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ウルタールの街にて

……………………


 ──ウルタールの街にて



 エリックの家からウルタールまでは4時間ほどだった。


 動力馬車を休みなく走らせての数字だが、そこまで遠いわけではない。


「あ。街が見えてきました! あれがウルタールですか?」


「ああ。あれがウルタールだ。猫と商人の街。あそこにいけば大抵のものは手に入る。コヴェントリー辺境伯閣下が言っていたことはほぼ間違いない」


 ウルタールは海に面した交易都市だった。


 その大きさたるや世界都市アーカムに匹敵する大きさである。城壁に囲まれた広い都市圏に大小様々な建物が乱立している。海の方では木造の漁船が行き来したり、蒸気船が汽笛を鳴らしたり、ウルタール都市軍の装甲艦が停泊していたりと賑やかだ。


「ようこそ、ウルタールへ、旅人さん。入市税は500ドゥカートだよ」


 城門では気のいい都市軍の衛兵が警備を行っていた。


「3人。1500ドゥカートだ」


「はい。ウルタールを楽しんで! 猫の神様のご加護がありますように!」


 衛兵はフィーネたちに手を振って城門を通した。


「猫の神様って何です?」


「ウルタールの民話だ。ウルタールは猫に守られているという話がある。この街では決して猫を殺してはならない。霊的にも特異な猫を殺すのはどこの街だろうとリスクのある行為だが、ウルタールのはレベルが違う。猫を殺したものには明確な不幸と最終的な死が降りかかる」


「え。何か呪いでもあるんですか?」


「分からない。研究している人間もいるが、猫の霊の集合体が存在するのではないかという奇妙な論文が出ただけだった。何にせよ、小動物をむやみやたらに殺すべきではない。人としての倫理に反する。食べるためや、害獣として駆除するならともかく」


「そうですよね。私、猫派なんでこの街のこと好きになりそうですよ」


「それはよかった」


 フィーネは愉快そうに鼻歌を歌いながら、ウルタールの街を動力馬車から眺める。


 猫がたくさんいた。


 街のあちこちに猫がいる。


 青果店の戸棚の陰に黒猫がおり、屋台の傍にキジ猫がいて、家屋の屋上に猫たちが集まっている。猫たちはフィーネにちょいと視線を向けると、興味なさそうに欠伸をした。それがいかにも猫らしい態度だった。


「猫の街ですねえ」


「街の人間も猫好きばかりだ。猫の神は神殿や聖典こそ持たない民話なものの、確かな信仰を集めている。猫に親切にすると幸運が訪れるとね。猫を保護する組織も存在していて、私も少額ながら寄付を続けている」


「素敵な街です!」


 フィーネはもうすっかりウルタールのことが好きになった。


「洋服をまずは調達されますか?」


「えっと。後でもいいですよ?」


「私はマスターについてきただけなので特に買うものはありません。しいていうならば、マスターに私にも洋服を購入していただきたいです」


 メアリーはそう告げてエリックの方を見た。


「ああ。もちろんだ。だが、私に女性の服を選ぶセンスはない。そこら辺は君たちでカバーしてくれるか? フィーネなどは特にいいセンスを持っているようであるしね」


 フィーネは青色の生地に黄色の線が入ったぶかぶかのジャケットを纏っている。それが最近の流行りというのだから、そうなのだろうとエリックは思っている。実際にエリックはフィーネのその格好は似合っていると思っていた。


「では、なるべくお安いものを……」


「服は日用品であり、人を判断する基準になる。いいものを選びたまえ。お金のことで心配することは何ひとつない。私は冒険者を辞めたが、収入源がなくなったわけではない。いくつかの有望な会社に投資しているし、ラリー&フレイヤ信託銀行に35億ドゥカートの資金運用を任せている」


「え。は。え。35億ドゥカート……?」


「印税、講演料、特許料、そして1000年間の貯蓄だ。だから、君が遠慮することは何ひとつない。好きなだけいいものを選びたまえ」


「は、はい……」


 それはグランドマスターが生活に困るとは思わないが、大富豪だとも思わなかった。確かに1000年も生きていればそれだけのお金が貯まるのかもしれないが。それにしても35億とは。桁外れな数字だ。フィーネはちょっと眩暈がした。


「よーし! では、お洒落な服を選ぶぞー!」


「お洒落な服ならピックマンブランドですね。専門店がありますよ」


「ピックマンブランド!?」


 ピックマンブランドはちょっとゴスが入った暗めの印象で知られるお洒落な高級ブランドだ。アーカムで開かれるファッションコンテストでは6回の優勝を勝ち取っているし、裕福な若者たちには人気のブランドである。


 フィーネのいた王立リリス女学院でもその名は広まっており、私服がピックマンブランドだとモテたし、人気者になった。フィーネは貧乏学生だったので、ショーウィンドウから物欲しげに眺めるだけの日々であったが。


「いいですね! いいですね! それからジャケットはアルハズラットブランドにしましょう! 暑い時期でも着れる通気性のいいジャケットを売ってるんですよ! それも強化のエンチャント付きで!」


「好きなようにされてください。お店にはご案内します」


 メアリーはそう告げて無表情に頷いた。


「では、ここら辺に馬車を停めておこう」


 ウルタールの街の通りの路肩は駐車場になっている。料金を支払っておくと、都市妖精が見張っておいてくれる。盗難などの事件が起きた場合も、都市妖精のネットワークで簡単に犯人が見つかるので盗もうとする人間はいない。


 ウルタールは馬による古典的な馬車はほぼなく、動力馬車が珍しいものではなくなっているのでこういうサービスがあるのだ。


「では、行こうか」


「はい!」


 エリックが告げるのにフィーネが笑顔でそう告げた。


「マスターの左腕はいただきます」


「好きにしたまえ」


 そして、さりげなくエリックの左腕に抱き着くメアリー。


「うっ……」


 その光景を見るとフィーネの胸にちょっとピリピリするものが来た。


 メアリーさんはエリックさんと800年の付き合いがあるんだから、あれぐらいは当然かもしれない。けど、どうしてか認めたくない自分がいる。フィーネは後ろからとぼとぼとついていきながらそう思った。


「フィーネ。この街は迷路のようになっている。離れるとお互いの位置が分からなくなってしまうよ。さあ」


 エリックはそう告げてフィーネに手を差し出した。


「はい!」


 フィーネは大喜びでその手を握った。


 エリックの手は冷たい。だが、手が冷たい人は心が温かいというではないか。いいのだ、いいのだとフィーネは勝手に納得した。


 しかし、長身のエリックからすると小柄なフィーネとメアリーは恋人というよりも、親戚の子供という感じだった。並び立つならばやっぱりエリザベートのような長身の女性が似合うのだろうなとフィーネは少しがっかりする。


 しかし、とフィーネは思う。


 別にエリックの好みが長身の女性とは限らない。エリザベートもエリックの好みは生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答えより謎と言っていた。チャンスはあるかもしれない。


 そう思いながら街を歩いていると猫が目に付くのは当然として、様々な人種が目に入る。エルフがいるし、ダークエルフがいるし、珍しい東方のオリエンタルな格好をした一団がいる。露出度のきわどい衣装を纏ったダークエルフを見たときはフィーネの方が恥ずかしくなったが、エリックはまるで気にせず横を通り過ぎていく。


「この店でいいかな?」


「ここですね。ピックマンブランド」


 やがて目的地に着いた。


 ピックマンブランドのデザイナーは屍食鬼だという噂もあるが、噂の真相を確かめたことのある記者はいない。業界のタブーらしい。


「わあ。本物のピックマンブランドだー! ここで買い物ができるなんて!」


「さあ、行って来たまえ。お金はメアリーに預けてある。こういうのは女性だけの方が気楽に選べるものだろう?」


 エリックはそう告げてフィーネとメアリーを送り出す。


「うっ……。そうですね。男の人は女の子の洋服選びにあんまり興味ないですよね」


「興味がないというよりも知識がない。私は君のように最近の流行やお洒落なブランドについての知識が欠如している。いいアドバイスはできないだろう」


「はい……」


 フィーネはエリックに試着して見せようと考えていたのだが。


 しかし、よく考えればこれからずっと一緒に暮らすのだ。今見てもらわなくとも、いずれは見てもらえる。別にきにする必要なんてないさとフィーネは気を取り直して、ピックマンブランドの店の扉を潜った。


 エリックはその間、外で街の様子を観察する。


 彼は感じていた。尾行されていると。


 馬車を停めるときに都市妖精を何体か買収して確かめたが、後ろから1名。ずっとエリックたちの後をつけてきている。付近の動物霊の目を使って確かめ、他に尾行している人間がいないことを確定させるとエリックは店の前で待った。


「グランドマスター・エリック・ウェスト」


 若い男の声がそう話しかけてきた。


「久しいね。アラン・モーアランド。どうして君がここに?」


「あまりよくないことが起きていることを伝えに来た」


 現れたのはエリックと同じようにスリーピースのスーツを纏った男性だった。背丈はエリックと同程度で、片頬に火傷の跡が刻まれており、首の付近にも裂傷の痕跡があった。だが、そういう物を感じさせない凛々しさと目に見える理性を備えた人物だった。


「純潔の聖女派のことならば、私ももう知っているよ。冒険者ギルドを追放されて、ここに戻ってきたところだ」


「純潔の聖女派の目的が黒魔術の追放だけならば私も大騒ぎはしない。それだけならば、いずれは純潔の聖女派が失脚したときに取り戻せばいい。君たち黒魔術師には些か酷かもしれないが、そういう時代なのだろうと言える」


「私は弟子を取ったばかりなのだが」


「この時代にか。それはあまりよくないな」


 エリックの言葉にアランがそう返す。


「どのような時代であれ、学問の扉は開かれておくべきだ。そうだろう?」


「ああ。その通り。同時に宗教の扉も開かれていなければならない」


「神の智慧派に何かあったのかね?」


 アランの言葉でエリックは察しをつけた。


「集会が襲撃された。魔道式小銃で武装した非合法の傭兵集団に襲われて、12名が死傷した。傭兵たちは撃退したが、傭兵の霊を降霊させて尋問したところ、雇い主がサンクトゥス教会の人間である可能性が高いと分かった」


「純潔の聖女派が傭兵を雇って、神の智慧派の集会を襲撃した」


「おそらくは。神の智慧派は黒魔術師も多い。攻撃の目標にはなるだろう。奴らは我々の信仰を鉛玉で叩き潰そうとしたのだ」


 アランが僅かな怒りを込めて語る。


「ダンウィッチ公会議で我々の存在は認められている。純潔の聖女派とて手出しできないはずだ。教会は我々のことを認めている。それを武力をもってして攻撃したとすれば、それは純潔の聖女派による教会内の秩序を乱す行為だ」


「純潔の聖女派は狂犬だ。あらゆるものに噛みついている。アカデミーに対しても攻撃を始めたという話を聞く。君の弟子が対応しているのではないか?」


「分かりかねる。彼と連絡を取ったのは5年前だ。部長に昇進したことを祝った」


 エリックは告げるのにアランが紙巻き煙草を取り出し、赤魔術で火をつけた。


「これからは危険な時代になる。純潔の聖女派がいつまでも野放しにされれば、我々は洞穴に籠って、暗闇に怯えて生活することになる。奴らにとっては科学と魔術の両方が憎いのだ。特に科学化した魔術が憎い。奴らにとって魔術とは奇跡でなければならないのだ。一部の限られた人間だけが使える奇跡でなければならないのだ」


「言っておくが、今の段階で私は武装蜂起やクーデターの類に関わるつもりはないよ。教会上層部は分かってやっているのだと思っている。結局、最後は預言者の使徒派が勝利するだろう。その筋書きを純潔の聖女派が書き替えられるとは思わない」


「危機感を持った方がいい。純潔の聖女派はただのカルトではなくなっている。奴らは権力を握ったのだ。神の智慧派としては暫くはサンクトゥス教会の中心部からは離れて行動する。もっとも、教会上層部を見張るためのネズミは潜り込ませるが」


「そうするべきだろうな」


 エリックは他人事のように頷いた。


「君も用心したまえ。君自身の命は無限であろうとも周りはそうではないだろう。純潔の聖女派は相手が女子供だからと言って加減するような相手じゃないぞ。教会の権力を使ってどう行動するか分からん。これが預言者の使徒派の筋書きに含まれているとしても、犠牲は犠牲だ。手遅れになる前に君も我々の行動に参加してくれることを祈る」


「ああ。手遅れになる前には行動しよう」


「それは結構。それではまた会おう、エリック・ウェスト。次に会う時はいいニュースを分かち合えるといいのだが」


「当面のところ、それは難しいだろうな」


「それでもそう祈りたいものだろう?」


 アランは最後にそう告げて去っていった。


「純潔の聖女派が神の智慧派を襲う、か」


 そんなダンウィッチ公会議の結果に背くような行為を純潔の聖女派とは言え手を出すだろうか? 純潔の聖女派の寿命は長くないだろうが、自分たちの手でわざわざ縮める必要もあるまいに。


 だが、アランはエリックにとっては必要以上に純潔の聖女派を警戒していた。確かに純潔の聖女派が権力を握っているのは危険だ。だが、狂犬には首輪が付けられているのではないか。純潔の聖女派という狂犬の主は間違いなく預言者の使徒派だ。


 だが、そうではないとしたら?


 純潔の聖女派が何かしらの形で教会を乗っ取り、預言者の使徒派すら手出しできないような権力を手にしていたとしたら……。


 馬鹿馬鹿しい妄想だとエリックは思った。


 常識的に考えてあり得るはずがない。


 進歩否定主義のバリバリの古典派である純潔の聖女派が、信徒数では最大規模──サンクトゥス教会においては7割の勢力を誇る預言者の使徒派から権力を奪えるはずがない。何かの取引があったとしても、それは預言者の使徒派に優位なものだろう。


 全ては預言者の使徒派のシナリオ。


 これまで起きた不祥事を清算するために純潔の聖女派の台頭。世の中が不祥事のことを忘れ、純潔の聖女派の潔癖症を鬱陶しがり始めたころに、純潔の聖女派に様々な罪状を被せて権力の座から蹴り落とす。


 純潔の聖女派が神の智慧派を襲撃したというのもシナリオのうちかもしれないし、そうではないのかもしれない。首輪をつけているとはいえ、相手は狂犬だ。誰に噛みつくか分かったものではないのである。


 ──あるいは神の智慧派の襲撃は自作自演。


 アカデミーが圧力を受けているということをアランは語っていた。神の智慧派の構成員は全てがアカデミーでマスターの称号を得た人間だ。アカデミーとの関係は密接なものである。そのアカデミーが攻撃を受けている。


 純潔の聖女派がダンウィッチ公会議の結果に反して、神の智慧派を攻撃したとすれば、純潔の聖女派のスキャンダルとして反撃が可能になる。アカデミーに対する攻撃も一時的には止まるかもしれない。


 12名の死傷者。


 科学と魔術の発展を守るためならばそれぐらいの犠牲は許容されるだろう。


 それにアランは傭兵は教会の人間が雇ったとしか言っていない。サンクトゥス教会の祭服を着ているのが教会の関係者なら、神の智慧の司祭も教会の人間だ。


 そこまで疑いたくないものだが、とエリックは思う。


 だが、確かに用心が必要な時代になったものだとも思った。


……………………

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[一言] >「ウルタールの民話だ。ウルタールは猫に守られているという話がある。この街では決して猫を殺してはならない。霊的にも特異な猫を殺すのはどこの街だろうとリスクのある行為だが、ウルタールのはレベル…
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