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「タケ。武志」

 不意にサエが立ち止まった。

「すまん」

 そう言って頭を下げる。コイツも酔いが醒めたようだ。

「いや、いいよ。渉の馬鹿も言い過ぎだったし」

 あいつはどうでもいい、と、やっぱり若干怒った声でサエはつぶやくと、真っ直ぐ俺を見た。

「せっかくいい感じで楽しんでたのに、後味悪いことをやらかしてすまん。お前と菱本には本当に申し訳ないと思ってる。渉のアレは半分癖みたいなモンなの、わかってるのにスルー出来なかった俺が、大人げなかった」

 俺は、もう一度頭を下げるサエの肩をたたいた。

「まあ、歌いまくって憂さを晴らせ。『残酷な天使のテーゼ』、一番に入れてやるからよ」

 苦笑いをしながら、サエは頭を上げた。

「じゃあ、その次は『スカイクラッドの観測者』だな」

「うえっ」

 それは確かに俺の十八番だけど、中間くらいで歌いたいなー。

 序盤では恥ずかしいぞ、厨二っぽくて。

「なんか……オタクな選曲が続くなー」

「いいじゃん別に、職場の飲み会じゃあるまいし」

「はは、まあな」

 なんとなく笑い合い、俺たちは先へ進んだ。

 ただ、しばらくしてサエが脈絡なく

「くそ……キツイこと言いやがる」

 と無意識っぽくつぶやいたのが、妙に俺の耳に残った。


 『U☆TA☆BA☆KO』へ行き、俺たちは歌った。

 俺とサエの二人だけだと、どうしてもアニソン中心のガキっぽいというか厨二っぽい選曲になるが、まあいい。

 ここまで趣味に走れる機会も滅多にないし、憂さ晴らしにはぴったりだ。ウーロン茶やクリームソーダでのどを潤し、俺たちは歌いまくった。

 30~40分ばかり経った頃、渉と菱本が来た。

 菱本はいつもの落ち着いた……というか感情の読めない顔で、渉の方はやや硬い表情だった。

「お、盛り上がってるな」

 菱本がやわらかく笑む。

 少し疲れたような儚さが揺曳する、高校時代『菱本スマイル』と女子たちに呼ばれていた笑みだ。

 庇護欲をそそるその笑みにキュンキュンする女子はたくさんいたが、菱本はその笑みの内側へ、なかなか他人を入れない。

 この男は内心、甘えられる相手を渇望しているくせに(気が合う女の子ってのは多分、そういうことなんだと最近思うようになった)、かたくななまでに他人に心を見せたり許したり、しないところがある。

 長年友人である俺たちであっても、コイツの心の内側を知っている気はしない。

 見せない許さない、ことで、コイツは均衡を保っているのだろう。

「渉」

 サエが呼びかけ、そこはかとない緊張が場に走る。

「歌えよ。俺とタケは持ち歌を一周した。休憩するからお前が歌え」

 ちょうどその時、二回目の『スカイクラッドの観測者』のイントロが流れてきた。

「……これ、タケの持ち歌じゃんか」

 苦笑いめいた感じで顔をゆがめて渉は言ったが

「気にすんな、タケはすでに一回歌ってる」

「そうそう」

 俺たちが言うと、じゃあ……と、ヤツはマイクを持った。

 その間に菱本は、さっさと自分と渉のソフトドリンクを注文し、ソファーに座った。

「おい菱本。あいつ……」

 俺が小声で菱本へ話しかけると、ヤツは瞬間的に『菱本スマイル』を浮かべると、

「釘は刺した」

 とだけ言い、後は真顔で歌う渉へ目を向けた。それ以上は聞きにくくなり、俺は自分の席に座ってウーロン茶の残りを飲んだ。


 時間まで俺たちは歌い、最後の〆はいつも通りに菱本の『さくら(独唱)』。

 途中から全員で合唱をするのもいつも通りだ。


 ちょっともめたが、今年も和やかに年一回の飲み会はおひらきになった。

 ……はずだった。


 後で渉から、今日はごめんというショートメールが来た。

 俺はいいからサエにちゃんと謝れ、と返すと、そっちはもう送ったという返事がきた。

『俺はダメだな。さすがにちょっとヘコんだ。マジごめん。色々、ちゃんと考えてみるよ』

 何だか、らしくない素直な文面だなと思ったが、菱本に『釘を刺』され、あいつなりに思うところがあったのかもしれない。少し考え、

『まあ、たまには失敗もあるよ。また飲もう』

 と送ると、

『(´;ω;`)』

 という顔文字が返ってきたのでちょっと安心し、笑いながら俺はスマホを切った。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 市の総合医療センターに着いた。

 玄関ホールに入ったところで

「タケ」

 と呼びかけられた。

 飲み会の時と同じジャケットを着ているサエが、足早に寄ってきた。

「おいサエ。マジかよあいつ。容体は……」

 俺が言いかけた途端、

「クスリを大量に飲んだらしい」

 と、そそけたような顔でサエは答えた。

「はあ?」

 思わず大きな声を出した俺へ、サエはシッと鋭く制した。

「大きな声出すなよ、迷惑だろう?」

 俺はなんとなく辺りを見回し、声をひそめる。

「いや、でも。……らしくないじゃん」

 あいつが自殺することそのものも『らしくない』が、服薬自殺なんて更に『らしくない』。

 あいつが仮に、生きているのが嫌になったのなら。

 ビルの屋上からでも、あっさりと飛び降りる。

 いや、飛び降りるんじゃないかなと、なんとなく俺は、そんな風にあいつのことを思っていた。

「取りあえず今のところ、命に別状はないらしい。あいつのおふくろさんがそばについてる。状態が落ち着くまで身内以外は面会を遠慮してくれって、看護師に言われたんだ。うろたえてお前たちに連絡入れちまったけど、無駄足踏ませてしまったな」

「いや、それはいい」

 そう言ってため息をつき、俺は、そばにある椅子にがっくりと腰を下ろす。命に別状ない、と聞いて一気に脱力した。

「命に別状ないのなら……それでいいよ」

 鈍く痛み出したこめかみを親指でもみ、俺は言った。


 玄関ホールの隅で、サエからここに至る経緯を聞く。

 あの飲み会の後、俺がショートメールを送りあったみたいに、サエもあいつとメールのやり取りをしたのだそうだ。

 その時の感触で、この件とは直接関係ない部分でヤツの情緒が不安定らしいとサエは察した。

「お互い仕事があるからな、気になっててもすぐにどうこうは出来ないけど。今日は俺も、卒業式関係の打ち合わせで半日だけ休日出勤だったんだ。帰り道で虫が知らせたっていうのかな、あいつの家へ寄ってみたんだ」

 缶コーヒーを飲みながらサエは言う。

「家にはおふくろさんがいたんだけど、あいつは休みの日、いつも昼過ぎまで寝てるから起きてこなくても不思議に思わなかったらしい。起こしてきますとおふくろさんがあいつの部屋へ行った途端、悲鳴が聞こえてきてな」

 サエは深い息をついた。

「ありったけの睡眠薬を飲んだみたいだ。100錠近くじゃないかな?……昏睡状態だった」

 俺はひゅっと息を飲む。サエは俺を見ると、かすかに苦笑いした。

「といっても今の時代、一般的に処方されてる睡眠薬は、多量に飲んだからってすぐ死ぬようなことはまずないらしいんだ、後遺症も残りにくいらしいし。俺も病院に来てから初めて知ったんだけど。それでもしばらくは入院が必要だ」

「ああ、そりゃそうだろうな」

 いくら命に別状ないといっても、強い薬効のあるモノを常識はずれな量飲んで、すぐ回復することもあるまい。

 それに『常識はずれな量』飲みたくなったメンタルが、そもそも問題だ。精神面の治療が必要だろう。

 そこでふと、俺は気付く。

「『処方されてる薬』ってことは……あいつ、ソッチ系の医者にかかってたのか?」

 サエは軽くうなずく。

「ここ二、三年、不眠に悩まされてて、ちょいちょい心療内科にかかってたんだそうだ。おふくろさんから聞いた」

「……そう、か」

 意外、だとは思わない。が、そこまで深刻だとは全く思っていなかった。



 茫然としながら家へ帰る。

 病院を出る直前ミーへ連絡を入れ、当面心配ないことは伝えた。

 電車を降り、のろのろと家路をたどる。


 菱本の歌う『さくら(独唱)』が、頭の中でしきりにリフレインする。

「……馬鹿野郎が」

 歩きながらひとりごちた。

 やり場のない怒りと自分自身の迂闊さ。

 

 冬の宵は早い。

 風は更に冷たさを増している。

 傾いた弱い陽射しの中、俺はうつむきがちに唇を噛んで歩いた。

 

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