船旅
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──船旅
いよいよダイラス=リーンに向かう日が訪れた。
季節は初夏を迎えている。夏の日差しがエリックの肌に降り注ぐ。しかし、彼の肌は紫外線によって劣化することはない。
「ええっと。日傘ってこういう使い方であってます?」
「ああ。あっているよ。それに似合っている」
エリックは思ったままのことを口にした。
フィーネはアルハズラットブランドのぶかぶかのジャケットにピックマンブランドの黒いノースリーブのワンピースとスパッツで、靴は動きやすいようにスニーカーを履いていた。それに黒いレースで縁取られた日傘を活動的ないいところのお嬢さんを思わせた。
「へへ。似合ってますか。よかったです!」
「ああ。夏の紫外線は肌に優しくない。日傘は必須だ。それにそうしていると昔を思い出す。マリアと外に出たときもそんな日傘をしていた。もっとも今ほどいいものではなかったがね。今の日傘は折りたたみやすく、場所を取らない。便利な時代になった」
「そ、そうですか……」
フィーネはマリアを連想したと聞いてちょっとがっくりした。
できれば過去の人物ではなく、今の自分を見てほしい。そう思っていたからだ。
だが、とフィーネは思った。
マリアとエリックはどういう関係だったのだろうか?
ただの師弟関係? しかし、それにしてはマリアを語るエリックの口調にはそれ以上のものを感じる。今だってそうだ。メアリーとだって日傘を差して出掛けたことはあるだろうに、遥か昔に死んだマリアを引き合いに出した。
もしかするとエリックはマリアのことが好きだったのかもしれない。
そう考えて、フィーネは余計に気分が重くなった。
マリアは天才だったと聞いている。天才で、美人。エリックが惹かれる理由も分かる。それに対して自分は天才でもなければ、美人でもない。美人になるにはもうちょっと時間が必要だ。自分でも顔立ちはそう悪くないと思っている。もうちょっと歳を重ねれば、マリアのような美人になれるだろう。
しかし、頭脳ばかりはどうしようもない。
21歳という若さでアカデミー入りしたマリアと学校から追放されて目立った研究成果もないフィーネでは比べるまでもない。その上、これから何を研究していけばいいのかすら思いつかないのだから、絶望的だ。
「この旅で何か見つかるといいですけれどね」
「何がだい?」
「研究目標です」
フィーネはそう告げてエリックの後ろからついてきた。
「焦って決める必要はない。世界が必要としているものを研究すればいい。それは心霊捜査官として活動している間に見つけるかもしれなし、学術誌を読んでいて思いつくかもしれない。そうすれば既に立てられている仮説を検証し、研究を始めればいいのだ」
「ひらめき、って奴ですか?」
「そうだね。目的ばかりは本人次第だ。ひとつの研究に仮説ならいくつでも存在するが、その研究を選ぶかどうかを決めるのはひらめきだ。その問題の解決に必須のことを思い浮かんだとか、これが発見されれば物事が上手く進むとひらめいたときに人は研究者として活動を始める。そういうものだよ」
「なるほどですね」
しかし、マリアのようなアカデミーにも認められるような研究が自分にできるだろうかとフィーネはまた心がずっしりと重くなった。
「船旅はあまり期待していないのかね?」
「い、いえ。そういうわけでは。ちょっと思うところがありまして」
「死霊術に関することかね?」
「プライベートのことです」
「そうか。ならば、聞くべきではないな」
そう、プライベートについて聞くべきではない。
フィーネもエリックとマリアの本当の関係を聞くべきではないのだ。それはエリックとマリアのプライベートなのだから。
それでも気になるものは気になる。探ってはいけないと言われるものを探りたがるのは人の性。見るなと言われれば余計に見たくなるのも人の性。確かどこかの皇帝の名前がその本能の法則の名前になっていたはずだ。
だけど、ダメだ。下手に探って、エリックの機嫌を損ねたくはない。今のままが一番幸せなのかもしれない。過去は過去。今は今。エリックが自分のことをどう思っているのかは自分で探り出すのみである。
「これが定期便だ。10ノットで航行する。途中に他の都市に寄るから快速船より時間がかかるがね。それでも快適な船旅ができるはずだよ」
「おお。立派な船ですね」
“バーナード・マーシュ号”と船首に刻まれたその船は、鋼鉄製で大きさは大型商店がずらりと並んだとして6軒分の大きさ。煙突が船体中央から突き出しており、今も黒煙を吐いて待機している状態だった。
というのも、船内にエネルギーを供給するのは船の蒸気機関によるものだからである。タービンが回転してエネルギーが生まれ、そこで生まれたエネルギーが船の冷蔵庫や船室の照明などを動かしているのだ。
今のところ青魔術を使った様々な推進機関が発明されえいるが、蒸気機関がもっとも整備もしやすく、維持費も適度で適切だという評価だった。
だが、軍では潜水艦に水流を緻密にコントロールする機関を搭載して、無音の潜水艦を作ろうとしているという噂だった。エリックも軍事機密に触れられる立場ではない。
「さあ、乗り込もう。船室は2部屋確保している」
「はーい」
そして、エリックたちは定期便に乗り込む。
「おお。ビリヤード台がありますよ。揺れたりしないんですか?」
「よほどの時化でない限り、この船はほとんど揺れないよ。安定性がある。君も船酔いをする心配はしなくともいいだろう」
「それが心配だったんですよね。メアリーさんは昔船に乗って、凄く酔ったことがあるから、いろいろと酔わない方法を教えてくれたんですけど」
「彼女が初めて船に乗ったのはそれこそ500年以上前だ。それから技術は進歩している。だが、最初の体験というのはなかなか抜けないもので、船とイメージするだけで吐き気がするようになってしまったようだ」
「な、難儀ですね」
フィーネは心の中でメアリーに同情しつつ、メアリーがどうして今回の旅行についてこないかの理由について理解した。
「ここだな。庶民も使う船なので豪華客船のようにはいかないが、必要なものは揃っているはずだ。到着するまで自由に過ごしたまえ」
「海に落ちない程度に自由にやります」
「ああ。船からは落ちないようにね」
船室はベッドと椅子と机、そしてシャワーとトイレが完備されていた。
「いろいろと娯楽設備も揃っているみたいだし、船が動き出したら行ってみよう」
フィーネはそう思ってベッドにポンと身を投げ出した。
「エリックさんとマリアさん。どんな関係だったんだろ。一緒に船旅はしたのかな」
今度またマリアを降霊することがあったら、こっそり聞いてみようとフィーネは思ったのだった。
そんなとき、扉をノックする音が響いた。
「エリックさんですか?」
フィーネは何の警戒心もなく、扉を開いた。
「やあ。久しぶり」
「ラ、ラルヴァンダードさん……」
フィーネの目の前にはニコニコした笑顔のラルヴァンダードがいた。
「失礼するよ」
「ああ! ちょっと!」
そして、ラルヴァンダードはするりとフィーネの脇を抜けて船室に入った。
「知っているかい。エリックも研究者として成功する前はこんな感じの部屋に住んでいたんだよ。シャワーとトイレすら別だったけどね」
「それはエリックさんって1000年近くもこれまで生きてますし、そういう時代もあったでしょうが……」
お願いも約束もしてはいけない。正体を知ってもいけない。そんな相手が我が物顔で自分が寝泊まりする予定のベッドに腰かけたのにフィーネは嫌そうな表情を浮かべた。
「そんな顔しない。取って食べはしないから。お願いと約束さえしなければ、ボクもそこらの女の子とさして変わらないんだよ?」
「普通の女の子は1000年も生きている人の過去について知りません」
「寿命なんてどうにでもなるご時世だ。世界魔術アカデミーの平均年齢は90歳だよ。誰もが死霊術の施術を受けて、寿命を延ばしている。見た目は若々しいのに中身はお爺さん。本当に若くて才能ある人間は嫉妬の対象になるものさ。マリアがそうだったように」
「マリアさんが?」
そこでフィーネは好奇心にブレーキをかけた。
何かを教えてくれと頼むこともお願いに含まれるはずだ。
「君はお願いしなくていい。ボクが勝手に喋る」
そんなフィーネの思いを見透かしたかのようにラルヴァンダードが語り始める。
「マリアは若い成功者だった。けど、アカデミーの人間はお年寄りばかりだ。彼女はその上、肺病を患っていて、いつも呼吸するだけで苦労していた。そこでアカデミーの発表だ。若くしてとてつもない発表を行ったアカデミーのお年寄りたちは彼女を妬み、嫉妬からヤジを浴びせた」
「そんな。エリックさんは凄い研究だったって」
「だからだよ。誰もが成功者を妬むものだ。世の中、自分より優れた人間を見たときに人間が行う行動はその人物を尊敬するか、あるいは嫉妬するかだ。アカデミーのお年寄りたちは、到底自分の娘より若いような研究者を尊敬なんてできなかった。彼らは成功したマリアに嫉妬し、ヤジと罵声を浴びせた。彼女は咳き込みながら、発表を続け、ヤジを受けてもそれをやめなかった。だが、発表が上手くいく見込みはなくなっていた」
フィーネもマリアに少しばかり嫉妬していた。1000年の年月を生きるエリックの印象に残り、今もエリックの記憶に残り続けているマリアに。自分には21歳でアカデミーに認められることなど不可能だし、エリックの弟子のひとりだったという印象しか残らないのではないかと不安に思うと同時に記憶に残ったマリアに嫉妬した。
だが、そんな苦労をしていたなんて知らなかった。
「そこで助けに出たのはエリックさ。彼はいつだって公平であろうとする。自分が考えが及びもしなかった研究をまだ21歳という研究者から示されても嫉妬はしなかった。彼はそれを死霊術全体の利益になると判断した。そして、彼はこういった。『紳士淑女諸君。失礼ではないかね? これまでこの名誉あるウィルマース・ホールで発表を行っている人間に対する態度はそのようなものだったかね? 少しばかり頭を冷やしたまえよ』と」
「エリックさんにしては感情的ですね」
「そう思うだろう? だが、彼の魂の色は濃藍だ。非社交的で、非感情的。そんな彼からここまでのセリフを引き出したのさ、マリアは。そして、それからはエリックの庇護下に入った。エリックとの研究なら、他の研究者もそこまで嫉妬しない。その時点で既に彼はグランドマスターの地位にあったからね」
「ふむふむ」
フィーネは聞きたいことがいっぱいあったが、この人物に質問はできない。
エリックは結局のところ、マリアのことを好きだったのだろうか? 弟子ではなく、ひとりの女性として好きだったのだろうか? マリアはエリックのことが好きだったのだろうか? 好きだったとしたらそれをエリックに打ち明けたのだろうか?
疑問は渦巻くが質問はできない。まるで生殺しだ。
「エリックは決してそうではなかったと否定するだろうが、彼らの生活は新婚夫婦のようだったよ。マリアが肺病の悪化で時折、病床に伏せること以外は夫婦のように生活していた。まあ、メアリーもいたけれど彼女は所詮はメイドさんだし。ふたりで研究して、ふたりで買い物に行って、ふたりで旅行して、ふたりっきりで会話を楽しんで。ね、新婚夫婦みたいだろう?」
「ですねー……」
やっぱりエリックは今でもマリアのことが好きなのだろう。
「だが、彼らは決別した。マリアはエリックの提示した不老不死の道を選ばなかった。彼は最後まで説得していたが、マリアは運命を受け入れ、人間として死ぬことを選んだ。エリックは理解できないという顔をしていたよ」
そうだ。マリアはエリックと同じ道を進まなかった。彼女は死ぬことを選んだ。
「恐らくは」
ラルヴァンダードが告げる。
「エリックはマリアの面影を君に見ているね。君とマリアは大違いかもしれないけれど、どこかで繋がる線があるんだろう。だが、彼はマリアと親しく過ごしていても一線は越えなかった。あくまで師匠と弟子であり続けた。マリアはそれ以上のものを望んだのに」
やれやれというようにラルヴァンダードが肩をすくめる。
「君はそうならないかな? 君ならば彼を落とせるかな? 楽しみだね」
「野次馬根性ですか……」
「失礼な。観測者としての純然たる好奇心さ」
ラルヴァンダードはそう告げてペロリと舌を出した。
「まあ、君も彼のことが気になるんだろう? その理由は分かっているのかい?」
「逆に言えばエリックさんを嫌いになる要素がないです」
「確かにね。彼は優しい。だが、誰にでも優しいんだ。これはけしからんことだよ?」
「いいじゃないですか。紳士的で」
「じゃあ、君はエリックがマリアの肺病を治癒するために自分の研究を中断してでも、薬や治療法を完成させようとしていたと聞いても、嫉妬しないかい?」
「それは……」
「思うところがあるだろう。誰だって思うのさ。自分は特別でありたいってね」
ラルヴァンダードは悪戯気に笑った。
「だが、彼は確かに紳士だ。メアリーにあれだけの好意を寄せられていても我慢している。マリアにも、エリザベートにも、メアリーにも、デルフィーヌにもみんなに優しい。君は優しくしてもらっている女性たちのひとりに過ぎない。特別じゃあないんだよ」
「でしょうね……」
「思うだろう。彼の特別になりたいって。彼が他の人間に決して見せない顔を自分だけに見せてくれるようになってほしいって」
「それは……」
危うく、そうですと言いかけてフィーネは言葉を飲み込んだ。
ラルヴァンダードは余裕そうに微笑んでいる。恐らく今のは罠だったのだ。
だが、それを望んで何が悪い?
フィーネは自分の気持ちをはっきりと認識した。
自分はエリックの特別な人間になりたい。マリアのように彼の思いに残る人間になりたい。いや、マリア以上になりたい。
「自分の力でなってみせます」
「へえ。それはエリックがボクにお願いと約束をしたらいけないからって言ったからかい? 実際のところ、ボクにお願いしたところで何が起きると思っているんだい? 取って食われるとでも? ボクがそんな風に見えるかな?」
見えない。確かに見えない。
だが、ラルヴァンダードが見た目通りの少女でないことだけは確かに分かる。彼女の深紅の瞳は血の色をしていて、化け物の色をしている。エリザベートのような真祖吸血鬼よりもずっと恐ろしい化け物だ。
「試しにひとつお願いしてごらんよ。それで何が起きるか知ったら安心できるだろう? 世の中には不思議なことがいろいろとあるけれど、その不思議のひとつを知ったら、君の知識的欲求も満たされるだろう」
ダメだ。罠だ。何もお願いしてはいけない。
どういう結果になるか分からないのだ。この少女の姿をした怪物を前にしては。
「そこまでだ、ラルヴァンダード」
そこでエリックの声が響いた。
「おや。噂をすれば本人が。しかし、女性の部屋にノックもしないで入るとは君らしくない。礼儀正しさを忘れたのかな?」
「君の気配がしたからすぐさま向かってきただけだ。エリザベートやメアリーならともかく、フィーネを君とふたりきりにさせるのはあまりに危険だ」
エリックはいつもは見せない焦った表情をしていた。
「フィーネ。言われたことは守っているね?」
「お願いしない。約束しない。正体を知らない。守ってます」
「よろしい。彼女とはなるべく関わらない方がいい」
そう告げるエリックの表情は安堵のそれで、フィーネが初めて見た心からの安堵の表情だった。特別な表情だった。
「よかったね。少しは目標に近づけたんじゃないかな?」
「だ、だから、自分の手で──」
フィーネが言い返そうとしたときにはラルヴァンダードは影も形もなく消えていた。
「……消えた」
「ああ。彼女は神出鬼没だ。どこにでも現れるし、どこからでも消える」
そこでエリックはため息をついた。
「とにかく、君が無事でよかった。彼女はとても危険だ。手に負えない。テロリストのような信条を持ち合わせているわけでもなく、愉快犯として行動する。彼女は人間を弄ぶのが好きなのだ。時として残酷な猫のように」
「けど、エリックさんが来てくれたおかげで助かりましたよ」
「それはよかった。君は大事な弟子だからな」
エリックはそう告げていつもの表情に戻った。紳士的な、無感情な表情。
でも、それでもいい。今はまだ特別でなくとも、いずれ特別になって見せる。
フィーネはそう決心した。
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