意外な来客
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──意外な来客
死体を使った実習は終わった。
死体は改めて葬儀が行われ、集落の墓地に埋葬された。
「ううむ。これで人体については把握できたんでしょうか?」
「まだまだだよ。死霊術師でも、医師でも、人体を理解するには数年をかける。まだまだ学ぶことはいろいろとある。それから魂についても実地訓練が残っている。魂について君も見識を深めたいと思うだろう」
「そうですね。もっといろんなことが知りたいです!」
まだまだ分からないことはいっぱいだ。
人の器官の細かな働きや、その器官にまつわる病気や怪我の治療方法。魂の挙動の法則について、すなわちどれほどの憎悪があれば怨霊になり、どれほどの認識力が不足していれば地縛霊になり、どれほどストレスがなければ浮遊霊になるのか。
守護霊の効果についても知りたいことはあるし、実際に自分に守護霊を纏わせたい。エリックが守護霊は選んでくれると言っていたが、可愛くて頼りになる相棒がいいなと思っていた。タクシャカやヴァナルガンドも強くて良さそうなのだが、やはり常に傍にいてもらうならば可愛い子がいい。
「それでは今日は久しぶりに魂について学ぼう。守護霊についてだ」
「おお。是非とも教えてください!」
フィーネがそう告げたのと玄関のベルが鳴ったのは同時だった。
「あ。今、メアリーさんは集落に買い出しに行ってますよ」
「そうだったか。私が出よう」
エリックは立ち上がって自室を出る。
フィーネも後に続く。
フィーネはすっかり夏のファッションに切り替えていた。ノースリーブのブラウスに丈の短いスカートに、そこからちょっと覗くスパッツ。それからアルハズラットブランドのジャケット。スニーカーを履いて、ハイソックスを装備している。
ジャケットを除けば涼し気な外見だ。ジャケットも魔力は通さないが、通気性はいいのでそこまで熱くはならない。冬場はジャケットの内側に、付属品の断熱材を含んだ素材を貼ることで快適に過ごすことができる。
エリックはいつも通りだ、スリーピースのスーツに死霊術師の証である黒地に白い線が入ったローブを纏っている。
暑くないのか? とフィーネは思う。室内は冷房が効いているとしても、外に出るのにもエリックはこの格好を崩さない。見本的な紳士であらんとしている。確かにスーツ姿のエリックはカッコいい。エリックはだらしないところを欠片も見せないのである意味では近寄りがたいかもしれないが、フィーネにとってはいつもびしっと決めていて、理想の男性に映るのである。
そんなエリックが扉を開く。
「やあ、グランドマスター・エリック・ウェスト?」
外にいたのはピックマンブランドを何倍も洗練したような黒いゴシックロリータファションに身を包み、その濡れ羽色の黒髪をまっすぐくるぶしの付近まで伸ばしてる少女であった。その瞳は血のように赤い。
そんな13歳ほどの少女が姿を見せるのにエリックの表情が警戒へと変わった。
「そんな顔をしなくてもいいだろう。君とボクの間柄じゃないか」
少女は少し拗ねたようにそう告げるが、エリックは警戒した視線を向けたままだ。
「後ろの子は誰だい?」
「既に知っているのだろう? 君がこの世で知らないことなどないはずだ」
「とんだ買い被りだ。ボクは全知全能じゃないんだ。どこかの誰かと違ってね」
少女はくすくすと笑う。それがフィーネには酷く不気味に映った。
理由は分からないが、あの真っ赤な瞳を見ていると不安を覚える。心の奥底を覗き込まれているような、いや魂を鷲掴みにされているような、そんな感触を受ける。それでいてその目的はまるで分からないのだ。
全く未知のものへの恐怖。それをフィーネは感じていた。
「ふふふ。そんなに怯えなくてもいいよ。取って食べやしないから」
少女はフィーネの方を向いて、小さく笑った。
「さて、そろそろ紹介してくれてもいいんじゃないかな?」
「まずは目的を聞こう」
「ひ・ま・つ・ぶ・し」
少女は指を振りながらそう告げる。
「君らしい目的と言えば、君らしい目的だな……」
エリックがため息をつく。
「紹介しよう、フィーネ。彼女はラルヴァンダード。正体については知らない方がいい。君にとって良くない結果になる。そして、絶対に、絶対に、彼女と約束を交わしてはならない。願いを伝えてはならない。それは君にとって命取りとなる」
「は、はい」
まるで呪いの人形のような扱いを前にフィーネが頷く。
「ラルヴァンダード。彼女はフィーネ・ファウスト。私の弟子だ。私と君の取り決めにより、君が彼女の同意なしに彼女に手を出すようならば、契約は破棄される。もう二度と神の智慧派の集会には参加できないし、私と接触することもできない。そして、君はこの世に安定して存在することが不可能になる」
「随分と警戒されているね。そこまで警戒することはないのに」
「君ほど危険な存在もいないだろう」
エリックはどこまでもラルヴァンダードと名乗った少女を警戒していた。
「さて、お茶でも出してくれないかな? メアリーはいないのかな?」
「メアリーは出掛けている。だが、お茶ぐらいなら私が入れよう」
「それはいね」
ラルヴァンダードはうきうきした様子で家に上がってくる。
「フィーネ。君もおいでよ。お茶会は人が多いほどいいものだ」
先ほどエリックから散々警句を受けた後だ。迂闊に言葉が返せないフィーネ。
「だから、食べたりしないって。約束とお願いをしなければいいんだよ」
ラルヴァンダードは困ったように苦い笑みを浮かべた。
「じゃあ、質問はいいんですか?」
「いいよ。なんでも聞いてごらん」
「約束とお願いをするとどうなるんですか?」
「……企業秘密、かな。それは」
ラルヴァンダードは悪戯気な笑みを受けべてダイニングに進んだ。
「私の弟子に手出ししていないね?」
キッチンではエリックがお湯を沸かしていた。
「出してないとも。ちょっとお喋りしただけさ。まあ、話はこれからだ」
ラルヴァンダードはそう告げて椅子に腰かける。
「そうだといいのだが」
エリックはドリッパーを使ってコーヒーを入れる。
「おやおや。お茶会でコーヒーかい? 普通は紅茶じゃないかな?」
「あいにく私はメアリーほど上手には紅茶を入れられないし、紅茶の研究者でもない。馴染みあるもので我慢してくれ」
「研究者時代はおなかを壊すほどコーヒーを飲んでいたそうだね?」
「ああ。それに懲りて今はミルクを入れている。君はどうする?」
「砂糖とミルク、たっぷりで。苦いのは苦手なんだ」
ラルヴァンダードはそう告げる。
「フィーネ。君はどうする?」
「私も砂糖とミルクたっぷりで。私も苦いのは苦手なんですよ……」
フィーネは苦笑いを浮かべて、そう告げた。
「では、そうしよう。味わってくれたまえ」
エリックは手際よくコーヒーを入れるとフィーネとラルヴァンダードの前に差し出した。カップからはコーヒーの香ばしい香りが漂っている。
「さて、暇つぶしとはいうが、何か面白いことがあったのかね?」
「純潔の聖女派っていえばわかるんじゃないかな?」
ラルヴァンダードはそう告げて、エリックの方に笑みを向ける。
「純潔の聖女派が黒魔術師を弾圧し始めたそうだね。影響は冒険者ギルドのみならず、アレクサンドリア大図書館にまで及んだとか。それだけ凄いニュースは放っておけないよね? 君も何か影響を受けたと見るけど。何せ、冒険者をやっている様子はないし」
「私も除名処分を受けた。純潔の聖女派のせいだろう。だが、こうしてフィーネという弟子を迎え入れる機会ができた。彼女には才能がある。人生、塞翁が馬だな」
「才能、ねえ。どんなことができるんだい?」
「動物霊はおろか、植物の霊とも交信することができた」
「それは凄い! 天才じゃないか!」
ラルヴァンダードは拍手をフィーネに送ると、彼女の肩を抱いた。
「君は才能があるよ。エリックとボクが言うんだから間違いない。その才能は絶対に伸ばさなければならないよ。じゃないと、絶対に後悔する」
「え、ええ。そのつもりです」
そして、ラルヴァンダードはフィーネを解放した。
「ということは将来の夢は心霊捜査官かい? 今は黒魔術師がどこもここも弾圧されているけれど、ウルタール、ムナール、ダイラス=リーンの3つは大丈夫だろう?」
「どうだろうな。彼女には研究者の道を選ぶ権利もある。それからムナールでは世界魔術アカデミーに純潔の聖女派が圧力をかけている。黒魔術師への研究費のカットと全体的な予算縮小をするように圧力をかけているそうだ。いつまでももつことか」
「へえ。純潔の聖女派も随分とアグレッシブだね」
ラルヴァンダードはコーヒーをちびりとやりながらそう告げる。
「死霊術師にとっては大きな損失だ。これで多くの研究が破棄され、死霊術師が関わるべきだった事案が無に帰したか。この世で大きな遅れが生じるだろう。いつの時代も世論による反発というものはあったが、これほどのものとなるとやり過ごすのに苦労するというものだ」
「ボクにお願いしてもいいんだよ?」
「断る。それだけは断固として断る。君に任せるつもりはない。結果は禄でもないものになるだろうし、それでいて対価として何を要求されるか分からない」
「つまらないな」
ラルヴァンダードは機嫌を損ねたというように頬を膨らませた。
「だが、君は何をどこまで知っている? 教会内部の人間がどう動いているが知っているのか? 教会内部でどのような権力闘争が起きているかを」
「それはお願いかな? それとも質問かな?」
「純粋な質問だ」
「それならボクが答えられることはないよ。企業秘密って奴だよ。何かが知りたかったら、お願いすることだね。もっとも君がそうしないことは分かっているけれど」
ラルヴァンダードはクスクスと笑ってそう告げた。
「あのー……。ラルヴァンダードさんはエリックさんと付き合いが長いのですか?」
「それなりにはね。彼と初めてであったのは600年前の満月の日だったかな。そこでボクと彼は出会い、今に至るということさ」
「長生きなんですね。最近でそういう人が多すぎて気にならなくなってきましたけれど。やはり死霊術を?」
「いいや。ボクの趣味は死者との対話じゃない。ボードゲームさ」
「ボードゲーム?」
「君はゲームの趣味はないかい?」
首を傾げるフィーネにラルヴァンダードが尋ねる。
「ゲームはあんまりしないです。ルールとかよく分からないので」
「よかったら教えてあげるよ。コマを進めて、サイコロを振って、勝敗を決める。楽しいゲームさ。いくつか種類があるけど、ボクが好きなのは現実のコマを使ってやるゲーム。リアルなゲームさ。結果も愉快、過程も愉快。たまらないゲームだよ」
「現実のコマ?」
よく分からない単語が出てきたなとフィーネは思う。
「ラルヴァンダード。これもまさか君のゲームの一環なのか?」
「うーん。違うよ。ボクはこれに関してはただの傍観者だ。少なくとも積極的には何かをしているわけじゃない。ただ、消極的に見逃しているというところかな。預言者の使徒派も、純潔の聖女派も、神の智慧派もみんな欲望に塗れている」
「神の智慧派が?」
「おや。仲間外れにされているのかな? この愉快なゲームには君の所属する神の智慧派も参戦しているのだぞ」
「どのような形で?」
「き・ぎょ・う・ひ・み・つ」
ラルヴァンダードは指を振ってそう告げた。
「ふむ。まあ、アランにでも聞けばわかることだ。君に聞くまでもない」
「本当にそう思うかい?」
そこでラルヴァンダードは不安誘う笑みを浮かべた。
「これはただのゲームじゃない。とても大きなゲームだ。陰謀が渦巻き、権力闘争が繰り広げられ、誰もがいち早くゴールを目指そうとしている。自分たちに協力しない人間に秘密を教えるほど彼らも甘くはないよ」
そう告げてラルヴァンダードはコーヒーに口をつけた。
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