イアンが気になっていたこと[二章終了後]
とある日の昼下がり。
太陽の位置はまだ高く、フォーン王国のフォーン平原をまんべんなく照らし続けている。
日差しの強さは、強くもなく弱くもなく、ちょうど良い日差しだ。
そのフォーン平原に、一陣の風が通り抜けていく。
身に受ければ、誰もが心地いいと思えるほど、穏やかな風であった。
この日のフォーン平原は、いつにも増して穏やかであると言えよう。
そんな穏やかな平原の街道をイアンは歩いていた。
いつもの通り、彼は薬草摘みの依頼を行い、今はその帰り道である。
珍しいことに、今日の彼は一人ではなかった。
「ふわぁ……アニキと一緒にいられるのは良いけどさ。刺激が足りないね」
「なら、一人で別の依頼を受ければ良かったものを……」
街道を歩くイアンの前方には、ロロットとキキョウの姿があった。
この日、二人はイアンの薬草摘みの依頼についてきていた。
目的は、イアンの手伝いをするためであったが、薬草のほとんどをイアン一人で摘んでしまい、二人の出る幕はなかった。
そのため、二人にはやることがなく暇であったのだ。
「ふんっ! お前とアニキを二人きりできるもんか」
「何よ。私と兄様が二人きりになることに、なにか不都合があるというの? 」
「そういうことはない。でも、お前は、きっとアニキに迷惑を掛ける。あたしは、それを防ぐために、お前を見張らないといけないんだよ」
「はぁ? 意味が分からないわ……あ、分かった。お前、私に嫉妬したんでしょ? 」
「あ? そんなこと一言も言ってないんだけど」
二人は横に並んでイアンの前を歩き、言い争いを始めていた。
共に暮らす日々を過ごす中、二人の仲は険悪ではなくなったものの、こうした言い争いをするのは相変わらずであった。
いつもは、ここでイアンが止めに入るのだが――
「……」
今日は、そうでもないようであった。
イアンは無言のまま、じっと前方を見つめているだけであった。
「あら? 口には出していないけれど、嫉妬をしている雰囲気は……」
「勝手に思い込んでるんじゃない。あたしは、嫉妬なんか……」
ふと、二人は言い争いをやめ、イアンのいる後ろを振り返った。
二人共、イアンの視線が自分に向いている感覚を持っており、ずっと気になっていたのだ。
「あの……兄様? 」
「さっきから……なんなの? 」
そして、とうとう二人は、イアンに訊ねることにした。
「……いや……なに。ふと、不思議に思ってな」
すると、イアンは二人に、そう答えた。
「何が不思議なので? 」
「二人には、尻尾が付いているだろう? 何で動いているか不思議なのだ」
キキョウの問いかけに、イアンは答えた。
イアンがずっと見つめ続けていたのは、二人の尻尾であった。
「「……」」
イアンの言葉を聞き、ロロットとキキョウは顔を見合わせた。
そして、二人は同時に口をへの字に曲げる。
獣人である二人にとって、尻尾が動くことは、当たり前のことである。
何でという理由は、特にない。
イアンが投げかけてきた疑問に、困惑しているのだ。
「ふむ……言い方を変えるか。どうやって動かしているのだ」
困惑する二人の様子を見て、イアンは質問を変えた。
「どうって……」
「こう……腕とか足を動かすみたいに、動かそうと思えば動くんだけど……」
「むぅ……そうなのか。ちょっと動かしてみてくれないか? 」
「はい」
「う、うん……」
二人は、イアンに背を向けて、尻尾をあらゆる方向に動かした。
ロロットは猿人で、茶色い毛に覆われた細長い尻尾が、鞭のようにしなる動きをしている。
キキョウは狐獣人なのだが、従来の狐獣人とは異なり、特異な尻尾が付いている。
白く細長いのだが、先端が木の葉のように膨らんでおり、二本あるのだ。
今、その二本の尻尾は、ゆらゆらとそれぞれ違った動きをしていた。
「おお……面白いな」
二人が動かす尻尾を眺めながら、イアンはうんうんと頷いた。
「……なんか、恥ずかしくなってきたわね……」
「確かに……アニキ、もうやめていい? 」
イアンは尻尾を見ているのだが、二人からしたらじっと尻を見られている気分である。
恥ずかしい思いをする二人の顔は赤くなっていた。
「ああ、もういいぞ」
イアンの了解を得て、二人はイアンの方に体を向ける。
「オレは人間だから尻尾がない。おまえ達は、あるから気になどしないだろうが、無い者にとっては、不思議でしょうがないのだ」
「は、はぁ……」
「う、うん……うん? 」
尻尾に関して気になった理由をイアンは説明したが、二人にはピンとこない様子であった。
「しかし、これでずっと疑問に思っていたことが解決した。清々しい」
「……? ずっと……? 兄様は、ずっと獣人が尻尾をどうやって動かしているかを気にしていたの? 」
イアンの言葉に、何かしらの違和感を感じ、キキョウは訊ねた。
「そうだ。事あるごとに、おまえ達の尻尾は動いていたからな。あれは、おまえ達の意思で動いていたのだな」
「……ちょっと待って。事あるごとって、具体的にどんな時? 」
僅かに表情を険しくさせ、キキョウが訊ねる。
「む? 驚いた時とか……そうだな、今日、薬草を摘みに行く途中なんかは、すごい動きをしていたぞ、二人共。あの動きは、おまえ達が好物を食う時と似ているな」
「「……」」
イアンの答えに、二人は押し黙った。
そんな二人の顔は、血の気が引いたかのように、白くなっていく。
「ん? どうした。顔色が悪いぞ? 」
「……い、いや、何でもないよ、アニキ」
「……そう。何でもないので、ご心配はなさらず……あと、尻尾に関して、言い忘れたことがあるわ」
「言い忘れたこと? 」
イアンは、首を傾げた。
「兄様の言うとおり、私達は自在に尻尾を動かしている。けれど、その動きには、全く意味は無いわ。全くね」
全くという言葉を強調しながら、キキョウが言った。
「……はっ! そ、そう! キキョウの言うとおり、意味はないよ! 」
何かを察したかのような表情をした後、ロロットも口を開いた。
「なに……? そうだとすると、今おまえ達の尻尾が凄まじい動きをしているのは――」
「意味はありません。激しく動かしたいだけのこと」
「意味はないよ。ちょうど激しく動かしたいだけ」
イアンを黙らせる勢いで、二人は同時に、そう言った。
今も二人の尻尾は、とてつもない速さであらゆる方向に動いている。
イアンの言うとおり、凄まじい動きであった。
「そ、そうなのか。尻尾の動きで、おまえ達の気持ちが分かるのだと思いかけていたのだがな。意味が無いのなら、もう気にすることはあるまい」
イアンの言葉を聞くと、二人は彼に背を向け――
「「ふぅ……」」
安堵したかのように息を吐いた。
イアンはもう知る由は無いかも知れないが、獣人の尻尾は本人の無意識に動く時がある。
その時とは、驚いた時やイライラしている時、嬉しいことがあった時等によく見られる。
最も人の気持ちが表れる体の部位として、まず顔や足が挙げられる。
しかし、それは人間の場合で、獣人の場合は、顔や足よりも先に尻尾が挙げられる。
これは、まだ充分な確証が得られておらず、一般的に完全にそうだと言い切れない考えだ。
しかし、今日のロロットとキキョウを見れば、充分信じてもいい考えだと言えるだろう。