死体と戯れる
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──死体と戯れる
ウルタールからエリック宅まで死体は運ばれてきた。
「フィーネ。降霊術の準備を」
「え? この人のですか?」
「ああ。いくら魂が冥府に行っていおり、本人が死体売買に合意していたとしても、その死体を使う以上はこちらの意図について説明しておくべきだ。そうだろう?」
「そうですね。ちゃんと合意は取るべきですね」
フィーネは納得して降霊術の準備を始めた。
とはいってもやるべきは死体を地下の安置室に運ぶだけである。
降霊術はどこでも行える。やろうとも思えばダンジョンの中ででも行えるのだ。
「準備完了です!」
「では、始めよう」
エリックはフィーネと手をつなぐ。
「『冥府の番人よ。我が呼びかけに応じ、その扉を開きたまえ。暫しの間、現世に死者を呼び戻すことを許されたし』」
エリックがそう詠唱する。
『ん。ああ、誰だい?』
「あなたの死体を買ったものだ」
『そうか。僕の死体も買い手がいたわけだ。家族にお金がいくといいのだけれど』
「それについては個人的にも支援させてもらった。40万ドゥカート程度だが、ご家族に送らせてもらうことにした」
『おお! あなたは聖人のような方だ! 40万ドゥカートもあれば妹も学校に通える! ありがとう! ありがとう!』
男性の霊はむせび泣くように礼を述べた。
「それで、あなたの死体だが、私の弟子の教育材料になってもらうことになる。異論はないだろうか? 教材というのは些か手荒な扱いを受けることになるが」
『構わない。魂の離れた肉体はただの肉塊だ。だからこそ、僕は死体売買の契約を結んだんだ。流石にここまで若くして死ぬとは思わなかったけれども……』
「ご冥福申し上げる。では、あなたの死体は科学と魔術の発展のために使わせてもらう。決して無駄にはしない。約束しよう」
『僕の死体を買ってくれたのがあなたのような志の高い人だったことに感謝します。僕の死体は自由に使ってください。もう、それはあなたたちのものだ』
「ありがとう。では、良い眠りを」
『ええ。では、さようなら』
「『冥府の番人よ。我が願いを聞き届けてくださったことに感謝を。その扉を閉ざされたし』」
エリックはそう唱えて、男性の霊を冥府に送り返した。
「では、始めようか、フィーネ。人体を実際に扱うときだ」
「は、はい」
「まずは外傷治療の実習から始めよう」
そう告げてエリックが解剖道具の乗ったトレイをフィーネの下に差し出す。
「手でも、足でもいいから切り傷を付けてみたまえ。それから治療だ」
「りょ、了解」
了解とは言ったもののフィーネのメスを握る手は震えている。
この目の前の死体が死体であることをフィーネはちゃんと知っている。今はエリックが細胞を再活性化させているだけだと。たとえ、メスを入れたとしても苦痛に悲鳴を上げるようなことはないのだと。
だとしても、人間を切り刻むという行為には忌避感を感じる。
切ってしまえば、血すら出ないだろう。だが、目の前の人の形をした死体を切り刻むということは痛みを連想させ、フィーネを戸惑わせていた。
「フィーネ。落ち着くんだ。息を大きく吸って、吐いて」
エリックに言われたとおりにフィーネは深呼吸する。
「目の前のものは死体だ。死体は痛みを感じない。そして、切られるのは死体であって、君ではない。そのことをよく考えて、もう一度深呼吸を」
フィーネは一生懸命目の前の死体と自分を切り離し、深呼吸する。
「よし。行きます」
フィーネは男性の前腕にメスを入れた。思ったように血は流れなかった。
「では、次はそれを治療してみよう」
「死体と生きた人でもやることは同じなんですか?」
「そうだね。今、この男性の死体は生命活動を行っているといって過言ではない。自然なホメオスタシスの維持がなされていないだけで、外部からの魔力によって細胞単位で生きている。それは生きている人間と一緒だ。つまり、今この死体はほぼ魂の抜けただけの人体ということになる。生きた人間を相手にするのと変わりはない」
「なるほど……。では、試してみます」
フィーネは傷口に魔力を注ぎ込む。
細胞分裂が促され、傷口がみるみるうちに塞がれていく。
「できました!」
「上出来だ。初心者でここまで上手くやれる人間はいない」
エリックのは励ましの言葉だったのか、本心からだったのか分からなかったが、フィーネはひとつ成し遂げたという気分になった。
「では次は部位の欠損を治療してみよう。そこにある道具を使って死体の腕を切断してみたまえ。それから治療を行うのだ」
「う、腕の切断ですか?」
「ああ。いや、君のような女性にやらせるのは配慮が足りなかったな。私がやろう」
エリックはメスとノコギリを手にすると、男性の腕を瞬く間に切断した。
「さあ、治療してみたまえ」
「りょ、了解です」
腕は肘の間接のちょっと手前の部分で切断されている。
グロテスクな断面をなるべき見ないようにしながらフィーネはエリックに教えられたとおりに魔力を流し、細胞の増殖を促しつつ、さらには分化が自然に進むように配慮する。手はぐぐぐっと伸びていき、やがて手首を構成し、そこから手が形成される。
失われた手は元通りになり、見事にフィーネは死体を治療した。
「ふう。なんとか上手くいきました」
「君は才能があるね。普通は一度の挑戦でなせることではない」
「そうなんですか?」
「ああ。私も最初は失敗したものだ。君にも一度ぐらいは失敗してもらって、その失敗からいろいろと学んでほしかったのだが。成果は文句なしだな」
「失敗した方がよかったですか?」
「大丈夫だ。君は失敗せずにやれた。日頃の学習の成果だ」
エリックは素直にフィーネを褒めた。
フィーネはだめだめな自分でもやれることがあるのだと思って安堵した。
「だが、勘違いしてはならない。死体での治療に成功したからと言って実戦で治療に成功するとは限らない。生きた人間は死体と違って血を流す。おびただしい血をながすこともあるだろう。それでも冷静に治療を行えるかは、場数を踏むしかない。死体を切り刻んでいるだけでは実戦での技術は上昇しない」
「そうですね。あくまで死体は死体です」
死体は血を流さない。死体は苦痛に悲鳴を上げない。死体は暴れない。
だが、生きた人間は違う。生きた人間はパニックに陥るほどの血を流し、苦痛に対して悲鳴を上げ、苦痛から逃れようと暴れる。
そのような人間を治療できてこそ、一人前の死霊術師だ。
そればかりは実地で経験を積むしかない。いくら死体を切り刻もうと、書物の山を読み漁ろうと、現実として目の前に現れた混乱を前に冷静に行動できるかは、実地での経験の積み重ねである。
「それでは治療の方はマスターしているようだし、人体の構造について生で知ることにしよう。君は解剖学の本を熟読しており、そのような必要性はないかのように思われるが、本に書かれている知識と現実は多少なりと異なる」
「つまり、この人のおなかを裂いて……」
「胸も裂く。それから頭部も。せっかくの死体だ。知り尽くせることはなんであろうと知っておくべきだ。準備はできているかね?」
「だ、大丈夫です。なんとかやれます」
フィーネは恐る恐るメスを手に取って男性の体の解剖を進めた。
細胞単位での死者の蘇生には成功した細胞単位でならばある程度理解している。だが、細胞が集まり、組織を構築し、その組織が器官を構築することについて、フィーネはまだまだ知識が足りていない。
人体のどの部位が急所であるか。そして、どの部位の破損がどの部位に影響するか。それを学ぶためにもフィーネは死体を解剖する。
適時、エリックの指示を受けながら解剖は続き、瞬く間に6時間が経過していた。
「これで解剖については問題ない。死体の傷は私が塞いでおこう。君は少し休むといい。慣れないことをして疲れただろう?」
「ええ。疲れました……」
死体がいくら文句を言わない被験者だったとしても、それをバラバラにして切り刻むというのは苦痛が伴う。世の多くの医学生と死霊術師見習いが避けては通れない道であったとしても、この授業を受ける生徒は疲労感を覚えるものである。
「おや。解剖の授業は終わりましたか?」
「ひとまずは……」
「それではお茶にでもしてください。解剖の授業は疲れますからね」
メアリーは地下からフィーネが上がってくるのを見るとダイニングに向かった。
「甘いものが食べたいです」
「アップルパイがありますよ。しかし、解剖後も食欲のある人は珍しいですね」
「気持ち悪さとかそういうのはないんです。せっかく魔術のために捧げてくださった体だからそういう風に思っちゃいけないと思って。けど、どうしても死体を自分と重ね合わせちゃって……。おなかを切る時とか、自分のおなかを切るみたいで辛かったです」
「ふうむ。アルファ君がいうには西方の部族には謝罪の印に自分の腹を切るというものたちがいると聞きましたが」
「私はそういう謝り方はごめんですね……」
自分で自分の腹を裂くとかぞっとさせられる。他人の死体の腹を裂いただけでもぞっとしたというのに。
「まあ、甘いものと温かいお茶でも飲んで気分転換してください」
そう告げてメアリーはフィーネにアイスクリームが乗ったアップルパイと紅茶を差し出した。アップルパイからも、紅茶からも香ばしい香りがしてくる。地下室の死体に纏わせてあった保存液の薬品臭とはことなる、食欲をそそる香りだ。
「わあ! いただきます!」
フィーネはちゃんと次亜塩素酸ナトリウムで手洗いは済ませてあるので、フォークを握り、アップルパイとアイスクリームを切り取って、アップルパイの上に乗せて口に運ぶ。すると、先ほどの解剖の苦難も吹き飛ぶほどの甘さが口の中に広がった。
アイスクリームはきめ細やかで、しっとりとしており、口の温度でゆっくりとバニラの風味を放ちながら溶ける。アップルパイの生地はサクサクで、中に詰め込まれたリンゴはアイスクリームに負けないほどの甘味でバニラの甘味とリンゴの甘味が同時に口の中に広がっている。
「美味しいです! 最近は気温も上がってきましたし、アイスクリームの季節ですね!」
「ええ。マスターもアイスクリームが大好物でアイスクリームにはうるさいので、私が毎年手作りしていますよ」
気温はぽかぽかした春を越えて夏に入ろうとしている。
いくらお洒落アイテムだからと言って、タイツを履くのもそろそろ終わりだろう。これからはもっと活動できなスパッツを履く季節だ。スパッツも地味にお洒落アイテムに認定されている代物で、丈の長さなどでお洒落度を試されている。
フィーネはスカートの下にちょっと丈の短いスパッツを履く派だ。スカート丈はより短く、スパッツがちょっとしたしぐさの際に見えるぐらいのものを好んでいる。フィーネが好んでいるというというよりも王立リリス女学院でそういう流行りがあったという話ではあるのだが。
「おや。お茶の時間かな?」
「お先にいただいています!」
エリックも手を消毒して安置室から上がってくるのに、フィーネがそう告げた。
「アイスクリームとアップルパイか。いいね。私の大好物だ」
「マスターのお好みに合わせて作ってありますからたっぷり食べてください」
そう告げてメアリーが温かな紅茶とともにアップルパイのアイスクリーム添えを運んできてエリックの前に置いた。
「ありがとう、メアリー」
「まずは食べてみてください。7年間でそれなりに技術は上達したと思いますよ」
メアリーはそう告げて期待に満ちた目でエリックを見つめた。
エリックはアイスクリームを切り取り、アップルパイを切り取り、ふたつを同時に口に運ぶ。そして、ゆっくりと試すように味わった。
「美味い。おいしいよ、メアリー。流石だ」
「それはなによりです」
メアリーはそう告げると満足そうにキッチンに向かった。
「エリックさん。ところで、あの方の死体はどうするんですか?」
「もう何度か治療の実技に使って、それからは集落の墓地に埋葬する。遺族からは特に死体を返却してほしいなどの要望はなかったそうだからね。死体が魂の宿らぬただの肉の塊であったとしても、その尊厳はある程度尊重されるべきだ」
死体売買は用途によっては遺族に死体が返却されることがある。医学研修の解剖などの場合は、そのケースが多い。遺体は保存液に付けらて低温に保たれて遺族のもとに運ばれるか、あるいは火葬して遺灰が遺族のもとに送られる。
そして、死体の返還を要望しない遺族もいる。遠く離れた異国の地で死に、よく分からない実験の材料になった死んだという死体を受け取りたがらない遺族もいるのだ。
薄情なわけではない。既に彼らは死体売買が成立した時点で死者の魂が冥府に行っていることを知っている。だから、それ以上のことは求めないというわけだ。実際、死体の返還にかかる費用を請求されることもあるので何とも言えない。
「あの人、いい人そうでしたし、安らかに眠れるといいですね」
「ああ。魔術の発展に寄与してくれた重要な人物だ。死後は丁重に弔おう」
フィーネとエリックはそう告げ合ってアイスクリームとアップルパイを食した。
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