初めてのエリック宅
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──初めてのエリック宅
その日の夕食はシチューだった。
メアリーが焼いた柔らかな白パンと廃棄地域産の野菜とお肉が具沢山のシチューという素朴な夕食だった。それは素朴ではあったが、味は絶品であり、フィーネは思わずお替りしてしまった。
それから風呂に入り、下着を変えるとフィーネはベッドに突っ伏した。
「これからここで暮らしていくんだよね」
フィーネはグルリと天井を向いて、そう呟く。
「立派な死霊術師になれるといいなあ。冥府にいるお父さん、お母さん、おじいちゃんに誇れるような立派な死霊術師に……」
フィーネはそこで大きく欠伸をした。
「眠い。寝よう……」
フィーネはベッドにもぐりこむと、ゆっくりと目を閉じた。
そこは実家のように安心できる場所であった。
思えば王立リリス女学院の寮での生活も最後まで慣れなかった。
友達と一緒の部屋で暮らすというのに、どうにも落ち着かなかった。フィーネと部屋を同じくしていた生徒は同じ組魔術科の生徒で、部屋にブードゥー人形などを持ち込んでいたが、それが気になったわけではない。
何が気になったのか。それが分からない。
ただ、自分がここにいるのは間違っているという思いがあって、そのために落ち着かなかった。どうして場違いであると感じたのか。それも分からない。
フィーネは前に述べたように友達付き合いのいい生徒で、女子生徒同士の恋愛には興味はなかったが、友達はたくさんいた。だから、ふたりで相部屋になるのが嫌だったわけではないと思う。
だが、どうしてか落ち着かず、ゆっくりと眠れたことはなかった。
それがエリックの家では落ち着く。
ここが自分のいるべき場所だという確信を感じる。根拠のない確信だが。
(どうしてだろう。凄く落ち着く。学校を追放されたことも、黒魔術が迫害されていることもどうでもよくなってくる。明日はウルタールに行って、洋服を買うんだ。可愛い服を買おう。ジャケットも新しい奴。あ、お金ないんだった……)
フィーネはそんなことを考えながら眠りへと落ちていった。
「マスター。お弟子さんはお休みになられたようです」
「うん。明日はウルタールだ。休んでおいてもらった方がいい。私はあの街を否定はしないが、あそこに行くと疲れが出る。人が多すぎるのがいけないのだろう。人口密集地の寿命差を調べた論文があったが、人は一定数の密度を越えるとストレスを感じ始め、寿命が縮まるそうだ」
「リッチーであるマスターには関係のないことですよね?」
「まあ、それはそうだが。だが、ストレスと感じるのは愉快ではない」
エリックは咳払いしてそう告げた。
「マスター。あのお弟子さんはマスターに恋心を抱いています」
「それはないよ、メアリー。私のような人間に惹かれる人間はいない。私も努力せずして冒険者たちの仲間になったわけではないのだ。それが努力せずして、誰かに惚れられるなどということがあると思うかね?」
「あの子は私がマスターへの愛情を率直に表現したら動揺しました」
「それは君が藪から棒に突拍子もないことを言うからだ」
「いいえ。私がマスターとスキンシップしていたときの視線でも分かります。あのお弟子さんはマスターと私の関係に嫉妬に近い感情を持っています。これは危機的です。我々の夫婦関係にひびが入ります」
「君と夫婦になった覚えはないのだが」
「私はあります」
完全に言い切ったメアリーを前にエリックは頭を抱えた。
「君が私に恩義を感じているのは分かるし、魂が調和しているので親近感を抱くことも分かる。だが、我々は夫婦にはなれないよ、メアリー。私にはその資格はない。君はもっと自由に生きていいんだ。私から離れていってもいい。私はそうすることを恩知らずなどと思ったりはしない。むしろ患者が健康になって自由に歩きまわれることに喜びを覚える。君を縛り付けていては、君を託したご両親が悲しむのではないかと思うが」
「7年も留守を任された割に言いますね」
「申し訳ないと思っている」
「では、謝罪を体で支払ってください」
「それは断る。君とはそういう関係になるべきではない」
「頑固ですね……」
メアリーはため息をついた。
「私は確かに助けてもらった恩義で尽くしてきました。ですが、今はもうそれだけではないのです。800年尽くしてきたのは、ひとえにマスターのことを愛しているからですよ。それに応えないとは残酷すぎるのではありませんか?」
「だが、私は試したのだ。デュラハンで君の疾病が治せるという保証はどこにもなかった。私はただ自分の技術で君が治せるか試したのだ。そんな人間に君とともに愛し合うという権利を与えるべきではない」
デュラハン化による魔力循環不順の治療は人体実験だった。
理論上は成功する。だが、机上の理論とは必ずしも成功を意味しない。こと人体においてはカオス理論的システムによってひとつのファクターが、より多くファクターに影響を及ぼすことがある。遺伝子への影響、生殖能力への影響、精神への影響。様々な問題が考えられた。
それでもエリックはメアリーをデュラハンにした。
彼が完全な好奇心でメアリーの体を弄ったわけではないことははっきりさせておこう。確かに彼はこの方法で患者を治療できるのかという好奇心はあったが、それよりも大きく患者の命を救わなければという気持ちがあった。
だが、人体実験をしたという事実はなくならない。
エリックはメアリーに対する罪悪感から、メアリーを養うことにした。軽い研究の手伝いや家事をしてもらうことと引き換えに、彼女の面倒を見続けた。使用人としての給与も支払ったし、それを使って自由になることも承諾していた。
だが、メアリーは800年経ってもエリックの傍を離れなかった。
エリックは精神的な影響を疑っている。魔力循環不順の患者をデュラハン化させたことによって、通常のデュラハン化よりも負荷がかかり、それが精神に影響を与えたのではないかということを疑っている。
そうであるならば、それに付け込んで恋人同士の関係になるなど、言語道断だ。それは暴力に等しい。そうであるからにして、エリックはメアリーの好意を拒否し続けてきた。それはまやかしの好意に過ぎないのだとして。
「私は治療がいかなる結果に終わっても受け入れると同意しました」
「私は君を治療することを誓った。治療は今も続いている。君が離れるまで」
メアリーとエリックがそう言い合う。
「やれやれ。7年振りだというのにマスターは冷たいです。ハグくらいはしてくれたって損はないと思うのですか」
「それぐらいであれば」
エリックが椅子から立ち上がる。
そして、メアリーをそっとハグした。
「マスター。あまり遠くには行かないでくださいね」
「ああ。これからは近くにいる」
メアリーはぎゅっとエリックのスーツを掴んでそう告げた。
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翌朝、フィーネは起きたときちょっと混乱した。
知らないベッドの上で眠っていることにあたふたしたが、やがて自分がエリックの家に招かれて泊っているのだったことを思い出した。
まだ時間は早朝。部屋の時計は6時を指している。
「ちょっと早く起きすぎちゃった」
また寝るのは寝過ごしそうだったのでフィーネは服を着て、ジャケットを羽織るとそっと部屋を出た。案の定、まだ誰も起きていない。
フィーネはそのままエリックの家の外に出ると、周囲の風景を眺めた。
廃棄地域と聞いて思い浮かぶのは治安の悪いスラムのような場所だったが、現実の廃棄地域はよく澄んだ青空と清浄な空気の気持ちいい場所だった。
「ここまでは教会も追ってこないはず。だけど、それではアカデミーでマスターの称号を取るのも難しくなるなあ。まあ、私がマスターの称号を取るのなんて数百年後のことだろうけれどさ」
フィーネはエリックの所属している神の智慧派に入りたかったが条件は厳しい。
フィーネはちょっとした丘の上にあるエリックの家から周囲を睥睨する。ちょっと遠くには集落が見える。その他にも平地になっている場所に家が建っているのが見えた。エリックのご同業だろうかと当たりをつける。
フィーネは正門からの眺めを堪能すると、裏庭に回った。
裏庭は昨日見たように雑草が茂っているだけだった。草木を植えるという発想はなかったらしい。そもそも裏庭を裏庭と認識しているかどうかすら謎であった。前庭は整備されているのだから、裏庭も同じように整備されるはずなのだが。
「桜の木とか植えたらよさそう。預言の日がある春はお花見ができるし。預言の日に食べる桜のお団子も美味しいし。それから雑草は抜いてハーブを育てたりしてもいいかも。花の綺麗なハーブもあるし、食事にも使えるし」
フィーネは裏庭を眺めながらそんなことを呟いていく。
「お弟子さん」
「ひゃい!」
突然、声がかけられたのにフィーネが飛び上がった。
「早く起きられたならもう朝食になさいますか? それともマスターが起床なさるまでお待ちしますか?」
「ま、待ちます」
「そうですか。ごゆっくり」
メアリーはそう告げてダイニングの窓を閉めた。
「ううむ。我が家のようにしてくれと言われましたが、まだまだ他人のお家ですな。ちょっと緊張する。庭とか弄っても怒られるかなー」
フィーネはそんなことを呟きながら、ぐるりとエリック宅を一周した。
「前庭は綺麗だな。ラベンダーと何だろう不思議な花。薬草になるのかな? それともやっぱりエリックさんも自宅が華やかな方が嬉しいのかな?」
フィーネは暫くの間、前庭をゆっくり眺めていた。
「フィーネ」
「エリックさん。起きられました?」
「ああ。朝食にしよう」
エリックはシャツとズボンだけの簡素な格好でフィーネにそう促した。
フィーネが家に入ると香ばしい香りがしてきた。
ベーコンの焼ける臭いと卵の焼ける匂いだ。パンの香ばしい匂いもする。
「朝食ができていますよ」
メアリーがそう告げて食卓を指さす。
朝食のメニューはカリカリに焼いたトーストにベーコンエッグだった。それからグレープフルーツが添えられている。
「バターとジャムは好きに使ってくれ」
「はい」
フィーネはジャムをたっぷりとトーストに塗る。
カリッとした表面の食感とふわりとした中の食感が嬉しいトースト。ジャムはイチゴで、甘酸っぱい。どれもフィーネの口を幸せにしてくれた。
ベーコンエッグもなかなかいい。黄身は半熟で、行儀が悪いがトーストに付けると美味しい。ベーコンはカリカリだが脂身がジューシーで、卵の白身と一緒に食べると、美味しさが口の中に広がる。
卵の白身が苦手という友人がいたが、あれはどうして苦手だったのかフィーネには分からない。白身も美味しいのに。
「凄い速度で食べますね」
メアリーが呆れたような口調でそう告げた。
「よ、よく言われます……。でも、ちゃんと噛んで食べてるんですよ。それにしっかり味わってますし。とっても美味しいです、この朝食!」
「それはよかったです。エリザベート様のように偏食でなくて安心しました」
メアリーは涼しい顔でそう告げた。
「メアリーさんは朝食は?」
「もう済ませました。では、私はウルタールに行く準備を進めておきますので」
メアリーはそう告げてそそくさとダイニングを去った。
「ああ。食器は流しに置いておいてください。片付けますから」
「はーい」
と、少し戻ってきてメアリーが告げる。
「エリックさんは幸せ者ですよ。いつも美味しいごはんが食べられるんですから」
「ああ。食事は心を豊かにする。珍しい料理や美味しい料理は精神を育む」
そう告げて、エリックは食パンを齧った。
「学校の朝食はオートミールばっかりでしたからね。こういう朝食の方がいいです」
フィーネはそう告げてトーストにあっという間に1枚片付けてしまった。
「オートミールも悪くはないのだが、毎日は飽きが来るな」
「ですよね。美味しい朝食万歳です」
フィーネはあっという間に完食してしまった。
「じゃあ、私も出かける準備を──とはいっても、鞄を持ってくることぐらいですが」
「これから揃えていけばいい。生活費は私が持つから君は学ぶことに集中したまえ」
「了解!」
これからエリックが食事を終えて、メアリーの準備した鞄を受け取るとエリックたちはウルタールに向けて出発することになった。
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