死者の加護
本日5回目の更新です。
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──死者の加護
遺品に込められたフィーネの魔力が冥府の魂を眠りから覚まし、現世へと召喚する。魔法陣がテーブルの上に広がり、そこからゆっくりと半透明の老女が姿を見せた。恐らくはこの人物が遺品の持ち主であるはずだ。
「母ちゃん!」
『この馬鹿垂れどもが! 何をヘマしたんだい! 死霊術師さんまで呼んで、あたいを冥府から呼び出しおってからに!』
呼び出された人物は確かに目的の人物であったようだ。
何かしらのフォローが必要になるかと思っていたエリックはフィーネが完璧に降霊術を成功させたことで彼女の評価を僅かに上げた。
「さあ、皆さん。あなた方のお母様においでいただきました。用件を済ませましょう」
「あ、ああ。母ちゃん。弟たちがこの馬小屋を売ろうっていうんだ。俺は反対なんだが、母ちゃんはどう思ってたんだ? 母ちゃんは自分が死んだ後のことを何も準備してなかったから、財産の分与でももめてるし、ここははっきりと頼むよ」
『そんなことかい』
呼び出された老女はため息をついた。
『あたいは仕事を頑張っていた長男のお前にこの馬小屋の権利を譲るよ。売るなんてことはダメだ。ここを売った金でアーカム辺りで商売をしようってつもりだろうが、アーカムはそんな甘い場所じゃないよ! お前たちのようなどんくさいのはすぐにカモにされちまって、3日と経たず借金持ちになる!』
「そんな! で、でも、母ちゃん、ここで馬小屋をやるよりチャンスはあるよ!」
老女が断じたが、弟たちが反論を始めた。
『なあにがチャンスだい、この間抜け! 具体的に何をするのか言ってみ!』
「ここの食事は好評だろう。アーカムで売ればもっと儲かる。そうじゃないか?」
『馬鹿かい! これまで碌に仕事を手伝わなかったくせに店の評判だけ借りようとして! いいかい。アーカムにはもっと上等な店が山ほどあるんだ。ここは立ち寄って飯を食べるにはいいと思われているだけであって、アーカムで通じるような料理じゃないよ!』
「ひいっ! 分かった、分かったよ! ここは兄さんのものにするよ!」
『分かったならよろしい』
老女はフンッと鼻を鳴らした。
『他にも何かあるのかい』
「もう大丈夫だ。母ちゃん、俺はこの馬小屋を孫の代まで続けさせるよ」
『この馬鹿垂れ! 子供には教育を受けさせて、立派な学校にいれておやり!』
「で、でも、母ちゃんはこの馬小屋が続く方が嬉しいんだろう?」
『違うさね。あたいはお前たちが幸せになるのが望みなんだ。あたいはお前たちにまともに教育を受けさせてやれなかったから、この馬小屋を継がせるが、あんたらはあたいみたいな親になっちゃいけない。しっかりと教育を受けさせて、それこそアーカムで商売できるような秀才に育てるんだよ』
「母ちゃん……」
長男は目に涙を浮かべていた。弟たちもだ。
『さあ、あたいを冥府に戻しておくれ。用は済んだだろう』
「ま、待ってくれ、母ちゃん! いかないでくれ! 俺はようやく立派に馬小屋を切り盛りできるようになったんだ! 孫も生まれた! 母ちゃん、ここに残ってくれ!」
『わがままを言って死霊術師さんを困らせるんじゃないよ!』
老女がぴしゃりとそういった時だった。
「残ることはできますよ」
エリックがそう告げた。
『ん。お前さんは相当偉い学者さんだね。どうやったらあたいがここに残れるんだい? 死者の魂ってのは現世に残ると段々と自我を失って、凶暴になるんだろう?』
「そうです。よくお分かりだ。だが、守護霊として宿すならばその危険はない」
『守護霊かい?』
守護霊。
文字通り、その人物の身の安全から財産運までを守る霊だ。現世を徘徊する霊は危険な存在になりがちだが、守護霊としてひとりの人間によりそっている霊は自己を維持することができる。人間としての情緒を守護対象を通じて失わすにいるからだという学説が有力なものである。
「あなたはこの方が亡くなるまで傍に寄り添い、子孫の繁栄を見届けられる。もっとも、あなたがそれを望むのならば、ですが。望まずに守護霊になっても、逆効果をもたらすだけになる。あなたの意志を問いましょう」
「母ちゃん、頼むよ」
長男は涙ながらにそう告げた。
『そうさね。孫が立派に育つか気になる。お前についていてやるよ』
「母ちゃん!」
承諾は得た。
「では、守護霊としてこの方にリンクさせます。よろしいですね」
『やっとくれ、学者さん』
「では」
エリックが頷くと、老女の霊がふわりと長男の背後に回った。
「こ、これで終わり? 詠唱とかは?」
「肉親であれば特に必要はありません。あなたのお母様の子供を思われる気持ちは本物だ。きっとこれからあなたの力になってくださるでしょう」
「おお! ありがとうございます!」
長男はエリックに頭を下げる。
「お礼は彼女に。彼女がこの場にお母様を降霊したのですから」
「え。いえ、私は特に難しいことは……」
エリックに言われてフィーネが戸惑う。
「ありがとうございます、死霊術師さんたち。これで安心して暮らせますあ。お礼は少ないですがこれぐらいでいいでしょうか?」
「お礼は気持ちだけで結構です。今回はこの子のレッスンを兼ねていましたから」
そう告げてエリックがフィーネに促す。
「こほん。『冥府の番人よ。我が願いを聞き届けてくださったことに感謝を。その扉を閉ざされたし』」
魔法陣は消え、半透明の老女だけが残った。
その半透明の老女もエリックたちと長男たちが手を離すと弟たちからは見えなくなった。弟たちは何が起きたのかと辺りを見渡す。
「母ちゃんはここにいるぞ。見えないのか?」
「他の方には見えませんよ。死霊術師でない限りは。リンクを繋いだのはあなただけ。どうか霊への感謝の気持ちを忘れずに、これから暮らしていってください」
「はい。本当にお礼はいいので?」
「そうですね。では、この子が立派な死霊術師になってアーカムに凱旋するとき、この馬小屋に寄ったらオムライスを奢ってあげてください」
「分かりました。約束しましょう」
そう告げ合って、エリックたちは解散した。
「守護霊ってあんなに簡単に付けられるものなのですか?」
「座学で教わらなかったかね。血縁者で守護霊を組む時は契約などはいらない。よほど、親子や兄弟などの仲が悪ければ話は別だが」
「あ。そうでした。人間の魂の本能である“血による加護の法則”でしたね」
“血による加護の法則”とは人間の魂はその本能として自分の血縁者を守ろうとするというものだ。現世を彷徨い、恨みを抱き、怨霊となった霊でも、自分の血縁者は自然と攻撃しない。もっとも、その恨みが血縁者の方向を向いていなければ、の話だが。
「霊は正直だ。嘘をつかない。あの老女の言っていた言葉は全て事実だろう。親が子を思う気持ちは時代がいくら変わっても変わらないものだ」
「そうですね。あったかいです」
「あったかい、か」
エリックはフィーネの魂の色を見た。
未だに輝く真っ赤な色。藍色に変化する様子はない。
「君の感想は面白いな」
「そうですか?」
冥府とは冷たく、そこに眠る霊たちも冷たい。実際に実体としての霊は低温であることが確認されている。
だが、フィーネはそこに温かさを見出した。
「守護霊は死霊術師の最後の武器でもある。君にもいつかちゃんとした守護霊をつけてやらなければならないな」
「エリックさんは守護霊はいるのですか?」
「もちろんだ。彼なら自由に空を飛び回っている」
そう告げてエリックは上空を見上げた。
青々した空に半透明の何かが映り、また姿を消した。
「へえ。今度紹介してくれませんか?」
「彼は相当うるさい。紹介はいつか静かな場所で」
エリックはそう告げると出発間際だった馬車に乗り込んだ。
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「学問都市ミスカトニックって本屋さんありますか?」
「本屋?」
ミスカトニックまで残り半日となったとき、フィーネがエリックにそう尋ねた。
「そうなんです。学校の教科書は退学する時に全部返却させられちゃって。この前の降霊術のときもちゃんとした詠唱を思い出せなかったし、もう一度勉強しなおしておきたいと思うんです。どうでしょうか?」
「では、暫くの間ミスカトニックに留まるとしよう。あそこには本屋よりももっといいものがある。君は知らないのかね?」
「初めていくところでして……」
フィーネが恥ずかしそうに耳の裏を掻いた。
「そうか。ミスカトニックには世界最大の図書館、アレクサンドリア大図書館がある。勉強をするならば、あそこはうってつけの場所だ。静かな環境で、思索に耽ることができる。私の研究室にもそれなりの本はおいてあるが、大図書館には遠く及ばない」
「大図書館! 噂には聞いたことがあります!」
アレクサンドリア大図書館の噂を誰もが一度は耳にするだろう。
世界中のありとあらゆる書物が収められた大図書館。あそこにいけば、どんな本だろうと読むことができる。大図書館は庶民にも開放されており、ここでひとつ勉学を学び、より豊かな生活を志す者がいる。
「アレクサンドリア大図書館ってどれぐらい大きいんですか?」
「それはついてのお楽しみとしておいた方がいいだろう。あれは圧巻だ」
フィーネはワクワクしている。
「ミスカトニックはいい街だ。街の中に水路が流れ、水運も盛んだ。新鮮な作物や畜産物が運ばれてくるし、各地の珍しい品が集まる。本以外にも、珍しい魔術具などが店頭に並ぶ。そして、街のそのものは商業地区から離れれば静かだ。アレクサンドリア大図書館に集まる学者たちが多いためだろう。宿も住宅街も静かな場所にある。思索にふけるにはもってこいの場所だ」
「流石は学問都市ですね」
「ああ。それからミスカトニック大学にも足を運ぶといいかもしれない。公開講義をやっている講座もある。死霊術以外にも生物学や心理学の最新の考察を聞けば、おのずと学習意欲が湧いてくる。自分の研究に行き詰まりを感じたときなどは、よくミスカトニックまで出かけたものだ。あそこは本当に学者にとって素晴らしい街だ」
「お洒落なお店とかもあったりします?」
「輸入雑貨の店などは異国情緒あふれる品が並んでいて雰囲気があるね。それからアーカム同様に多国籍な街であるから、料理なども様々だ。だが、君はそういう物に夢中になる前に大図書館で死霊術の基礎を学ばなければならないよ」
「そうでした……。すっかり観光気分に……」
フィーネががっくりと肩を落とす。
こうも表情がころころと変わるというのは、やはりその魂が光り輝く赤のためなのだろうか。エリックはそう感じる。
“紅の剣”のメンバーたちも輝かしい赤い魂の持ち主だった。リーダであるヴァレリーは仲間たちをどんな苦しい場面でも奮い立たせる力を持っていたし、アビゲイルは頼もしい前衛職で苦境であればあるほど笑顔で応じた。クライドはお喋り好きで喋りながらでも難しいトラップを解除してしまい、リタは少し無口ではあったものの仲間たちとの交流を嫌っておらず聞き上手だった。
その中でひとりだけ濃藍色の魂を持ったエリックは観察者だった。エリック自身は冒険者という稼業を生涯続けるつもりはなく、ただ冒険者たちが強いストレス下や何かを達成した瞬間に生じる心理的影響について調査していた。
そんなエリックをヴァージルたちは仲間だと受け入れてくれた。彼らにとってはエリックも同じような仲間だったのである。
エリックはそんな彼らに罪悪感を覚えながらも、自分にできることは成し遂げた。
それもサンクトゥス教会の影響で終わりになってしまったが。
「ミスカトニックは大丈夫だろう。ミスカトニックにまで教会の手が及ぶはずがない。ミスカトニックは独立都市だ。だが……」
だが、同じアーカムは教会の圧力に屈した。
ミスカトニックは大丈夫だという保証はどこにもなくなったのだ。
「何はともあれ、ミスカトニックに向かう、我が友に近況を知らせておこう」
エリックはそう呟き、馬車の揺れに体を任せた。
ミスカトニックまで残り数時間。到着時刻は夕方になる予定だ。
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本日の前半戦はこれでお終いです。後半戦にもお付き合いいただければ幸いです。
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