死者を動かす
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──死者を動かす
フィーネはあれから人体の構造について深く学んだ。
死霊術師の手による治療の練習もした。
何も自分の腕を切って、それをくっつけてみたとかそういう話ではない。
死体市場だ。
ウルタールの東の端にある臓腑の底から凍えるような冷たさに覆われた地域にその市場はあった。付近の治安は悪く、ウルタール都市軍も防弾チョッキと魔道式小銃のフル武装でパトロールに当たる地域。
死体市場の周りは地価がとても低いため、低所得層や犯罪に手を染めているような人種が多く暮らしている。ここ最近になってウルタール都市軍が死体市場を中心とした地域を正式に貧民街と認め、その周囲に常駐の都市軍兵を配置したことで、地価はますます下がった。このウルタールで土地を買うのは一苦労だが、東は別と言われる。
その死体市場にフィーネはエリックとともに初めて入った。
貧民地区の入り口となる全ての通りにはウルタール都市軍のパトロール兵がいた。防弾チョッキにヘルメット、タクティカルベストにはグレネードと予備の弾薬。そして、その繊維強化のエンチャントが施された手袋で握るのはランカスターMK10魔道式小銃。
また貧民街から外に通じる扉や窓は全てコンクリートで封鎖され、外からは壁が連なっているように見えた。
「ここまでして隔離するんですか?」
「住民はここのことをゲットーと呼んでいる。ゲットーとはかつてアーカムなどの主要都市で異端とされた神託の巫女派やその他の派閥を押し込めておくための封鎖された居住区だった。ここもある意味では似たようなものだ。低所得者層は犯罪に走るという理屈で犯罪者を隔離するという名目をもってして、居住区を封鎖している」
フィーネが少し及び腰気味に尋ねるとエリックはそう告げて返した。
ゲットー。
サンクトゥス教会にとって異端であり、国家にとっても厄介な存在である異端の派閥や異端の信仰を行う少数民族を強制居住させ、隔離したもの。ゲットー内のインフラは劣悪で、多くの病死者を出した。
今ではゲットーはアーカムにも存在しない。ただ、ゲットーという言葉が使われなくなったわけではない。アーカムでも貧民街はウルタールと同じように隔離され、政府はゲットーという名称を使用していないが、民衆からはゲットーと呼ばれる。この死体市場を中心とした貧民街もゲットーと呼ばれている。
「さて、行こうか」
「りょ、了解です」
フィーネにとってはこんな場所に来るのは生まれて初めてだった。
エリックたちがウルタール・ゲットーの傍に近づくのにパトロールの兵士が近寄ってきた。彼らは銃口こそ地面に向けているが、油断ない視線でエリックたちを見ている。
「失礼。身分証を」
「これだ。エリック・ウェスト」
エリックはアカデミーで発行されたIDカードを見せた。
「ああ。エリック・ウェストさん。そちらの女の子は?」
「私の弟子だ。あいにく、彼女は身分証を持っていない」
「お名前は?」
「フィーネ・ファウストだ」
エリックがそうフィーネを紹介する。
「フィーネ・ファウスト? この間の銃撃戦で敵の位置を教えてくれた?」
「ええっと。多分、私のことだと思います」
「おかげで俺の友人は助かったよ。ありがとう!」
そう告げてウルタール都市軍の兵士はフィーネと握手した。
「とまあ、礼を言った後で悪いのですが、規則ですので身体検査を」
「どうぞ」
エリックとフィーネは両手を上げ、ウルタール都市軍の兵士が武器を所持していないかをチェックする。フィーネの身体検査を担当したのは女性の兵士だった。
「ご協力感謝します。では、気を付けて」
「ああ」
パトロール兵はそう告げるとエリックたちを見送った。
「ここって治安とか危ない場所なんですか?」
「確かにそのように見えるかもしれない。だが、貧しいからからと言って犯罪を犯すと決めつけるのは些か強引な論法だと私は思っている。例えば、廃棄地域の農村ではこの貧民街の住民より低所得だが、あそこで犯罪が起きることは滅多にない」
「まあ、確かにのどかな村ですよね」
「だが、都市部ではそうではない。結局は環境なのだろう。貧しいという環境は確かに非合法な仕事に手を染める可能性を生み出す。そして、教育だ。貧しい環境の子供は満足な教育が受けられない。それは将来的に貧困層に位置することを示す他に、学校で教育する倫理や道徳について学ぶ機会を失わせることになる」
エリックはウルタール・ゲットーの中を進みながら告げる。
「それから犯罪組織だ。犯罪組織のトップは非常に裕福である場合が多い。だが、その手足となって働く人間は貧困層の人間が使われる。彼らは無知で、明日食べていくのにも苦労していることを利用されているのだ。人間は衣食住が満たされなければ多少の犯罪には手を染める」
そう告げてエリックはウルタール・ゲットーの中を見渡す。
「以前、ここでボランティアで子供たちに教育を施していた女性がいた。サンクトゥス教会の熱心な信者であると同時に、志の高い教育者だった。彼女は犯罪の原因は貧困ではなく、教育にあるのだと信じていた。実際、彼女がこのウルタール・ゲットーで教育事業を始めてから15年で犯罪率は大きく下がった。子供たちは大人になった時に人として守るべき道徳と倫理を身に着け、そして学んだことを活かして真っ当な職業に就いた」
「凄いじゃないですか! まだその女性は学校を?」
「殺された。犯罪組織によって。将来の構成員を減らされることに危機感を覚えたらしい。彼らにとっては貧困層は無学なまま、治安が悪い方が都合がいいらしい」
「そうだったんですか……」
「だが、その犯罪組織も今では規模が小さくなっている。ウルタール都市軍の徹底した取り締まりと住民の反対運動があって、彼らの影響力は減った。そのきっかけとなったのが、その女性教育者の死だ。彼女のためにも、を合言葉にウルタールは徹底した組織犯罪との戦いを行ってきた。その成果はゆっくりとだが現れてきている」
ウルタールにはかつて違法薬物の密輸を生業をする大きな犯罪組織がいたが、ウルタール・ゲットーで学校を開いていた女性教育者の死をきっかけに、ウルタール都市軍とウルタール市民の反組織犯罪運動が起き、彼らは事業を大きく縮小しなければならなくなった。ウルタールは今でも組織犯罪には厳しい態度で臨んでいる。
「この通りだったな。学校があったのは。ああ、あそこの教会だ。あの教会で子供たちが教育を受けていた。だが、今は彼女のように貧困と戦うために立ち上がろうとするものはいない。残念なことだよ」
エリックはそう説明した。
「さて、そろそろ死体市場だ。ここは安全だと思っていい。ウルタール都市軍が駐留している場所のひとつだからね」
死体市場は臓腑の底から凍えそうなほど寒かった。
死体が腐敗しないように冷凍庫で死体を冷やしているのと、死体を包む氷の温度だろう。フィーネはもう春も終わるというのに寒気を感じた。
そして、恐らくは寒気を感じた原因は気温だけにあるのではないだろう。精巧に作られた蝋人形のように青ざめた死体が並んでるのを見て、フィーネは少しばかり恐怖していた。死体を恐れる死霊術師というのはジョークでしかないが、彼女はまだ見習いだ。死体にも慣れていない。
それに加えて死体市場というのは様々な死体が売られている。
奇形児で出産時に死亡したもの。死体の手足だけ。保存液に浸された脳や眼球。
そういうものが並んでいるのにフィーネは気がどうにかなりそうな気分を感じた。
「……少し、刺激が強かったかな?」
「だ、大丈夫です。これはみんな合法的なものなんですよね?」
「ああ。生前に死体を売却する約束を結び、金を受け取る。そして、死ぬと死体が買い取られていく。基本的に本人の合意がなければ売買は禁止だ。奴隷は例外だが」
「ってことは、殺された奴隷の死体なんかが……」
「そういうものは滅多なことでは出回らない。死体を売りたい人間は大勢いるし、奴隷は殺してしまうよりも生かして働かせた方が稼いでくれる。事故で死んだ奴隷の死体を売りに来るものもいるが、体の損傷が激しいとあまり高い値はつかない」
エリックはそう告げながら死体市場を見渡す。
「ここに来るのは基本的に死霊術や医学の研究者だ。医者は外科手術の練習をするのに死体を買っていく。死霊術師は──つまり、我々は死体に関する様々な知識を手にするために死体を買っていく」
エリックはフィーネにそう説明した。
「そして、死体取引にはライセンスが必要だ。ウルタールで死体を取り扱うならば、ウルタール市議会で発行されたライセンスがなければならない。ライセンスの取得にはかなりの時間と労力を要する。死体の取り扱いについての科学的、魔術的、倫理的手段についての試験を受け、取り扱った死体に関する情報を市議会に提出して毎年ライセンスを更新しなければならない。それだけの努力が必要とされながら、一度でも違反を起こせばライセンスは永久剥奪される。死体を取り扱う人間は慎重になるというものだ」
死体取引法の名の下で、死体業者たちは働く。
死体取扱資格者のライセンスがなければ、死体は取り扱えない。そのライセンスの取得には過去30年間にさかのぼる犯罪歴の調査と、精神科医の診断書、そして死体の適切な取り扱いに関する試験に合格することが求められる。
それでいてライセンスは毎年更新しなければならない。自分たちがどのような死体を取り扱ったかを税務署に提出する所得記録とともに提出し、ウルタール市議会──正確にはウルタール市健康福祉課──が取引に問題がなかったかをチェックし、ライセンスを更新する。
もし、死体取引に合意していない人間の死体を販売したり、殺人などの被害者の死体を売買したり、死体の取り扱いが不適切だった場合などにはライセンスは直ちに永久剥奪される。ライセンスは一度剥奪されたら二度と取得できない。
だから、死体取扱業者は極めて慎重に取引を行う。ここにはウルタール都市軍の目もあるので迂闊なことはできない。
「どのお店で死体を、その買うんですか?」
「なじみの店がある。品質のいい死体を扱っている店だ。そこを紹介しておこう」
そう告げてエリックはどんどん死体市場の中を進んでいく。
死体市場はなるべく綺麗な死体が販売されていたが、中にはグロテスクなものもある。だが、フィーネは我慢した。将来、もし心霊捜査官になるなら、死体には慣れておかなければ。それにここに死体はウルタール都市軍の死体安置室で見た死体よりよっぽど綺麗だ。死体安置室で見た死体には、斬り裂かれた後や弾痕が明確に残っており、ここに並んでいる死体よりもよっぽど暴力的だった。
「本当に大丈夫かね? 死体を調達してくるだけなら私でも可能だったのだが、君にも死体市場のことを知っておいてもらおうと思ったのだが……」
「大丈夫です! これぐらい心霊捜査官になれば慣れなきゃいけないことですし……」
「私はご婦人への思慮が欠けているとよくメアリーに怒られている。私が失礼なことをしているのであれば遠慮なく言ってほしい」
「いいえ。そんな。エリックさんは優しいです。でも、その、手を握ってもらえますか? まだまだこういう光景は慣れていないので……」
「それぐらいならばお安い御用だ」
エリックは手を差し出す。
フィーネはそっとその手を握った。
「エリックさんの手、大きくて、立派ですね」
「普通の成人男性の手だ。驚くものでもない」
「いや。男子禁制の王立リリス女学院にいたのでなんとも」
だが、フィーネはエリックの手を握ったことで何倍の勇気が湧いてくる気がしてきた。この死体だらけの死体市場でも怯えずに過ごせる気がした。
「安心するかね?」
「ええ。とても」
「そうか」
そういえばマリアも病床に臥せっているとき、エリックの手を握ると安心すると言っていた。どういう理屈なのかエリックには理解できなかったが、今では少し理解できるようになっていた。人と人は肌を触れ合うことにより、コミュニケ―ションを行うのだと。
「この店だ。信頼できる人間──ダークエルフがやっている店だ。ライセンスは本物だし、彼女の死体への敬意は死霊術師として尊敬するべきものがある」
「ほうほう。この店は外に死体を出していないんですね」
「死体を見世物にはしない。そういう考えの持ち主なのだ」
エリックはそう告げて『ウィレット死体販売店』と書かれた看板の下にある扉を潜った。フィーネもそれに続いて、店に入っていく。
「ミス・ウェンディ。店は開いているかね」
エリックは店に入るとそう尋ねた。
「そういうものは入る前に聞くべきなんじゃないかね?」
ウェンディと呼ばれた女性はダークエルフだった。
ダークエルフでもそれなりの老齢なのだろう。50代ほどの見た目をしている。
「君の店はいつ開いているか分からないものでね。それに君も最近は耳が遠くなっているだろう?」
「はん。確かに1000年も生きてきたあんたには負けるが、私も歳だね。ここ最近は視界もぼやつくし、腰は痛めるし、碌なことがないよ」
「よかったら診察しようか?」
「遠慮しておく。死体を弄繰り回した手で治療されるってのはね」
「衛生的な問題は過去ほどではない」
「今は死霊術師も清潔に、か。まさか狂人と言われていたセンメルヴェイスの理論が正しかったとは。まあ、あたしたち死体取扱業者は死体がどれほど汚れているかを知っていたがね。死体を扱った手で、粘膜に触れればそれは病気にもなるさ」
ウェンディは黒髪に白髪が混じったごま塩の髪を後ろに流し、目には最近流行りのリムレスの眼鏡をかけ、エプロンをつけた動きやすい作業着姿で、手には葬儀人が嵌めるような白手袋をしていた。
「それで後ろのお嬢ちゃんは?」
「私の弟子だ。彼女のために死体を買いに来た」
「ほう。大先生エリックが弟子をね。お眼鏡にかなったのかね?」
ウェンディはそう告げてフィーネの方を眼鏡越しに見る。
「よ、よろしくお願いします!」
「まあ、元気は良さそうだ。さて、どのような死体をお望みかね?」
フィーネが元気よく告げるのに、ウェンディがくすくすと笑った。
「死刑囚の死体はあるだろうか? 絞首刑にされたものが望ましい」
「解剖の練習かね?」
「解剖もそうだが、彼女には死体から学ぶべきことがいろいろとある。なるべく死因がはっきりしていて、病気のような組織に変化が生じているものでないことが望ましい。君ならばそういう死体を扱っていると踏んできたのだが」
「世の中の医者や死霊術師は病気の死体を欲しがるんだがね。治療方法の開発のためにという名目で。だが、あたしの店はいろいろと扱っているよ。あんたの望むような死体ももちろんある。詳しくは地下に来て選んでおくれ」
「ありがとう。フィーネ、行こう」
「あ。はい!」
フィーネは店の中を見渡していた。
店の中にも死体はなかったのだ。ただ、人体の構造を描いた図が貼りだされており、その他は『腸チフスで死亡』とか『馬車に轢かれ、出血多量で死亡』とかいう文字が、まるで居酒屋のメニュー表のようにぶら下げられていた。
そこでエリックとウェンディが地下に降り始めたため、慌てて後を追う。
「うわあ」
死体は地下にあった。
地下の倉庫に冷凍保存された死体がみっしりと並んでいた。
「死刑囚ならこれだね。家族を皆殺しにして、絞首刑になった男だ。教会の白魔術師が霊を冥府に送っている。だが、降霊するとしたらちょっと面倒なことになるかもな」
「ふむ。他には?」
「死因がはっきりしているとすれば、この男だ。通り魔に腹を刺されて死んだ。肝臓と動脈を切断されて、あっという間に死んだ。自分が殺されたということにすら気づかず、冥府に行ったようだよ」
「どのような経歴の人物だ?」
「地方から出てきた貧しい人間さ。交易商のところで下働きしていた。死体売買の契約を交わしていたのは、自分が死んでも故郷の仕送りを待っている家族が苦労しないようにってことだったらしい」
「ふむ。では、これにしよう。傷口は?」
「ウルタール都市軍の嘱託の監察医が綺麗に縫い合わせたよ。綺麗なものさ」
「結構。いくらかな?」
「50万ドゥカート」
「90万ドゥカートだそう。40万ドゥカートは彼の家族に」
「相変わらずだね」
「医学と死霊術の発展に貢献している人物は報われるべきだ」
契約を取り交わすとエリックがフィーネを手招きして呼んだ。
「フィーネ。レッスンだ。彼の全ての細胞を活性化させてみたまえ」
「す、全ての細胞をですか?」
「そうだ。これからこの死体は冷蔵庫から出される。全ての細胞のホメオスタシス──恒常性を維持してやらなければ、腐敗して、崩れ落ちるだろう。この死体を家まで運ぶのが、今回のレッスンだ」
「りょ、了解です」
細胞を活性化させる。
方法は習った。人間でやるのは初めてだが、動物では試した。死んだネズミの死体の細胞を再活性化させ、自分の意のままに動かした。
人間が相手でも条件は変わらないはず。いける。
フィーネは魔力を集中して操り、男性の死体に流した。
死体の皮膚が僅かに蠢き、やがてゆっくりと死体が立ち上がる。
「で、できてますか?」
「ああ。完璧だ。このまま馬車のあるところまで歩かせていってみたまえ」
「了解です」
フィーネは死体を慎重に操り、ゆっくりと進めさせる。
「へえ。歳の割にはやるじゃないか。エリックの教え方がよかったのかね」
「彼女の努力の結果だ。彼女はここ最近ずっと勉強を重ねていた」
ここ最近のフィーネは勉強に次ぐ勉強だった。
細胞がどのようにして自己を保っているかを知り、細胞を維持するには何が必要なのかを勉強した。半分は座学で半分は実技だった。
実際に死んだネズミの細胞を活性化させることとネズミの神経細胞に電気を流し、ネズミを意のままに操るすべを学んだ。解剖学の本は何度も、何度も読み返したし、エリックから与えられた本は穴が開きそうなほどに読み込んだ。
だから、今死体を動かしていられる。
正直なところ、心霊捜査官になるなら死体を操るという技術は不要だ。心霊捜査官が死体を動かさなければならない状況などない。
組織犯罪に巻き込まれ、犯罪組織との銃撃戦で多数の死傷者が出た場合にはもしかすると必要となるかもしれない。だが、そういう場合はどのような法執行機関にせよ万全の態勢で当たるので、そこまで追い詰められることはまずない。
証拠である死体を勝手に細胞を再活性化させ、動かすのはむしろ捜査妨害だ。
それでもエリックはフィーネにこの技術を身に付けさせようとした。
何故か?
死霊術師であるならば習得しておくべき技術を、フィーネにも習得しておいてもらいたかったからだ。エリックはフィーネが心霊捜査官の道を選ぼうと、学者としての道を選ぼうとどちらでもやっていけるように育成している。それならば死霊術師として知っておくべき人間の体について把握しておくべきだし、それを操れるほどの知識も得ておくべきだ。死霊術師の実験にはこの手の技術が必要とされる場合がある。
特に細胞単位での組織培養などの研究では死霊術師の技術が生かされる。ある器官の、ある組織の働きを調べるのに、細胞を培養しなければいけない場合、死霊術はとても有効的な手段となりえるのだ。
そういう意図があってこその今回のレッスンだった。
今のところ、フィーネはいい具合に死体の細胞を再活性化させ、操っている。長年死体を扱ってきたウェンディも納得するほどの出来栄えだ。
死体が階段を上るのをフィーネは慎重に操作する。重心が崩れれば、死体は真っ逆さまだ。そうならないように慎重に死体を操る。
死体を操るという技術はどの分野でも必要とされるものではない。ただ、人体の神経発火を制御し、肉体についてより知識を得るための手段でしかない。その知識は役に立てど、その技術はさほど役に立たない。
彼女が傭兵か冒険者にでもならない限りは。
傭兵や冒険者ならば死体を操れることは大きなメリットだ。
戦友の死体を冒涜することは嫌われるかもしれないが、一時的な戦力にはなる。死した戦友たちが立ち上がり、武器を持って応戦する様子は冒涜ではありながら、心強いものがある。特に戦死者が出るほどの窮地に立たされている場合には。
「で、あんたの弟子にウルタール・ゲットーの外まであれを動かしていかせるのかい? ちょっとばかり無茶が過ぎると思うのだけどね」
「流石にそこまでは求めていない。だが、彼女には授業で学んだことを実戦で活かしてもらい、実地的に死霊術に触れてもらいたいと考えている。彼女の未来のためにも」
「スパルタだねえ。まあ、本ばっかり読んでいても知識は身につかないとはいうけれども。あんたがそこまで実地主義者だったとは知らなかったよ」
「彼女のための教育だ。私の弟子はほとんどが目的を持っていた。だが、彼女はまだ目標が定まっていない。だから、私は彼女のがどのような道を選ぼうとも通じる技術と知識を与えるつもりだ」
「そうかい。まあ、今後とも御贔屓に」
「ああ。死体を買うなら君の店にするよ」
エリックはそう告げてフィーネの後を進んだ。
フィーネは死体のコントロールに精一杯で目がぐるぐるになっていたので、馬車まではエリックが輸送することになった。
ウルタール・ゲットーから出る時もウルタール都市軍のパトロール兵の身体検査を受けた。もちろん、死体もだ。死体を利用して密輸をしようとする人間もいるので、麻薬探知犬が使用された。
それからフィーネたちは馬車に死体とともに乗って、ウルタールを出たのであった。
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