お嬢さまからのお誘い
春休みを迎え、このみが麗の家で働く様になってから間もなく1年になろうとしていた。
『お帰りなさいませ。』
麗が車イスバスケットボールの練習から帰宅した。
『このみさん、少しお時間宜しいかしら?』
『はい。大丈夫です。』
本来なら就業時間は過ぎているが、バスケットの練習の時はどうしても遅くなり、家を空けられない為に残業をしていた。
『お着替えをされてからで結構ですわ。後でリビングに来て下さい。』
『かしこまりました。』
このみは急いで私服に着替え、リビングに向かった。
『失礼致します。』
このみは麗に促され、ソファーに腰掛けた。
『このみさん、あなたがここに来て間もなく1年になりますわね。』
このみはまさか首を切られるのではないかと心配で緊張している。
『は、はい。大してお役に立てなくて申し訳ございません。』
『何を言っておられるのですか?この1年、大変助かって感謝しておりますのよ。頼子さんも感心しておりますわ。』
麗の後ろに立っている頼子も頷いている。
『でもひとつ問題がありますわ。あなたの学業が疎かになっているのが申し訳なく思っていますの。』
もともとこのみは特別勉強が得意ではなく成績も中くらいであった。
『は、はぁ。』
『通知表を見させて戴きまして、これではいけないと思いましたの。でも今やこのみさんは我が家にとって欠かせない方ですのでお仕事は今まで通り続けて戴きたいのです。』
首の心配が無くなりとりあえず安心したが、それ以上に大変そうな予感がする。
『ワタクシに付いている家庭教師にこのみさんにも勉強を教えてもらいますわ。それと、一度このみさんのお母さまをお招きしてご一緒に食事でも如何かしら?父もお会いしたいと申しておりますの。』
このみの母・康子が麗と会ったのは最初に挨拶に来た一度だけで、麗の父・源一郎にも会ってはいない。
『分かりました、母に伝えてみます。』
麗の打診をこのみは断る事が出来ない。
自宅にもどり、直ぐに康子に伝える事にした。
『ただいま。』
『おかえりなさい、遅かったわね。麗さん、練習が長引いたの?』
このみは中学生なので康子には仕事の内容を常に細かく伝えている。
『ううん、帰る前に麗さんから話があってね、お母さんも一度来てくれだって。』
『それってこうちゃん何かやらかしたの?』
康子はこのみの事を普段こうちゃんと呼んでいるのはもともと[康太]という名前だったからでなかなかこのみとは呼びにくいのである。
これは知香の両親や親戚と同じ心理であった。
『学校の成績が悪いって。』
康子がこのみの父と離婚して養育費が途絶えた現在、このみの通院や将来の手術の為にもこのみの収入は欠かせないのだが、学生の本分である勉強を疎かにしては本末転倒なのである。
『今までお世話になりっ放しだし、断る訳にもいかないわね。直ぐにお返事しましょう。』
康子は直ぐに麗の自宅に電話をして3月の末日に出向く事になった。
当日は夕方までこのみは麗の家で働き、康子が来る少し前に麗のお下がりの花柄の黄色いワンピースに着替えた。
『このみさん、ちょっと。』
『はい、頼子さん。』
『せっかくの可愛いワンピースなんですから髪はちゃんとしなさい。』
麗の家で働き始めた頃は父に切られた髪が伸びておらず、ショートカットだったが1年でだいぶ伸び、セミロングになった時点で仕事に差し障らない様にカットして普段はポニーテールにしている。
頼子はこのみの髪をハーフアップにして編み込んだ。
『わぁ、凄い。』
『女の子なんですから自分でこれくらい出来る様になりなさい。』
頼子の言葉はキツいが優しさが篭っている。
『ありがとうございます。』
そのスタイルでリビングに向かった。
『失礼致します。』
『このみさん、素敵ですわ。これからもワタクシの洋服を着て下さいませね。本当は制服も着て戴こうと思いましたがサイズが合わないのが残念ですわ。』
バスケットボールの選手だった麗は中学入学の時点で既に身長が158センチあり、現時点で145センチしかないこのみには大き過ぎる。
『頑張って大きくなります。』
『無理しないで宜しくてよ。このみさんは可愛いですから。』
このみは照れて顔を下に反らした。
ちょうどその時、インターホンが鳴り、頼子が応対に出た。
『来られた様ですわね。』
仕事を終えた康子が来た様だ。
『失礼致します。上田康子さまをお連れしました。』
頼子に続いて康子が部屋に入る。
『失礼します。……まぁ!』
康子は見た事がないこのみの姿に驚いた。
『ワタクシが小学生に着ていたものですわ。』
間もなく中二になるのに小学生が着ていた洋服のお下がりというのも恥ずかしいが、その様には見えない。
『いつもお世話になって申し訳ございません。先日はタイにまでご一緒させて戴きまして。』
『いえ、ワタクシたちの方がこのみさんにお世話になっておりますのよ。よく働いて下さり本当に感謝致しますわ。』
そこに麗の父・源一郎と秘書のリカルドがリビングに入って来た。
『お邪魔しております。』
座っていたこのみが立ち上がって康子と並んでふたりはお辞儀した。
『楽にして下さい。さ、座って。』
源一郎に促されて康子とこのみがソファーに座った。
『せっかくですから食事をしながらお話ししましょう。』
頼子が料理を運び始めた。
『私も手伝います!』
『このみさんは良いですわ。もうお仕事の時間は終わりましたし。』
このみが立ち上がろうとするが、制止された。




