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ノイワールの森に向けて

本日3回目の更新です。

……………………


 ──ノイワールの森に向けて



 北に向かう途中で馬小屋を見つけた。


「なじみの馬小屋だ。ミスカトニックと自宅を往復していた間はよく利用していた。今でも経営しているといいのだが」


 エリックは7年間、自宅に帰っていない。


 今回は久しぶりの帰宅である。通り過ぎる街道の様子も変わってくるだろう。


「生身の人間がいる限り、休憩は必要だろう。私と君なら永遠にどこまでもいけるだろうが、生身の人間がいてはそうはいかない。生身の人間は手入れをしないと壊れる。私は君の弟子が壊れるのは見たくはない」


「生身ですいません……」


 真祖吸血鬼とリッチーを相手にしてはただの人間は肩身が狭い。


「では、あの馬小屋へ。そろそろベルトランド爺様のいるノイワールの森だ。その前に少し休憩していくとしよう。森の中を少し歩かなければいけないからね」


「了解!」


 フィーネは一番に馬車をぴょんと飛び降りると、大きく伸びをした。馬車は広いのでゆったりできるのだが、あんまりゆったりするとエリックに迷惑がかかると思って、ちょっとだけゆったりしていたので、体が強張っている。


「森が近いと魔力も濃いな」


「魔力が濃いと魔物が現れたり、ダンジョンができたりするんですよね? こんなところまで冒険者の人たちは来てくれるのでしょうか?」


「その必要はない。この付近の森には管理者がいる。どの森にも管理者は大なり小なりいるものだが、ここの森は特に頼りになる管理者が管理している。彼に任せておけば、魔物もダンジョンも現れないだろう」


「え。ひょっとしてドルイド教の巫女さんがいたり……?」


「いいや。ドルイド教の根源に当たるものだ。ドルイド教よりも古く、ドルイド教に教えを与えてきた。もっとも彼は生贄を捧げて森を鎮めよなどとは言っていないそうだがね。森は適度な魔力の管理をしてやれば、害をなさないと言っている」


 そこでエリックは肩をすくめた。


「もっとも、それが難しいからこそ、冒険者がダンジョンを攻略したり、魔物を討伐したりしているのだが。彼もまたある種の神なのだろうな」


「おや。サンクトゥス教会の信者があれを神と認めていいのか? サンクトゥス教会としてはあれも万物の創造者たる神が創ったもののひとつに過ぎないのではないか?」


「人々から信仰心を持たれているという点と人々に倫理観を与えているという点に関しては神のようなものだ。私の信じる神ではないが、この付近の住民にとっては神のようなものだろうし、実際に彼らは彼を信仰している。私は人の信仰を否定はしない。ドルイド教であろうとオーディン崇拝であろうとも」


「君らしい。ある意味では極度の内向的思考。外部の影響を全く受けない。檻の中から世界を見ているのか、世界を檻の中に入れてみているのか。どっちだろうな?」


「私は前者だと思っているよ」


 エリックの魂は黒に近い濃藍色。非社交的かつ非感情的。


 彼は自分を自分で作った頑丈な檻の中に閉じ込め、狭い覗き戸から外の景色を見ては、何ものにも破壊できない檻の中で思索に耽っている。


 彼にとっては純潔の聖女派から敵視されようと構いはしないのだ。ただ、自分の作った檻を破壊しようとしたり、覗き戸を塞ごうとする行為には徹底的に対抗するだけで。だから、神の智慧派が認められるように公会議では議論を戦わせたし、自分に続く人間が新しい発見をする機会を与える書物が焼かれたり、大学が攻撃を受けたりすることには、不快感を示していたのである。


 エリックは自分を酷く自分勝手な人間だと思っていた。


 自分のためになることだけに集中する。あの野盗たちを血祭りに上げたのも、彼らに憑りついている犠牲者たち──怨霊を哀れんだというよりも、自己防衛とフィーネへのレッスンという意味合いが強かった。


 実際に彼は関わったとしても不毛と思った大図書館に対する焚書と大学への攻撃についてはなんら手を貸さなかった。彼自身が手を貸せば、焚書は途中で中断せねばならなかっただろうし、修道騎士団を完全に排除して大学を攻撃させないこともできただろう。


 それだけのことができるから世界魔術アカデミーは彼に死霊術の分野においてグランドマスターの称号を与えたのである。


 だが、自分勝手なエリック・ウェストは本が焼かれることに怒り、大学が攻撃されることに不快感を感じながらも何もしなかった。


「エリックさん、エリザベートさん。今日はここに泊まっていきませんか? 何日も車中泊というのもなんですし。それになんだかお洒落そうですよ」


 フィーネは馬小屋の宿泊施設を覗き込んでそう告げた。


「ふむ。確かに内装が変わったな。前はもっと質素だったのだが」


 エリックの前というのは7年近く前を指す。


 馬小屋の宿泊施設はマホガニー製だろう立派な家具で構成されており、中からは木の香りが漂ってくる。掃除もきちんと行われており、チリひとつない。7年ほど前は朽ち果てそうな家具と入店者の足についた泥の残った場所だったというのに。


「いらっしゃい。おや、エリック先生?」


「やあ。久しぶりだね」


「6年、いや7年振りですかね。先生はお変わりなく?」


「失業して家に帰るところだ」


「それはまた」


 馬小屋の店主はそれを冗談だと思って笑った。


「そこの女の子は? 初めて見る顔ですね」


「フィーネだ。私の弟子になる。今日はここに泊まりたいと言っているのだが、大丈夫かね? 随分と様変わりしたようだから、昔のようではないと思うが」


「いえいえ。経営方針は変わっていません。北の廃棄地域を目指す冒険者さんたちとその先にある交易都市ウルタールを目指すお客さんのために馬小屋をやっています。先生たちもどうか泊まっていってください」


「ありがとう」


 エリックは古くからの友のひとりであり、恐らくはエリックよりも先に寿命で果ててしまうだろう店主に礼を言って椅子に座った。


「エリザベート女史も一緒で?」


「失業仲間だ」


「ははは。それは大変ですね」


 店主はこれも冗談だと思っていた。長年──800年近く大図書館の大司書長として君臨してきたエリザベートが職を追われることになるなど、彼には想像もできない。


「いい魔力量だな。ふむ。内装の木材がいいのか」


「それですね。3年前にベルトランド様が与えてくださったものなんですよ。この木材で家具などを作り直したら、元気が湧いてくるようになりまして。この間来られた魔術師の人も『ここにはいい魔力がある』と言っておられました」


「なるほど。ベルトランド爺様が世話を焼いたか。確かにいい魔力だ。よく循環していて、淀みがない。ベルトランド爺様が何かの魔術を込めたようだな」


 エリザベートは家具を観察しながらそう告げた。


「では、食事にするかね」


「こんなにいい魔力が詰まった場所で食事をするのか? せっかくベルトランド爺様が素敵な贈り物をしてくれたというのに」


「君と違って私は最初から魔力だけで生きていける体ではなかった。食事を楽しむ心を持ち合わせていたのだよ。丁度、リニューアルオープンしているんだ。どんな食事が出てくるか楽しみではないか」


「そうだな。時々忘れそうになるが君は元人間なのだな。そこらの真祖吸血鬼より吸血鬼らしくしているから忘れそうになる」


「それは褒められているのかな?」


 吸血鬼のように見える人間というのもおかしなものだ。リッチーの特性は限りなく吸血鬼に似ているが、真祖吸血鬼と違ってリッチーは元人間だ。人間として暮らしていたときの習慣は残っているし、食事というものに関しては生まれてからずっと行ってきたことだ。そう簡単に忘れ去るものではない。


 もっとも、エリックの今の食事は純潔の聖女派に対するカモフラージュに近かった。どこまで純潔の聖女派が手を伸ばしているかは分からないが、用心しておくに越したことはない。まあ、エリザベートという、食事を完全に必要としない真祖吸血鬼が近くにいるのでは、カモフラージュもあまり意味がないが。


「食事は何になさいます?」


「7年もすればメニューも変わっただろう。おすすめは何になったかな?」


「自家製ベーコンと新鮮卵のカルボナーラがおすすめですよ。鶏小屋を作ったんです。ここら辺は魔物も来ないし、安心して家畜が育てられますからね。ベルトランド様のおかげですよ。本当に助かっています」


「彼もその言葉を聞いたら喜ぶだろう。では、私はそれに。フィーネは?」


「私も同じのを!」


「飲み物はどうする?」


「ミルクあります?」


 フィーネが店主に尋ねる。


「ありますよ。牛もいるんで。もう牧場みたいなもんですよ。エリック先生はいつものコーヒーでいいですか?」


「ああ。お願いしよう」


「それじゃあ、お待ちください」


 エリックとフィーネが座ったテーブルにエリザベートもやってきて座る。


「いつものコーヒーというのはミルク入りの奴か」


「ああ。未だにブラックのコーヒーには復帰できない」


「人間時代に無理をしすぎたせいだ。人間はカフェインを燃料にして動くわけではないのだぞ。それなのにお前ときたらとにかくブラックのコーヒーを飲んでおけば研究は続けられるとコーヒーをがぶ飲みして。そのせいで胃腸を痛めたのだろう?」


「苦い経験だ。身体的な傷は癒せても、心理的な傷は癒せない。未だにブラックコーヒーを見ると、胃がキリキリと痛むのを感じるよ」


 エリックはまだリッチーになる前──900年と何十年か前に人間の研究者として、世界魔術アカデミーと神の智慧派に認められる研究をしようと努力していた。世界中の書籍を読み漁り、実験に実験を重ね、成果を得ようとしていた。


 そんな折にミスカトニックに輸入されるようになったのがコーヒーで、覚醒作用があるとの売り文句で売り出されていたそれはすぐにエリックに欠かせないものになった。彼はブラックコーヒーを燃料代わりに飲み続け、寝ずに研究を続けた。


 その結果、研究の成果は出たのだが、エリックは胃腸を酷く痛める羽目になってしまった。コーヒーばかり飲んで、他のものを摂取しなかったため、胃腸の粘膜が傷ついてしまったのだ。


 エリックはその日から自分の体の脆さを認識し、いち早く人間であることを辞めなければならないという結論に至ったのだった。


「へえ。そういう理由だったんですね、エリックさんがコーヒーにミルク入れる理由って。エリックさんブラックコーヒーの方が似合いそうなのに、どうしてミルクを入れるのかなって思ってたんですけど、理由があるものなんですね」


「物事には何事にも理由があるものだ」


 エリックはそう告げて宿泊施設の方を見た。


「見たところシャワー室も追加されたようだね。森に行く前に身を清めておきなさい。それからそのジャケットではなく、ローブを着用したまえ。森に入ってから会うのは我々より目上の方だ。礼儀は尽くしておいて損はない」


「了解です。寝る前に浴びておきますね」


 エリックたちがそんな会話をしていると湯気を立てたパスタが運ばれてきた。


「お待たせしました。自家製ベーコンと新鮮卵のカルボナーラです。それからコーヒーとミルク。ゆっくりしていってください」


 ふたりにはカルボナーラが提供され、エリザベートにはお冷が出された。


「エリザベートさん。おなか本当に減らないんですか」


「むしろ満腹だ。これだけの質のいい魔力を味わえるとは、ベルトランド爺様もいいことをする。しかし、あのベルトランド爺様が何を思って馬小屋に材木を提供したのだろうな? どう思う、エリック?」


 フィーネがくるくるとカルボナーラを巻き取りながら尋ねると、エリザベートはエリックに向けてそう尋ねた。


「森の維持のためだろう。ベルトランド爺様はそのことを第一にしている。森の魔力が濃くなりすぎたからか、なにかしらの理由で外に魔力を吐き出す必要があったのだろう。木々というのは本当によく魔力を生み出すからな」


「プリーストリー回路の反応か。光を魔力に転換して吐き出すシステム。しかし、どうして植物はわざわざ自分たちが消費しない魔力を生み出してきたのだと思う? 森が管理者を失えば、それは魔物やダンジョンを生み出す負の作用を有しているのに」


「木々にとっては副産物として魔力が生み出されているに過ぎないという仮説と木々が自己防衛するためにあえて魔力を生成しているとのふたつの説がある。私としてはひとつ目の仮説が科学的な実証性もあって納得しているのだが、ここ最近の進化と自然淘汰論の目線から見ると後者もなかなか面白い仮説だと思う」


 エリックはそこでナプキンで口元を吹いた。


「新大陸にユーカリという植物がいる。この植物は燃えやすい物質を葉に含んでおり、何かしらの火種があると発火して周囲の森を燃えつくす山火事を引き起こす。だが、ユーカリ自身は山火事を生き残るすべを身に着けており、山火事の被害を受けるどころか、山火事に乗じて分布域を拡大する」


 この世界のユーカリも地球のユーカリと変わりない。魔力を放出すること以外は。


「森の木々が魔力を吐き出すのも山火事を起こす木々と一緒だと?」


「魔物やダンジョンが生まれれば、外敵である人間を含めた動物に荒らされずに済む。また他の木々に魔物が襲い掛かれば、繁殖域を拡大するチャンスを生む。森の木々の中でも魔物に襲われやすいものと、そうでないものがある。今は人間が管理者として魔物の数を抑制し、ダンジョンを制圧しているため魔物に襲われやすい木々が絶滅することはないが、これが自然のままならば魔物に襲われにくい木々が自然淘汰の観点から生き残るだろう。そうやって身を守るため、繁殖域を増やすため、木々が魔力をあえて生み出しているという仮説は面白いとは思わないか?」


「しかし、真に自然の森と言えば、管理者がいるものだろう。管理者のいない森は自然の森ではない。自然の森が魔力を吐き出す意味を説明できない」


「確かに。だが、プリーストリー回路で魔力を生み出す木々の中でも、その割合が多い木々は人間の生息域内──管理者のいない森の方で多くなっている。真に自然の森より、人間の手の入った森の方がより多くの魔力を吐き出すのだ。これは人間のいる環境に適応したとは考えられないか?」


「ふむ。興味深い。ベルトランド爺様何というかな」


「それもまた興味深い」


 エリックとエリザベートが意見を交えるのをフィーネは興味深そうに聞いていた。王立リリス女学院の講義も面白いものだったが、エリックたちの議論もまた面白い。


 だが、ふたりの議論に参加できないというのはちょっともやもやとした感情を抱かせた。自分もエリザベートのようにエリックと議論を戦わせろるようになりたいと、フィーネは羨ましそうにエリザベートの方を見ながら思った。


「フィーネ。食事はどうかね?」


「とっても美味しいです。携行食料も美味しいですけど、やっぱり料理人さんが作った作り立ての料理が美味しいですね。魔力が籠ってるって感じで」


「実際にこの付近の食材を使っていれば魔力は豊富だろう。味も絶品だ。魔力が味覚に及ぼす影響というものを調査していた学者がいたな」


「へえ。学者さんってそんなことまで調べるんですか?」


「ああ。この世に不思議がある限り、学者は働き続ける。そして、恐らくそれに終わりはない。ひとつの物事が解明されれば、ふたつの疑問が生まれるというように、科学と魔術が進むにつれて世界の不思議は増えるのだ」


「ううむ。私にもチャンスはあるってことですね?」


「もちろんだ。君も立派な学者になれば、物事のひとつは完全に解明できるだろう」


「頑張ります!」


 フィーネはいつか自分の研究を持ち、それをネタにエリックと議論できる日が来ることを望んだのだった。


……………………

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[良い点] 「生身ですいません……」
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