降霊術の支度
本日4回目の更新です。
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──降霊術の支度
学問都市ミスカトニックまでは4日の道のりとなる。
初日は野盗に襲われたエリックたちだが、その後の旅は順調だった。
馬小屋での休憩と馬の交換を挟みながら、馬車はガラガラとミスカトニックに向けて進んでいく。アーカムの周囲を離れれば、野盗はほとんど気にはならない。野盗がアーカムの周囲で活動しているのは、ひとえにアーカムの周囲の魔物がアーカム都市軍によって駆除されていて安全だからだ。
だが、アーカムを離れて、森に入るとそうはいかない。
魔狼やゴブリン、オークという魔物が森には生息しており、彼らの森にちょっかいをかけない限りは問題ないが、彼らの森に足を踏み入れればその時点で彼らの獲物だ。
魔物は知性が低いと言われるが、全く学習しないわけではない。森の外に出ていって家畜や人を襲えば、倍の数の人間がやってきて、魔道式小銃で彼らを皆殺しにすることを長い年月を経て学習している。だから、森に入る必要のある場合は冒険者を雇うのだ。
国家にせよ都市にせよ、魔物が住み着いているという理由で森を刈りつくすことはしない。森から生まれる魔力がなければ、多くの人は魔術が使えないからだ。故に人間は魔物と共存することを余儀なくされている。森の魔物を狩りつくすというのは不可能で、何故かというと魔物は森から生まれる魔力を基に生まれるからだ。
森が必要である以上、森を刈りつくせないし、森が魔力を発生させる以上、魔物を狩りつくすこともできない。ジレンマだ。
かつてはそれぞれの森にドルイド教の巫女がいたのだが、ドルイド教がサンクトゥス教会によって駆逐され、今では森を管理するものはいない。
今、エリックがそれを思い出したのは自分たちがドルイド教の巫女たちと同じ顛末をたどるのではないだろうかと脳裏によぎったからである。
あり得るかあり得ないかで言えば、あり得ないだろう。
ドルイド教は生贄の儀式など、倫理に反した行いをしていた。いくら森が清浄に保たれるとは言えど、生贄を捧げることには多くの人間に抵抗があった。そして、ドルイド教の教団そのものの規模もさして大きくはなかった。
故に彼らはサンクトゥス教会との覇権争いに敗れ、滅んだ。
一方の死霊術師たちはどうか?
死霊術師たちもエリックが野盗にしたように残酷なことをする。だが、死霊術師は無実の人を殺したりはしない。少なくともまともな死霊術師は。どんな社会的組織にも一定の割合でろくでなしが混じることを考えれば、エリックも死霊術師全体の良心を保証することは不可能である。
とは言え、大抵の死霊術師は良心的だ。そこがドルイド教と違う。
そして、規模においても死霊術師は黒魔術師というカテゴリーで計算すればかなりの規模になる。いくらサンクトゥス教会が彼らを追放しようとしても、あるいは根絶やしにしようとしても、手痛いしっぺ返しを食らうことになるだろう。
それに黒魔術師でありながらサンクトゥス教会の信者という存在も多々ある。今回の騒動で黒魔術師の教会に対する信頼は揺さぶられたが、それでも純潔の聖女派以外の派閥ならば、黒魔術師をこれまで通りに扱うだろう。宗教の扉は、学問の扉と同様に開かれていなければならないのである。
ここまでくれば死霊術師がドルイド教と同じ末路をたどることは避けられると言える。エリックとしても納得のいく理論だと思えた。
エリックがそんな思案をしていたとき、隣でおなかのなる音が聞こえた。
「空腹かね?」
「……はい。おなかが空きました……」
「そろそろ馬小屋だ。食事ができるだろう」
「お菓子でも用意しておくべきでした……」
「間食は体に悪い。あまり勧めないな」
エリックはそう告げると馬車の外を見渡した。
のどかな田園風景が広がっている。争いや喧騒とは無縁の場所だ。
エリックは久しぶりに心が落ち着くのを感じた。
「はい。お客さん。休憩の時間です。ここでは馬を変えたり、馬車のメンテナンスをしたりするので、ゆっくりと食事でもしてきてください」
「やったー!」
フィーネは我先にと馬車を降りていった。
馬小屋は簡易の宿泊施設と厩舎からなっていた。宿泊施設には食事をすることもできる場所も準備されている。長旅で疲れたときにはここで休み、次の馬車が来るまで待つこともできる。馬小屋は馬車の停留所でもあるのだ。
「食事、食事♪ 何にしようかな?」
「そこの方、死霊術師ですか?」
「え。あ、はい」
思わず素直に答えてしまったが、フィーネは死霊術師が今現在、迫害の対象になっていることを思い出した。
死霊術師だという理由で食事や休憩を断られるのではないだろうかとフィーネは心配になってきた。こんなことならばローブから私服に着替えておくべきだったとも。
「おお! これはまさに神様と聖人様の思し召しだ。ささっ、どうぞ中へ。ご休憩でしょう? うちの食事は美味いと評判ですよ」
「え。あれ……?」
死霊術師が迫害されていることはまだこの馬小屋には伝わっていないのだろうかと、フィーネは首を傾げた。
「どうしたかね、フィーネ」
「エリックさん。なんだか死霊術師だということで歓迎してもらえました」
「ふむ。それは何かの仕事を頼みたいということだろう」
エリックはそう告げて馬小屋の方を眺めた。
「怨霊の気配はない。澄んだ場所だ。危険な仕事ではあるまい。レッスンのためにも君がこなしてみるというのはどうかな?」
「わ、私がですか? 私、まだ見習いですよ?」
「その見習いという肩書を取るためには実地で学ぶのがもっともいい。これも教育だと思って挑戦してみたまえ。いざとなったら私がフォローしよう」
「りょ、了解です」
フィーネは座学で教わったことを一生懸命思い出しながら、馬小屋の宿泊施設に入った。いったいどんな仕事を依頼されるか分からないので、頭の中がオーバーフローを起こしてしまいそうだった。
「いらっしゃったぞ。死霊術師さんだ。この問題に決着をつけよう」
「望むところだ」
宿泊施設の中には先ほどの男性の他に2名の男性がいた。友好的な空気とは言い難い状況だった。もっとも、彼らの敵意は互いに向けられているものであり、決してフィーネに向いてはいないが。
そんな緊張の高まる場面でフィーネのおなかがきゅーと可愛らしく悲鳴を上げた。
「……先にお食事にしますか?」
「……お願いします」
フィーネは耳まで真っ赤になっている。
「何になさいますか? おすすめは新鮮卵のオムライスですよ」
「じゃあ、それで!」
「お連れの方は?」
男がエリックの方を向く。
「私はコーヒーを。砂糖なし、ミルク少々のものを」
「畏まりました。しばらくお待ちください」
男はそう告げると、厨房に向けてオーダーを叫んだ。
「で、食べながらでいいので事情を聞いてください」
「はい」
男の言葉にフィーネが頷く。
「俺たちは3人兄弟でおふくろが死んでからこの馬小屋を相続したんです。けど、他の兄弟は馬小屋なんて売り払ってアーカムで商売を始めようっていうんです。俺はここはおふくろとの思い出の場所だし、アーカムに行ったからと言って成功するわけではないと言って断ったんですが、他のふたりは馬小屋の権利を売り払うつもりなんです」
「それでお母様の霊を降霊して判断してもらおうと?」
「その通り。話が早くて助かります。おふくろの言うことなら他の兄弟も聞くでしょうし。それにおふくろは急に死んだんで遺言状とかは残っていないんですよ。これを機に財産分与についても話を聞こうと思うんです」
「なるほど。事情は理解した」
エリックは運ばれてきたコーヒーに口をつける。
「フィーネ。君のやれる仕事だ。挑戦してみたまえ」
「は、はい」
同じく運ばれてきたオムライスをかき込んでいたフィーネが頷く。
「おふたりはご兄妹というわけではなさそうですね」
「師弟関係にある。だが、保証しよう。今回の仕事は彼女でもやれる」
「それでしたら食事がすみましたらお願いします」
男はそう告げて頭を下げると、立ち去ろうとした。
「待ちたまえ。故人にゆかりのある品などが残っているとやりやすい。そういうものは残っていないかな? 故人が良く使っていた道具でも、洋服でも、アクセサリーでもいい。そういうものがあると故人の霊を呼びやすくなる。どうやらこの小屋には既に故人の霊は彷徨ってはいないようだからね」
「それでしたらおふくろのタンスがそのままなので、何か持ってきます」
エリックの言葉に男は頷くと、今度こそ立ち去った。
「エリックさん。本当に私にやれますか……?」
「君も座学を受けたなら学んだだろう。故人の魂の指紋が付着した品は、冥府から故人を呼び戻す触媒となる。故人の残した品に魔力を流し、冥府に意識を繋げ、呼びかける。危険性のない仕事だ。冥府の死者たちは大人しい。今も現世を彷徨っている霊と違って落ち着いている。丁寧に呼びかければ何の問題もない」
「ええっと。冥府への呼びかけは……」
「『冥府の番人よ。我が呼びかけに応じ──』」
「『その扉を開きたまえ。暫しの間、現世に死者を呼び戻すことを許されたし』ですね。思い出しました。ばっちりです」
フィーネがそう告げるときにはふたり前は量があったオムライスは空になっていた。
「君はよく食べるね」
「うぐ。よく言われてました。『フィーネは早食い大食いだから太る』って」
「まあ、早食いは健康上推奨できないが、よく食べるのはいいことだ。最近の女性は食を控える傾向にある。私は健康的な栄養摂取を推奨する。それに食事も魔力を蓄える機会だ。これからのことに備えるならば食べておいて問題はない」
エリックはそう告げてこの馬小屋の主人だろう先ほどの男性が戻ってくるのを見た。
「では、始めようか。私は君の隣に座る。何かあれば私がフォローするから、君は霊を降ろすことに専念したまえ。他の問題が起きても私が対処する」
「了解です!」
そう告げ合ったエリックとフィーネは、立ち上がると男たちの方に向かった。
「死霊術師さん。どうぞこちらへ」
男が席を準備する。
フィーネとエリックは用意された椅子に腰かけた。
「それでは始めてください」
「その前に注意です。死者は生者の感情に敏感です。敵意などを向けるとすぐに気づきます。霊に冥府からお越しいただき、その眠りを妨げたことを念頭に置いて、死者には礼を尽くしてください。稀にですが降霊術で呼び出された霊が怨霊となることがあります」
フィーネは教科書で習ったことを告げながらエリックを見る。
「もし、怨霊になった場合は私が対処するが、できるならばそのような事態に陥らないように気を付けてくれたまえ。だが、安心してもらっていい。滅多なことでは近親者の霊が怨霊になることはない」
エリックがそう付け加える。
「それではゆかりの品をテーブルの上に」
「これです」
フィーネを呼んだ男がテーブルの上に裁縫道具を置いた。
「おふくろ、裁縫得意で俺たちの服とか縫ってくれてましたから。多分、これが一番思い入れのある道具だと思います」
「分かりました。これを触媒にします。では、皆さん、隣の人の手を握って」
フィーネたちは全員が手を握る。
死霊術師の見ている光景を共有するには肉体的に接触する必要がある。フィーネたちはテーブルを囲んで輪を作り、フィーネは呪文を再確認した。
「『冥府の番人よ。我が呼びかけに応じ、その扉を開きたまえ。暫しの間、現世に死者を呼び戻すことを許されたし』」
フィーネはそう詠唱して目の前の故人の遺品に魔力を込めた。
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