アニキって? [一章終了後]
巨大な猪の魔物を倒してから、少し経ったある日。
「わーい! あっはっはっはっはっはっ!! 」
昼下がりのカジアルの街路を人間の少年が駆けていく。
その少年の見た目から、五歳ほどの年齢だろう。
彼は、木の棒を手にしており、それを振り回しながら走っていた。
「はっはっは――わっ!? 」
少年の走る先の横の道から、ある人物が現れ彼はぶつかってしまった。
「……!? ぐああああっ!! 」
その人物は、少年よりも背が高かったが、走ってきた少年の勢いが凄まじかったのか大きく吹き飛ばされてしまう。
さらに、その人物の体に少年の振り回した木の棒が当たっていた。
ぶつかった衝撃と木の棒のダメージにより、その人物は思わず叫び声を上げてしまったのだろう。
「うっ……! うんしょ……」
ぶつかったことで、少年は倒れてしまったが怪我はないようで、すぐに立ち上がった。
「わーい! あっはっはっはっ――ぐえっ!?」
そして、再び走ろうとした少年だが、何者かによって服の襟を掴まれる。
「逃げんな、ガキ! 」
少年の襟を掴んだのは、猿人の少女――ロロットであった。
この日、彼女はイアンと共に依頼を行い、その帰りであった。
すなわち、少年に突き飛ばされた人物は、イアンであった。
少年の襟を掴んだまま、ロロットはチラリとイアンに視線を向ける。
突き飛ばされた後、イアンは倒れ伏していたが、今、ゆっくりと立ち上がるところであった。
「よくもアニキを突き飛ばしてくれたな! 」
ロロットは、少年の体の向きを無理やり変え、彼の胸ぐらを掴み上げる。
先ほどからのロロットの態度を見て分かる通り、彼女はイアンが突き飛ばされて怒っていた。
「うぐぐぐっ……」
少年は、うめき声を上げる。
先ほどのような笑顔はどこにもなく、苦悶の表情を浮かべていた。
「人を突き飛ばす迷惑なガキめ。これでも喰らえ! 」
ロロットは、少年の顔に目掛けて、拳を突き出した。
しかし、その拳が少年の顔を殴り飛ばすことはなかった。
「なっ……ア、アニキ……」
「よせ、ロロット」
立ち上がったイアンがロロットが突き出そうとした腕を掴んだからだ。
その時、イアンは振り返ったロロットの目を真っ直ぐ見て――
「下ろしてやれ」
と言った。
まだ気持ちがおさまらないロロットであったが――
「……う、うん。分かった……」
イアンに従った。
何故だか、ロロットは、イアンの目を見てからバツの悪い気分になっていた。
「うむ。小僧、怪我はないか? 」
腰を下ろし、自分の目線を少年に合わせると、イアンはそう訊ねた。
「う、うん。平気だよ……」
ロロットに胸ぐらを掴まれたにも関わらず、少年が泣くことはなかった。
色々と戸惑っているようであった。
「そうか、良かった。だが、気をつけることだ」
「……? 」
イアンの言葉を聞き、少年は首を傾げる。
「人の多いところで走ると、先ほどのように人とぶつかってしまう。ぶつかった時は、痛かっただろう? 」
「……うん、少し痛かった……」
「そうだろう……オレも痛かった。人は、痛い目に遭えば悲しい気持ちになる。こういう時は、ごめんなさいと言うのだ」
「……ごめんなさい……」
少年は、イアンに頭を下げた。
「うむ、許す」
イアンは、そう言うと少年の頭を撫でた。
「何でもかんでもごめんなさいと言うのはダメだが、自分が悪いと思った時、相手を悲しい気持ちにさせたときは、なるべくごめんんさいと言うのだ。分かったか? 」
「うん、分かった! 」
少年は、イアンに元気良く返事をした。
「よし、もう行っていい……と、その前に、オレの連れが乱暴を――」
「わーい! あっはっはっはっはっはっ!! 」
少年は、イアンの言葉の途中で走り去っていってしまった。
「……本当に分かったのだろうか? 」
遠ざかっていく少年の背中を眺めつつ、イアンは、そう呟かざるを得なかった。
「まぁ、いいか。行くぞ、ロロット」
「……うん。ねぇ、アニキ。聞いていい? 」
帰ろうとイアンがロロットへ声を掛けると、ロロットが訊ねてきた。
「む? なんだ? 」
「アニキ……ってさ、あたしよりもちょっと年は離れてるけど、子供だよね? 」
「……ああ。年を知っているのなら、子供であると分かっているだろう」
「うん。でも、アニキって、年の割に……なんというか大人びてる……っていうのかな? とにかく、普通の人とは思えないんだけど……」
「……ん? 何を言いたいかよく分からんが、オレがこうなのは恐らく父のせい……いや、おかげか」
「……? お父さん? 」
ロロットは、首を傾げた。
「昔……と言っても、八年前か。その時まで、父と暮らしていたのだ。そして、父と暮らしている間、オレは色んなことを教わった」
イアンは、そう言った後、空を見上げた。
夕方が近づいているのか、空は少し赤くなりかけている。
当然のことだが、そこには誰もいない。
「してはいけないこと、やってしまった時とかの対処方法とかを色々とな。なんの役に立つかは分からなかったが、父と別れてから……冒険者になってから少しだけ分かってきた気がする」
「……アニキは、なんのためだと思うの? 」
「苦労をしないためだな。さっき、あの小僧に、これから苦労をしないよう、ああいったのだ。小僧がおまえのような頭に血が上りやすい奴に、殴られんようにな」
「ぐっ……」
ロロットは、苦いものを口にしたような険しい表情をした。
「あんな突き飛ばしておいて、あいつは謝りもせずにどっか行こうとした。誰だって怒るはずだし、殴られてもしょうがないよ! 」
「その気持ちも分かる。だが、相手は子供で、それが分からないかもしれない。相手のことも考えた方がいい」
「……」
ロロットは口を閉ざして押し黙る。
イアンは、空からロロットに顔を向けると、彼女の頭に手を置いた。
「オレのことを思って、怒ってくれたんだろう。気持ちは嬉しいが、怒りに身を任せるのは危険だ。いつか、痛い目に遭うぞ? 」
「……」
「む? しかし、自分の気持ちに正直なことは大事……とも言えるのか? 」
「……アニキ、結局何がいいたいのさ? 」
「……偉そうなことを言っておいてすまんが、オレもよく分からん。だが、そのうち分かる日は来るだろう」
イアンは、そう言うと宿屋の方へ歩き出した。
「それまで、自分が正しいと思う生き方をすればいい……ああ、思い出した。父さんも、そう言ってたな」
イアンは、そう呟きながら歩いていく。
「……大人みたいなことを言うのは分かった……気がする。でも、子供っぽくないところは、なんなの……? 」
ロロットも、イアンに続いて歩き出す。
この日、ロロットはイアンのことを少し知ることが出来たが、それと同時にまだまだ知らないことが多いのだと分かった。
しばらく先のことだが、ロロットは、イアンの教えを大切にするようになる。
今は、他愛の無い出来事だとロロットは思いっているが、イアンと共に帰ったこの日は、彼女の大切な思い出として、ずっと記憶に残り続けていくことだろう。