ベルトランド爺様
本日4回目の更新です。
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──ベルトランド爺様
エリックたちは馬小屋に一泊した。
馬小屋に一泊したと言っても、何も厩で寝たわけではない。馬小屋に隣接する食事と宿泊の施設で寝泊まりしたのだ。
この馬小屋はリニューアルしてシャワー完備となっていたので、フィーネたちは長旅の汚れを落とした。そして、フィーネはエリックに言われた通りに、死霊術師の纏う黒と白のローブに身を包んだのだった。
「では、行こうか」
「はい!」
ここでは朝食にふわふわのパンケーキは選べない。ベーコンエッグにカリカリのトーストが朝食だった。食べることの好きなフィーネはここのベーコンを大層気に入っていた。ジューシーでカリカリで、たまらなくなる食感だ。
店主によればこれは飼育しているものではなく、廃棄地域の方からやってくる野生の牛の肉を使っているらしい。店主は牛を仕留めるのに使う魔道式小銃とベーコンを作るのに使う燻製の機械などを見せてくれた。
フィーネたちはそれらを見てからノイワールの森へと出発した。
「ノイワールの森ってどこら辺にあるんですか」
「この街道の通っている場所が既にノイワールの森だぞ」
「え!?」
エリザベートがさらりと告げるとフィーネが驚いた。
「もうついているんですか?」
「我々はノイワールの森の中心部に向かう。それはまだ先だが、4時間もあれば着くだろう。フィーネ、君の靴は山歩きには向いているかね?」
「ええっと。丈夫なブーツですので大丈夫だと思います。……ってことは森の中に入って歩くわけですか?」
「歩くと言っても1時間ほどだ。先ほどの馬小屋の店主も言っていたようにここら辺に魔物はでない。危険というものはないよ。しいて言うならば──」
エリックはフィーネの纏っているローブを上から下までしっかりと見る。
背丈は小さいが胸の主張は大きい。もっともエリックが注目しているのはその点ではない。彼はフィーネの胸がメロンであったとしても、岸壁であったとしても気にしはしない。ちなみにエリザベートもスレンダーなようで立派なものをお持ちだ。
「ローブはきちんと着用しておくことだ。ローブの必要性は分かっているね」
「体内魔力と外部魔力を隔てる役割ですよね」
「そうだ。この森は魔力が濃い。ローブをきちんと装備せずに魔術を行使すれば、魔力が大量に流れ込んで死に至る。その点は注意したまえ」
「了解です」
そこでフィーネはエリザベートに視線を向けた。
「エリザベートさんは魔術は使わないんですか? ローブは纏っていらっしゃらない様子ですけれど……?」
「我はローブを必要としない。魔力で作った障壁を纏っている。体内魔力が膨大な真祖吸血鬼ならではの贅沢だな。この障壁は相手の魔術に干渉してそれを妨害する役割もある。魔道式銃で実体化した銃弾は消せぬが、魔道式銃が弾丸を形成する段階では妨害できる。これで何名か、我の命を狙ってきた愚か者を教育してやったものだ」
「常時魔力行使しているってことですよね。流石は真祖吸血鬼……」
フィーネは改めて真祖吸血鬼が人間とは大きく異なるのだということを悟った。
「そろそろだ。馬車を止めよう」
「うむ。そろそろだな。ここからは歩きだ」
動力馬車は停車すると自動的にロックされ、使用者登録したエリザベート以外では動かせないようになった。停車した場所は街道の片隅で、街道の脇には鬱蒼とした森林がどこまでも広がっていた。
「これって中で迷ったりしません?」
「大丈夫だ。森林妖精に導いてもらえばいい」
どこまでも広がる森を見てフィーネが怖気づくのに、エリックは森の中を指さした。
フィーネがよく目を凝らしてみると、なにやら光り輝く存在がちらちらと森の中からフィーネたちの方を窺うように動いていた。
「わあ。森林妖精。教科書に載ってた通りだ。都市妖精とは違うんですね」
「ああ。森林妖精は絶滅危惧種だ。人間に制圧された森にはいない。人間が生存圏を拡大すれば拡大するほど、森林妖精は消えていく。管理者がいない森が増えるからね」
妖精には森林妖精と都市妖精、そして海上妖精の3種が存在する。
森林妖精は人間の手の加えられていない森にのみ生息する妖精だ。彼らは人間の手の加えられていない森の清らかな魔力を糧に生きる。それがなければ、彼らは存在する糧を失い消滅してしまう。
都市妖精は森林妖精よりタフだ。彼らは人間や動植物から流出する僅かな魔力を集めて、それを糧に都市部でタフに生きる。何せ森の近くで栽培された農作物にも魔力は宿るのだ。流通が盛んで、新鮮な食べ物に溢れた都市部で彼らは暮らしていける。
海上妖精の生態は謎だ。彼らは海の上に姿を見せるが、どこで魔力を得ているのかは分からない。ただ、親切な妖精であるようで、岩礁が近ければ警告を与えてくれ、危険な魔物が海底に潜んでいても教えてくれる。船乗りには愛されている。
妖精がどこから生まれるのかは謎だ。一説には魔物と同じように魔力から自然発生すると言われるが、まだそれには科学的根拠がない。魔力が薄い都市部で発生する都市妖精の説明もつかない。
分かっているのはそれぞれの魔力の消費経路と知能が10歳児程度にはあるということだけだ。ちなみにエリザベートの飼っている妖精はエリザベートから流れ出す魔力を糧にしており、そのために彼女の言うことを聞くのだ。
ちなみに妖精と精霊には大きな違いがあるので注意されたい。
「エリック・ウェストだ。ベルトランド爺様のところまで案内を願いたい」
エリックが森林妖精にそう話しかけると、森林妖精がキラキラとした鱗粉のようなものを残して、エリックたちの前にやってきた。
『ベルトランド爺様?』
「ああ。ベルトランド爺様に挨拶に来た」
『分かった』
森林妖精たちは甲高い小さな子供のような声で喋ると、エリックたちを導くように森の中へと進んだ。
「行こう、フィーネ」
「了解です」
エリックたちは森林妖精に従って、森の中を進む。
「この森はいつ来ても魔力が清らかで上品だ。まるで美酒の中に漬かっているかのような気分になってくる。これだけいい魔力が維持されているからこそ、知識に対する議論が進むというものだ。賢者と呼ばれた人間がほぼこの森から生まれたというのも当然だろう。この森は素晴らしい。ベルトランド爺様には感謝しなければな」
「全くだ。ベルトランド爺様のおかげでこの森は未だに太古の姿を維持している。魔物のいない森。野生の神に祝福された動植物が繁栄する森。人もかつて文明を持ち、科学と魔術を持つまではこのような楽園で暮らしていたのだ」
「楽園追放か」
エリザベートが呟くようにそう告げた。
「君は本当に良きサンクトゥス教会の信者なのだな。我は神話になぞり合わせて、現実を理解しようとは思わない。人間は知恵の実を食べ、それまで暮らしていた森を焼き払った。火の力を得た人間たちは神に見放され、森を追放された。だが、ある預言者がその罪を背負ったことで神は再び人間たちを祝福した、と」
「私は神話や聖典をそっくりそのまま信じているわけではないよ。特にサンクトゥス教会の聖典は暗号表のようなものだ。歴史的事実を後世に伝えるために、様々な比喩を使って書かれている。聖典学というのはそれだからこそ面白い」
「我は聖典学は嫌いだ。あれほど馬鹿らしい学問もない。神がいるかもどうかも不明なのに、その考えに基づいて書かれた預言書の解読など。確かに幾分かの歴史的事実や倫理についての教えはあるだろう。だが、ほとんどは権力者に都合のいいように編纂されたものに過ぎない。そもそものオリジナルの預言書を教皇以外誰も見たことがないなどとは」
聖典学はサンクトゥス教会の聖典を分析して、サンクトゥス教会の歴史について調査する学問だった。神の智慧派も聖典学にはそれなりに力を入れている。聖典にはどこかに本当に神と対話したかもしれない超越者──預言者の情報が記されているかもしれないからである。
だが、エリザベートが告げるように聖典のオリジナルは教会の総本山のある宗教都市セレファイスの教会図書館の奥深くに封印されており、教皇以外の人間が閲覧することは禁じられている。
知識は共有し、発展させるべきだという考えのエリザベートとしては納得できないあり方だ。だから彼女は編纂されただろう聖典を解読するという聖典学には興味を示していなかった。
「そのための暗号だ。聖典の中には時折よく分からない数字や単語が出てくる。それが何を意味するのか権力者たちは知らなかったに違いない。一般に流通している聖典でも、真実が残っている可能性はあるのだ」
「そこまで教会の歴史が大事か?」
「神はいるのだ。神と接点を持った預言者のことが私は気になる。そのための歴史の調査だ。神は何故我々をずっと無視していながら、ひとりの男だけ言葉を授けた。神ともなれば全ての人類に、地上全ての生き物に言葉を授けることができたはずだ」
「答えは簡単。神はいない。預言者は精神疾患の誇大妄想狂」
「私はそんな安易な答えでは納得できない。何かしらの要素があったはずだ。西方のオーディン崇拝のように軍事的でなく、ドルイド教のように残酷でもなく、人としてあるべき倫理を説いた預言者の言葉を記した預言書だ。恐らくはこの世界で唯一神とコンタクトした人間の言葉だ。私はそこにある意味を探るよ」
「好きにするといい。次は聖典学でグランドマスターの称号が得られるかもな」
エリザベートは呆れたようにそう告げた。
「私たちも聖典読みましたねー。聖典学はカリキュラムにはなかったですけど、うち王立だったんで、朝のホームルームの時間に聖典の音読会がありましたよ。とは言っても、あの聖典全部を読むんじゃなくて、倫理観とかを身に付ける部位のみでしたけど」
「人間の作った秩序のマニュアルが聖典だ。それだけで十分だろう。だが、その秩序のマニュアルも作られてから1000年近くが経つ。そろそろ更新すべき時ではないのか?」
フィーネの言葉を受けてエリザベートがエリックにそう尋ねた。
「確かに改革派からはそのような意見がある。事実、時代錯誤になったいくつかの項目は近々更新される予定で、新聖典が配布されるはずだった。だが、ここにきて純潔の聖女派が教会の主導権を握った。彼らはがちがちの保守派だ。改定など許すまい」
「やれやれ。純潔の聖女派、純潔の聖女派とどこもここも連中のせいで迷惑しているな。連中が権力を失う日が一日も早く訪れることを願うよ」
「私もだ」
純潔の聖女派が力を握り続ければ、サンクトゥス教会の影響力は陰りを見せ、また別の宗教の発足と革命が起きる。最悪、サンクトゥス教会という組織が分裂する可能性すら秘めていた。今のサンクトゥス教会は派閥こそ存在するものの分裂はしていない。
『ベルトランド爺様。もうすぐそこ』
「ありがとう」
森林妖精が告げるのに、エリックが礼を言った。
「エリックさんたちはここに来るのは初めてじゃないんですよね? 目印とはおいておけないんですか?」
「無理だな。この森は常に木々の位置が変わり、大地が変動する。管理者のいる森とはそういうものだ。魔力が澱まないように揺れ動くのだ」
「だ、大地が変動する……」
フィーネは自分の立っている場所が動いていないか確認した。
「そう簡単に大地の変動は起きないよ。頻繁に大地を変動させていては、大雨が降った時に地盤が弱くなる。ベルトランド爺様はそこら辺を考えて適度に魔力を掻き乱している。そして、何よりベルトランド爺様が魔力を清浄なものに変えている。見たまえ、あのエリザベートのご機嫌な様子を。吸血鬼というのは特に外部魔力の味にこだわるからね」
「確かにご機嫌ですね」
エリザベートは天に両手を広げて深呼吸していた。
「エリザベート。そろそろベルトランド爺様のところだ」
「ああ。行くとしよう」
エリザベートはたっぷりと芳醇な魔力を味わうとエリックたちに続いた。
『おや。珍しい客が来たな』
「お久しぶりです。ベルトランド爺様」
次の瞬間、フィーネたちの頭の中に直接声が響いた。
『お前さんとエリザベート。それから若い死霊術師か。まあ、近くに来なさい。昔と違ってもうワシも動けんのだ』
「ええ。分かっていますよ」
フィーネがどこから声がするのかときょろきょろしているのにエリックが肩を叩いた。そして、ある方向を指さす。
「彼がベルトランド爺様だ。このノイワールの森の管理者が彼だ」
「え? これって木では……」
フィーネが目の前の巨木を見上げた時、それがまるで人間が前かがみするようにゆっさりと動いた。フィーネが驚きに目を丸くする。
『ようこそ。ノイワールの森へ。死霊術師のお嬢ちゃん。ワシはトレントのベルトランドだ。皆はベルトランド爺様と呼ぶ。君もそう呼ぶといいだろう』
「ト、トレント!? 実在したんですか!?」
『もちろんだとも。とは言え、昔ほどの数はない。この森にも昔は40体のトレントがいたものだが、今ではワシだけだ。しかし、大陸中を探せば、もっとトレントたちはいるだろう。君たちならば会いに行けるはずだ。ワシには叶わぬことだが』
ベルトランド爺様と名乗るトレントはそう告げた。
トレント。
知性を宿した樹木で、樹人とも呼ばれる。
かつてドルイド教の巫女たちはトレントを崇拝し、彼らのために生贄を捧げた。最初は家畜を、サンクトゥス教会に追い詰められてくると人間を生贄に捧げた。
だが、それは管理者のいない森を安定化させる効果はあったものの、トレントを満足させる効果は有していなかった。トレントたちはサンクトゥス教会がドルイド教の巫女たちを追ってくるのに、彼らに力を貸すことなく姿を消した。
神体を失ったドルイド教徒たちは衝撃を受け、やがてサンクトゥス教会の手によって姿を消した。以後、ドルイド教とともにトレントたちも姿を消してしまった。
その伝説のトレントがフィーネの前にいる。
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