吸血鬼との旅
本日2回目の更新です。
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──吸血鬼との旅
ミスカトニックを発って、ひたすら北に向かうエリックたち。
「馬小屋。なかなか見つかりませんね」
「ここまで北を目指す人間も珍しい。あまり需要がないのでたまに見かける程度でしかないよ。そのための携行食料だ。まだほとんど使っていないだろう」
「そうでしたね。……私たちの分しかないですよ?」
そう告げて本を読み耽っているエリザベートにフィーネが視線を向けた。
エリザベートはサスペンションがしっかりしており、かつ車輪のゴムが使われていることで揺れの少ない馬車の中、二人掛けの椅子に寝そべって、ずうっと本を読んでいた。馬車に乗り込んでからというものフィーネはおろか、エリックとすら会話していない。
ただひたすらに本を読み耽っている。フィーネは少しエリザベートの旅行鞄を除いてみたが、その中には本がぎっちりに詰まっていて、申し訳程度に衣服が入っているという具合であった。当然、食料などありそうにない。
「エリザベートは食事の必要性はない」
「それって人から血液を吸うってことですか……?」
「ふむ。本当に君は吸血鬼学について何も知らないのだな」
「申し訳ないです」
「いや。無学であることを自覚することはいいことだ。だが、基礎的なことは知っておくべきだろうな。彼女を理解するためにも」
エリックは語り始める。
「吸血鬼はリッチーと同様に緊急時を除いて食事を必要としない。万が一、極度の魔力の損耗を起こした場合は食事を必要とするが、別に首筋に牙を突き立てたりはしない。衛生的にアルコール消毒した部位から加熱したナイフなど消毒した器具で、指先を切ったりして、そこからしたたり落ちる血を吸うだけだ。真祖に近ければ近いほど必要とする血の量は少なくなり、エリザベートならば1滴でも多すぎるぐらいだ」
「そうなんですか。吸血鬼っていつも血を吸ってるイメージがあったんですよね。それから日光に弱いとか流れる水は渡れないとか」
フィーネの中のイメージとして吸血鬼を印象付けているのは、児童向けの小説に出てくるモンスターとしての吸血鬼だった。
「くらだんフォークロアだな」
そこで初めてエリザベートが声を上げた。
「児童向けの小説に書かれているようなものばかりだ。そんなものを読むぐらいなら、我が同胞にして最高の吸血鬼学者であるヴァン・ヘルシング博士の『吸血鬼の生理学』でも読むことだ。フィクションは心を楽しませるが、事実は与えない」
「彼女の言う通りだ。世間一般で言われている吸血鬼はモンスター扱い──分かりやすい悪役としてのキャラクター付けがされているが故に、間違った知識を与える。そのようなフォークロアの中の吸血鬼は本当に吸血鬼があまりも強力であり、実際は──一部の例外を除いて──危害を加えるような存在でないことから弱点が付与される。それにサンクトゥス教会の純潔の聖女派などが吸血鬼を嫌っているあまりにそういう風説が流布されることを推奨しているということもある」
エリックがそう捕捉するのをフィーネはうんうんと聞いていた。
「今度、読んでみますね、その本。けど、ここら辺に本屋さんってあるのかな……」
「目的の本なら私の研究室においてある。到着したら読んでみるといい。吸血鬼を見る視線が変わるだろう。あれはいい本だ」
「了解です。けど、サンクトゥス教会って吸血鬼まで嫌ってたんですか?」
「純潔の聖女派などごく一部の人間だけだ。教会全体が吸血鬼を敵視しているわけではない。彼らの教義と吸血鬼の存在はなんら矛盾しない。『神は万物を創造され、それに祝福を与えられた。この地上に生まれ、生きるものは皆神の祝福を受けている』と教義にはある。ならば、この地上に生まれた吸血鬼も神の祝福を受けているはずだ。彼らがこの地上とは別に『神の目を盗んで悪魔が仕組んだもの』──魔力から生まれる魔物とは全く別の存在であることは、科学的にも証明されている。そのことについては先ほどエリザベートの上げた『吸血鬼の生理学』を読めばわかるだろう」
「ううむ。純潔の聖女派はあちこち敵に回してますね。よくそんなゴリゴリの柔軟性のない姿勢で教会の主導権が握れましたね。みんなもあれこれ押し付けられるのは嫌いだから、そういう勢力は支持しないものだとばかり思っていました」
そう告げてフィーネがため息をつく。
「教会の不祥事のせいだろう」
そこでエリザベートが声を上げた。
「サンクトゥス教会はここ最近不祥事続きだった。教会銀行と犯罪組織の関わり。聖職者による孤児院での児童虐待。果ては教皇の暗殺疑惑。これらの後始末を押し付けるのに純潔の聖女派を使ったとみるべきだな。純潔の聖女派はサンクトゥス教会の主流とは言えない。だが、連中の潔癖症には一定の評価がある。教会内部のみならず、民衆の間でも純潔の聖女派が不正を働かない、不正を働いたものを厳しく処罰することは知られている。暫くの間は純潔の聖女派に教会内部を掃除させておいて、用が済んだら連中のやってきた黒魔術師への迫害などを理由に権力の座から蹴り落とす。それが教会上層部の思惑だとみて間違いない。純潔の聖女派も所詮は使われているだけだ」
「ううむ。私も割とサンクトゥス教会のこと信じてたんですけど、今回のことで信仰心を失いそうです。教会もなんだかんだで世俗に塗れているのですね。神様なんて本当にいるのか疑問に思えてきますよ」
エリザベートの説明に、フィーネが馬車の天井を仰ぐ。
「神は存在する。万物を、宇宙を作った存在は存在する。そして、それは神と呼んで問題ない。神は存在し、宇宙を作った。そのことについて疑いの余地を持つ必要はない。サンクトゥス教会の教義とは少しずれるが、神の智慧派も神の存在を探求している」
「まだ神の智慧派に所属しているのか、エリック。連中もまたまともではないのは分かっているだろう。『科学と魔術の発達こそ、神の真の声を聞き取ることができる』と。神の存在は不確かだ。私は“あの小娘”の話を真に受ける気はない」
「だが、成功すれば教会は完璧なものとなる。本当に神の声が聞こえるならば、これまでの論争にもけりが付く。各派閥も解体されるだろう。そうでなくとも、サンクトゥス教会の教えの下で科学と魔術を発展させていくことは世界にとって有益だ」
「どうだろうな。神は以前預言者を託した。その預言者の言葉は都合よく解釈され、改変され、権力者の都合に合うようにされてきた。ある意味、この世界でもっとも純粋な宗教は西方にいるオーディン崇拝だけなのかもしれないよ」
「君は宗教を常に疑問視しているね」
「それに縋る必要性を感じないのでね」
エリザベートはそう告げるとまた本を読み耽り始めた。
「神様は存在するんですか? そうですよね!」
「ああ。存在する。だが、聖典に書かれているような慈悲深く、思慮深い神を連想してはならない。実在する神というのは恐らく超常的なエネルギー体であり、それはあらゆる生き物を超越した思考をしている。つまり、神の考えを理解するには神と同じ土台に立たねばならぬということだ。向こうはこちらに合わせる気などさらさらないだろう。神は世界を作った。だが、その後のことはあるがままに任せている。それは創造物たちが自分と同じ土台に上がってくるのを待っているのだと思う」
「か、神様と同じ土台に立つんですか? それって異端なんじゃ……」
「かつては異端だった。今は異端ではない。教会との長い対話と神を理解するための激しい論争の末に神の智慧派は認められた。神がそれを求めているのであれば、そうするべきである。私もこの世の全ての物を超越した存在というのにはとても興味を引かれる。いつか同じ土台に立ち、神にどうして世界を作ったか尋ねてみたい」
神の智慧派は『宗教的倫理観を維持したまま、最大限の科学及び魔術的発展を成し遂げ、神の名の下に万民の幸福を実現する。そして、いずれは神の存在を自分たちの手で“観測”し、“対話”する』という目的を掲げて創設されたサンクトゥス教会の派閥である。最初それは神に対する挑戦であり、異端であるとされた。
だが、彼らは異端と認定されたからと言って武力を用いた抵抗に移行するほど愚かではなかった。彼らは科学と魔術の発展で得られる利益を餌に諸侯を味方につけ、その武力を背景に教会に公会議を要求した。
第一次ダンウィッチ公会議では神の智慧派の存在は認められたが、神と同じ立場に立つのは冒涜であるとして、それを掲げることは禁じられた。
それでも神の智慧派は諦めなかった。
いくつもの有益な発明を生み出して、それを神の智慧派という派閥で共有することにより、彼らの力は財界にも及んだ。神の智慧派に転向する信者が少なくない数になり始めると、教会もじわじわと危機感を覚え始める。
そこで第二次ダンウィッチ公会議が開かれた。
サンクトゥス教会はついに神の智慧派の求める神と同等の立場で対話するという目的を認め、その代わり神の智慧派に所属するのは世界科学アカデミーと世界魔術アカデミーでマスター以上の称号を認められた人間だけにすることを求めた。
ちなみにアカデミーにおけるマスターは大学における修士とは異なる。両アカデミーは伝統的にアプレンティス、ジャーニーマン、マスター、グランドマスターという手工業ギルドの階級をその評価に適用させてきた。
ともあれ、神の智慧派はそれに同意し、これ以上勢力を大幅に拡大することは控えつつも、教会に尽くし、神に尽くし、科学に尽くし、魔術に尽くし、万民に尽くした。彼らは科学カルトと呼ばれることを不名誉と思うどころか誇りに思っている。
純潔の聖女派が潔癖症だとすれば、神の智慧派は探求症だ。何事も教会の定める倫理的な観点から追及し、解き明かそうとする。実際、彼らによって解き明かされた謎は多い。ドルイド教と森の関係。森の魔力の変化についての解明。吸血鬼の眷属を元の人間に戻す方法。教会の倫理に反さないリッチー化の手法。そして、神の部分的観測。
エリックは長年神の智慧派に所属し、第一次ダンウィッチ公会議でも、第二次ダンウィッチ公会議でも代表者として発言している。
「神様がこの世界を作ったなら、どうしてみんな幸せになれないんでしょう」
「幸せの定義にもよる。この世に生まれてきたことそのものが幸福だと言う派閥もいる。どのような苦境に立たされようとあなたは神の祝福を得て、この世に生まれた。だから、泣くことなく、祝福を信じて苦境に立ち向かいなさいと」
「神様はスパルタなんですね……」
「これが神の言葉とは限らない。実際に神は人間の幸不幸が理解できないのではないかと私は思っている。君は牧場を見たことはあるかね?」
「実家が農家だったのでご近所さんの牧場はよく見てましたよ。牧羊犬がとっても可愛いんです。私は猫派ですけどね」
「奇遇だな。私も犬より猫が好きだ。それはそうと、君や牧場主は飼育されている家畜が幸せかどうかを考えるかね? 養蜂家がミツバチの幸せを考えるかね?」
「ええっと。多分、考えてないですね」
「そういうことだ。人間と家畜の間に決定的な差があるように、神と人間の間にも決定的差がある。神は自分と同じ土台に上ってくるまで、人間のことを認識すらしていない可能性もある。君は遠目に見て山羊と羊の違いをパッと見抜けるかね?」
「ううん。分からないです。多分、無理かもしれないです」
「そういうことだ。神にとって創造物は数億、数兆、数京、それ以上存在する。神という超越者はそれら全ての区別などつかないし、それぞれの求めているものも分からない。神にとってはこうして言葉で会話することすら、認識できないかもしれないのだ」
「け、けど、教会は神は全知全能だと」
「全知全能だろうと人間は不幸になる。神は自分が生み出したものについては理解しているはずだ。だが、さっきも言ったように神と人間の間には人間と家畜と同じほどの差がある。人間ひとりひとりの幸せなど神にとっては全知全能の範囲に入っていても、特に気にすることではないのかもしれない」
そこでエリックは一呼吸置いた。
「神の智慧派でも神が全知全能なのか、あるいは我々の存在を認識していないのかで意見が分かれている。私は後者であると思うが、教会の教義に従えば前者だ。だが、知っているにもかかわらず無視されているのと、知らないが故に無視されているのとでは後者の方がよくないかね?」
「それはそうですけど……。うう、私も神様と話してみたいです」
「神の智慧派はいつでも君を歓迎しよう。君がマスターの称号を得るならば」
「アカデミーでマスター……。うう、気が遠くなる……」
エリックの言葉にフィーネは頭を抱えたのだった。
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