恋愛学なる学問はない
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──恋愛学なる学問はない
夕方、夕食が始まるギリギリの時間にフィーネとエリザベートは帰ってきた。
「遅くなりました!」
「帰ったぞ」
ふたりともどっさりと両手に荷物を抱えている。
「夕食はまだかね?」
「まだです! もうちょっと早く帰るつもりだったんですけど、ついつい……」
「ウルタールは魅力の多い街だから仕方がない」
エリックはふとフィーネの顔をよく見た。
マリアには似ていない。マリアはもう少し細かった。肺病のせいだっただろう。頬の肉もあまりなく、全体的に痩せぎすであった。そして、彼女は服装などに拘らなかった。いつも白衣を身に着けており、それだけあれば下に着ているものは裸でない限りどうでもいいという無頓着な人間だった。
その点フィーネは違う。健康的な肉体が健全に発育しており、病的な要素は欠片として見受けられない。健康を体で表している。そして、何かとお洒落好きだ。ぶかぶかのジャケットをエリックも感心するぐらい丁寧に着こなし、その健康的な肉体を包む衣服は選びに選んで購入したものだ。
どうして自分がフィーネにマリアの面影を感じたのかは分からない。
だが、やはりあの最初に出会ったときのフィーネとマリアは似ている。ウィルマース・ホールで泣きながら発表を行っていたマリア。衛兵の詰め所傍で、将来に絶望して泣いていたフィーネ。彼女たちをエリックが最初に見たときは泣いていた姿だった。
同情した感情が蘇ったのか?
エリックはそう思って自分で否定した。
自分はそこまで共感性のある人間ではないだろう。濃藍の魂は非社交的で、非感情的であることを意味する。魂の色が証明しているのだ。エリックは同情で行動する人間ではないのだということを。
だが、そうでないとしたら何故?
先駆者としての義務を今さら思い出したのか。確かにエリックは先駆者の義務を意識している。後進が育つことこそが、学問のより高度な発展を意味するからだ。健全に後進の育たない環境はいずれ行き詰まる。新しい発想は出ず、新しい研究は行われず、何も生み出すことのないまま注目されなくなり、やがて朽ち果てる。
かつて竜を扱った動物学があった。竜がどこから生まれ、どうやって今の形を手にしたのかを探る学問だった。だが、竜と交わることのできる人間は限られ、研究者たちは自分こそが竜の謎を解き明かすのだとしてその権利を後進に譲ることなく研究を進めたため、その学問はエリックが前に述べたようになった。朽ち果てたのだ。
竜の生態は永遠の謎となり、それでもかまわないという風潮になってしまった。
そうならないためにもエリックは後進を大事にする。以前に比べてアカデミーに顔を出すことは少なくなったが、有望な研究があれば自分の持っている知識を与えた。マリアのように若い研究者だろうと、中堅の研究者であろうと、新しい発想を持って死霊術に取り組んでくれる人間には喜んで協力した。そして、見返りは求めなかった。
フィーネもある意味では後進だ。恐らく、純潔の聖女派がサンクトゥス教会で権力を握っている限り、最後の世代となる死霊術師である。そうであるがために、彼女には立派な死霊術師になってもらわなければならない。
恐らく自分はそう考えたのだろうとエリックは思った。
だが、フィーネを見ているとマリアを思い出す。似ている部分などほとんどないのに。どうしてか彼女を思い出す。
夭折の天才であったマリア。不老不死への道を拒絶したマリア。エリックがともに死霊術における謎を解き明かしたマリア。今も呼び出せば応えてくれるマリア。
「夕食にいたしますので、皆さんダイニングへ」
「はーい!」
フィーネは元気な子だ。マリアとは違う。だが、エリックはその姿にマリアの面影を重ねてしまう。マリアがああも元気にしていたことなどないというのに。
「何を考えているか当ててやろうか」
不意に背後からエリザベートが声をかけてきた。
「ふうむ。分かるかね?」
「弟子について考えていたな? どうして自分はあの小娘を弟子にしたのだろうかと」
「当たりだ。君には負けるな」
「長い付き合いだ。顔に出ていることを読み解くことぐらい容易だ」
エリザベートはそう告げて不敵に笑った。
「理由は分かったか?」
「分からない。だが、先駆者としてすべきことはしている」
エリックはいろいろと考えたものの結論はでなかった。
「だが、あの小娘が君の弟子になった理由は分かるぞ」
「ほう。それは興味深い。聞かせてもらえるかな?」
「あの小娘は君に惚れてる」
エリザベートはずばりそう告げた。
「私に? 何かの冗談かね?」
「これだから君は。鈍感にもほどがある。今日見た調子だとあれは散々君にアプローチしたはずだぞ。それを全てスルーしたのか? 君は時々、人とは思えないほど残酷なことをするものだな」
「そうは言われても彼女が私に抱いている好感は恋人のそれとは違うだろう?」
「違わんよ。あれは男としての君に惚れている。君が紳士らしく接してやったことで、憧れが、恋心に変わったのだろう。君も覚悟しておくことだな。とうとう結婚という名の棺桶に入る日が来たのかもしれないぞ」
「冗談はやめてくれ。フィーネはそこまで単純な女性じゃない」
「あの小娘との付き合いはまだまだ短いだろう? 断言できるのか?」
「それは……」
「無下にはしてやるな。だが、その気がないならはっきり伝えろ。生殺しはメアリーひとりで十分だ。これ以上、君の毒牙にかかった女を見るのは我も良心が痛む」
「全く、君は楽しんでいるな」
「それはそうだ。世界最高の死霊術師と学校を途中で追い出された出来損ないの死霊術師の恋愛だぞ。それだけで本一冊書けそうなぐらいの題材だ。興味を持つなと言う方が無理な話と言ったものだ」
エリザベートはそうつげてからからと笑った。
「……君はマリアのことを覚えているか?」
「ああ。あの天才だな。君も夢中になっていた。それがどうした?」
「私にはマリアとフィーネが重なって見えるのだ」
エリックは率直にそう告げた。
「マリアとあれがか? 我にはさっぱり分からんぞ」
「ああ。私にも分からない。だが、面影を重ねてしまうのだ」
そこでエリザベートが考え込む。
「まさかとは思うが、君はマリアに惚れていたのか?」
「彼女にかね? そんなことは……」
「絶対にないと断言できるか?」
「……できない」
エリックはしばしの沈黙の末にそう告げた。
マリアは良きパートナーであった。エリックの研究に新しい視点を与えてくれた。だが、それ以上にマリアは魅力的な女性であった。たとえ、不健康な体の持ち主であったとしても、性格は歪んでおらず、人好きのする性格をしていた。
頼りにしたこともある。グランドマスターのエリックも全知全能の神ではない。分からなくなることがある。そういうときはマリアに相談した。マリアは全く新しい観点から助言をしてくれた。
そして、エリックは彼女の笑みをよく覚えている。肺病を患っていたマリアは滅多に笑うことはなかったが、笑う時は朗らかに、優し気に笑ってくれた。
フィーネのように朗らかに。
「恐らく君が恋愛に及び腰になったのはマリアの件がトラウマになったからだろう。あれが不老不死の道を選択していれば、あれは助かったのだ。だが、あれは人間として死ぬことを選択した。そのことが理解できなかったと君は言っていた。自分を置いて逝ってしまったことが理解できなかったのではないか?」
「そうなのかもしれない。彼女はどうして死ぬことを選んだのだろうか」
「不老不死とは冷たい道だ。時間の感覚はおかしくなり、友人を何人も看取ることになる。人間として死ぬことが幸せなこともあるのだろう」
エリックもエリザベートも不老不死だ。だが、不老不死とは決して他の人間より優位だということを意味しない。特に精神的に安定しない人間にとっては不老不死とは地獄の苦しみだ。地獄は地獄でも炎に焼かれるのではなく、冷たく凍てついた地獄だ。
不老不死は孤独だ。友人たちを慎重に選ばなければ、自分だけが残される。そして、どれだけ親友の死を悲しもうとも、その後を追うことすらできない。ひたすら前に進み続けるしかない。冷たく、乾き、荒涼とした道を進み続けるしかない。
だからだろうか。マリアはエリックが提示した不老不死の道を拒絶した。人間として死ぬことを選んだ。そして、彼女は人間として死んだ。
「その具合だと、君にも春が訪れたのかもしれないな」
「やめてくれ。マリアのことを思い出して感傷的になっているだけかもしれない。これを恋だのなんだのと決めつけるのはまだ早い」
「やれやれ。恋も試験管の中の実験で証明してからやるつもりか? 恋愛は実戦あるのみだぞ。これと決めたら突き進めだ。そうしないと後悔することになる」
「そういう君は恋愛の経験はあるのかね?」
「ない」
エリザベートは胸を張ってそう告げた。
「頼りならない助言に感謝しておこう」
エリックは呆れ果てたという顔でそう告げる。
「マスター。夕食ですよ」
「今行く」
エリックはエリザベートを連れてダイニングに入った。
「今日はカモ肉と春野菜のシチューですよ」
「わあい!」
メアリーが給仕をするのにフィーネが歓声を上げる。
「エリザベート様はワインにしておきますか?」
「ああ。今日、ちょうど買ってきたところだ。開けておいてくれ」
「畏まりました」
エリザベートはどっさりと抱えていた買い物袋の中からワインを取り出してメアリーに渡す。メアリーはそれを受け取ると手慣れた仕草でそれを開封した。
「エリック。君にこれを買ってきた。後で読むといい」
「……小説かね?」
「ああ。君にはうってつけの本だ。特に今の君には」
エリックがしげしげと渡された文庫本を眺めるのにエリザベートがそう告げた。
「まあ、折を見て読ませてもらうよ」
「そうするといい。我は恋愛の経験はないが知識はある。頼ってくれていいのだぞ?」
エリザベートは悪戯気にそう笑うと、エリックの向かいの席に座った。
「……エリックさん。何か気づきません?」
「ん。香水か?」
「そうです、そうです。エリザベートさんのおすすめで。どうでしょう?」
「悪くないね。爽やかな香りだ。君に合っているよ」
「えへへ……」
フィーネがエリザベートに勧められて購入したのは柑橘系の軽い香りのする香水だった。元々体臭がそこまで気にならないフィーネにとっては、香水をつけることはなかった。だが、そんな彼女も香水を購入して、エリザベートに言われたとおりに付けてみた。
「いいか。フィーネ。あの朴念仁の目を覚まさせるには男としての本能を目覚めさせるしかないぞ」
エリザベートはそう告げていた。
「男を刺激するのは様々な手段があるが軽く香りから攻めてみろ。香りと言うのは思った以上に重要だ。料理の良し悪しを決めるのも匂いによるところが大きいという学説があるくらいだ。女の良し悪しも香りからというわけだな」
というよく分からない理屈でフィーネはエリザベートに香水を買ってもらった。
「他に気になるところはありません?」
「謎かけかね?」
「そうではないのですがー……」
フィーネはエリザベートの勧めで、胸が強調されるブラをしているのだが、エリックはそっちの方にはまるで気づかなかったようだ。ただでさえ大きなフィーネの胸が存在感を発揮しているというのにエリックはスルーしてしまった。
「さあ、食事にしましょう。シチューはお替りがありますよ」
「わあい!」
そして、賑やかな晩餐が始まる。
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