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ミスカトニックでの夜

本日7回目の更新です。

……………………


 ──ミスカトニックでの夜



 風呂から上がったフィーネは髪を乾かし終えると、着替え始めた。


 相変わらず色気のない下着を身に着けると、黒タイツを履き、丈の短いスカートとグレイのシャツ、そしてちょっとぶかぶかした青を基調に黄色い線が入ったジャケットを身に着けた。このぶかぶかしたジャケットも魔術師の界隈ではローブ代わりになるとお洒落アイテムになったものである。流行には乗り遅れないのがフィーネという少女だ。


「エリックさんはもう外で待ってるかな?」


 フィーネは最後にブーツを履くと、ドアを開けて外に出た。


「あ。エリックさん」


 エリックは1階のロビーでコンシェルジュと何か話し込んでいた。時折、彼が力なく首を横に振る姿が見える。


「話し中、かな。もう少し様子を見てから話しかけよう」


 フィーネは特に友を求めていない人間にも突撃していって友達になるというタイプの突撃少女であるが、空気を読むときには読むのだ。もっとも、今エリックの下に突撃していかないのは、エリックが何やら真剣に話し込んでいるからだ。


 いったい何を話しているのだろう。


 フィーネは気になったが個人的なことかもしれないし、口を突っ込むのは控えておいた。ただ、声の聞こえない場所でエリックの身振り手振りから話を想像する。とは言え、エリックはほとんどジェスチャーのような行為を行わない。彼はただただ学生に講義するように喋るだけである。


 だから、何を喋っているかは想像できない。フィーネは吹き抜けの手すりに両手を乗せて、ぼんやりとエリックが喋り終わるのを待っていた。


 そうやってフィーネが待っていたとき、エリックが顔を上げてフィーネに気づいた。


 エリックはフィーネに対して手招きし、コンシェルジュは立ち去っていった。


「エリックさん。スーツなんですね」


「ある意味ではこれもまた制服だ。この社会に対する一定の年齢に達した人間が纏うべき衣類というもの。シンプルで、分かりやすい。今日は何を着るべきかと悩む必要もない。私のような人間にはありがたい衣類だ」


 そう告げるエリックの服装は高級そうなスリーピースのスーツで、ネクタイは飾り気も何もない黒だった。黒いスーツのエリックの雰囲気は、黒と白の死霊術師のローブを纏っているときと、ほとんど変わりはない。


「だが、君はお洒落なようだね」


「そうですか。えへへ。こういうぶかぶかのジャケットが最近若い魔術師の間で流行りなんですよ。私のジャケットは青と黄色。友達とお揃いなのを選んだんです」


「なるほど。それだけ大きなジャケットなら杖も折り畳み式のものなら隠しておけるね。実用性にも優れているわけだ。悪くはない。君のような若い子供の感性というものには、よくよく感心させられる」


「それほどでも!」


 フィーネはお気に入りのジャケットが自慢できて満足だった。


「ただ、その格好ではドレスコードのあるレストランには入れないな。外で食べよう」


「あ。すみません……」


「気にする必要はない。君も堅苦しい夕食は嫌だろう。気楽に食べられる場所に行こう。以前、パーティのメンバーで訪れたときにいい店を見つけていた。今日はそこにしよう。大食漢のパーティメンバーたちが満足した店だ。味とボリュームには期待していい」


「やった!」


 フィーネは食べるのは大好きだ。いつも人より食べて、人より動いている。もっとも、その栄養分は身長の方には回らなかったようである。フィーネは16歳だが、その身長は低く、150センチあるかないかである。


 それでも学院では陸上部に所属していたこともあって、引き締まった体をしている。しかしながらその体型もぶかぶかのジャケットでよく分からなくなっているが。


「あっ。杖は持っていった方がいいですか?」


「いや。置いたままでいい。ここの治安はアーカムほど酷くはない。たまに研究成果を巡って学者同士の殺し合いが起きるぐらいしか犯罪は起きない。それも大抵死者は出ずに終わる。魔術戦から口論に代わるだけだが」


「なんというか学問都市らしいですね……」


 学者同士の殺し合いなどフィーネには想像もできなかった。


「それでは出掛けよう。明日は大図書館だが……」


「どうしました?」


 エリックが視線を上げる。


「君の望むものは得られないかもしれない」


……………………


……………………


 大図書館に教会が来ている。


 断片的につなぎ合わせた情報をまとめた結論がこれだった。


 大図書館の大司書長はミスカトニック市議会でも発言力のある人物だが、ミスカトニック市議会が教会の圧力に屈しないという保証はなかった。そして、今の教会は純潔の聖女派が牛耳り、修道騎士団までもが動員されたという情報もある。


 フィーネは事を理解していない表情で、エリックの後に続いている。


 フィーネにとって大図書館とは夢の場所だ。大抵の子供は夢が現実に握りつぶされる光景など想像できないものだ。彼女たちの中で夢は永遠のものなのだ。それは傷ついたり、泥まみれになったりするものではない。


 だが、教会が大図書館に来たということは十中八九“そういうこと”だ。


 エリックは今からでも大図書館に向かって走り、彼らの暴虐を止めようかと思ったが、そんなことでどうにかなる問題なら誰も苦労しないとすぐに自分の考えを否定する。実力で問題が解決するならば、既に彼女が行っているはずだ。


 だが、ここに派遣されてきた修道騎士団を排除しようとも次がやってくるだけだ。より多くの武装した騎士たちがやってきて、より強硬な態度で事に当たるだろう。そうなればもっと被害が拡大する。それは望ましくない。


 エリックはこの事態に自分の友がどう対応しているのだろうかと思いをはせた。


「エリックさん。お店そろそろですか」


「ああ。ここの角を曲がった先だ」


 フィーネはぶかぶかのジャケットをはためかせながらエリックに続く。


 彼女は落胆することだろう。大図書館を神聖な場所だと考えている彼女は。


「この店だ。前に来た時にはみんなとにかく肉を食べていた。私は主にサラダを摘まんでいたが、肉も野菜も新鮮でいいものだ。君が満足してくれるといいのだが」


「楽しみです! 私、お肉大好きですから!」


「嫌いなものはあるのかね?」


「うーん。これと言って嫌いなものはないですね。おじいちゃんから好き嫌いができるのは王侯貴族に聖職者、学者の特権だって教えられてきましたから」


「学者がその列に並ぶとはね。学者というものの世間のイメージが現実と些か乖離しているようだ。だが、学者の道で成功するのは上手く研究予算を得るコネクションを持った人間で、そういう人間は貴族の次男坊だったりするから案外そうなのかもしれない」


 学者とて無から有は生み出せない。


 日々暮らしていくにはお金がいるし、研究のための費用も必要だ。エリックは最初は医師として働いて収入を得ていた。それからようやく彼の研究が広く認められ、世界魔術アカデミーからグランドマスターの称号を得て、ようやく研究者として食べていけるようになった。彼はスポンサーを得るのが苦手なタイプだったので、主に講演料や印税を収入源に研究費としていた。


 だが、世の中の研究者でもアグレッシブなものは、王侯貴族に自分の研究の有用性を説き、スポンサーになってもらうものもいる。エリックはそういう人物を見るたびに、ああも社会性があるとは素晴らしいものだと思うのだった。


 まあ、エリックは相当古い魔術師だ。世界魔術アカデミーが発足する以前から研究を続けてきていた。彼が死霊術の基礎を切り開き、先駆者として明かりを灯したと言っても過言ではないほどに貢献している。その彼が研究費の心配をする必要はないのだ。


「好きなだけ食べたまえ。子供はよく食べる方がいい」


「はい!」


 エリックが扉を開け、フィーネが店内に突入する。


「いらっしゃいませー! おふたり様ですか?」


「ああ。ふたりだ」


「では、こちらのテーブルにどうぞー!」


 フィーネは暮らしていくことだけを考えて皿洗いの仕事でもやると言っていたが、それでは貴重な死霊術に挑む若者が減るとエリックは忙しそうなウェイトレスを見て思った。フィーネが苦労するべきは死霊術という学問に挑戦するときだけにしておきたい。


「ここって何が一番おいしいんですか?」


「仲間たちは挽肉と野菜を小麦粉でできた皮で包んで揚げたものを楽しんでいたな。他には野菜を肉で巻いたものや、ステーキだ。野菜ならばたらこと野菜をマヨネーズで和えたものが私的にはよかった」


「ううー! どれも美味しそうです! とりあえず、最初の奴にチャレンジしてみますね。それからサラダをシェアしましょう、エリックさん」


「ああ。そうするといい。急ぐ旅ではないのだ。ゆっくりと観光も兼ねて、食べ歩きなどしてみるのもいいだろう」


「いいですね、それ!」


 やがてウェイトレスが注文を取りに来て、エリックたちは注文を済ませた。


「ふふふ。あっちの方を見てください。私と同じようなジャケットを着た子がいますよ。きっと同業ですね。ミスカトニックでも服装の流行りは同じようです」


「そのようだ。しかも、あれは強度強化の青魔術がエンチャントされているな。ちょっとした鎖帷子ほどの強度はあるのではないか」


「え。私のは何もエンチャントされてないです……。安かったからなあ……」


「青魔術師の知り合いもいる。頼んでもいいが」


「大丈夫です。何も戦場に行くわけじゃないですから」


 フィーネはそう告げてにこりと笑った。


「お待たせしました。肉包み揚げとたらこサラダになります!」


「わあい!」


 じゅうじゅうと油から上げられたばかりの肉包み揚げとそのよこで見た目鮮やかにアピールするたらこサラダはどちらも食欲をそそられるものだった。


「やっぱりこういう料理は熱々のをいただくのがいいですよね!」


 フィーネはそう告げて、肉包み揚げをふうふうと冷ますと思いっきりかぶりついた。


「美味しい! 肉汁がぶわっと来て、中の野菜がシャキシャキしてて、最高です!」


「それはよかった。遠慮せずにたくさん食べてくれ」


「エリックさんは食べないんですか?」


「もちろん、食べるとも。明日に備えて魔力を補給しておかねばね」


 エリックはそうはいったが、こうも魔術師や学者が多く、大気中の魔力が濃い場所ではリッチーであるエリックは特に食事をする必要はない。


 彼が食事をすると告げたのはひとえに、彼がリッチーであることを知られないようにするためだ。フィーネにはそれとなく伝えたつもりだが、この街にいるだろう教会の密偵にリッチーがいることは知られたくなかった。


 サンクトゥス教会純潔の聖女派はリッチーを唾棄すべき種族と宣言している。修道騎士団まで動員して気の強くなっている彼らがエリックの存在を知ったならば、それこそ彼らの教義のための生贄にされてもおかしくはない。


 もっとも、エリックはただで殺されてやるつもりなど欠片もないし、よく訓練された騎士ならば、リッチーを物理的な手段で殺すことが不可能であるということに思い至るだろう。不老不死の魔術師の名は伊達ではないのだ。


 そうは言えど、社会的な嫌がらせは受ける恐れはあった。リッチーとて社会生活がある。特にフィーネという弟子を抱えている状況で社会生活は重要だ。その社会生活に妨害を受けるのは望ましくない。


 それならやはり知られない方がいいというわけだ。


 エリックは血を流さずに済むならばそちらを選ぶ。血を流すことは大抵自分の行動の障害にしかならないと理解しているからだ。


 一度血を流せば、それを止めるのには大変な労力が必要になる。たとえ、力があろうとも、力をむやみやたらに振るっていては、周囲に近づくもの全てを殺しつくさなければならなくなるだろう。その力で守ろうとしたものですら。


 そうはなりたくないものだ。エリックはたらこサラダを口にしながらそう思った。


「エリックさん、エリックさん。肉包み揚げ、冷めちゃいますよ?」


「そうだな。いただこう」


 フィーネがエリックのために残しておいてくれた肉包み揚げをエリックが一口で食べきる。口の中に肉汁が広がり、野菜のシャキシャキした食感が食事を楽しませてくれる。


「他にも何か頼むかね?」


「いいんですか?」


「遠慮せず食べたまえ」


 エリックはメニュー表をフィーネに差し出し、自分はたらこサラダの続きをゆっくりと食べた。たらこの風味と新鮮な野菜をマヨネーズで和えたジャンクな味だが、これぐらいの料理がエリックは好きだった。高級店の料理というのは科学実験をしているようで、食べる方にもそれなりの資格が必要な気分がするのだ。


 だが、フィーネにはいつかいい食事をさせてやるべきだなとエリックは思った。彼女にもこういう店の方が似合いそうだが、一度くらいはドレスコードのある店で、シェフがたっぷりと贅沢な食材を使った食事というのを楽しませてあげるべきだ。人生というのは何事も経験なのだから。


「店員さん! 肉包み揚げ、もうひとつとステーキをお願いします! それからシーザーサラダも追加で! エリックさん、飲み物はどうします?」


「そうだな。牛乳もらおう」


「じゃあ、私はオレンジジュースで」


 ミスカトニックの日が落ちていく中、フィーネは本当におなか一杯になるまで食べ続けたのだった。彼女が満腹の余り、宿に帰ってすぐに寝てしまったのはいうまでもない。


……………………

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