大図書館を夢見て
本日6回目の更新です。
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──大図書館を夢見て
「お客さん、ミスカトニックにつきましたよ」
「ありがとう。いくらだろうか?」
「ふたりで1200ドゥカートです」
「これで」
エリックは青魔術で複製ができないようになっている紙幣と硬貨を御者に手渡して、フィーネとともに馬車を降りた。
「ここがミスカトニックですね!」
「ああ。ここがミスカトニックだ。ここからでは大図書館は見えないが」
アーカム同様にミスカトニックも高い城壁に囲まれていた。鋼鉄製の魔道野戦砲が出現してから城壁の意味などほとんどなくなったのに、未だに城壁があるのはひとえに街の治安のためと景観のためだった。ミスカトニックの城壁は美しく、それでいて歴史を感じさせるものだった。何度も市議会で取り壊して、都市を広げようという議題が提案されているにもかかわらず、未だに城壁が残されているのはそれが美しいからに違いない。
かくいうエリックもミスカトニックの城壁は好きだった。古くからのものが今現在まで存在する光景を見るのは感動的だ。まして、エリックはこの城壁が建造され始めた当初のミスカトニックを知っているのだから。
親が我が子の成長を喜び、立派になっていくのを見守ったように、エリックもミスカトニックの城壁が美しく成長していく様を見ていた。思い入れはひとしおだ。
「街に入ろう。まずは大図書館を拝むだけでも拝んでおくかね?」
「はい! 大図書館、気になります!」
エリックたちは城門で入市税を支払った。
「あんたたち、死霊術師かい?」
その時、城門の衛兵がそう尋ねてきた。
「ええ。そうだが」
「悪いことは言わないから、その黒と白のローブは着替えた方がいい。教会が修道騎士団を差し向けてきている。街中がパニックだ。大図書館でも揉め事が起きたみたいだし、トラブルに巻き込まれたくなかったら、まずは宿で着替えることだ」
「ふむ。ご助言に感謝する」
エリックは嫌な予感を感じた。
衛兵の言葉だけではない。彼のよく知る大図書館の方向で煙が立ち上っているのを見たからだ。修道騎士団が投入されたという情報は得たが、仮にも騎士が一般市民を相手に煙が立ち上るような魔術を使うだろうか?
「エリックさん、エリックさん。大図書館、もう見えます?」
「まだだ。まずは宿屋に向かった方がよさそうだ。そこからなら大図書館がよく見えるだろう。それにこの長旅で君も疲れただろう?」
「そうですね。ちょっとへとへとです」
そう言いながらもフィーネはワクワクしていた。
噂に聞いていた大図書館の本物が見れるのだ。これが楽しみではなくて何が楽しみだというのだろうか。フィーネは早く噂に名高い大図書館が見たかった。
城門から入って西側に大図書館はあるが、エリックたちは反対側の東側にある宿屋街を目指す。ミスカトニックの東側はなだらかな丘になっており、エリックたちは丘をゆっくりと登っていく。
「ここからなら大図書館がよく見える」
「あれが大図書館ですか!?」
大図書館はピラミッド状の構造物だった。ピラミッドと違うのは建材がレンガであることと、窓があることだ。そして、ここにファラオは眠っていない。
「確かに揉め事が起きているようだな……」
エリックの目にはサンクトゥス教会の純潔の聖女派が纏う祭服を纏った聖職者たちが図書館から何かを運び出しているのがうっすらと見えていた。
「凄く大きい……。学院より大きな建物なんて初めて見ました!」
「そうか。なら、宿屋に行こう。一番いい宿に泊まるとしよう」
「いいんですか?」
「ああ。長旅で疲れただろう?」
エリックはリッチーであるが故に疲労しない。そうであるがために“紅の剣”のメンバーなど他人に調子を合わせられないことが多々あった。そのため、彼はたびたび人に尋ねる。『疲れてはいないか?』と。
「この前来た時にはまだ営業していた馴染みの店がある。そこにしよう」
エリックはそう告げて宿屋街を歩き始めた。
フィーネは時々大図書館の方向を見たり、周りを見渡したりして、お上りさん丸出しで、興味深げに周囲のものを観察していた。宿屋の種類は様々で統一性はないが、どれも静けさを感じさせた。アーカムの宿屋のように騒がしい宿屋はない。
「ここだ」
「ひえっ! めっちゃ高そうなところじゃないですか!」
エリックが立ち止まったのは貴族の邸宅をそのまま宿屋に改装したような立派な造りの建物だった。レンガ造りで、敷地は広く、一般的な宿屋というおりも高級ホテルと言えた。フィーネがすくみ上ったのも当然だ。
「衣服の洗濯もしてくれる。ここで私たちのローブを洗濯してもらおう」
「またお高そうなサービス付きで……。私も一緒にいいんですか?」
「当然だ。弟子の面倒を見るのも師匠の役目だ」
エリックには冒険者になる以前から講演料や本の印税で入ってきている金がある。彼は金には困っていない。人ひとり程度養うのは何の問題もない。
「いらっしゃいませ。おや、ウェスト様ではございませんか」
「久しぶりに世話になるよ、ブラウン」
エリックかカウンターに顔を出すと、コンシュルジュの糊の利いたシャツとズボン、ベストを身に着け、ネクタイを締めた男性がエリックを出迎えた。
「何泊の御予定で?」
「取り合えず2泊。延長するかもしれない」
「分かりました」
「それから服のクリーニングを頼みたい。衛兵から死霊術師が出回るのはトラブルになると聞いたが」
「そうですね。お着替えになった方がよろしいかと。市議会と教会が対立して、ピリピリしています。原因は既にご存じだと思いますが」
「純潔の聖女派か」
どうやらアーカムを離れようともトラブルはついて回るらしい。
「部屋は2部屋頼む」
「おや。パーティの仲間の方とは違いますね」
「弟子だ。暫くぶりに先駆者としての務めを果たそうと思った」
「あなたはいつも高潔であられる。では、お部屋を2部屋準備させていただきます」
「頼む」
エリックはそう告げてロビーの椅子に腰かけた。
「エリックさん。この宿屋、お風呂あります?」
「それぞれの個室に浴室がある。ゆっくり使いたまえ」
「ひえっ! どれだけ高級な宿なんですか、ここ」
「そうだな。それなり以上にはいい店だ。君の部屋は別にしておいたから、着替えておきたまえよ。そのローブも長旅でくたびれている」
「同じ部屋でよかったんですよ?」
「君が着替えるときいちいち外に出るのは面倒だし、婚前の若い娘が男と同じ部屋で寝起きするべきではない。私のパーティも部屋は男女で別だった。せっかくの個室だ。風呂にでもつかりながら、今回の旅で得たものを考えるといい」
「馬小屋での降霊術の話ですね。忘れてそうな部分をリストアップして、明日は大図書館で猛勉強です。いろいろと忘れてそうなものがあって、私、真剣さが足りてなかったと猛省しております」
「それはいいことだ。分からないことを調べるたびに人は高みへと昇る」
エリックとフィーネがそのような会話をロビーでしていたら、先ほどのコンシェルジュが戻ってきた。
「お部屋の準備ができました、ご案内いたします」
「頼む」
エリックはそう告げて腰を上げた。
「お連れの方はミスカトニックは初めてで?」
「え。あ、はい。初めてでワクワクしてます」
「ここに来られる学者様はみんなワクワクしておられますよ。新しい発見が得られたと喜び、議論に華を咲かせ、どの方もワクワクしておられます。あなた様もこの街で新しいことを見つけられるといいですね」
「はい!」
フィーネは底抜けに明るい。
街に張り詰めている緊張感など気にもしない。
「それではお召し物はクリーニングということでしたので、後程取りに伺います。籠が中に用意してありますのでそれをご利用ください。またクリーニングの際の注意点などありましたら、遠慮なくお伝えください」
「はい」
コンシェルジュはエリックとフィーネを部屋に案内すると、丁重に頭を下げて、立ち去っていった。フィーネは自分に渡されたカギを見つめる。
「何もかもお世話になって申し訳ないです」
「気にすることではない。これも先駆者の務めだ。君より長く生きてきたのだから、その分の余裕はある。それを未来ある若者に分け与えるのは当然の義務だ」
エリックはそう告げてカギを開けた。
「それでは夕食は19時だからそれまでには着替えておきたまえ」
「了解です」
フィーネはエリックにそう告げると自分も部屋のカギを開けて中に入った。
「ふわあああっ! 凄い!」
ベッドは天蓋付きのふかふかのベッドにしわひとつないシーツが敷いてある。部屋の中のインテリアはどれも歴史を感じさせるものでありながら、清潔感に満ちており、綺麗に磨かれた陶器の花瓶などいくらするのか分からない。
それに加えて、テーブルとイスも準備されており、ここで何人の学者が勉学に精を出したのかと思うとフィーネもそんな立派な人々のひとりになれたような気がした。
「おっと。まずは着替えないと。……下着もクリーニングしてくれるよね?」
フィーネはまずは死霊術師の証である黒と白のローブを脱ぐ。ローブの下は王立リリス女学院の制服のままだった。白いブラウスに黒いスカート。黒を基調にしたモノトーンが死霊術師の制服だ。フィーネはお洒落で青いリボンをつけている。髪を纏めているリボンと合わせたものだ。
それを脱ぐと次は下着とタイツだ。黒タイツはここ最近のファッション業界の流行であり、フィーネも流行に乗って黒タイツを纏っていた。替えの黒タイツもある。
下着は正直なところ子供っぽい。色気も何もないショーツとブラ。それからキャミソール。だが、子供っぽい下着に反してフィーネの発育は良好だ。ゆったりとしたローブを脱ぐと、存在感のある胸がたわわに実っている。
「着替えを準備して。準備良しと。お風呂に入ろう」
ここ4日間は水浴びはできたが、風呂には入れなかった。年頃の女の子としては、体臭などが気になってくる。
「お風呂は……これを捻ればいいのかな?」
フィーネが蛇口をひねるとまずは水が出てきて、次第にそれがお湯へと変わっていった。フィーネはバスタブにお湯を満たすと、アメニティーとしておかれていた入浴剤を入れてみた。入浴剤を入れるとお湯からバラの香りが漂ってくる。
「時間は17時だから、まだまだ大丈夫だよね。ゆっくり入ろうっと!」
フィーネはそう告げてゆっくりと湯船につかる。
「ふううう。心休まる……」
温かな湯船につかって、フィーネは長旅の疲れがゆっくりと湯船の中に溶けていくのを感じた。ひたすら安物の馬車に乗り続けて、腰とお尻が痛くなっていたところだ。お湯の温かさで痛みが和らぐの感じられた。
「学院での勉強、思い出せなかったのはショックだなあ。あれだけ一生懸命勉強してたのに、降霊術の詠唱なんて基礎中の基礎を忘れちゃうなんて。いくら、この数日でいろいろあったとは言っても、言い訳にはならないよね」
そう告げてフィーネはより深く湯船につかる。
「学院……。みんなどうしてるかな。赤魔術師や青魔術師に転入した子も多かったけど、私みたいにそのまま退学になった子も多かったんだよね。お金のある子は別の学院で勉強を続けるって言ってたけど、上手くやってるかなあ……」
フィーネは学院では『騒々しい子』ということで有名だった。物静かで、孤独を好む性格の人間が多い黒魔術科において、フィーネはとにかく友達を増やし、学友と喋るのが大好きだった。フィーネのノリについてこれなかった人間も少なくなかったが、フィーネのことを邪険にせずにほそぼそと交流を続けてくれた人間もいる。
そういう学友たちが黒魔術科が廃止された後、どのように暮らしているかフィーネは気になった。多くの生徒はフィーネと違って、実家に帰って今後のことを考えるということができたのは幸いだろう。彼女たちはどのような選択をしたのか。
「でも、誰も私があの伝説のグランドマスター・エリック・ウェストの弟子になっているなんてことは思ってもみないだろうな。ふひひひ」
フィーネは健康的に引き締まった足を伸ばす。
「大変な時代かもしれないけれど、私は元気です。明日からは大図書館で学院での授業のおさらいをします。やるべきことは降霊術の基礎、守護霊との契約に関する法則など、それから生理学の基礎に霊魂心理学。それからそれから……」
フィーネは思いつく限り、ちゃんと覚えておかなければならないことについて脳内でリストアップしていった。これらの知識を学ぶことは、あの噂の大図書館なら可能だろう。それに今のフィーネには心強い師匠であるエリックもいるのだ。
「よーし。明日は頑張るぞ。今日はしっかりと休んでおかないとね」
フィーネは十分に体が温まって疲れが落ちたのを感じると、石鹸に手を伸ばした。そして、しっかりと泡立てた石鹸で体を洗っていく。
フィーネはじっくりと風呂に入り、1時間も風呂に入っていた。その間にホテルスタッフがフィーネの着替えを回収し、クリーニングに出したのだった。
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