死霊術師と従者の午後
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──死霊術師と従者の午後
エリザベートとフィーネがウルタールでショッピングをエンジョイしているころ、エリック宅ではエリックがフィーネの授業のために何をしようかと考えていた。
実技主体と行くと決めたからには実技を伴いたいが、今度の授業では実技のために遠出しなければならないかもしれない。思いつく場所をリストアップしながら、どこが安全に授業を行えるだろうかとエリックは考えていた。
「マスター。午後のお茶の時間です」
「ああ。そうだね、メアリー。ダイニングに移ろうか?」
「その方がよさそうですね」
メアリーが綺麗に掃除した部屋はエリックがあれこれと資料を引っ張り出したり、メモを書き留めたりしていて乱雑なものになっていた。
メアリーはエリックを伴ってダイニングルームに降りる。
「ところでお聞きしたいことがったのですが、よろしいでしょうか?」
「何かな?」
メアリーが午後のお茶としてお茶菓子のスコーンとそれにつけるジャムとクリームをテーブルに並べ、ティーカップに注がれた香ばしい香りのする紅茶──これはウルタールの専門店から仕入れた茶葉を使っている──を並べ終えて、メアリーが尋ねる。
「どうしてフィーネさんを弟子にされたのですか?」
「ふむ。どうしてだろうね」
メアリーが向かい側に座って尋ねるが、エリックはちゃんと答えなかった。
「マスターの決めたことでしょう。それとも誰かに託されたのですか?」
メアリーも自分で注いだお茶を口に運ぶ。
メアリーは家事や研究の手伝いをするがエリックと身分差があるわけではない。以前は遠慮していたが、エリックが『君と私の間には王侯貴族と平民のような差はない』と言い切ったために同じテーブルで食事し、お茶も共にしている。
エリックとしてもひとりでお茶をするよりメアリーと一緒の方が、話し相手がいて、その乏しい社交性を維持することができてよかった。
「いいや。誰にも託されてはいない。私が私の意志で弟子にすると決めた。だが、どうしてだろうか。私が彼女を弟子にすると決めたときには、彼女の共感性の高さは分からなかったのだ。彼女が学校を追い出された死霊術師だということしか分からなかった」
「では、何故?」
何故、エリックはフィーネを弟子にしようと思ったのか。
「……マリアのことを思い出したからかもしれない」
「マリアさんですか? 彼女とは境遇がまるで違うのでは?」
マリアは肺病を患い余命いくばくもない状況でエリックの弟子になった。そして、彼女は弟子になる前にアカデミーで認められるほどの発表を行っている。
健康そのもので、それでいて特にこれと言った功績のないフィーネとは真逆の人物である。面影を重ねるのには無理があるように思われた。
「マリアがアカデミーで研究を発表したとき、私もそこにいた。彼女はその時から既に肺を病んでいて、咳き込みながら発表していた。それがアカデミーの人間には気に入らなかったらしく、ヤジが響いていた。彼女は恐縮するばかりで、発表は進まない。私は彼女の発表の概略を見ただけでこれは素晴らしい研究成果だと分かっていた。むしろ、他の人間も分かっていたからヤジを飛ばしていたのだろう。若くして成功すると妬まれるというものだ」
アカデミーの研究成果の発表の場は厳粛な場である。
アカデミーの研究を評価する側の人間も研究を発表する側の人間も正装であることを義務付けられ、アカデミーの伝統的な“ウィルマース・ホール”において、下はアプレンティスから上はグランドマスターに至るまでの人間が研究を審査する。
当然ながら青魔術が発展途上であったマリアの生きていた700年前にはマイクなどない。なるべく発言者の声が響きやすい構造をしているウィルマース・ホールにおいても、肺病を患っていたマリアの声は通りにくかった。
にもかかわらず、彼女の研究成果は驚異的なものだった。これまで白魔術でしか対処できないと考えられていた怨霊を死霊術によって冥府に送ることに成功し、その方法を確立したのだ。今でも彼女の確立したメソッドはモーガン・メソッドとして現役である。
多くの人間がこの研究の価値を配布された資料だけで理解してしまった。たった21歳の若者がこれだけの偉業を成し遂げたことを理解してしまった。そうであるが故に自分たちの研究を追い抜かれたと考えたアカデミーの人間は嫉妬した。
本来ならば質疑応答の時間以外で発表者以外が口を開くことの許されないウィルマース・ホールにおいて、ヤジが飛んだのはそういう理由からだった。
「マリアは咳とヤジで涙を流していた。見ていられなかった。この研究の重要性を理解し、本来ならそれを高く評価するべきだった人間たちが、口汚くヤジを飛ばすのには。あの若く、有望な研究者が肺を患っているというのに思いやりの欠片も見せなかったことは。彼女が涙を流しながら懸命に肺病と戦いながら、研究成果を発表する姿は」
マリアは咳込みながらも、ヤジを浴びせられながらも、賢明に自分の研究を説明していった。どれだけ心が折れそうになっても、どれだけ涙を流しても、発表をやめて逃げ出そうとはしなかった。
「私はヤジを浴びせるアカデミーの人間に注意した。そして、ようやく静けさを取り戻したウィルマース・ホールで、私は初めて彼女の笑顔を見た」
その時既にグランドマスターの地位にあったエリックが『紳士淑女諸君。失礼ではないかね? これまでこの名誉あるウィルマース・ホールで発表を行っている人間に対する態度はそのようなものだったかね? 少しばかり頭を冷やしたまえよ』と告げた。
ウィルマース・ホールに集まっていたアカデミーの人間は死霊術の最高の権威からの直々の注意に赤面し、彼女の発表を真面目に聞く態度を取った。
そこで初めてマリアは微笑んだ。エリックに微笑みかけた。
「彼女は肺病に苦しみながらも発表を終えた。私は彼女が発表を終えたのちに、私は彼女の発表は素晴らしいものだったと告げ、彼女の才能を見込んで共同研究者にならないかと誘った。だが、彼女は弟子にしてくれと頼んできた」
「それは私も初めて聞きました。マリアさんはマスターが弟子になるように誘ったのではないのですか?」
「彼女ほどの成功した研究者なら弟子になる必要はない。同じ立場で論文を執筆し、同じ立場で討論することができた。だが、彼女は弟子になることを望んだ。私は考え直すように言ったが、どうしてもという彼女の願いに押し切られた」
エリックはそこで考える。
「マリアも最初は泣いていた。フィーネも最初は泣いていた。ともに苦境にあり、困難に立ち向かおうとして泣いていた。そして、運命が開けたとき、屈託のない笑顔を見せてくれた。だから、私はフィーネにマリアの面影を重ねてしまうのかもしれない」
「なんともまあ。私はマスターが彼女に一目ぼれしたのではないかと思ったのですが」
「私が一目ぼれかね。随分と突拍子のないことを言うね」
「少なくともマリアさんとフィーネさんを重ねるより論理的ではないですか?」
「私はそうは思わないな」
ウィルマース・ホールで泣いていたマリアとアーカムの衛兵詰め所の傍で泣いていたフィーネはどうにも重なる。その後に見せてくれた笑顔も重なってくる。
だが、どうしてフィーネを弟子にしたのだろうか?
確かにメアリーの言うように重なって見えたからという理由だけで弟子にするのはおかしい。そもそもマリアの件にしても最初は共同研究者として彼女を選んだのだ。弟子にするつもりはなかった。
エリックは思う。
自分は恋愛をしたことがない。
種の保存の本能に基づけば、恋をしないというのは欠陥だ。たとえ、恋と言うのが自分の遺伝子──遺伝子とDNAいうものが存在することは既に発表され、進化生物学に影響を与えていた──を後世に残すための本能が生み出す幻覚だったとしても、それは人類に必要だから備わっているものだ。まして、本能のみで生きることを止め、文明的に生きることを選択した人類の中でも社会的な行動として重要視される。
著名な研究者は大抵は結婚している。研究者というのはこの世界において上流階級に位置するものであり、上流階級に属するものがいつまでも未婚とあっては世間体が悪いからである。エリックの知り合いで結婚していない研究者はデルフィーヌやエリザベートのような人間ではなく、社会的ステータスを気にしないか、気にしなくてもいいほどに高いステータスを誇っているものぐらいである。
エリックはこれまで社会的ステータスとしての結婚を意識したことはなかった。彼もまた死霊術の分野における唯一のグランドマスターにして、不老不死の魔術師であったがために、社会的ステータスを気にする必要はなかったのだ。
だが、困ることは何度かあった。アカデミーのパーティーなどは通常ペアで出席するものだ。ひとりで出席するというのは社交性がないと思われる。
エリックはそういうパーティーは出席しないか、どうしても出席しなければならない事情がある場合はエリザベートを頼った。
そんな彼だからこそ恋愛とは無縁であった。
無論、恋愛を全くイメージできないわけではない。だが、イメージのレベルが低すぎる。男女が出会って、交際して、結婚して、子孫を残す。その程度のイメージしかないのだ。どのように出会うかも、どのように交際するかも、どうやって結婚というゴールまで向かうかすらも分からなかった。
仕方ない。彼には必要のない知識だったのだ。
普通の人間が死霊術におけるサンクトゥス教会の教義と聖典の教えに背かないリッチー化の手法などに興味がないように、そういうものにばかり興味があったエリックも恋愛について興味がなかった。
これまで出会った女性──デルフィーヌ、エリザベート、マリア、メアリー。彼女たちはメアリーを除いてエリックへの好意は友人として、あるいは同じ研究者としてのものだったとエリックは認識している。そのメアリーにしたところで、デュラハン化の影響がどれほどあるか分からない好意だ。
男性としてエリックを好きになった女性などいないのではないだろうかとエリックは自分で考える。自分は女性の気を惹く世間の男性のような努力などしてこなかったのだから、当たり前のことであるが、と。
「フィーネに私が一目ぼれしていたとしたらどうするかね?」
「マスターを殺して私も死にます」
「リッチーもデュラハンも死ねないよ」
「まあ、嫉妬のひとつふたつぐらいはしますかね」
メアリーはそう告げてスコーンにジャムをつけて口に運んだ。
「嫉妬か。君に別の男性が現れ、君に好意を持ったとして私もそう思うだろうか?」
「思ってもらわなければ困ります。800年間もマスターに尽くしてきたのですよ」
心外だというようにメアリーが腹を立てる。
「君には何度も自由にしてもらって構わないと言ってきたではないか」
「だからと言って引き下がれますか。既成事実さえ作ってしまえばいいのですから。私には800年一緒だったという既成事実があります。フィーネさんには何もない。なのにマスターの恩寵を受けておられる。嫉妬ぐらいしますよ」
メアリーは堂々とそう告げた。
「フィーネは私の弟子だ。それだけの関係だ。今は嫉妬する要素などない」
「本当にそうですか? マスターは誰にでも優しいので分からなくなります。エリザベート様に取られるのであれば納得せざるを得ませんが、ぽっとでの小娘に取られるとなると怒りが湧いてきますよ」
「君は……」
エリックが力なく首を横に振る。
「エリザベートと私の関係はよく知っているだろう。ただの気の合う友人だ。それ以上のことはない。エリザベートに私のことをどう思っているか聞いてみるがいい。彼女は私よりも本の方が好きだと言うだろう」
「ですが以前、お聞きしたところ『お前が嫉妬する方の答えを言ってやろうか』と言われましたが」
「それはまんまと彼女にからかわれただけだよ」
「しかし、エリザベート様も油断なりません。マスターはどの女性にも優しくされるので、本心が分からないのです。男性としても誰にでも優しいというのは感心できませんよ。世の女性は花のひとつで恋に落ちることもあるのですから」
「そんなに簡単に恋に落ちるものなのかね?」
「ええ。条件さえ整っていればそれだけで落ちます」
メアリーは涼しい顔で根拠のないことを告げた。
「ふうむ。だが、女性に親切にするのは男性の義務ではないかね?」
「それは時代錯誤な古い考えです。今の時代、女性は強いのです。アカデミーも女性の研究者が増えているでしょう?」
「確かにアカデミーも女性は珍しくなくなったな」
「女性の社会進出は今まさに進んでいるのです。女性も強いのです。なので、男性が女性だからという理由で優しくするのは時代錯誤な発想です。本当に優しくするべき相手は限らなければなりませんよ?」
アカデミーもマリアが珍しかったように昔は女性の研究者はあまりいなかった。だが、ここ最近では男女ともに五分五分という程度までには女性の研究者も増えている。元々、魔術の取り扱いは女性の方が優れているということも理由ではあるが。
「フィーネは私の弟子だ。優しくするのにそれ以上の理由いるまい」
「確かにそうですが、本当に弟子だという理由だけで優しくされていますか?」
「そうだが」
エリックは自分の行いを見直したが、自分が下心を持ってフィーネに親切にしたことはないと結論付けている。
「なら、いいのですが」
「何がいいのかさっぱりだよ」
そこでエリックはマリアのことを思い出した。
この家の前庭に花を植えようと提案したのは彼女だった。それまでは何もないただの芝生だった。芝生と言うには伸びすぎていたが、何もないことは確かだった。
「花ひとつで恋に落ちるか」
マリアは何を思っていたのだろう。
「マスターは鈍感ですから困りものです。私のように直接的アプローチを仕掛けてもスルーするのですから」
「君のその好意がデュラハン化による影響ではないと確認できるまで、私はなにもできないよ。もし、デュラハン化による影響だとすれば、その好意に応じるのはは病人に付け入るような卑劣な行いだ」
「全く、デュラハン化の影響で800年も尽くすとお思いですか。私のマスターへの好意は本物ですよ。どうやれば証明できるというのですか?」
「デュラハン化による魔力共有者への心理的影響に関する論文はいろいろと出ている。どのケースでも魔力共有者への好ましい感情の発生が確認されている。これが覆されるような発見がなされない限りはどうしようもない」
「それは当然でしょう。デュラハン化すれば魔力を共有する。魔力の共有対象を保護しなければ、自分の生死に関わるのですから好感を持つに決まっていますし、そもそもデュラハン化の施術そのものが、相手への全幅の信頼を置いてなされるものなのです。論文で報告されているデュラハン化の影響というのは人間の心理そのままですよ。デュラハン化による精神汚染などではありません」
「さて、それを覆す論文はこの800年一度も提出されていない。術後に嫌悪感を持つことだってあり得るはずだ。人間の心理がそのままならば。人間とは気まぐれだからね。それがないということはデュラハン化にはやはり精神汚染の可能性が考えられる」
そこまで言われてメアリーは深々とため息をついた。
「では、愛人にしてください。愛人ならいいんではないですか。恋愛を遊ぶだけ。本気にはしない。それぐらいは妥協してくださってもいいはずですよ」
「私はそういうものはよくないと思っている。人間関係のトラブルになりやすい。だが、メアリー。妻でも愛人でなくとも君は大事な人物だと思っている。それを分かってほしい。どういう肩書が君についていても私にとっては大事な人だ」
「喜ぶべきか、悲しむべきか」
メアリーはもう一度ため息をつくと、午後のお茶の片づけを始めた。
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