野盗の襲撃
本日3回目の更新です。
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──野盗の襲撃
食料品店で携行食料を1週間分購入した。重さは大したものではない。魔力をカロリーと栄養素に変える魔術が付与されたファスト・トラベル・ミールは文庫本1冊にも満たない大きさで、21個を箱買いしても鞄の中にちゃんと納まった。
「青魔術師の技術も年々向上していますね。魔力を込めるだけで食事ができるなんて」
「そうだね。青魔術師は研究熱心だ。彼らはいつも新しい商品を市場に届けるために工夫を凝らしている。見習うべき点だ。赤魔術師は戦争で活躍し、青魔術師は資本主義の世界で活躍し、黒魔術師は居場所を失った今となっては」
「居場所、本当になくなっちゃったんですよね……」
街を行く人々もエリックとフィーネの黒と白のローブを見るとひそひそと話し始める。サンクトゥス教会の司祭たちは侮蔑の言葉を投げつけてくる。『このアーカムに貴様らのような不浄なる存在は不要である』と。
「私たちは本当に要らない存在だったのでしょうか」
「私の仲間たちならば違うと言ってくれるだろう。7年間、彼らとともに仕事をしたが、彼らは私が不要だと言ったことはなかった。黒魔術師には黒魔術師にしかできない仕事がある。そして、それは汚れていたりはしない」
しょげるフィーネにエリックがそう告げる。
「ひとつ例を挙げよう。私たちのパーティがダンジョンに潜った時だ。そこは難攻不落のダンジョンとして有名だった。私たちは初の制覇者となるために万全の準備を整えて、ダンジョンに挑んだ。そして、苦労しながらも最深部に到達した。そこで私たちは見たのだ。私たちよりも先にダンジョンの最深部に到達し、そこで力尽きた冒険者の姿を。私は彼の霊を降霊させ、話を聞いた。彼はこのダンジョンを必ず攻略して、富を手にし、貧しい暮らしを強いられている妹にお金を送ることを望んでいた」
エリックが過去を振り返るように夜空を見上げる。
「私たちは最初のダンジョンの制覇者は彼だとギルドに報告した。そしてダンジョンの攻略報酬は未だに貧しい暮らしをしていた彼の妹に送られた。私たちは彼の遺言を執行したのだ。遺書に書き残されていなかった遺言を。私たちの行動は正しかったと言えるし、決して汚れていたとも思わない」
「素敵ですね。私もそんな死霊術師になりたかったです」
「夢を諦めるのはまだ早い。君の未来は今から始まるんだ」
エリックはそう告げると馬車の停留所で立ち止まった。
「23時12分に出る馬車に乗ろう。夜の馬車に乗ったことは?」
「このアーカムに到着するまでに何度か」
「そうか。ここ最近は治安が悪い。いつでも杖を抜けるようにしておきなさい」
「で、でも、私、何もできませんよ? 座学で基礎講義を受けただけで……」
「相手は死霊術師が杖を抜いているというだけで警戒するものだ。それで時間が稼げることもある。あいにく、私は杖を使うのを止めてしまったので、その手のはったりを利かせることはできない」
「は。はったりですか……」
フィーネはがっくりと肩を落とした。
「はったりも戦術のひとつだ。はったりひとつで命が助かるならば良しとせねば」
「は、はい!」
エリックが研究所に籠り切りになって、本に記された“事実”と些細な実験で得られる“成果”だけに頼らず、外に出て冒険者になったのは彼の研究にインスピレーションを得るためであり、研究所に籠っていては得られない人生経験を積むためだった。
エリックが今研究している分野は心理学に近い。そのため数学のように数式と睨めっこしているだけでは結果が出せない。より多くのサンプルと接し、より多くの社会の仕組みを経験することが研究を推し進める。
自分たちが使う冒険者流の戦術にも心理学が影響する。指揮官がこの場面でどのような選択肢を選ぶのかというのは、まさに心理学だ。教科書通りの戦法が上手くいかないことが多い冒険者の戦闘において指揮官の性格はその戦術に現れる。
エリックの言うようにはったりをかまして時間を稼ぐというのは、エリックの何も起きないならばそれでいいという性格が現れている。ここで杖を敢えて秘匿し、相手の不意を討つ選択肢を選ぶのならば、その人物は好戦的で狡猾な性格をしている。
「まずは学問都市ミスカトニックに向かう。そこに古くからの友人がいる。彼女にここ最近の情勢について話しておきたい。君のことも説明をしておくべきだろう」
「え。それってその人とは何か不味い関係なのですか?」
「不味い? ふむ。彼女とは800年の付き合いになる。だが、不味いと感じる要素があるほど不仲ではないよ。彼女は友好的だ。君のことも良く扱ってくれるだろう。その杖もミスカトニックについたら買い替えるといいかもしれないな」
「いいえ。一人前の死霊術師になるまではこのままで。そう決めています」
「そうか。決意が固いのはいいことだ」
学校で支給される見習いであることを示す杖。それを持っているということは、自分がまだまだ学ぶべきことを残しているという謙虚さを示す。エリックの時代には学校という制度そのものがあいまいで、専門性もなかったため、彼はそのような杖を持っていないが、あれば彼は研究所の一番見える場所にそれを飾っただろう。
人生は学習だ。人生は学ぶためにある。学ぶという意志を放棄してしまえば、それはただの電気信号で機械的に動く肉の塊と同等の存在となる。
「そろそろ馬車が来る時間帯だな」
エリックは懐中時計を取り出してそう呟く。
その呟きとほぼ同時に遠くから馬の蹄の音が聞こえてきた。
「おや。死霊術師の方で? 今日は随分と多くの死霊術師の人がアーカムから出ていきますな。何かあったのですか?」
「失業だ」
エリックはそう告げて馬車に乗り込んだ。
「さあ」
「あ。ありがとうございます」
馬車に乗る際の段差でエリックはフィーネに手を貸した。
「それでは他にご乗車する方はいませんね。出発します」
馬車はガラガラと音を立てて、アーカムを出発した。
エリックは最後にアーカムの姿を見る。
光り輝く眠らない都市。その栄光はいつまで続くだろうか。
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馬車はガラガラと進む。
4時間おきに設置されている馬小屋での休憩の時間以外はずっと馬車に乗っていることになる。馬車も商売なのでなるべく早く人間を目的地に届けて、次の客を乗せたい。そのため休憩は短時間だ。
特にエリックたちの乗っている馬車は運賃の安い平民向けのものだ。貴族や富豪なら自分の馬車を持っているので、このような馬車を利用することはない。
事実、エリックたちと同乗しているのは、アーカムに出稼ぎに来ていたのだろう農夫風の男性と自分の馬車がまだ持てない行商人と思われる人物だった。
流石に時間帯が遅いためか、馬車内で会話はなく、フィーネもエリックに寄りかかって寝息を立てていた。それでも杖だけはしっかりと握り締めている。
誰かにこうして寄りかかられるのは何十年振りだろうかとエリックは思う。
ヴァージルたちは訓練された冒険者だった。彼らは一種の覚醒効果のある向精神薬──中毒性はない──を服用し、72時間眠らずに行動できた。街に帰り、宿に入るまでは決して気を抜かず、居眠りなどとは無縁の冒険者たちだった。
だから、エリックが誰かにこうして信頼を置かれ、身を預けられるというのはあまりにも久しぶりのことであった。まあ、エリックの人付き合いが苦手だということで、あの広いアーカムでも友人と言える人間が“紅の剣”のメンバーぐらいだったことも原因のひとつであろうが。
馬車が急に止まったのはその次の瞬間だった。
「銃声。やはり治安が悪化しているな」
エリックはそう呟くと未だに夢の中にいるフィーネを見た。
「フィーネ。起きなさい」
「おなかいっぱい……」
「フィーネ」
「は、はひ!?」
エリックがフィーネの耳を引っ張り、フィーネが飛び起きた。
「あれ? 休憩ですか?」
「違う。銃声がした。恐らくは野盗だ。準備したまえ」
「銃声!?」
フィーネの声があまりの驚きにひっくり返る。
「落ち着きたまえ。慌ててもどうしようもない。少なくとも相手はこちらの命を奪うよりも先に、こちらの持っている財産に興味を示すだろう。身代金が取れそうならば生かしておくし、そうでなければいたぶってから殺すだけだ」
「こ、殺される……」
「だから、狼狽えないように言っているだろう。馬車を出よう。私から出る」
怯え切って震えている農夫と行商人を置いて、エリックはフィーネとともに馬車の外に出た。時刻は0時50分。外は月の明かり以外の光源は存在しない。
「御者の方。ご無事ですかな?」
「は、はい。ですが……」
弾痕が地面に刻まれている。
「無害な黒魔術師を追放する暇があるなら、治安を改善してほしかったものだ」
エリックはそう告げて草木を踏む音のする方向を向く。
「へへっ。死霊術師か。アーカムを追い出されたのが全財産抱えて出てくるからいい獲物になるぜ。そこを動くんじゃないぞ」
そう告げて姿を見せたのは周囲に溶け込む緑色のシャツとズボンを身に着けた男たちだった。狩猟用の魔道式小銃で武装した野盗だ。軍からの流出品なのか、その服装はアーカム都市軍のそれと同じだった。丈夫な繊維で作られた野戦用の装備。
「フィーネ。杖を構えたまえ」
「は、はい!」
フィーネが杖を構える。エリックは外套のポケットから手を抜き、両手を広げて野盗たちに見せた。自分は非武装だと示すジェスチャーだった。
「おいおい。兄さんはもう降参か?」
「ボス。娘の方は上玉ですぜ」
「何見てやがる。あいつ、杖を構えているじゃないか」
野盗たちが言葉を交わす。
「だが、周囲に死体がないのに死霊術は役に立たないでしょう?」
「それもそうだな。ただのはったりか。それとも赤魔術でも覚えているのか?」
エリックたちと野盗の間で緊張が走る。
「フィーネ。見えるかね」
「はい。見えます」
「彼らはここで大勢を殺してきたようだ」
死霊術師であるふたりの目にははっきりと見えていた。野盗たちの体にしがみつく、多くの黒い影を。彼らに殺された恨みを抱える怨霊の姿を。
「だが、見えるだけでは意味がない。次のステップについては教わったかね?」
「いいえ……。見えるだけです」
「そうか。では、ここでレッスンだ。あの怨霊を使って野盗たちを無力化しよう」
エリックはそう告げて野盗たちに一歩近づいた。
「おい。動くんじゃない。次に動いたら撃つぞ」
「君たちはどうせ最後には撃つのだろう。ここで多くの人々を殺めてきた。ただ彼らの財産が欲しかったために。女子供すら殺した。少しばかり見過ごせないな」
「へえ。なら、何をしてくれるんだ? 連中の死体なら綺麗さっぱり片付けちまったから、お前が使える死体はないぞ? 死体のない死霊術師ってのも間抜けだな!」
野盗たちがげらげらと笑う。
「死体は必要ない。彼らの思い残したことを実現させるだけでいい」
エリックはそう告げて軽く手を振った。
「何を──」
「ぎゃあああっ!」
野盗のボスが戸惑った声を発したのと同時に悲鳴が響いた。
野盗たちは10名いたが、そのうち9名が体中から血を流しているのだ。目から、鼻から、耳から、口から、体のあらゆる部分から出血していた。そしてその苦痛にもだえ苦しんで、地面をゴロゴロと転がり回っている。
「死体は必要ない。君たちに憑りついた彼らの思いを遂げさせるだけで十分だ」
「て、てめえっ!」
野盗のボスがエリックを狙って魔道式小銃での射撃を試みたときに、その腕がぐにゃりと折れた。曲がってはいけない方向に曲がった腕を見て、野盗のボスが悲鳴を上げる。
「随分と恨まれているな。彼らは自己を失いかけるまで君たちを恨んでいたようだ」
「た、助けて……」
「君たちはそう言った人々を助けてきたのか? そうではないだろう」
エリックは腕を下ろし、野盗のボスの頭に手を置く。
「見たまえ。これが君たちを恨んでいるものたちだ」
次の瞬間、野盗のボスの視界に血まみれの人間の顔がいくつも浮かんだ。この顔には見覚えがある。野盗のボスが殺してきた人々だ。
「思いを果たせず、いつまでも地上に縛り付けられるのも哀れだ。彼らの願いを果たさせてやりたまえ。君に罪悪感が少しでも存在するならば」
「い、嫌だ……! 助けてくれ……!」
「できない相談だな」
そして、エリックが野盗のボスから手を離すと野盗のボスが悲鳴を上げ始めた。
「悪かった! 許してくれ! 頼む! 助けて──」
野盗のボスは部下と同じように血塗れになりながら地面に転がり、悲鳴を上げ続けた。その悲鳴が途切れて、彼が死んだのは15分後のことだった。
「フィーネ。レッスンだ」
「は、はい」
「怨霊を実体化させることも死霊術のひとつだ。怨霊には完全に自己を失って他者を無差別に襲うものと、恨みを持った対象のみを襲うものがある。こうして、後者を実体化させてやれば、敵対者を無力化できる」
「は、はい」
「実体化については怨霊で試すよりも、もっと安全な霊で試した方がいいだろう。レッスンはここまでだ。さあ、馬車に戻りたまえ。いつまでも待たせては他の乗客にも悪い」
フィーネは心臓をバクバクと言わせながら、馬車に乗り込んだ。
この人は本物だ。本物のグランドマスター・エリック・ウェストだ。
私はこの人から何を学べるだろうか?
フィーネの心を期待と不安がよぎったが、期待の方が僅かに上回っていた。
私はなるんだ。一人前の死霊術師に!
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