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除名処分

本日更新分1話目です。

……………………


 ──除名処分



「本当に済まないと思っている、グランドマスター・エリック・ウェスト」


 エリックは目の前でただ悲痛な表情を浮かべている赤毛の男を見た。男の頬には深い裂傷の痕跡があり、歴戦の戦士であることを窺わせた。だが、今の彼の瞳には力強さはなく、ただ自分の無力さを悔いているだけの色があった。


 エリックがグランドマスターとわざわざ称号をつけて呼ばれるときは、ましてファミリーネームまで付けられて呼ばれるときは、大抵碌なことがないものだが、今回も御多分に洩れずいい知らせではなかった。


「仕方のないことなのだろう。ギルドの方針なのだから」


「だが、お前には世話になった。それをこんなことで終わらせるだなんて……」


「これはギルドの決定だけではない。教会からの圧力でもあるんだ。友として言わせてもらえば、ここは大人しく私を除名しておくべきだ。君たちが巻き込まれると私としては余計に心苦しい」


 エリックはいつもの宿屋の食堂の席でどこまでも静かに告げた。


 宿屋の店員が置いていったお冷にエリックの顔が映る。真っ白な髪を衛生的にまとめ、その濃藍色の瞳に知性の輝き。美形ともいえるのだろうが、それより先に人は彼の知的な瞳から、面倒くさそうな学者先生というイメージを受けることが多い。


「ああ。サンクトゥス教会がまさか黒魔術を禁止するなんてな……」


 エリック・ウェスト。


 彼は死霊術師である。


 死霊術の分野では唯一のグランドマスター──世界魔術アカデミーから与えられる最高位の称号──であり、この目の前の赤毛の男ヴァージル・ヴェレカーがリーダーを務める冒険者パーティ“紅の剣”に所属していた。


 彼ほどの魔術師ともなれば書籍を出版するだけで食べていけるだろうが、エリックは研究費の調達はもちろんではあったのだが、研究におけるインスピレーションを求めて冒険者稼業を行っていた。


 少なくとも今の時点までは。


「純潔の聖女派が教会の主導権を握ったのが原因だろう。あの派閥は潔癖症だ。前々から黒魔術を目の敵にしていた。それからいくつかの種族についても。これから何人の同業者が職を失うかと思うと、それだけで虚しくなる」


「黒魔術は長年、人々の生活を支えてきた。それを教会は分かっていない。俺たちのギルドもエリック、お前がいてくれなかったら何度全滅したことか」


「自分たちを卑下するのはよくない。君たちは君たちだけでもやっていけたさ」


 食堂のテーブルに広げられた食事もエールもワインもまるで手が付けられていない。


 サンクトゥス教会はこの世界で最大の宗教である。もっとも、いくつかの派閥に分裂しているので、この宗教が世界を支配しているとは言い難い。


 とは言え、影響力は強大だ。


 皇帝を破門すれば帝国では反乱が起きるし、ひとつの学説を異端と断じれば学者たちは火刑に処される。そのような力を有していた。もちろん、彼らが孤児院を運営し、人々に人としての倫理を説くことをなしにこれを語るのはバイアスをかけてしまう。


 だが、その教会がこれまで人々とともにあった黒魔術を禁止し、冒険者ギルドから黒魔術師たちを除名するように命じてきたのであれば、エリックたちにとっては話はバイアスのかかった方向に見えてくる。


「私の役割はちゃんと引き継がれるのかな?」


「回復は今度やってくる教会の司祭がやってくれるらしい。古代文字の解読と降霊術、それからちょっとばかり死者の助けを借りるってのはダメだな。古代文字が判読できるのは相当経験豊富な学者だけだ」


 エリックはこの“紅の剣”で古代文字の解読、降霊術、回復、そして死者の戦力化を行っていた。“紅の剣”を支えてきた力だ。


 古代文字が読めれば、これから潜るダンジョンに何が潜んでいるか理解することができる。降霊術ができればダンジョンに横たわる死者から何に注意するべきかを学べる。死者の蘇生の技術を応用した回復術は白魔術の回復と違って時間はかかるが完璧に治る。ダンジョン内の死者たちを戦力化して相手に叩きつけるのは死霊術の醍醐味とも言え、これまで何度も“紅の剣”を救ってきた魔術だった。


 もちろん、死者は弔う。ダンジョンで朽ち果てた彼らのやり残したことを聞き、ダンジョンを出た後でそれをギルドに報告するのもエリックだった。恋人への言葉、子供たちへの言葉、友人への言葉。エリックはダンジョンで力尽きた彼らの言葉を伝えるメッセンジャーでもあった。


 だが、黒魔術は禁止された。


「少しの間、慣れないことが続くだろうな」


「新しい環境に慣れられるかどうか分からない。お前なしのパーティなんて。アビゲイルも、クライドも、リタも、みんな困惑している」


 アビゲイルは剣士、クライドはレンジャー、リタは赤魔術師だ。


「探しましたよ、ヴァージル・ヴェレガーさん」


 宿屋の扉が開く音がして、女性の声がそれに続いた。


「まだ彼を追放していないのですか?」


「ギルドの命令は明日までにだ。今日中はまだいいはずだが」


「サンクトゥス教会の女司祭として申し上げます。今すぐにこの薄汚れた死霊術師を追放してください。黒魔術師など碌な人間ではありません」


 サンクトゥス教会の女司祭を名乗る18歳ほどの少女はゴミか汚物でも見る目でエリックを見た。エリックは汚れのない死霊術師であることを示す黒を基調にして、白い線の入ったローブ姿だが、サンクトゥス教会の女司祭はそれとは逆にシミひとつない白を基調にして、黒い紋章の刻まれえた祭服を纏っている。


「ルアーナ・ランソル。彼は俺の個人的な友人だ。別れを惜しんで何が悪い」


「でしたら、交友関係を見直されることですね。黒魔術師などと一緒にいると悪影響を受けますよ。まして、腐肉臭い死霊術師などと一緒では」


「貴様」


 ヴァージルが立ち上がろうとするのをエリックが押さえた。


「ヴァージル。気持ちは嬉しいが、これからは彼女が君たちの仲間だ。先は長い。今のうちから仲違いを起こすべきではない。私は行くよ」


「……すまん、エリック」


 最後の最後までエリックに気を使わせてしまったとヴァージルは悔いた。


「ルアーナ・ランソルさんか。彼らのことをよろしく頼む。サンクトゥス教会の女司祭である君ならば、彼らに力を与えることができるだろう」


「あなたに言われるまでもありません。さあ、さっさとこの街から出ていってはくれませんか。あなたのような黒魔術師がいつまでもこの街にいては、街の風紀が乱れます。この世界都市アーカムにあなたのような不浄な存在は不要なのです」


 ヴァージルが拳を握り締め、耐えていることがエリックには分かった。


 友がこれほどまでに怒りを剥き出しにしているのに、エリックは自分が感じるべき怒りを感じないことを申し訳なく思った。


 エリックはもう1000年の時を生きた。死ぬこと以外のあらゆることを経験してきた。だから多少の不条理にも耐えられる。それに彼自身もサンクトゥス教会の信者だ。嘘ではない。彼はサンクトゥス教会の神の智慧派という派閥の信仰者だった。


「そうなのだろう。私は去ろう」


 エリックはルアーナに背後で嘲られているのを感じながら、ヴァージルに背を向けて宿屋から立ち去り始めた。


「待ってくれ」


 エリックが宿を出る間際、ヴァージルがエリックを呼び止めた。


「少ないがみんなで出し合った金だ。路銀にしてくれ」


 ヴァージルは少ないと告げたが渡されえた革袋はずっしりとしていた。


「ありがとう、友よ。君たちの幸運を祈る」


「すまない、友よ。お前のことは忘れない」


 エリックはそう告げ、ヴァージルは去った。


「さあ、去りなさい、死臭が漂っていては宿の皆さんに失礼でしょう」


 ルアーナが高笑いを上げるのを聞きながら、エリックは宿から立ち去った。


「さて、帰るか」


 冒険者ギルドから追放された今、冒険者ギルドのあるこの世界都市アーカムにいる必要はない。むしろ、エリックはこの街は苦手だった。いつも喧騒に満ちていて、静かに思索に耽ることができない。興味深い発見があることはあるが、やはりエリックはこの眠らない都市が苦手であった。


 では、帰ろう。


 彼は研究所を持っている。この世界都市アーカムからは馬車で14日程度の道のりになるし、冒険者稼業を始めてから7年近くメイドに任せきりにしているが、帰る場所はある。


 暫くは冒険者稼業で得られたことを纏めて、研究をひっそりと行おう。


 いずれは民衆がサンクトゥス教会のやり方に反発して、スケープゴートとして純潔の聖女派が排除されるだろう。そうなるまで待てばいい。不老不死の魔術師(リッチー)であるエリックにとって時間は無限だ。待てばいい。


 エリックは夕日が沈み、魔道灯で照らされた街並みをゆっくりと進み、馬車の乗合場所に向けてゆっくりと進んだ。


「クソ。教会の連中め……」


「俺たちはこれからどうしていけばいいんだ?」


 アーカムの街中では明日に控えた黒魔術師の冒険者ギルドからの除名を受けて、黒魔術師たちが酒に酔ってふらふらと夜の街を苛立たし気に歩いている。


 同業者はかなりいた。それが一斉に除名となると冒険者ギルドそのものも苦労することになるだろうなとエリックは思った。


「うぐ、ひっく……」


 むせび泣く声がこの喧騒に満ちたアーカムでエリックの耳に届いたのは奇跡だった。


 エリックが泣き声のする方向を見ると、エリックと同じ黒と白のローブに学生時代の死霊術師に授けられる骸骨をかたどった水晶のはめ込まれた杖を持った少女が、衛兵の詰め所の外でうずくまっていた。


 ああ。彼女も同業か。また時期の悪いときに学校を卒業したものだ。


 エリックは流石に見るに見かねて少女の方に向かった。


「君、私の魂の色は何色だ?」


「へ?」


 エリックの突然の質問に少女が目を白黒させる。


 綺麗な黄金を連想させるゴールデンブロンドの髪をツーサイドアップにして青色のリボンで結んでいる。その瞳はブルーサファイアのように青く、きらきらと輝いていたが、涙が浮かび、やや充血している。随分と泣いていたのだろう。


 真っ白な肌はきめ細やかだが、頬には痣ができている。ここ最近にできたものだと分かるし、口の端には固まった血液が見える。誰かに殴られたようだ。


「死霊術師だろう。私の魂の色は何色だ?」


「えっと。藍色……いや、もっと黒い。濃藍、ですか?」


「正解だ。君も立派な死霊術師だね。そして、その境遇は概ね想像できる」


 彼女もまた冒険者ギルドの除名処分を受けてパーティを追い出されたのだろう。


 いや。待て。それにしては少し若すぎる。16歳ほどか。学校を卒業している年齢ではないな。それに学生時代の杖は卒業時に買い替えるのが習わしだ。それが一人前になった証となるのだから。


 エリックは些か奇妙な状況に遭遇したが、死人のように冷静だった。


「君、まさか学校の生徒かね?」


「いえ……。4日前まではそうだったのですが、私の通っている学校──王立リリス女学院が黒魔術科を急遽廃止にすると発表して、私はその黒魔術科で……。学科が廃止になったから途中退学に……」


「ふうむ」


 サンクトゥス教会の手があらゆる場所に及んでいることは理解していたが、まさか王立の学校にまで干渉するとは。これは相当根深い問題になりそうだなとエリックは少女の話を聞いて思った。


「実家はここに?」


「まさか。こんな大都市の生まれじゃないです。小さな農村の生まれです」


「そちらには帰らなくていいのか?」


「父も母も私が生まれてから数日で亡くなってて……。おじいちゃんがいたんですけど、それも在学中に……」


「すまない。悪いことを聞いた」


「ああ! 気にしないでください! 人とこうして喋れてやっと落ち着けてるんです」


 少女はそう告げてふうと大きく息を吐いた。


「私はフィーネ・ファウストっていいます。ご心配おかけしました。もう大丈夫ですから。人と話せるのがこんなにいいことだなんて、学院の入学式以来の実感です。お兄さんも死霊術師ですよね?」


「ああ」


「お互い、災難でしたね」


 そこでフィーネと名乗った少女のおなかがぎゅーっと鳴いた。


「まさかとは思うが、無一文かね?」


「そのまさかです……。ここに来るまででお金を全て使い果たしちゃいました……」


 フィーネはぐったりとまた項垂れた。


「ここで会ったのも何かの縁だろう。家に戻るために馬車に乗るつもりだったが、しばらく時間がある。食事でもどうかね?」


「い、いいんですか?」


「同じ死霊術師同士だ。構わないとも」


「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」


 フィーネは立ち上がって何度もお辞儀した。


「ところで、お兄さんのお名前は……?」


「エリック・ウェストだ」


「へー。グランドマスターの人にそっくりな名前ですね」


「そっくりも何も私がそのグランドマスターのエリック・ウェストだ。私の他に死霊術でグランドマスターのエリック・ウェストがいなければだが」


「へ?」


 少女の硬直が解けるのは死後硬直よりも早かった。


……………………

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