自宅
……………………
──自宅
「ここだ」
動力馬車が止まった。
「おー! あれがエリックさんのご自宅なんですね!」
フィーネが見るのは木造3階建ての家だった。
ちょっとした貴族の別荘ほどの広さがあり、庭もあった。庭にはいくつかの花々が花を咲かせている。説明されなければここが死霊術師の研究所兼自宅だとは思わないだろう。それぐらいに穏やかな見た目の家であった。
「あれ? でも、ここら辺は平原なんですね?」
「普通は森の中に研究所は作らない。外部魔力の影響で実験結果が変わったり、間違ってローブなしで魔術を使ってしまった場合に体がパンクする恐れがあるからね。そもそも森の中というのは魔力を抜きにしても、クマやなにやらいろいろと面倒なことが多い」
「それもそうですよねー」
森にはいろいろな住民がいる。ムカデなどの害虫もそのひとつだ。
「さて、留守中のことは彼女に任せていたのだが」
エリックが門をくぐり、正面玄関の扉を開ける。
「ただいま」
エリックがそう告げると静かな足音が聞こえてきた。
「お帰りなさいませ、マスター。7年振りの御帰宅ですね」
「ああ。7年振りだ。メアリー」
現れたのはメイド服姿の16歳ほどの少女だった。
ヴィクトリアンメイドスタイルのメイド服にくすんだアッシュブロンドの髪をふたつ結びにして纏めている。背丈はフィーネと同じくらいで、胸のサイズもフィーネと同じくらい。その瞳の色は青く、暗く、藍色をしていた。
「エリザベート様とどなたです?」
「フィーネです。フィーネ・ファウストと言います」
メアリーがジト目でじろっと見るのに、フィーネが頭を下げた。
「はあ。マスターがまた女連れで朝帰りしてきましたよ。私というものがありながら、なんという浮気者なのでしょうか。首を吊りたくなってきます」
「またでもないし、君と私の間に女性関係はないだろう」
メアリーが首をすくめると、エリックがため息をついた。
「紹介しよう。メアリー・ブレイディ。私の助手だ。研究の手伝いと家事を任せている。メアリー、フィーネは私の弟子にすることにした子だ」
「初めまして」
メアリーはフィーネに行儀よくお辞儀する。
「メアリーさんとは歳が近そうですね。よろしくお願いします」
「は? 私はこう見えても800歳ですよ。あなたはただの15歳辺りでしょう」
「8、800歳?」
フィーネが呆気にとられる。
「メアリーはデュラハンだ。私と契約を交わしている」
「デュラハン?」
エリックの説明に首を傾げる。
「いわゆる、夫婦のようなものです」
「違う。デュラハンは死霊術におけるリッチーのような人間の形態のひとつだ。術者と契約し、魂を調和させ、かつ魔力の経路を繋ぐことで、術者が生存してる限り生存し続ける存在になる。デュラハンというのはおとぎ話に出てくる首無し騎士の名前なのだが、これは霊的存在を調和させ、魔力の経路を繋ぐ際に首を一時的に切断することから名づけられたものだ。実際におとぎ話のデュラハンのように死を宣告したりはしない」
「まあ、実質夫婦ですね」
「違う」
メアリーが無表情に夫婦アピールするのにエリックがため息をつく。
「メアリーさんってエリックさんのこと好きなんですか?」
「愛しているかどうかと問われれば、世界で一番好きです」
「す、凄い直球で来た……」
メアリーはさらりとそう言ってのけた。
「私がデュラハンになったのも、ひとえにマスターと一緒にいるためですからね。リッチーであるマスターと一生を共にするには、持病を抱えていた私にとってはデュラハンになるしかありませんでしたから」
「まあ、そうだね。君の魔力の循環不順から来る臓器不全を解決するにはデュラハンにするしかなかった。リッチーにするには魔力の循環不順が危険すぎた。リッチーは魂を強化する。リッチーは魔力によって肉体を強化する。リッチーは魔力によって老化のプロセスを停止させる。体内の細胞が永遠に生まれ変わり続けるように細工をする。そのときに魔力循環不順など起きていたら、魂も肉体も破壊される恐れがあった」
そこでエリックはトントンとメアリーの頭を叩いた。
「彼女を救うには体内の魔力循環不順を解消するために魂を調整しなければならなかった。そのためのデュラハン化だ。デュラハンは術者の魔力を流し込み、魔力の流れを整える。魂は術者と調和することで破壊されることを防がれる。リッチーである私の魔力は無尽蔵だし、彼女の魔力循環不順を治癒するには十分だった。魔力の循環不順が解消されれば、臓器不全も解決する。デュラハンとなったことで死霊術師と同様に肉体が健康な状態に維持されるため、これまで破損していた部位も元に戻る」
エリックは続ける。
「彼女はデュラハン化する前に肺の30%と心臓の30%、肝臓の60%、小腸の20%を始めとする体中の臓器に傷を負っていた。16歳まで生き延びられたのが不思議なくらいだった。デュラハン化することでこれらの臓器不全は全て解決し、健康体となった」
「そして、マスターの妻となったのです」
「なってない」
エリックの上げた数字だけでもメアリーが壮絶な人生を送ってきたことが分かる。
「大変だったんですね」
「彼女が私のところに来たのは最後の望みを託してのことだった。死霊術師であり医学にある程度精通した私ならどうにかなるのではないかと。だが、私にできたのは彼女をデュラハンにすることだけだった。今でも彼女にもっといい治療ができたのではないかと考えるが、その方法は思い浮かばない。彼女の体質は特異だった」
そこでエリックがエリザベートを見る。
「エリザベート。君は彼女のような体質の報告例を見たことがあるかね?」
「ないな。先天的魔力不順による臓器不全。恐らくはそうと分からないままに死んでしまった例がいくつかあるのだろう。並みの医者では原因を突き止めることすら不可能だ。君が症例報告をしたからこれからそのような症例も報告されてくるかと思ったが、この800年まるでそういう例は報告されてこなかった」
エリザベートは肩をすくめる。
「どのみち、デュラハンにする以外に治療方法がないのでは、原因が分かってもどうしようもないということもあるがな。あるいは吸血鬼にするか。吸血行為も魔力の流れを整える効果がある。整えるというよりも眷属の魔力の流れを自分のものに同調させるというものではあるが」
「吸血鬼になるのは遠慮します。私はマスターが一番なので」
そう告げてメアリーがエリックの腰に抱き着いた。
「そういうわけで、彼女は私と一緒に生きている。留守中のことも任せていた。子供たちは元気にしているかね?」
「ええ。皆、元気にしていますよ。アルファは無事にアカデミーでアプレンティスの称号を得ました。赤魔術師としての大きな一歩ですね」
「それはなにより」
フィーネはエリックとメアリーが交わした会話を聞いて唖然とした。
「こ、子供たち……? その、エリックさんとメアリーさんの間にはお子さんがいるのですか……?」
衝撃であった。
エリックはこれまで独身だと思っていたのだが、実は奥さんがいて、子供までいるとは。自分のエリックに対する恋心が粉々に粉砕されていくような気持ちにさせられた。
「実子ではないよ。そして、当然ながらメアリーとの子でもない。ちょっと事情がある。私の実験にもかかわることだ。後で説明しておこう」
「ちなみにお子さんは何名……?」
「23人だ」
「23人!?」
衝撃であった。
実子でもない子供が23人。大家族すぎる。いや、1000年も生きていればそれぐらいの家族はできるのか……? しかし、それにしても大家族。エリックへの恋心が難しいものになっていくのを感じたフィーネであった。
「まあ、彼らは彼らで自活した生活を送っている。ここでのことにはあまり関わらない。たまに帰省してくることもあるが、本当にたまにだ。彼らには彼らの人生がある。私は彼らの人生が灰色に終わらないように教育を施したし、活動していくうえでの資金も援助した。そして、彼らは自分たちの道を見つけた」
エリックはそう告げて家の奥に進んでいく。
「メアリー。お茶を頼めるか。君も混じって話をしよう。今後のことについて」
「分かりました、マスター」
メアリーはペコリと頭を下げると家の奥にそそくさと進んでいった。
「フィーネ。君も遠慮せずに上がりたまえ」
「あ。はい」
メアリーの出現や23人の子供の件で呆気に取られていたが、ここは目的地であるエリックの家なのだ。お邪魔しなければ。
エリックの家の玄関は2階に通じる階段があり、扇状に部屋が広がっている。扉が閉ざされているので何の部屋かは分からないが、かなり広い家のように思われた。
フィーネとエリザベートはエリックに続いて正面からまっすぐ進んだ部屋に入る。
そこはダイニングだった。30人は座れそうなテーブルが置かれ、キッチンに繋がっている。本当に23人の子供がいるんだとフィーネに思わせるのに十分な証拠であった。
大きなテーブルも気になるが、ここは陽ざしもよくて、裏庭も見える。裏庭は整備する気がないのか、雑草が茂っているだけで寂しい光景だった。何か植えたら食事しているときに楽しめてよさそうなのになとフィーネは思った。
「お茶をどうぞ」
「ありがとうございます」
メアリーがエリック、フィーネ、エリザベートの前にお茶を置く。そして、最後にメアリーは自分の分のお茶を置いて、エリックの隣に座った。
「さて、それでは今後のことについて話そう」
エリックが告げる。
「エリザベートには部屋を提供する。好きに使ってくれて構わない」
「ありがとう。暫くは、積んでいた本を崩すが、足りなくなったらウルタールに買いに行く。本は好きに買いだめていいか?」
「部屋に収まる限りは」
「感謝する」
エリザベートはとことん本の虫になる気だ。
「さて、フィーネ。君には約束した通り死霊術について教える。基礎から実技を含めて学んでいこう。だが、これから先、純潔の聖女派の影響で黒魔術が公に使えない時代が訪れるかもしれない。それでもなお君は死霊術師になりたいかね?」
「なりたいです。立派な死霊術師になってお父さん、お母さん、おじいちゃんに誇りたいんです。それができれば満足です」
「分かった。その決意に変わりがないようで安心した」
エリックはそこでお茶に口をつける。
「メアリー。死体市場の調子はどうだね?」
「7年前と変わらずです。相変わらずどこから出たのか分からない死体が並んでいますよ。フィーネさんのために死体市場で買い付けを?」
「いずれは。実技をしなければならないからね」
「御用ありましたら私にお申し付けください」
「ありがとう」
死体市場という不穏なワードが出てきた。
「死体市場って何ですか?」
「文字通り死体がやり取りされる場所だ。死体を売る人間がいて、死体を買う人間がいる。ウルタールの死体市場は犯罪性のないものに限って扱われている。少なくとも表向きは。まあ、降霊すればすぐにばれるので、自分で殺した死体を売りはしないだろう」
「え。そんな市場があるんです……?」
「医学でも死体の需要は高い。言っておくが、私の死霊術は医学的なエビデンスに基づくものになるので、死体の解剖実習も行うよ。女性はあまり血は怖がらないと聞くが、君は大丈夫かね?」
「し、死体の解剖……」
「神聖な儀式だ。死体を提供してくれた死者を降霊して礼を述べそれから解剖を始める。決して我々は遊びで死体を切り刻むわけではないということを理解しておきたまえ。我々は死霊術を発展させるために死体を解剖するのだ」
「了解です!」
そうだ。死霊術師になるのだ。死体が怖くてどうする。それに死体は怖いものじゃない。かつて生きていた人たちが残したものだ。降霊すればその人から話も聞ける。怖いものじゃない。変な偏見を持つのはやめよう。そうフィーネは思った。
「では、まずは君の部屋に案内しよう。自宅だと思ってくつろいでくれ」
エリックたちはお茶を飲み終えるとエリックに従って2階に上がった。
「ここが私の部屋だ。何かあったら遠慮なくノックしたまえ」
まず西にあるのがエリックの部屋。
「ここはメアリーの部屋だ。彼女は夜は静かに眠りたがっているから注意してくれ」
その隣がメアリーの部屋。
「そしてここが君の部屋だ、フィーネ」
メアリーの部屋の隣がフィーネの部屋だった。
「わあ。広い」
「好きに使ってくれて構わない。足りないものがあればウルタールに買いに行こう」
部屋は扇状で、清潔な真っ白なシーツが敷かれたベッドが窓際に位置し、それからタンスや本棚が壁に並び、青色のカーテンが開かれて日光が差し込んでいた。机と椅子もちゃんと完備されており、勉強のできる環境だった。
「本棚には私の書斎からまずは死霊術の基礎を学ぶ本を移そう。エリザベートのようにとは言わないが、本は読むべきだよ。本はいい教師だ。あらゆることを教えてくれる。もっとも、本だけでは分からないこともあるが」
エリックはそう告げて今は空っぽの本棚を指さした。
「頑張って勉強しますね!」
「ああ。励みたまえ。勉強すれば人生は豊かになる」
エリックはそう告げて部屋を出た。
「最後にここがエリザベートの部屋だ」
「文句なしだな。メアリーの仕事は信頼できる」
エリザベートの部屋もほぼフィーネの部屋と同じ間取りだった。
「家事は全てメアリーがやってくれる。部屋の掃除も頼めばやってくれる。だが、彼女にも私生活があるから、そこは配慮してくれ」
「私とマスターの時間ですね」
「違うよ」
メアリーがエリックに腕を絡めるが、エリックは首を横に振った。
「さて、何か聞いておくことはないかな?」
「洋服が2着しかないと不便なのでもう1着ほど買っておきたいのですけど……」
「分かった。それならウルタールに行こう。君も行きたがっていたことだしね。あそこなら洋服もいろいろと手に入る。明日にでも出かけるとしよう」
「ウルタール! 楽しみです!」
フィーネはニコニコだ。
「私も同行します。7年振りに帰ってこられてすぐに出かけられるとは、愛が足りません。愛の補充を要求します」
「分かった。メアリー、君も同行したまえ」
フィーネはエリックとふたりっきりになれなかったことに心の隅で落胆した。
「エリザベート。君はどうする?」
「私は積んでいる本を崩すまでウルタールに用はない。留守番しておく」
「分かった。そうしてくれ」
エリザベートは興味なさそうだった。
「では、夕食は4人分頼むよ、メアリー」
「畏まりました、マスター」
エリックはそう告げ、メアリーは頷いて返したのだった。
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