕入れております。新大陸の地下で発見された『偉大なるイスの種族』についての魔導書でございます。まだ解読は一切されておりませんが、ご購入なさいますか?」
「もちろんだ。6000万ドゥカートまでは出す」
「それでしたら3000万ドゥカートでお譲りいたします。今後とも御贔屓に」
相変わらずエリザベートは散財していた。
「数学の教科書はこれが新しくていいだろう。『ラマヌジャン・マスマティック』。確か世界科学アカデミーで数学のグランドマスターの地位にある人物が、初心者への入門用に書いた本だ。私も以前見せてもらったが、分かりやすく書かれている」
「なるほどですね。なら、これにしましょう」
数学の教科書はあっさりと決まった。
「ふうむ。社会学もいろいろと教科書が出ていますね。ですが、憲兵隊にせよ、警察官にせよ、必要とされる社会学は社会構造の理解についての教科書です。そうなると数はある程度限られてきますが……」
フィーネに社会学を教えているメアリーは本棚と睨めっこしていた。
「あのー……。決めるの難しいですか?」
「フィーネさんがもっと賢ければ今の教科書でもよかったのですが、あれでは難しいとおっしゃるので簡単なものを探してるのですよ。社会学の基礎なんて簡単なものです。法治国家のあり方。三権分立。シビリアンコントロール。そういうものは深く研究するのでもなければ単純なものです。そこでつまずいているのですか」
「すみません……」
フィーネは社会学はさっぱりだった。これまで受けた教育の中で社会や公民に関する教育はなかったのだから。
「そうですね。これにしましょう。『図解で分かる公民基礎』。これで分からなかったら憲兵になるのも、警察官になるのも諦めてください」
「了解です!」
そして社会学の教科書が決まった。
「それでは次は食器にするかね?」
「食器は壊れやすいので最後にお願いします、マスター。先にエリザベート様の用事を済ませてしまいましょう」
「それもそうだ。そうしよう」
そしてエリックたちはホクホクの笑顔をしたエリザベートを連れてセラエノ書店を出る。そして、次に向かうのは──。
「こ、ここがティンダロス街……」
ティンダロス街はカオスとしか言いようがなかった。
都市軍のパトロールが出入口に立ってパトロールをしているが、それを意に介さず、何やら怪しげな物品が取り引きされている。
そして、場所のそのもの構造も一目でおかしいと分かった。
2階を繋ぐ渡り廊下が途中から3階に伸びていたり、家と家が奇妙としかいいようのない方法でくっつていたり、通りの先がすぐに壁になっていて、大通りを中心に街が広がるという基本的な都市設計が端から無視されていたりと滅茶苦茶だ。
「離れないようにしたまえ。迷子になると探すのが大変だ」
「りょ、了解です」
これは思った以上にやばい場所だぞとフィーネは感じ取った。
「まずは魔導書クラブに顔を出したまえ、エリザベート」
「うむ。ここの連中と話すのも久しぶりになるな」
エリザベートとエリックはこの迷路のような街をすいすいと進んでいく。後方からはメアリーがついてきているのでフィーネは挟まれている形だ。これなら迷子の心配はないはずである。
「ここだな。変わってない」
「ここが魔導書クラブ……」
入り口には『ウルタール魔導書愛好会』という街の集会所にあるような看板が掛けられ、その下には『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』という意味深な言葉が刻まれていた。
「これってどういう意味なんです?」
「特に意味はない。『ウルタール魔導書愛好会』では素人が寄ってきそうだったので、難しそうな言葉をつけることで素人を門前払いにすることぐらいの意味だな」
「はあ……」
確かにウルタール魔導書愛好会では解読し終えたときに爆発するような魔導書を扱っているようには聞こえない。和気あいあいと魔導書を読みまわし、感想文でも書いているような印象を受けてしまう。
「入るぞ」
エリザベートはそう告げると、扉を開けた。
「ドミニクが発狂した! 誰か鎮静剤を!」
「畜生! トラップか!」
扉を開けた途端、がやがやとした声が聞こえてきた。
「おい。久しぶりの仲間に挨拶もなしか?」
「ん。おお。エリザベート。大司書長はもうやめたそうだな。今は何をしているんだ? 魔導書の解読か?」
「まさに。危うく家を吹き飛ばすところだったから、ここに持ってきた。そちらは今、何か解読している途中なのか? 発狂した人間が出ていたようだが」
「ああ。『妖蛆の秘密』という魔導書をオークションで競り落としたので解読しているところだった。だが、こいつが手ごわい相手でな。そこら中にトラップが仕掛けてあるうえ、内容が冒涜的だ。ここ3か月、解読に挑んでいるがまだ30ページしか解読できていないと来た。どうだ、力を貸してくれないか?」
「構わんぞ。我も挑み甲斐のある魔導書は歓迎だ」
「君がいてくれたら百人力だ。よろしく頼む」
エリザベートはエリックたちを置いてそそくさと魔導書の方に向かった。
「……彼女は帰ってきたいときに帰ってくるだろう。我々は行くとしよう」
「ですね」
エリザベートは完全にエリックたちを眼中にいれていない。
「では、ティンダロス街を見て回ろう。時々、掘り出し物が見つかる。基本的には中古品ばかりの取り扱いとなるが、質のいいものもあるし、降霊術で霊から興味深い話を聞けるものもある。知的欲求を刺激される場所だ」
「なるほど」
この世界において中古品というのは死者を呼び出す道具にもなる。学者の霊や魔術師の霊が呼び出せれば、彼らから教われることもあるだろう。
「それにしても本当に滅茶苦茶な場所ですね……」
「ああ。ウルタール市議会もとうとう区画整備を諦めたほどだ。ここの住民はウルタールの中でも変わっている」
「死体市場の人たちみたいに?」
「あそこは単に治安が悪いだけだよ。ここの住民は……個性的だ」
エリックはそう告げて店の一軒を覗き込む。
「おお。旦那、何かお探しで? それならこのランタンがおすすめですよ! なんとこのランタンにはふたつの霊が宿っているのです。カップルが使っていたもので、死んでもともにいようと魂を宿したのです!」
「私の見る限り、このランタンには何の霊も宿っていないように見えるが」
「そこがポイントなんです。何も宿っていないようで宿っている。旦那もふたり分の魂が宿った物品なんて扱ったことがないでしょう?」
「そうだね。だが、遠慮しておこう」
それからも商人がエリックが聞いていないにもかかわらず、喋り続けた。
「凄い商売魂が逞しいというかなんというか……」
「ここはそういう人間ばかりなのだ。扱われている品の謳い文句の8割は詐欺だ。残り1割は誇張。残った1割が事実となる」
エリックは語る。
「その1割を当てられるかどうかが、死霊術師の腕の見せ所だ。さて、レッスンとして君にはこのティンダロス街で本物の霊が宿った商品を購入してもらおう。値段はいくらでも構わない。ただ、本当にそれに価値のある霊が宿っているかを当たるだけだ」
「鑑定士の腕の見せどころでは?」
「いいや。魂の指紋を見極められるかだ。魂の指紋の見分け方については教えたね?」
「はい。確か霊と交信するときのような感覚でその品に触れる、ですよね」
「そうだ。腕のいい死霊術師なら目当ての品を見つけられる。君は才能がある。その才能を試してみたまえ。何事も実践あるのみだ」
「了解!」
フィーネはエリックに続いてティンダロス街を進んだ。
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