なかないで!なかないで!わらって!
そういえば『あの日』もこんな日だった。
雨は激しく車窓を打つ。降っても降っても、曇天は重たい灰色のまま変わらない。窓から見えるグレースケールの景色に、少しだけ私は偏頭痛を覚えた。目に入るもの全てが、灰色の水彩絵の具を足したように彩度を失い、明度が少しずつ落ちている。
いい加減、空も泣くのに飽きないのかね。揺れる電車の座席に座り、私はため息をついた。車内の冷房の風が私の前髪を揺らす。
「何か妙な感じだな」
不意に、隣に座る遠野がぽつりと呟く。
「こんな時間に家に帰るなんて」
ほら俺、帰るのいっつも遅いから。
隣を見れば、遠野は真っすぐ前を見つめていた。多分窓の外の景色を見つめているんだろう。車体に張りつくように作られた座席に、遠野は深く、背筋を真っすぐに座る。
学校終了後すぐの車両は学生達で混み合っている。時折私達学生と乗り合わせたサラリーマンが、傍らの学生の声量に顔をしかめるのが目に入った。でも肝心の、騒いでいる彼らの視界には入らない。彼らの世界は彼ら中心に回っている。隣の人間は彼らの世界を艶やかにするための役者達で、傍らのサラリーマンは役者ですらないだろう。背後のセットか、下手したら邪魔臭い廃機材くらいに思っているかもしれない。
「冴、おウチ、カエリタイ」
「似てね」
浅く、ふんぞり返って座って私は言う。小さい頃に観た映画の宇宙人のモノマネだ。遠野は大声で笑った。
遠野の声に、サラリーマンの目がこちらに向いた。遠野は彼に気がつくと、小さな声で「すんません」と呟いて頭を下げた。そして私に咎めるような視線を向ける。なんだ、笑ったのは遠野だ、私のせいじゃない。
「お望み通り帰ってんだろ」
「帰りたいはそっちのお家じゃないのさ、ベイベー」
「何だそれ」
遠野は僅かに笑み浮かべた。今度は笑い声をあげない。
遠野の口元から、歯磨き粉のコマーシャルを思わせるような白い歯が覗く。焼けた肌に遠野の白い歯はよく映える、と私は思った。
遠野は高校野球男児だ。我が高校の野球部はとても優秀で、本来なら雨の日もトレーニングルームで練習があるところだが、本日は顧問の先生が出張となったらしい。
折角の休練日をわざわざ私と帰らなくてもいいのに、と思う。もちろん一緒に帰りたくないわけじゃない。そんなじゃない。でも遠野が私に気を使っているのが分かるのが嫌なのだ。
「よし、そんな仏頂面の冴にいい物をやろう」
仏頂面で悪かったわね。
ふてくされた私を笑いながら、遠野が大きな肩掛け鞄から取り出し、差し出してきたのは一つの扇子。広げてみろと言われ、言われるままに広げてみる。白の和紙が貼られた扇子。それにはでかでかと墨字印刷の文字が書かれていた。
『笑って』と。
笑えるか、馬鹿。
彼、遠野大成は私の幼なじみだ。しかも家がお隣というベタもベタな幼なじみときた。だから遠野の家に向かうというのはたしかに、自分の家に帰るという図式が成り立つ。
『お望み通り帰ってんだろ』
この言葉は、嘘ではないというわけだ。けれど進学時から下宿を始めた私が、『こっちのお家』に帰るのは一体どれくらいぶりだろう。入学してからずっと帰っていないから―― 一年半?
遠野にそれを言ったら「この親不孝もんが」と怒られた。でも、だって仕方ないじゃない。帰らなかったのは面倒だったからじゃない。私は、ただ――
しかしながら今逃げ出すと、遠野に盗られたお財布の中身が、遠野の大食いチャレンジに消え失せる、らしい。せめて実用的な物に使ってくれればいいものを。財布の中には生活費全てが入っているのだ。遠野の馬鹿食いのために生活できなくなるのはなんとも空しい。だから私はこうして逃げ出さず大人しく家路を行くというわけだ。
でも、逃げたい。帰りたくない。きっと遠野はそれをよしとしないだろうけど。
『可哀想にねぇ』
不意に、私の脳裏にその言葉が蘇る。私は思わずかぶりを振った。
「ほら、冴。降りるぞ」
遠野の声に私ははっとした。気がつけば、窓の向こうに木製の柵と柵にかけられた駅名看板が見える。最近は口にすることもなかった、私の家の最寄り駅の駅名だ。
電車を降りると雨音は一層激しさを増す。駅のトタン屋根に雨があたって、そのうち穴が空くんじゃないか心配になるくらいだ。
人の声はない。ここは小さな駅だから、駅員さんは改札口に一人、座っているだけだ。改札を出た先には「タイムマート」という個人経営のコンビニ――というのもおこがましいほどの小さなお店が建っている。それ以外は何もない。一年半前と何も変わらない風景に私はぞっとした。 あぁ、やっぱり、逃げたい。
「冴」
自然と足取りが重くなった私に、遠野は左手を差し出した。遠野は私の右手を握って、
「大丈夫」
とても優しく微笑んだ遠野に、私は小さく頷いた。おずおずと手を伸ばし、遠野の手を握り返す。遠野はすごい。遠野が大丈夫と微笑んでくれると、本当に大丈夫な気がしてくるんだから。
大丈夫なのかな。私は帰ってもいいのかな、あの家へ。
それからしばらく遠野は何も言わなかった。私も何も言わなかった。二人して黙々と帰路を歩む。
傘は二人で一つの傘を差した。きっと遠野は気を使ってくれたのだ。足取りの思い私を勇気づけるためにもすぐ近くにいた方がいい、遠野の考えそうなことだ。
気を使われるのは嫌だったけど、遠野と離れたくなかった。だから私は何も言わず、遠野の好意に甘んじることを決めた。
遠野の傘は鮮やかな水色だった。傘は、寄り添って歩く遠野と私をすっぽりと包むくらい大きい。水色の傘は濃い灰色によく映える。遠野が差してくれた傘を見ながらそう思った。逆に灰色の空の濁った感じも際立ってしまうけど。
家まであと少し。私の心音がどんどん大きくなっていく。本当に帰っていいのかな。私はあそこに居ていいのかな。心音と共に不安もどんどん増していく。
「ねぇ遠野」
もう一回、大丈夫って言って。
そう言おうと思った。遠野の言葉さえあればなんとかなる気がしたから。だけど、それは他の言葉に遮られて言えなかった。
「あら、冴ちゃんじゃないの?!」
――よりにもよって。
私の心臓が一際大きな音を立てる。甲高い女性の声に、私は自分の身が強張るのを感じた。何で、よりにもよってこの人に会ってしまうんだろう。私は自分の運のなさを呪いたい気分だった。
無視をするわけにはいかない。私はゆっくりと振り返った。その先にいた女性は私を見ると、「あらやっぱり!」と一際大きな声を上げる。
「伯母さん、お久しぶりです」
私は言う。からからに喉が渇いたときに、水を求めて絞り出したときのような声だった。
五十歳前後、痩せた体に花柄のワンピースをまとった女性。彼女は、出目金の目みたいにこぼれおちそうな目を更に真ん丸に見開いて、ついでに口も真ん丸にしてぱくぱくさせている。本当に金魚みたいだ。灰色の池の、混濁とした泥の中に住う金魚。
彼女は父の姉にあたる人だった。伯母さんはすぐに私に駆け寄って、強く私の肩を叩く。肩が痛い。
「本当にねぇ! 大成君もこんにちは」
こんにちは、と遠野は笑顔で会釈した。伯母さんは私と遠野を交互に見やり、仲がいいわねと笑う。
早くここから去りたい。伯母さんに愛想笑いを返しながら、私はそればかりを考えていた。伯母さんの声はあの言葉を思い出せる。それもひどく鮮明に。
「冴ちゃん、本当に久しぶりだわ。どうして帰って来なかったの?」
「色々と忙しくて……」
私は曖昧に笑う。私の体はすでにじりじりと後退しつつあった。早く、早く。
「忙しいって言ったって、帰ってくる時間くらいあったでしょう?」
伯母さんはあからさまに顔をしかめて、ため息をついた。その通りだ。確かに帰る時間はあった。けれど、私は帰らなかった。
「まぁまぁ、いいじゃないですか」
私の様子を見かねたのか、遠野が会話に口を挟む。遠野は苦笑いを浮かべながら、私と伯母さんの間に立った。
「今、こうして帰って来たんですから』
遠野は、私の手を握る力を僅かに強めた。大丈夫。遠野はそう言いたいんだろうか。
しかし、遠野のフォローも伯母さんには通用しない。伯母さんは遠野の背後に隠れた私を見て、もう一度ため息をついた。呆れているような、怒っているような、そんなため息。
「冴ちゃん、修二は一人っきりにあの家に住んでいるのよ? 佐枝子さんはもう居ないから」
修二は父の名前で佐枝子は母の名前だ。私は俯き、唇を噛み締めた。この人から母の名前は聞きたくなかった。
母がいないことなんて、誰よりもよくわかっている。母が私を呼ぶ声、少し塩辛い母の料理、私を咎める母の厳しい言葉、暖かい笑顔――あの日から私が失ったものは数知れない。
「何も冴ちゃんまで修二のもとから去らなくてもいいじゃない。冴ちゃんがいないから、あの広い家に一人なのよ。あの子も寂しいでしょうに」
この人なりに父を想った言葉なのだろう、これは。父だけを想った言葉だ。私には無神経なものでしかない。
同時に嫌な予感がした。この話の展開、この口調。やめて、やめて。私の手のひらに汗が滲む。ごくりと私は唾を飲み込んだ。嫌だ、あの言葉は聞きたくない、聞きたくないのに。
「本当、弟が『可哀想』だわ」
――――何よ、それ。
ため息まじりに呟いた彼女の言葉は、それ以外の全ての音を消した。頭の中が真っ白になって、彼女の言葉だけが私の脳裏に反芻される。何度も、何度も。沈澱した泥が舞い上がって池の水を汚すように、奥底から舞い上がってくる記憶に私は激しくかぶりを降った。そして、私は走り出した。遠野の手を激しく振払って――
雨が私を強く打つ。背後で「冴!」と呼ぶ声が聞こえた気がした。だけど私は振り返らなかった。
だから嫌だったんだ。雨に打たれながら私は思う。『可哀想』――あの言葉は嫌い。大っ嫌い。
母がこの世界から消えたニ年前、私に、父に、そして母に、一体何人の人がその言葉をかけただろう。可哀想なんかじゃない、母は最後まで笑っていた。
母が治療してしてもらったのは緩和ケア科というところで、そこは治る見込みのない患者が、できる限り幸せな最後を遂げられるよう見届けることを目的に作られた科だ。その時点で、母の死は既に決定していた。
もちろん母は人間で、時折物憂げな表情を浮かべ、私の前ではなかったが、ひっそりと泣いていたこともあったようだ。けれど母は私に「できる限り生きるよ」と約束してくれた。実際、母は頑張って生きた。宣告を受けて半年間、当初の三か月宣告の倍の期間を生きたのだ。
最後まで私達は幸せだった。だけど私たちはいつも可哀想だった。そして、私は可哀想と言われる原因が何かを知っている。原因は、私だ。
『可哀想にねぇ』
母の葬儀後、伯母さんがしみじみと呟いた、あの一言。
『あんな大きい子供が居たら、修二は再婚も出来ないじゃないの』
苦々しく呟いた、伯母の言葉が私は忘れられない。
あぁそうか。可哀想ってそういうこと。私がいるから父は可哀想なんだ。
帰らなかったのは面倒だったからじゃない。時間がなかったわけじゃない。ただ、私は、父が『可哀想』と言われることが許せなかった。
私が傍にいると、父がどんどん可哀想になっていく。そんなのダメだ。だって父も母も可哀想じゃなかったもの。
だから私は父から離れた。私の一人暮らしに父は反対をしなかった。だからこれでいいと思ってた。私のことなんか忘れて幸せになっていいよ。見捨てていいよ。
――――だけど。
『どうして帰って来なかったの?』
『あの広い家に一人。どう考えったって寂しいでしょうに』
『本当、弟が可哀想だわ』
――私にどうしろって言うのよ!
私は大声で叫んで、近くにあった公園に逃げ込んだ。小さい頃、遠野と一緒に遊んだ公園だ。中央には柵に囲まれた芝生があり、滑り台からブランコ、鉄棒など一通りの遊具が揃っている。その中でも、私はジャングルジムがひときわ好きだった。
私は一直線にジャングルジムに駆け寄った。ジャングルジムは、記憶の中のものよりも錆び付いて、レモン色だったそれは、もはや黄土色だった。
ジャングルジムにしがみつき、私は肩で息をついた。雨はなおも私を打つ。だけど私の頬を伝うのは本当に雨だろうか。もうよくわからない。私は泥と化した地面に膝をついた。
小さい頃は良かった。ただ何も考えずに遠野と遊んでいられた。こうして雨が降ったら母と父が傘を持って迎えに来てくれて、
『冴、帰ろう』
父が傘を差し、私は母と手を繋いで、今日遊んだ内容を意気揚々と語りながら家に帰っていくのだ。
幸せだった。幸せだと思ってた。だけど私なんていなければ良かった? 初めから。私がいなかったら、父はもっと幸せだった?
今の私の脳裏に思い浮かぶのは、私に話しかけられて困ったような顔をする父だけだ。お腹を痛めて生んだ母親と違い、父親は子に対する関心が薄いと聞いたことがある。私は父が大好きだけど――――お父さん、私のこと、好き?
「冴」
不意に、雨がやんだ。見上げてみれば、鮮やかな水色が目に入る。私は思わず瞠目した。
「遠野」
遠野は私に傘を差して、眉間に皺を寄せていた。遠野の目尻が僅かに下がっている。
「冴、帰ろう」
記憶の中の声と、遠野の優しい声が重なった。私は遠野を見上げ、目を細めて、小さく左右にかぶりを振った。
私は帰れない。
「冴」
困惑した声で私を呼ぶ遠野に、私はかぶりを振り続けた。
「ダメだよ遠野」
「ダメって何が?」
「私はいらないもの」
私はたまらなくなって俯く。そう、私は要らない。あの家に、父の傍に。
「私は、必要ない」
むしろ有害だ。私は一層強くジャングルジムを握りしめた。ジャングルジムを雨が伝う。すごく、冷たい。私の手にじわじわとしびれが広がっていく。
遠野が口を開いたのは、それから数秒経った頃だった。遠野は深く息を吐き出して、低い声で早口に言った。
「冴、これ持ってろ」
言うがはやいか、遠野は私に傘を押しつけてジャングルジムを上り出す。
唖然とする私には目もくれず、遠野はどんどんジャングルジムを上っていく。強い雨にもひるみまない遠野。
遠野はすぐにジャングルジムの頂上まで上り切った。頂上に立ち、遠野は空を仰ぐ。遠野の肌を雨が滑った。
遠野の視線の先は灰色の分厚い雲だ。分厚すぎて太陽がどこにあるかもわからない空。遠野は空を睨みつけて、叫んだ。
「なかないで! なかないで! わらって!」
私は真ん丸に目を見開く。これ以上にないくらい目を見開いて、「あ」と私は言葉にならない音を発した。私はこの言葉を知っている。
ジャングルジムの上で何をやっているんだとか。いきなり叫んで恥ずかしいだとか。そういった考えは不思議と頭に浮かばなかった。雨音が激しくて、それ以外の音が聞こえなかったせいかもしれない。
遠野が私を見た。私はごくりと喉をならす。
「ずっと昔、この場所で、冴が叫んだ言葉だよ」
そうだ、その通りだ。
あれは本当にずっと昔、多分十歳にも満たない頃のことだ。遠野がひたすら泣き暮れていた、六月のこと。理由はよく覚えていない。ただ遠野の泣き方が尋常じゃなくて、そのことだけは強く印象に残っている。
そう、あの時もこんな風に、激しい雨が降っていた。私はなんとかして遠野の涙を止めたかった。笑ってほしかった。でも、どうしたら泣き止んでくれるかわからなくって落ち込んでいた。そんな私に父は言ったのだ。
『きっと大成も空が笑ったら笑ってくれるよ』
父は雨を空が泣いていると言い、雨が止んで晴れれば遠野は笑うと言ったのだ。
今思えばなんて可愛らしい夢物語だろう。厳格で不器用な父がその言葉を言うには、相当の勇気がいったに違いない。父があれほど夢見がちなことを言ったのは後にも先にもない、あれっきりだ。今思えば、父なりに私を慰めようと必死だったのかもしれない。
――必死だったのだ。私のために。
幼かった私は父の言葉を信じ込んだ。そして私は大成を公園まで連れ出して、ジャングルジムに上って、
『なかないで! なかないで! わらって!』
そして、あの時はまるで奇跡のように。
「冴が空に呼びかけた瞬間、本当に雨がやんだんだ」
空が笑ったんだと遠野は呟く。そして、遠野は目を細めると口元を緩めた。
「だから俺も泣き止んで笑ったんだよ」
静かに、でも雨音には負けない不思議な声で遠野は言う。
「そんな一生懸命な冴が、いらないはずない」
遠野の言葉は強くて、自信たっぷりで、私の心に強く響く。あぁ、遠野はやっぱりスゴイ。ねぇ遠野、私は必要なのかな。こんなに弱い私だけれど、ここにいてもいいのかな。
「私はお父さんの傍に居てもいい?」
私の声は震えていた。涙声だと思った。
答える代わりに遠野は、何かを肩掛け鞄から取り出し、私に投げ付けた。それはいかにも女の子用の可愛らしい定期入れだ。
「これ……?」
「それは冴の親父さんから、冴への入学祝いだよ」
遠野の言葉に私は思わず首を傾げてしまった。だって入学祝いだなんて変だ。私は下宿生だから定期なんて要らないもの。唖然とする私に遠野は口角を上げた。
「ちなみにさっきやった扇子もその傘もだ」
母が居なくなって笑う回数が減ったキミに、笑ってと願いを込めた扇子を。泣いてしまっているキミが、泣き止んでくれるよう晴れ色の傘を。下宿をやめて家からキミが通ってくれるよう、可愛いらしい定期入れを。
「でも渡せないなんて親父さんも、大概不器用っつーか、素直じゃないというか」
苦笑した遠野につられて私も思わず笑ってしまう。笑って、笑って。
「冴は愛されて、幸せ者だな」
遠野があまりにも優しい声で言ってくれたから、私は声を上げて泣いてしまった。
その後、遠野がジャングルジムを降りると同時に、なんと雨は本当に止んだ。再び起こった奇跡に、私と遠野は呆然と顔を見合わした。雲間から射した陽の光で、雨の水滴が七色に輝く。公園も、空も、遠野も、そして多分私も、すごく綺麗で眩しかった。
「傘閉じなきゃね」
私がそう言ったら遠野は無言で左右に首を振った。
「それ、日傘兼用なんだって」
おぉ、それはすごい。感嘆した私は、結局傘を差したままで家路についた。ついでに父が傘を差した私を見た瞬間、とても嬉しそうに微笑んでくれたから、差してきて良かったとも思った。
それから私はこの晴れ色の傘を差して通学するのが癖となった。もちろん通学は『こっちのお家』からだ。ちゃんと私の定期入れには、私の家の最寄駅と学校の最寄駅の名前が記された定期が納まっていた。
雨が降ってしまっても、後にはちゃんと晴れることが出来るように、私は晴れ色の傘を差す。ずっと、ずっと、あれから数年後の今も。
「あーやだ。帰りたくない」
小さく揺れる電車の中、私の隣であの頃の私と同じことを呟いた大成に、私は苦笑してしまった。電車の中には暖かな陽が差し込んでいる。私の足下に転がる傘と全く同じ、見事な晴れ色の空。
それに対してスーツのポケットに手をつっこんで大成は深く息をつく。ひどく重たい、外の天気に全く似つかわしくないため息だ。
「観念しなさい」
柄にもなく緊張しているらしい、大成の肩を私は叩いてやった。
「冴はいいよな、俺の両親は絶対冴の味方するし」
問題は冴の親父さんだ。自分の言葉に大成は深く頷く。
「絶対怒ってるよな」
「んーどうだろ」
「娘はやらん! って一回は言うって」
「言うかな?」
「しかも最後に泣くなありゃ」
「あぁそれはあり得る」
先ほどの大成と同じように私は深く頷いた。
「まぁまぁたかが挨拶ごときで」
「お前な」
呆れたように、再度ため息をついた大成に、私はある物を見せつけた。それは一つの扇子。広げてみれば、もちろんそこに墨字ででかでかと書かれている文字。
『笑って』
「笑えるか、馬鹿」
でもそう言った大成はとても幸せそうに笑っていた。
幼く愚かで、故に愛しいあの頃。あの時見た雨上がりの輝きを私は一生忘れないだろう。どんなに激しい雨が降っても、どんなに分厚い雲が太陽を覆っても、晴れない空はないのだ。
大丈夫、この先もずっと一緒だ。だから、笑って。
お初にお目にかかります、トウコといいます。
すこしでもじんわりしてもらえれば嬉しいです。
辛口でも正当であれば受け入れます。
ひとこと添えていただけると、頑張れます。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。