弟子入り
本日2回目の更新です。
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──弟子入り
「感激しました!」
フィーネはその痣の残る顔を満面の笑顔にしてそう告げた。
「まさか伝説の死霊術師エリック・ウェストさんに会えるなんて! 無一文になった甲斐がありました!」
「いや。無一文になるべきではないよ」
無邪気に喜ぶフィーネと冷静にそう告げるエリック。
「で、でも、こうして生きた伝説に……」
「私の話はいいんだ。私も君も私の話は知っているようだしね。それより君の話が聞きたい。王立リリス女学院を退学になって、どうしてまたアーカムなどに?」
エリックの伝説は様々だ。
竜王の魂を降霊させ、後継者争いで荒ぶる竜族たちを鎮めた。世界征服に乗り出した帝国の軍隊を数千万の死者の軍隊で撃退した。あるいは、彼が最初にリッチーという不老不死の魔術師になれる術を開発した。
聞き飽きた話だ。今ではどれも昔話。今のエリックはひとつの研究に取り組んでいるが、未だアカデミーに発表できる段階ではない。昔の成功に固執する人間は前に進めないという考えのエリックにとって、どんなことであろうと過去の出来事は終わったことだ。
ただ、彼は過去からの積み重ねが現代にまで至っているものについては、それがどんなことであろうとも高く評価する。
「……奨学金で暮らしてたんです。おじいちゃんも死んじゃって、収入はそれだけで。けど退学になったら当然奨学金も打ち切りです。本当なら宮廷魔術師になったり、どこかの研究所で働けたならなって思ってたんですけど……」
「途中退学の上、このご時世ではそれは無理。で、冒険者を、と」
「はい。もうとにかく稼がないとお金はどんどん減っていくし、あれだけ夢に満ちていた未来が今では恐怖でしかなくて。それで必死になって冒険者ギルドに登録させてほしいって訴えったんですけど、サンクトゥス教会の司祭に殴り飛ばされました……。『お前たち死霊術師は人々の健全な魂を汚す存在だ』と」
「魂を汚す、か」
エリックは水を僅かに口に含んだ。
「死霊術師にしてみれば冗談でしかないな。死霊術師こそ魂の色が見える。より明るい色ほど社交的で、より暗い色ほど孤独を好む。赤ければ情熱の持ち主。青ければ覚めた感情の持ち主。人々は魂の色に応じて感情を持ち、そのことに苦悩し、そのことで争う」
「はい。そのことは授業で習いました」
「では、魂が汚れるとはなんだ? 色が変わるのか? 透明な魂を持って生まれた人間は未だこの世界には存在しない。少なくとも今はまだ。人々は色を持って生まれる。それが汚れるとはどういうことなのだろうか」
「分かりません。言いがかりですよ」
「そうだな。言いがかりだ」
フィーネは自棄だというようにパンに食らいついて、ミルクで流し込んだ。
「まあ、事情は分かった。その傷は不幸な事故でも、君が招いた結果でもなく、悪意ある人間によってつけられたものだ。少し見せてみなさい」
「ほひ?」
フィーネがパンを咥えたまま傷をエリックに見せるのにエリックが手を当てた。
すると、みるみるとフィーネの痣が消えていった。
「ふああ!? ふあんえすかこへ!?」
「淑女たるもの、ものを咥えたまま喋らないように」
痛みがなくなって興奮するフィーネにエリックがそう指摘した。
フィーネは咥えていたパンを大急ぎで飲み込み、手鏡を出す。痣は綺麗さっぱりと消え去っていた。真っ白な肌が戻ってきている。
「い、今のは白魔術ですかっ!?」
「これも死霊術だ。正確にはその応用か。死霊術では人体を魂なき肉の機械として扱う術がある。そのため死霊術師は人体の正確な在り方について把握しておく必要がある。生命の最小単位である細胞単位で人体を把握するのだ。そして、死霊術師は魔術で人体を生死を問わず操作する。もちろん、相手の魔力によってはレジストされる可能性もあるが。まあ、そのようなわけで、私は人体について知識があり、どうすれば痣を元に戻すかについての知識もあった。それだけだ」
「凄いです!」
こうして話していると10年ほどアカデミーで教鞭を取った時代のことを思い出すなとエリックは思った。アカデミーでの講義はこれほど低レベルではなかったが。
「君の話に戻そう。君は別の魔術師になるつもりはないのか。黒魔術師は当面の間、教会が圧力をかけて行動させないようにさせるだろう。純潔の聖女派が失脚しない限りは。私のような年寄りならば、今さら黒魔術師を辞めて、赤魔術師や青魔術師になるのは不可能だ。だが、君には未来がある。君が怖いと言った未来だが、目に入っていないだけでそれは開けている。赤魔術師などは特に冒険者としての需要も大きいし、宮廷魔術師としての割合も高い。どうだね。改めて学校に戻って学びなおすというのは」
「それじゃダメなんです」
エリックが諭すように告げるが、フィーネは首を横に振った。
「どうしてだね?」
「お父さんとお母さんに会いたいんです。立派に育ったよって言いたいんです。けど、まだ私は未熟で降霊術も満足にできないし、お父さんとお母さんが死んだのも随分と昔のことだから、呼び寄せるのは難しいだろうし……」
「そうか。会いたい人がいるのか」
「はい」
エリックはフィーネの魂の色を見た。
死霊術師のほとんどは藍色の魂をしている。あまり社交的ではなく、覚めた感情の持ち主たちが死霊術師への道を選ぶ。それが性格ゆえなのか、それとも死霊術を学ぶことでそうなるのかは分からないが。
だが、フィーネの色は眩しいばかりの赤だ。
とても社交的で、情熱的。言ってしまえば死霊術師には向いていない。
死霊術師は人の死に感情を左右されないことを求められる。特に降霊術を使う時は降ろす霊の感情に左右されず、冷静に彼らを見つめる必要がある。うっかり霊に感情移入し過ぎると、己を失ってしまう危険性がある。
だから、死霊術師は藍色なのだ。
だが、だからと言って彼女の道を閉ざしてしまうのは、今のサンクトゥス教会と同じだ。可能性を認めず、イメージで判断して、多くの人間の未来を閉ざす。そんなことはあってはならない。学問は全ての人間に開かれておくべきだ。
「死霊術師への道を進み続けるのは大変な苦労をすることになるが」
「それでも今になって諦められません」
フィーネは真っすぐにエリックを見据えてそう告げた。
「では、これからどのようにして食べていくつもりかね?」
「あ。え、えっと、皿洗いの仕事とかそういうことをして……」
「今のご時世、死霊術師というだけで職が得られないということはありえるのだよ」
「そうですよね……」
サンクトゥス教会は、いや純潔の聖女派はアーカムから黒魔術師たちを一掃するだろう。抵抗すれば連中の切り札である修道騎士団まで動員しかねない。アーカムは暫くの間、平穏とは遠い場所になる。
フィーネもその黒と白のローブと骸骨の杖を持っている限りは、死霊術師だとバレる。おまけに彼女には服を買い替えるための手持ちすらない。
「君が本当に死霊術師を目指すのであれば、私の弟子になってはみないかね?」
「で、弟子? グランドマスター・エリック・ウェストさんの弟子に? 私が?」
「ああ。君がよければだが。無理強いはしない。だが、これからの暮らしのことはまるで考えていないのだろう。私の弟子になれば、衣食住の面倒は見るつもりだ」
後進を育てるのも先駆者の役目だ。死霊術というこれまで過去から積み上げられてきた学問が、たったひとつの教会の政変で失われていいはずがない。この若い見習い死霊術師を育てることこそ、エリックの役割だと思われた。
「なります! むしろ、弟子にしてください! こちらから頭を下げてお願いします! グランドマスターの弟子になれるなんて夢みたいです」
「私も先駆者の義務を果たさなければならないからね」
死霊術が失われてはならない。過去から積み上げられてきたこの学問が失われるようなことがあっては、歴史に対する冒涜だ。
純潔の聖女派が鳴りを潜めるまでは研究所でフィーネに死霊術を教えよう。そして、未来にバトンを繋ごう。エリックはそう考えていた。
「だが、道は険しい。それでもいいかね」
「はい!」
それからフィーネは満面の笑みで食事を続けた。
ステーキを平らげ、シチューを平らげ、大量のパンを食べる。
その食べっぷりにはエリックも感心させられた。エリックは既にリッチーになっているため大気中の魔力を摂取するだけで食事を必要としない。ただ、相手に合わせて食事をすることはある。それにエリックにはまだ味覚というものが生きているのだ。
「明日の朝には出発しよう」
「出発というとどこに?」
「私の研究所だ。ここから馬車で14日間。世界都市アーカム同様にどの国にも属していない地域にある。まあ、よくある廃棄地域内だ。途中で知り合いたちに挨拶をして回るが、構わないかな?」
「もちろんです! 御一緒できるだけでも光栄ですから!」
「それでは旅支度を済ませて出発するか。サンクトゥス教会も早く死霊術師には出ていってもらいたいだろうしね」
旅支度と言っても大したことをするわけではない。
替えの安い衣服を数着と携行食料──ここ最近発売された温かな食事が火を使わずに食べられるファスト・トラベル・ミールは人気だ──を幾分か買い込み、それらを収める鞄を準備すれば完璧だ。
エリックは既に鞄も服も持っている。フィーネのを揃えればそれでいい。
「フィーネ。服と鞄はあるかな?」
「普段着が1着と学校で使っていたリュックサックがこのように」
フィーネは背負っていたリュックサックを下ろしてそう告げた。
フィーネの普段着は少し大きめのローブ代わりになるジャケットとシャツ、そして少し丈の短いスカートだった。後は靴下と黒タイツだ。タイツは今のアーカムを中心とした世界ではちょっとしたお洒落アイテムで、女性たちがよく身につけている。繊維に魔力を流した伝線しないタイプだ。
「下着もあるね?」
「え、ええ。あんまり可愛くない奴ですけども一応……」
下着のことは聞かないでほしいという顔をするフィーネ。
「それでは携行食料を買いに行こう」
「この時間帯でお店開いているんです?」
「伊達に眠らない都市と呼ばれているわけではない。ここでは24時間営業が基本だ」
魔道灯の明かりと治安を維持する衛兵隊のおかげで、アーカムは眠らない街となった。静かさを好むエリックにとっては残念なことだが、夜になっても、どこに行っても、街の喧騒さは変わらない。
「食料品店で準備を整えたら出発だ。何か気になることは?」
「ええっと。なんで、私なんかを? グランドマスターともなれば、教える相手は選べると思うのですが。もちろん、選んでいただいたことに文句なんてないです。けど、私って友達に『あんた見てるといろいろと苦労する』って言われるぐらいですから……」
「それはきっと『君のことは危なっかしくて見てられない』という意味だろう。実際に私もそう感じた。だが、学問とはどのような人間にも、いかなるときにも、開かれているべきだと私は考えている。学ぶ場を失った君を弟子にしようと思ったのもそういうことだ。それに私は──」
エリックはフィーネを見据える。
「君の魂の色に興味がある」
「私の魂の色ですか?」
「そう、君の輝くような赤い魂の色。死霊術師を志す人間でそんな魂の色をした人間はいなかった。いずれは君も藍色の魂を持つのか、それともその色を保ったまま死霊術師としてやっていけるのか。私には興味がある」
エリックはそう告げて水を飲み干した。
「食事はもういいかね?」
「あ。はい。御馳走様でした!」
「結構。じゃあ、出発の準備をしよう」
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