辺境伯の晩餐会
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──辺境伯の晩餐会
「おお! 来たな、エリザベートとフィーネちゃん!」
チェスターはホストとしてフィーネたちを出迎えた。
「やあ、よく似合っているね、ふたりとも。フィーネのは借りたのかい?」
エリックも既に席についていた。
エリックは糊の効いたタキシードに身を包んでおり、清潔感がする格好だった。エリザベートはフィーネと同じドレスコードながら、胸元をバラを模した花の立体的な飾りで覆っている。お洒落さはエリザベートの方が上だ。
ちなみにチェスターは晩餐会の主催者だというのに、ドレスコードをまるで無視した狩猟服姿だった。ブーツを履き、緑のカーゴパンツとジャケットにネクタイ。このまままたマンティコアを狩りにでも行くのだろうかという格好だった。
「さあ、さあ。料理が来るぞ。それからエリザベートにワインを開けてやってくれ」
「畏まりました、旦那様」
使用人が頭を下げると、ワインクーラーに入っていたワインをエリザベートのグラスに注いでいく。血のように真っ赤な液体がグラスの半分ほどに注がれるのをエリザベートは満足そうに眺めていた。
「イラーネクの1750年だ。それ1本でウルタールに家が買えるぞ」
「なるほど。報酬としては十分だ」
エリザベートはそう告げて赤ワインをゆっくりと楽しんだ。
「さてさて、俺はワインでは弱い。やはりここはドワーフの職人が作った蒸留酒でないとな。とっておきの火竜酒がある。エリック、やらないか?」
「では、1杯だけ」
「相変わらず飲むのは付き合いだけか」
「この世では何が起きるか分からない。いざという瞬間を酔っ払っていて見逃したという思いはしたくない。それだけの話ですよ、閣下」
「閣下はやめんか。お前さんとはもう100年以上の付き合いだ。エリザベートのようにチェスターと呼んでくれて構わないのだぞ?」
「それはいけない。あなたは廃棄地域の秩序を守っている権威だ。権威が貶められることがあてはならない。付き合いが長いからと言って、私はあなたを気軽に呼ぶのはそういう点において好ましくない」
「相変わらずの堅物だな……。まあ、いい。食事にしよう!」
チェスターがそう告げて手を叩いた。
「まずはウルタールで陸揚げされた白鯨のカルパッチョだ。こいつを捕獲するのに21人が犠牲になったそうだ。白鯨はただのクジラと違って攻撃的だからな。あれも案外海の魔物の一種なのかもしれん。だが、美味いことは確かだ」
白鯨とはクジラと似ているようで、生物学的な異なるとされる海洋哺乳類である。生態系は海への進出が遅れているこの世界では明らかになっていないが、基本的に攻撃的で、成体ともなると捕鯨船を破壊し、死傷者を出すことが確実だ。
それでもその肉はどの部位も珍味として知られるし、脂は青魔術師たちが魔法陣を刻むのに使う。骨も煎じて飲めば、様々な病気に効くことが分かっており、一度陸揚げされた白鯨は解体されると何も残らないのである。
今日はそんな白鯨のカルパッチョが前菜だ。
「美味しそう。いただきます!」
「お替りをしてもいいからな。たっぷりと食べてくれ」
フィーネは白鯨のカルパッチョを口に運ぶ。
白鯨の肉はその攻撃的なイメージと違って口の中で溶けるように柔らかく、オリーブオイルと黒コショウでしっかり味が締められているのが口を大変喜ばせた。
「白鯨のお肉って柔らかいんですね! 初めて知りました!」
「白鯨の肉でも一番柔らかい尾の部位の肉だからな。どうも白鯨は魔力で身体能力を上げているらしく、捕鯨船を体当たりで破壊するほどでありながら、その肉はそこまで筋肉質ではないのだ。まあ、俺は噛み応えのある白鯨のステーキも大好物だがな」
そう告げてチェスターはグラスに注いだ琥珀色の液体を飲み干した。
「美味い! 肉と火竜酒は本当に良く合う!」
ぷはーっとチェスターが息を吐く。
「上品な味わいですね。果物の利用しているような味わいですが」
「使っている樽が特別らしい。企業秘密なので詳しくは教えてもらえんかったがな」
エリックの方はしっかりと味わうように飲んでいる。
「まあ、酒造りに関してドワーフの右に出る人間はおらんさ。最近では本当に火が付くようなモトロフと言う酒を造っているらしい。楽しみでならんよ」
チェスターは満足そうに白鯨のカルパッチョをツマミに火竜酒を呷る。
「ふいー。美味しかったー」
「おお。そろそろ次のコースに進むか?」
フィーネが白鯨のカルパッチョで満足した様子を見て、チェスターが手を叩いた。
すると、次はスープが運ばれてくる。白いスープにネギとクルトンがまぶしてある。冷たいスープのようで、湯気は立っていない。
「廃棄地域の農家が作ったじゃがいもの冷製スープだ。ベルトランド爺様の森の魔力を受けて丸々と肥えたじゃがいもが使ってある。今日はエリックもエリザベートも魔力を消費しただろうし、たっぷりと食べてくれ」
フィーネは初めてみる食べ物に好奇心旺盛に突っ込んだ。
「わあ。冷たくて、爽やかで、それでいてまろやかな味。食べ飽きないですね」
「気に入ってくれたか。ウルタールで仕入れたレシピなんだ。あそこにはいろいろなものが集まるとは言ったものだ。世にも奇妙なオオカミ男の剥製から、エリザベートの好きそうな魔導書、エリックが興味を持ちそうな医学書、それから世界中の酒と料理! ウルタールに1週間滞在するのは世界を1週間見て回るのと同じことだと人は言うぞ」
フィーネが満足そうなのにチェスターもスープを味わった。
「たまには人間の食事というのもいいものだな。本当にたまにならば」
「エリザベート。流石に晩餐会でお前さんだけ血を吸っておくわけにはいかんだろう。まあ、お前さんたちのような吸血鬼の客をもてなすのに備えて血も用意してあるが」
「構わんよ、チェスター。流石はベルトランド爺様の森の魔力を受けた作物を使っているだけはある。高品質の魔力だ。血よりもいい」
エリザベートはそう告げてにやりと笑った。
「面白い料理ですね。冷たいスープとは。政治的な晩餐会にはもってこいの品でしょう。学会の会食などとなると、議論が白熱して料理がすっかり冷めてしまっているということが多々ありますからね。政治も同じでしょう」
「全くだ。政治家どもの相手は疲れる。この間もウルタール市議会の議員がやってきて、オリアブ島の連中が通商妨害を行っていると喚いていきおった。俺にどうしろというのだ。俺は廃棄地域を管理しているだけで、ウルタールの通商路まで管理しているわけではないのだぞ。傭兵を編成するように言っておいたが、海の傭兵はすぐに海賊に変わるから、またぞろ文句を言いに来るだろうな」
チェスターがため息とついてそう告げた。
「それだけ閣下が信頼されているのでしょう」
「嫌な信頼だ。ない方がいい」
エリックが告げたが、チェルターは肩をすくめた。
「さて、そろそろメインディッシュと行こうか」
チェスターはそう告げてまた手を叩いた。
次に運ばれてきたのは鉄板の上に乗せられた熱々のステーキだった。
「フラニス産牛のヒレステーキだ。これもウルタールで仕入れた。フラニス産牛はいい餌を食わせているのか、品種が違うのか、他の牛とは違った味わいをしている。特にヒレ肉は絶品だ。さあ、さあ、どんどん食べてくれ」
分厚いミディアムレアのヒレ肉に玉ねぎのソースとニンニクチップスがかかったものが、ドンと鎮座している。見た目的にも食欲をそそられる一品だ。
「あ。ニンニク……」
そこでフィーネはエリザベートの方を見た。
彼女はニンニクチップスの乗ったステーキを平然と食べていた。
「吸血鬼ってニンニクが苦手なんじゃ……」
「どういう俗説だ。ニンニク程度でどうこうなる吸血鬼がいるか」
エリザベートは眉を歪めてそう告げた。
「銀に弱いとか……」
「銀は毒見に使われるから神聖なものと思われているのだろうが、別に我は神聖でないものではないし、毒でもない。そもそもこのフォークとナイフは銀だぞ」
「あれ? じゃあ、流水を渡れないっていうのは?」
「吸血鬼には人の家に許可を得ないと入れないという俗説の派生だろう。川は境界を意味するからな。だが、吸血鬼は誰かの家に入るのに許可など要らぬし、川だろうが海だろうが平気で渡ることができる。我らが同胞にして著名な吸血鬼学者のヴァン・ヘルシング博士はウルタールを出発して、オリアブ島に渡り、そこにいる屍食鬼についてのレポートも書いているぞ」
「では、胸を杭に刺されたら流石に……」
「その程度のことで死なんぞ。心臓に杭を受けたぐらいで死ぬものか。別の場所に心臓を生やすだけだ。吸血鬼がその程度で死んでいれば、この世の吸血鬼は全滅していたことだろう。昔、馬鹿な吸血鬼ハンターと教会が流した俗説ばかりだな」
「杭を受けたら普通死にますよう!」
理不尽すぎる生き物、吸血鬼。
「じゃあ、吸血鬼って何が弱点なんですか?」
「しいて言うならば、腐った血だ。気分が悪くなる」
「当たり前です!」
腐ったものは別に吸血鬼特攻なわけではない。
「君たちはほぼ霊的存在だ。真祖吸血鬼とは0.1%の肉の体と99.9%の魔力でできている。ほんのわずかに宿った肉の体を破壊すれば君たちとて打撃を受けるだろうが、そのためには99.9%の魔力を引きはがさなければならない。そのためには全く魔力のない環境で戦闘を行い、彼らの魔力を枯渇させることだ」
「なるほど」
「もっとも、そんなことができる人間がいるとは思えないがね。吸血鬼ハンターたちは分の悪い勝負をしてきた。彼らはいろいろと試しては失敗し、返り討ちに遭ってきた。私でもエリザベートを殺す計画は思い浮かばない」
エリックはそう告げて肩をすくめた。
「そう、このとびきり魔力の豊かな廃棄地域にいる限り、我が死ぬことはない。魔力の完全に枯渇した砂漠にでも行かない限り、我は死なぬよ」
エリザベートはそう告げて魔力をより濃くするワインを味わった。
「ハハハ。吸血鬼は殺しても死なんぞ。その点ではエリックも同じであろう?」
「エリックさんも?」
チェスターが笑い、フィーネが首を傾げた。
「まあ、私も人よりは頑丈ですが。だが、マンティコアの毒を受けてみようとは思わないし、心臓に杭を打ち込んでみようとも思いません。まして魔力を枯渇させるという人体にとって有害なことを試そうなどもっての他です」
「お前さんはそれぐらいじゃ死なんだろう。何せリッチーだからな。不老不死の魔術師の名は伊達ではない。いつだったか、流れ者のバジリスクが出没したのだが、こやつは平然と呪い殺した。あれはどういう仕組みだったんじゃ?」
「バジリスクの目を見ると石化するという仕組みは、生理的機能ではなく、赤魔術の一種なのです。バジリスクは赤魔術の中でも土の精霊と生まれつき親しく、相手の体の構造を石に置き換えるという技を使います。ですが、赤魔術師が苦労しているように精霊の機嫌を取るのは難しい。精霊の機嫌を損ねるような波長の音波を出しておけば、バジリスクは赤魔術を行使できない。そうなればただの大きなヘビです。殺すのは容易い」
「なるほどのう。俺はバジリスクの目を見たとき『死んだ!』と思ったのだが、そういう仕組みで妨害しておったのか。よくそんなことが分かったな?」
「博物学者のエイボンが著した『この世の奇妙なる生き物たち』で考察されていましたよ。ちなみにこの本が出版されたのは100年前です。その時点で既にバジリスクは人類の敵ではなくなっていたというわけです」
エリックはそう告げてヒレ肉を口に運んだ。
「その本は面白かったな。流石に100年前の本なだけあって間違いはあったが、当時の人間の魔物への考察はなかなかユニークで、考えさせてくれる。オークと人間の女が交配することでゴブリンが生まれるなどということも書かれているのは魔物の発生メカニズムが分からなかった故だろうな。だが、エイボンの本で一番ユニークなのは『異端のツァトゥグァ信仰』だな。これは面白い。作り話だとしても相当作り込まれている」
本の話となるとエリザベートが饒舌になる。
「おお。それで思い出した。エリザベート、アトランティス交易がまた魔導書の大規模発掘に挑戦するそうだ。今度はそのエイボンの生まれ故郷であるハイパーボリアの古い神殿らしい。もしかすると、お宝を持って帰ってくるかもしれないぞ」
「それは興味深い。久しぶりに魔導書に挑むのも悪くはないな」
エリザベートはワクワクしている様子だった。
「だが、エリザベート。魔導書にはふたりで挑むのが君の定石だろう。もう君は大図書館の大司書長じゃない。誰か頼れる人間がいるのかね?」
「君は手伝ってはくれないのか?」
「私はフィーネに死霊術について教えなければならない。あいにくだが、魔導書と格闘する暇はない。誰か別の人間を探してくれるか」
「そうか……。困ったな。ハイパーボリアの魔導書と言えば、ツァトゥグァ信仰について知ることのできる機会なのだが。どこかで暇をしている魔術師を捕まえなければならないな。不幸中の幸いで、今、黒魔術師たちが暇をしているから使えるだろう」
「彼らに黒魔術師という理由で迫害されているという理由に加えて、異端の神を信仰しているという理由で迫害されるということがないようにしてくれたまえよ。黒魔術師たちにとっては暗い時代なのだ」
「なあに、廃棄地域とウルタールを出ない限り教会は手出しできんさ」
「そうだといいのだが」
エリックはそう告げて黙り込んだ。
「いかん。いかんぞ。こういう席で暗い話をするべきではない。俺もサンクトゥス教会には怒りを覚えるが、それは飯の場でする話ではない。もっと肉と酒を持ってこい! 肉はたっぷりとあるだろう!」
チェスターがそう告げ、使用人が新しい肉を運んでくる。
「たっぷり食べて、たっぷり飲んで、暗いことは忘れてしまえ。これはマンティコアの討伐祝いだけでなく、エリックが新しい弟子を作ったことを祝う場でもあるのだ。主賓が暗い顔をしておるでないぞ!」
そう告げてチェスターはエリックのグラスに火竜酒を注ぐ。
「フィーネちゃんも試してみるか?」
「お酒はまだ早いです」
フィーネはふるふると首を横に振った。
「そういえば50年か60年前にエリックさんが取ったお弟子さんはどうなったんです?」
フィーネはそこを疑問に思って尋ねた。
「彼はリッチーになる道を拒み、世界魔術アカデミーの黒魔術部門の部長となった。今、彼がどうしているかは分からない。アカデミーにも教会の手は迫っているだろう。果たしてその手を振り切れるかどうか。芯の強い子だったから、できる限りの抵抗はしてくれると思っているが」
「世界魔術アカデミーの部長! 凄い出世ですね!」
「研究熱心であったが、それ以上に組織を回す能力に長けていた。彼と私が研究を行っていたときには、彼がどこからともなくスポンサーを連れてきて、研究補助金を得ていた。彼は管理職の才能があったのだろうな。私にないものだ」
世界魔術アカデミーは巨大な組織だ。文字通り世界規模であり、所属する研究員は星の数と言っていい。そんな中で部長にまで昇進できるのは確かな知識と有能なマネジメント能力の持ち主であることを示してる。
研究職も研究だけしていれば食っていけるというわけではなく、自分の研究を売り込んだりして研究費を得なければならない。また、研究所に所属するならば、当然人事などにも関係することになる。
研究費の配分や人事、研究プロジェクトの運営に携わる研究者は自分の研究がおろそかになりがちで論文があまり出せなくなり、また同じ研究者から『口うるさい管理職』と嫌われることが多い。
だが、そういうことをする人間がいなければ、天才が何人集まっても何も生み出せないのである。マネジメントによって適切に人材を割り振り、目的を与え、資金を回ることで偉大なる発見は完成するのである。
エリックは天才だ。間違いなく天才だ。自分だけが理解するのではなく、教えることにかけても優秀だ。だが、彼にマネジメント能力はない。
これまでエリックはずっとひとりでやってきた。自分のスケジュールとプランで研究を進めてきた。他人に仕事を頼むとか、他人から研究費を得るとか、そういうことは全くしてこなかった。彼は最古に近い魔術師であり、昔はそうするのが普通だったからだ。
だが、今は違う。
世界魔術アカデミーという大きな研究組織が存在し、研究者たちは集団で結果を出す。エリックが100の天才だとすれば彼らは60程度の天才かもしれないが、潤沢な資金と組織の力で100に並ぶことができるのだ。
もっとも、潤滑に組織が回転すればの話だが。マネジメント能力の欠如した管理職を持った部署は悲惨だ。60の天才たちが30の成果しか出せなくなる。
しかし、エリックの弟子だった人物はマネジメント能力に長けていた。彼はエリックに従事して死霊術について詳しく学んだのちに、世界魔術アカデミーに所属し、めきめきと頭角を現した。そして、管理職になってからはいい噂しか聞かない。
「エリックの新しい弟子に乾杯しようぞ!」
チェスターも酒に強いドワーフながら火竜酒をがぶがぶと飲んだもので、かなり酔いが回っていた。もはや、晩餐会は宴会となっている。元より辺境伯としてのコース料理を中心とする晩餐会より、ドワーフ式の好きなものを好きなだけ貪って、飲んで騒いで翌朝二度と酒は飲まないと誓うタイプのドワーフだ。気の置けない仲間たちとの夕食の場なら羽目を外すだろう。
「エリックの新しい弟子に乾杯」
エリザベートがワインのグラスを掲げる。
「フィーネに乾杯」
「エリックさんに乾杯」
そして、エリックとフィーネが杯を掲げあった。
この後、デザートのアイスクリームが出され、フィーネは最後まで美食を楽しんだ。
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