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「よう。遅れてすまんな、仕事が終わんなくて。公務員トリオの皆さんと違って、俺はしがないハケンだからなァ。日曜も祝日もないんだよね」

 言いながら雑な動作で椅子を引き、菱本の隣に渉は座る。

 職場から直接、来たのだろう。ペールブルーの作業服の上に襟にボアがついた紺色のジャケット、通称『ドカジャン』を着ている。

「あ、俺もビール。中ジョッキ。後、唐揚げとポテト、焼き鳥の盛り合わせ、大たこ焼きと焼きそばも追加」

 テーブルの紙おしぼりで手をふきながら、渉は注文を取りに来た店員に言う。

「あ、大たこ焼きと焼きそば、もうひとつずつ追加でお願いします」

 サエが付け加え、店員はオーダーを復唱して戻った。

「仕事だったのか?祝日なのに大変だな」

 言いながら俺は、枝豆の小鉢を渉の前へ押し出してやる。小さくサンキュと言い、渉は枝豆を結構なスピードで食い始めた。

「まあな、冬場の方が忙しい職場だし。……っても社員の皆様はお休みあそばしてるんだけどよ。哀愁の日雇い労働者のさだめだよねえ」

 瞬く間に枝豆を食いつくすと、ヤツは面倒くさそうに枝豆の小鉢を脇へやった。


 こいつには高校時代から自虐の癖があるが、ここ最近、素直に笑えない自虐が増えてきた。

 三十前くらいまではそうでもなかった。

 ハケンで食いつなぎながらコイツは、地味キャラの俺には真似出来ない、冒険的なあれこれを楽しそうにやっていた。

 4~5年くらい前まで嵌っていたのが動画投稿だ。

 渉は元々多趣味な男だ、まずは趣味の手ほどき動画から始めたのだそうだ。

 そのうち我流料理やゲームの実況動画なんかもやりだし、再生回数がどうのチャンネル登録がどうのと、俺たちの前で楽しげに話していた。

 渉は引き締まった体躯の、たたずまいにそこはかとない野性味がある男っぽい男だ。

 鼻筋がすっと通った顔も、決して見苦しくはない。

 そのビジュアルのお陰もあるのか、渉の動画にはそれなりにファンもついていて、小遣い程度は稼げると言っていた。

 コイツなら、こういう半分タレントみたいな仕事も向いてるんじゃないかと俺たちは思ったし、渉自身もかなりその気だった。

 しかし、一定以上のクオリティの作品をほぼ毎日UPし続けるのは難しい。

 ネタも尽きてくるし、視聴者サイドも気まぐれだ。

 何より競争相手が、ある時期から真冬のインフルエンザ患者並みに一気に増えたのだそうだ。

 どんどん渉の動画のチャンネル登録者が離れてゆき、軒並み再生回数が減ってきたとぼやいていたのが一昨年。

 結局、効果的な対策が打てないままじり貧になり、動画投稿を止めたという話を聞いたのが去年だ。


 去年より雰囲気は大人しいが、渉の動作の端々に投げやりな気分が見える。

 動画投稿ほど嵌れる何かを、まだ見付けていないのだろう。

「しっかし、タケ。お前まだ入籍してなかったの?そりゃま、好きな時にイチャイチャできて、メシの支度や掃除洗濯やってもらって、だけど義務は負わないなんて美味しい状況、変えたくないのわかんなくもないけどさ。ずるいなあ。それに自信家だよ。コームインの自分からは、オンナは離れてゆかないって?」

「いや、別にそういうんじゃないよ」

 渉の言葉は、ぎくっとした部分もあるが、大切な半分が欠けているとでもいうのか、的を外した指摘に思えた。

「掃除洗濯なら俺も交代でやってるし。そういうんじゃなくて、ただ単に後回しになってるだけってのか……」

 ふん、と渉は鼻を鳴らして口許をゆがめる。

「だから自信家だっての。三十歳(さんじゅう)まわった地味なOLさんが、市役所職員の男なんて手堅い牌を捨てる訳ない……ってね。だけど、もしもっといい牌が偶然回ってきたらって考えないのかよ?今の時点で美鈴ちゃんを縛るものは、何もないみたいなモンなんだぞ。帰ったら荷物が持ち出されてて『お世話になりました。さようなら』なんて置手紙がぺランとありました……って悲喜劇が、たった今、起こったとしても不思議じゃないだろ?」

「いや、あいつのキャラ的にそれはないだろうな」

 美鈴(あいつ)は、もし本気で俺が嫌になったなら、じゃあねバイバイと身一つで出て行くような女だ。

 こっちが呆気にとられてボーっとしている前を、まったく忖度なく堂々と。

 仮に追いすがったとしても蹴飛ばして出て行く、そういう女だ。

「話をずらすな」

 ちょうど来たビールをぐびりと飲み、渉は嗤う。

「忘れたのかもしれないけどよ、美鈴ちゃんはアレで結構、隠れファンがいた子なんだぜい。大事にしないなら俺がかっさらうぞ、この馬鹿野郎」

「へ?は?お前、今なんて……」

 あまりにも思いがけないことを言われ、俺は飲みかけていたビールを吹きそうになった。渉は人が悪そうに、更に口許をゆがめる。

「冗談だよ、阿呆。俺はあの子のこと幼稚園から知ってるんだぞ、今更オンナに見れるか。ただ、今のままじゃそーゆー可能性もあるってこと。俺じゃ説得力ないんなら、菱本ならどうだ?お前、菱本のライバルやれる自信ある?」

「俺は友達の彼女に手を出すような下衆じゃないよ」

 菱本はややズレたことを真顔で言った。わはは、とサエが笑う。

「是々非々で渉に賛成だな。今年こそは年貢を納めろよ、武志」

(国会の答弁かよ、サエグサ先生)

「……わかったよ」

 ため息をつきながら俺は、ややぬるくなったビールを飲み干した。


 その後しばらく、俺たちはビールや酎ハイを飲みながら取り留めのない話をした。

 いい塩梅にアルコールの回ってきた頭はふわふわし、ツマミのあれこれで適度に腹も満たされてきて気分が良い。

 やっぱり、余計なしがらみのない古くからの友人と飲む酒は、美味い。

 最高か最高から二番目くらいに、美味い。

 

 だから何故そんな風に話が拗れたのかが、俺には未だによくわからない。


 事の発端は、渉のいつもの愚痴だ。

 聞き苦しいといえば聞き苦しいが、まあ、いつものこととも言える。

 自虐まじりの卑屈の中に、職場や社会への鬱憤をねじ込んだ愚痴。酔った渉の十八番とも言える。

 だから、アルコールが入っていなければ渉もここまで言わなかっただろうし、サエが過剰に反応することもなかっただろうと、俺は後から思った。

「結局甘ったれてんだよ、渉はよ」

 サエが据わった目でぼっそとそう言ったのが、雲行きが悪化したきっかけだったような気がする。

「そうやって顎で使われるんが嫌なら、自分が使う方へまわりゃいいだろ。今まで責任から逃げてたんだから、軽い扱いされてもしょーがないだろうが。ちょっと前までお前、勤め先で責任負う気はないとかなんとか、よく言ってたよな?今までいくつかあった正社員の誘い、ことごとく蹴ってきたんだろ?違うのか?」

「まあそうだね」

 酎ハイのレモンを噛み、渉は嫌な笑い方をした。

「だったら自業自得だ。あきらめろ」

 へへ、と渉は嗤う。

「はいはい。正しい事しかおっしゃいませんねえ、三枝先生は。まったく、悪ガキ切り捨てるタイプのヤな先公になりやがって」

「はあ?」

「悪ガキ切り捨てるタイプのヤな先公って言ったんだよ!」

 サエはみるみる青ざめた。

「頑張る気のある悪ガキなら切り捨てるかよ」

 聞いたこともないような低い声で、サエはぼそっとつぶやいた。

「切り捨てられるガキには、それ相応の理由があるんだよ!夢ばっか見て努力しないぐうたらな悪ガキ、見捨てられてもしょーがないだろーがよ!」

「あーそーかよ。はいはいはい。お前は正しいよ、いつもいつもいつも!」

「……んだとう!」

「おい」

「やめろよ、お前ら」

 俺と菱本がそれぞれ、立ち上がろうとしたサエと渉の肩を押さえる。

 俺がサエ、菱本が渉。

「放せよ、このバカぶん殴らせろ!」

 もがくサエを、俺はとにかく押さえつける。くそ、小男のくせに無駄に力が強いな、コイツ。

「へ、酒に酔って暴力事件なんか起こしたら懲戒解雇へ追い込まれるぜい、三枝先生よお。いいのか、家族が路頭に迷うぞ」

「黙れ渉。いいからちょっと黙ってろ!」

 滅多に怒らない菱本の怒気を含んだ鋭いささやきに、さすがに怯んだのか渉は静かになった。

「もう出よう。取りあえずサエを連れて、先に『U☆TA☆BA☆KO』へ行っててくれ。俺は後から、渉を連れて行く」

 菱本は言って顎をしゃくる。

 俺は頷き、サエを引っ張るようにして店を出た。

 『たこっぱち』で飲んだ後、地元のカラオケボック『U☆TA☆BA☆KO』で、懐かしの歌を歌いまくる。

 それが俺らの定番だ。


 サエを引っ張り、縄のれんをくぐって外へ出た。

 冷たい空気の中を歩いているうちに、すっかり酔いが醒めてしまった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 空気感がイイですね!! 私も年に一度くらい、高校時代の友人と安い居酒屋で酒を飲むのが恒例になっているので、凄く感情移入してしまいました!w 砂臥さんもかわかみさんも女性なのに、こういった男性…
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