父と子と
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──父と子と
エリックはフィーネから昨日起きたことの話を聞き、何かを思い立ったのか、ホテルを出て広場を歩いていた。
「父さん」
不意に声がかけられたのはエリックが他の観光客から距離を置いた瞬間だった。
「ラムダ。やはり君だったか」
「ええ。ご無沙汰しています」
ラムダとエリックから呼びかけられたのは昨日の海軍大佐であった。
「今は何と名乗っているのかね?」
「イヴィッド・スターリング。スターリング大佐と名乗っています」
「大佐になったのかね」
「ええ。まだ現場に出ていますが。この体は頑丈ですからね」
特殊作戦部隊でも大佐になれば現場から退いて後方を担当するものだ。だから、昨日コーディはラムダが大佐と名乗ったときに偽名を疑ったのだ。
「君の年齢相応の肉体にはならなかったか。そのことには責任を感じている」
「父さんが気にすることじゃない。これで祖国のために戦えている。それより場所を移そう。ここは人目が多すぎる。嫌なニュースが先ほど本国から入ってきたところだし」
「分かった」
エリックはラムダに続いて、喫茶店に入った。
「それでスターリング大佐。何の任務でここに?」
「弟子から聞いていないのかい?」
「彼女は具体的な話は聞いていないようだったよ」
「そうだったか。メリダ・イニシアティブの失態の始末に来た。国務省がしくじったことで俺たちがケツを吹くことになった。まあ、祖国のために悪党どもから武器を取り上げて回る仕事さ。祖国と諸国民の自由のために」
「君は本当に祖国を愛せるようになったのだね」
「連邦は俺を受け入れてくれたから。その恩返しがしたいと思うのは別におかしなことじゃないだろう? 連邦は俺を受け入れてくれて立派な海軍士官にしてくれた」
「艦長になりたいと子供のころから言っていたね」
「ああ。だけど、そうはならなかった。別の道を進んだ。こっちも充実している。若い連中と一緒に仕事をするというのはスリリングだ。危険があり、敵がいるから、仲間たちは強く団結する。どんな障害も乗り越えられる。俺はそういう生き方が気に入っている」
「艦長になっても同じことができたと思うが」
「分厚い装甲に守られた船の中で、ほとんど娯楽もなく過ごすというのは意外にストレスになるんだよ。だから、海軍では下士官などの私的制裁が問題として議会で取りだたされている。自殺する水兵までいる。その点、歩兵は自由だし、健康的だ。暇があれば体を鍛えて、仲間たちとカードゲームやボードゲームを楽しむ。人間は海の上で生きていくようにはできていないし、長く閉鎖された空間にいるとおかしくなる」
「私は軍人の精神というものを研究したことがないから分からないが、私の知り合いの海軍将校は皆紳士的だったよ。長い間、海上にいても発狂することはなさそうだ。そして、彼らはコバルトブルーの魂の色をしている人間が多かった。軍人というのは感情的ではやっていけない職業なのかな?」
「まあ、そうだね。常に冷静であれ。俺たちの仕事では多くの悲惨な死を目撃する。子供兵が特にそうだ。中東の反政府勢力や東方の麻薬カルテルは子供を兵士として使う。俺たちはまだ小学校に通っているべき子供たちの頭と胸に銃弾を叩き込んできた。そんなときに感情的な赤い魂を持っていたら耐えられなかっただろう」
ラムダはそう告げて注文したコーヒーに口をつけた。
「中には青色の魂でも耐えられなくなる兵士がいる。そんな兵士を手助けするのも上官の役割だ。今は軍にもカウンセラーがいるが、兵士たちは実際に銃火を潜り抜けた仲間の言葉の方を尊重する。俺はその点、現場に立っている大佐だ。自分で言うのもなんだけれど、兵士たちには慕われているよ」
「それはよかった。君が成功していると聞いて安心した。君はなかなか便りを寄越してくれないし、いろいろと家族にも言えない秘密を抱えているのだろう?」
「そうだね。父さんにも話せないことはたくさんある」
ラムダは静かに頷く。
「だが、今、言えることがある。死霊術師は全員ダイラス=リーンから逃げるか、安全だと思える場所に避難するべきだ。先ほど本国から入ってきた情報だけれど、連邦が純潔の聖女派内に忍び込ませている資産からダイラス=リーンで純潔の聖女派が武装蜂起しようとしているとの情報が入った。狙いはダイラス=リーン都市政府の転覆と黒魔術師の抹殺。そのための武器を連中は手にしている」
「実行は?」
「少なくとも明日には」
「そうか」
少し早いがダイラス=リーンを離れなければならないなとエリックは思うと同時に、フィーネが残念がるだろうなとも思った。
だが、都市で銃撃戦が始まればそれどころではないだろう。
「この情報をダイラス=リーン都市警察には?」
「こちらの資産の情報が漏れるのを恐れて伝えないことになってはいるが、大使館経由でテロに警戒してくれとの勧告がなされるはずです」
「これで純潔の聖女派の天下も終わりだな」
エリックはこの事件は大事件になるだろうが、同時に純潔の聖女派の天下の終わりを意味するだろうと思っていた。それもそうだろう。政府の転覆を図ったとなればテロリストだ。これまで沈黙していた治安機関が一斉に純潔の聖女派を押さえる。そうなれば教会はこれ以上のスキャンダルを恐れて純潔の聖女派を追放する。
「そうならないんです」
「何故?」
「動くのはあくまでダイラス=リーン教区のサンクトゥス教会の信徒たち。純潔の聖女派というカテゴリーではないのです。主犯は純潔の聖女派でしょうが、今のこの都市の教区長は預言者の使徒派だ。非難の矛先がどこに向かうかは分かりますよね」
「純潔の聖女派はかなり権力のゲームを楽しんでいるようだな」
「そのようです。父さんは心配いらないだろうけれど、弟子が気になるでしょう。彼女はまだ人間のように見えた。間違ってませんよね?」
「間違っていない。彼女はまだ人間だ」
「そういうことなのでダイラス=リーンを可能な限り早く離れてください。彼女も危険にさらされます。彼女は才能ある人間のようなので失うのは惜しい。守ってあげてください。俺が国家を守るように」
「ああ。守ろう。君が国家を守るように」
そう告げ合って親子は分かれた。
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「科学の発展は神の教えに背く行為である! 背信である! 冒涜である! 科学者たちよ! 今すぐに全ての研究を止めるのだ! それでこそ救われる! 我々は二度と森を焼くという過ちを犯してはならないのだ!」
甲高く、ヒステリックな叫び声が響くのはエリックたちが歩いていた広場とはまた異なる広場だった。そこはダイラス=リーン都市警察中央署に近く、叫び声が警察署の中にまで響いてくるような位置であった。
「聖典に目を向けなさい! 神の教えに何と書かれているかをとくと見るのです! かつての人類は森を焼いたがために楽園を追放されたのです! その森を焼く知識は知恵の実を、決して食べてはならない実を食べたがために得られた!」
叫んでいるのはサンクトゥス教会の聖職者で、間違いなく純潔の聖女派だった。
そこにフィーネが訪れた。
フィーネがここに来たのは何も純潔の聖女派のトンチキな説教を聞くためではなく、こちらの方に美味しいアイスクリームの屋台があると聞いたからだ。
フィーネは純潔の聖女派の叫びを聞き流して、お目当てのアイスクリームの屋台を探し始めた。広場は広く、どこにアイクリームの屋台があるのか分からない。
「そこのあなた!」
そんなときに不意に背後から声がかけられた。
「あなたは死霊術師ですね! この死者の魂を弄ぶ罪人めが!」
「な、なんですか、いきなり……」
声をかけてきたのは先ほどまで説教をしていた純潔の聖女派だった。
「お前たちは死者を愚弄している! 冒涜! 背信! 異端! 筆舌しがたい恐ろしい行為をお前たちは平然とやる! 許されることではない! 懺悔せよ! 悔い改めよ! 自分の行為が間違いであったと認めなさい!」
純潔の聖女派はぐいぐいとフィーネに迫って、そう叫ぶ。
「そこまでにしておけ」
そんな状況でひとりの男性が現れた。
「あ。あなたは昨日の……」
「スターリングだ。こんな小さな女の子に大声で迫って聖職者としての誇りはないのか? それともその祭服は金で買ったものか?」
スターリング大佐──ラムダはそう告げてフィーネと聖職者の間に立つ。
「何たる無礼なことを! 背信者め! 悔い改めよ!」
「悔い改めるのは貴様の方だ。貴様のやっていることは脅迫だ。善良な一市民として見逃しておけない。さっさと教会に戻るか、都市警察に捕まって留置所に入るかだ。選べ」
「私は神の言葉の伝道師だ! これは脅迫などではない! 説教だ!」
「どうやら都市警察に豚箱に放り込まれたいらしいな」
「貴様! 神の教えを愚弄するなあ!」
純潔の聖女派は手に握った聖典でラムダに殴りかかった。
ラムダは敢えてそれを受ける。聖職者の力は大したものではなく、ラムダの腕にぶつかったそれは簡単に弾かれた。
「これからは正当防衛だ。取り押さえさせてもらう」
ラムダはそう告げるとあっという間に聖職者の腕を捻り上げ、地面に押し倒した。
「き、貴様! 離せ! 離さないか! 私はサンクトゥス教会の司祭だぞ!」
「黙れ。今、都市警察が来る。大人しく逮捕されろ」
ラムダはそう告げて純潔の聖女派の司祭をまるで身動きさせなかった。
「ダイラス=リーン都市警察だ! 喧嘩が起きていると聞いたが」
「この男がこの少女を脅していた。私も殴られた。これは正当防衛だ」
「あー。そうか。サンクトゥス教会の司祭か。一応事情を聴きますので、一応署へご同行願えますか?」
「ああ。もちろんだ」
ラムダは捻り上げていた純潔の聖女派の司祭を離し、警察に引き渡すと、警察に同行していった。
「お嬢ちゃんもって、フィーネ君か。君も一応話を聞かせてもらえるかな?」
「はい! けど、お昼に約束があるんで、それまでに終わりますか?」
「ああ。間に合わせるよ。15分もあれば十分だ」
「なら」
そして、フィーネも警察官に同行してった。
それから取り調べが行われ、周辺で見ていた野次馬の証言とフィーネの証言もあってラムダは無罪放免。一方の純潔の聖女派の司祭は豚箱に叩き込まれた。
「災難だったね」
「いえ。ありがとうございました」
ラムダが中央警察署のロビーで告げるとフィーネが首を横に振って返した。
「あの、エリックさんと知り合いだったりしませんか?」
「……いや。知らないな」
「グランドマスターのエリック・ウェストさんです」
「その人物の名前は知っているが、向こうは私のことを知らないだろう」
ラムダはそっけなくそう告げた。嘘をついた。
彼の身分と名前は知られるわけにはいかない。たとえ、自分の父の弟子だろうと知られるわけにはいかない。今のラムダは高度な秘密作戦に従事しているのだ。
本来ならばあのような喧嘩もするべきではなかった。目立つことは厳禁なのだ。
だが、父の弟子があのような不当な絡まれ方をして怯えていたら、助けたくなってしまうのが軍人としての本能だった。軍人は武器を持たぬ市民を守るために武器を取り、危険な最前線に赴くのだから。
「それでは十分に気を付けて」
「はい! ありがとうございました!」
ラムダは結局、正体を明かすことなく滞在先の大使館に戻った。
彼には純潔の聖女派について報告する義務がある。
まさに国家転覆というテロ行為に手を染めようとしている純潔の聖女派について。
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