ヨルンの森の調査
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──ヨルンの森の調査
ギルドの馬車でヨルンの森まで運んでもらい、ヴァージルたちはいよいよヨルンの森の調査に乗り出した。
それぞれが物資のたっぷり詰まったリュックサックを背負っている。
冒険者には荷物持ちという仕事は存在しない。少なくとも荷物持ちだけに専念する仕事は存在しない。なぜかと言えば、ひとりに全員分の物資の輸送を任せていては、そのひとりが何かしらの事故で失われた場合、物資の全てがなくなるからだ。
自分の物資は自分で担ぐ。冒険者には少ないが魔道式重機関銃などを扱うものたちは、分解した魔道式銃と弾丸をそれぞれ分けて抱え合うが、重機関銃の部品と弾薬を輸送する冒険者も武装して戦闘に参加する。それは軍隊も同じことだ。
基本的に冒険者は規模が小さいだけで軍隊と同じことをしている。相手が人間ではなく、魔物というだけで、陣形や兵科というものと戦術は軍隊と変わりない。民間の限定された軍事サービスが冒険者と言えるだろう。
さて、そんな彼らはヨルンの森に挑み始めた。
先頭を進むのはヴァージルたち“紅の刃”、その背後で左右を固めるのはエイベルの“青銅の猟犬”とニコラの“太陽の遣い”。最後尾の守りを固めるのはエッダの“風の旅人”だ。
比較的敵と最初に接触する可能性の低い位置にニコラたちを配置したのは、彼らが森の調査が初めてだからである。これは彼らのためだけでなく、参加するパーティ全体のためだ。下手に守りの必要な部位を任せて失敗されたら、他のパーティも危険にさらされる。そうならないための策である。
とは言え。ニコラたちのことを思っていないわけではない。ようやくAランクに昇進し、難しいクエストが受けられるようになったのだから、このまま成長を続けてほしい、そういう思いがヴァージルにはあった。
「ダンジョンを視認。未確認のものだ」
「早速か」
アビゲイルの方奥にヴァージルが位置を記録する。
森の中での現在地を把握しているのはポイントマンであるクライドとリーダーであるヴァージルで、このふたりがこの広大なヨルンの森での位置を歩数と歩幅から計測していた。何せGPSなどない時代だ。こういう古典的な方法でしか現在地は分からない。
そして、この深い森の中で現在地を見失うことは死を意味する。
「クライド。周囲に魔物の気配は?」
「今のところは何も」
クライドは地面の振動や音から周囲の状況を把握している。
彼の脅威的な聴覚でも付近に魔物の気配は感じられなかった。
「そうか。西側だから、もっと早期にでるかと思っていたんだが」
「何も出ないのが一番いいですよ」
「それもそうだな」
クライドが慎重に斥候を勤め、最初の観測所を目指す。
「観測所だ」
「魔力量はどうなっていますかね」
観測所は百葉箱に似ていた。中には気象観測の機材ではなく、魔力計が入っている。
ヴァージルはギルドから渡された記載用の用紙を取り出し、箱を開ける。
「魔力量890マナ? マジかよ、おい」
通常、ヨルンの森の魔力値は100~200マナである。そして、都市部になると20~50マナになる。この890マナという数字は異常だ。これだけの魔力が溜まっていれば、それはダンジョンだろうと魔物だろうとポンポンと生まれるだろう。
「どうだった?」
「890マナ。これは第二のヘルヘイムの森になりかねんぞ」
リタが尋ねるとヴァージルが渋い表情でそう返した。
「不味い、かな。ヨルンの森の傍には居住区もあるし……」
「ああ。不味い。ここでヘルヘイムの地獄が繰り返されたら、被害は冒険者だけじゃなくなる。これは連邦軍が出動するレベルだ」
リタもヴァージルも深刻そうな表情をして魔力計を睨んだ。
「計測は終わったか?」
エイベルが時間がかかっているのを感じて見にやってきた。
「終わった。890マナだ」
「冗談だろう?」
「冗談だったらよかったがな」
「こいつは不味いぞ。まだ続けるか?」
「ああ。まだ危険には遭遇してないからな」
ヴァージルはそう告げて用紙に数値を記載するとリュックサックに戻した。
「用心して進まにゃならんな」
「ああ。最大限に用心してくれ。ワイバーンが出てもおかしくない」
そう告げ合ってヴァージルたちは再び前進を開始した。
「ストップ」
第2の観測所までもう少しというところでクライドがストップをかける。
「魔物か?」
「ええ。この音はワームだ。それも相当デカい。倒すなら対物狙撃銃か重機関銃が必要になりますよ。迂回しましょう」
「分かった」
ヴァージルは後方のエイベルたちに迂回することを知らせると、ワームの居場所を迂回しながら、第2の観測所に近づいた。
「こいつは……。化け物だな……」
ワームが通過していった後にはまるでブルドーザーで地面を掘り起こしたかのような痕跡が刻まれていた。大きさは幅は少なくとも1.5メートルはある。
「ヨルンの森は完全にいかれちまってますよ」
「ああ。狂ってやがる」
クライドがため息混じりに告げるのにヴァージルが同意した。
それからヴァージルたちは第2の観測所に到達した。到達したときには既に日は暮れていた。1日がかりでやっと2か所だ。これからさらにヨルン山に登って、そこでの観測データを記録しなければならない。
「920マナ。さらに高い。ここは本来なら魔力が薄い場所のはずだぞ……」
「ヘルヘイムの森事件の二の舞にならないことを祈りたいな」
「ああ。まさに祈りたい」
アビゲイルがそう告げ、ヴァージルは記録をつける。
「ルアーナ。ついてこれているか?」
「は、はい。大丈夫です。白魔術は使ってませんよ」
「よろしい。いいと言われるまで使うなよ」
「はい」
ルアーナは明らかに怯えていた。
先ほどのワームの件がかなり来たらしい。あんな巨大な魔物の痕跡を見るのは初めてだったのだろう。見るからに怯え切っており、今にも悲鳴を上げて逃げ出しそうであった。ルアーナは今、この大陸で有数の危険地帯にいるのだからしょうがない。
「記録した。このまま続けて第3の観測所を目指そう。観測所は全部で12か所。まだまだ巡るべき観測所は残っている。それからさっきのワームの件も報告しないとな」
「何がどうなっているの、かな。こんなに森が魔力を吐き出すなんて。誰も木々を切り倒したりしていないのに……」
ヘルヘイムの森事件は森の伐採と開拓が原因だと思われていた。だが、ヨルンの森でそのような傾向はない。森は切り開かれたりなどせず、そのままの景色を残していた。
なのに魔力の値は異常な数字を示している。
「これは他の冒険者から聞いた話なんだが」
アビゲイルが告げる。
「どうも他の森でも似たようなことが起きているらしい。異常な魔力の値。多数のダンジョンと強力な魔物の出現。どこもここも手に負えないと愚痴っていた」
「ヨルンの森以外にもか。世界は発狂しようと決意しているようだな」
ヴァージルがそう告げて観測記録をつける。
「だが、まだヘルヘイムの森事件のようなことにはなっていない。ギルドの今後の方針によっては予防策をとるかもしれないだろう」
「ヘルヘイムの森事件のように森を焼くか? あれは狂気の沙汰だったぞ」
「だが、必要な処置だった」
ヘルヘイムの森は地上から姿を消した。その代わり魔物の大量発生は抑え込めた。
必要な処置だったか? 必要な処置だっただろう。
少なくともヴァージルはそう考えている。
「また森を焼くの、かな?」
「いや、ギルドもそこまで単純ではないだろう。何か策を考えるはずだ」
「けど、森を焼く以外に方法はある?」
「……分からん」
リタはちょっと落ち込んだ様子で話す。
リタはヘルヘイムの森事件で森を焼いている。広大なヘルヘイムの森を焼き尽くした。多くの生命が営んできた土地を焼き払った。そのことは彼女にとって後悔するべきことだった。本当にあんなことは必要だったのだろうか、と。
「だが、思いつめることはない。お前は必要なことをしただけだ。あの時ヘルヘイムの森を焼かなければ、もっと大勢の被害が出ていた。お前は冒険者を大勢救ったんだ」
「そう考えられると楽でいいのだけれど」
そう告げてリタは深々とため息をついた。
「さて、仕事はまだまだ続くぞ。結論は観測所を全て回ってからだ。まだ結論を出すには早すぎる。きちんと森を巡ってからじゃないとな」
ヴァージルたちの行軍速度はそこまで早いものではない。
あまり急げば足音で魔物を引き寄せることになるし、荷物の重量が足を鈍らせている。それにスタミナは温存しておかなければ、いざという時に逃げることもできなくなる。
「あ。蝶々……」
「ルアーナ。何をしている。いくぞ」
「は、はい!」
ルアーナは完全にぼけていた。
「次は第3観測所だ。ここからは距離がある。だが、慎重にな」
「了解、リーダー」
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……………………
第3観測所に到達したときは真夜中だった。
覚醒作用のある不眠剤を使用しているため、眠気はこない。体は疲れを訴えているが、今ここで休むわけにはいかない。
というのも第3観測所も魔力量が900オーバーだったからである。
もう何が出てきておかしくない。
マンティコア、コカトリス、ワイバーン、グリフォン、ワーム。いや、それ以上のものが出現している可能性もあった。
「ここまでに発見したダンジョン数は3か所。見回りのルートだけでこれだから、実際にはまだ多いだろう。魔物もワーム以外に住みついているはずだ。そうでなければワームの餌になっちまったか」
「俺たちもワームに食われたりしませんよね?」
「そうであることを祈りたいな」
もはや何が起きてもおかしくないのだ。
森は完全にいかれている。狂っている。ヘルヘイムの森事件の前兆のように。
大型で凶暴な魔物が目撃され、ダンジョンも多数見つかり、森の吐き出す魔力量は膨大な量になっている。いつここが第二のヘルヘイムの森となってもおかしくない。
少なくとも自分たちがいる時にそのような事件が起きませんようにとヴァージルは祈るような気持ちで思った。
「とりあえず、食事を済ませたら、すぐに次の観測所に向かうぞ。こんな状態の森に長居はしたくない。今のこの森なら何が飛び出してきてもおかしくないんだ」
「了解。食事にしましょう」
食事はそれぞれ10日分を背負っている。そして、安全なときにさっさと食事を済ませてしまうべきである。軍隊でも平時には食事は定期的だが、有事には『食える時に食べておけ』となる。冒険者も同じだ。
軍用の携行食料もファスト・トラベル・ミールと同じで魔力を注ぐことでカロリーと栄養素を摂取できる。ただし、臭いで敵に気づかれないように臭いはしないようにできているし、味は濃すぎて喉が渇く。
全員が無言のまま携行食料を口に押し込み、水で流し込む。味わっているような暇はない。いち早く森の調査を終えて、アーカムに帰還しなければ。
「ルアーナ。食ったか?」
「は、はい。食べました」
ルアーナがコクコクと頷く。
「よろしい。行くぞ。次の観測所まではさらに時間がかかる。翌日の昼過ぎに到着するだろう。そして、恐らくはそこも魔力が馬鹿みたいに高いに違いない。この森がヘルヘイムの森になる前に逃げ出したいところだ」
「同感、かな」
「リタ。精霊たちの動きはどうだ?」
「落ち着きがない、感じ。怯えているのとはちょっと違うけれど、何かを警戒している感じ、かな? よく分からない。けど、赤魔術は問題なく使えるから安心して」
「頼んだ」
リタの赤魔術は魔道式小銃よりも威力が高い。ここで巨大で、凶暴で、強力な魔物に襲われた場合、頼みの綱はリタだ。
「リーダー。伏せてください。不味いのが飛び回ってます」
「何だ……?」
「ワイバーンです。それもかなりデカい」
クライドたちの上空をワイバーンが飛び去っていった。
「畜生。この森でワイバーンが出るのか。さっきのワームといい、どうなっちまったんだ。この森は初心者向けの森だぞ」
「世界がいかれちまってるんでしょう」
クライドはそう告げて耳を澄ませた。
「よし。完全に飛び去ったようです。だが、ヨルン山では気をつけた方がいいですよ」
「ああ。碌でもないことになりそうだ」
ヴァージルたちは危機感を胸にヨルンの森の調査を続けた。
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