卒業式
3月のその日は、前日の陽気を誰かがそそくさと片付けてしまったかのような、ひどい冷え込みの曇った日だった。
中学校の体育館にはパイプいすがずらりと並べられ、胸に花や宝石を付けた父兄席の間を、流れる音楽と同じくらい神妙にすました生徒たちが通り抜け、卒業生の席へと流れ、ひとクラス集まっては礼をしてストンと着席していった。晴れの日なのにこの暗い雰囲気はなんだろう。「厳かさ」か。そうかもしれない。でも心がどんより曇る。雑談しなくても整列していても、目が輝いて口元に微笑が、・・・あればいいんだけどな。
卒業生が全員席に着いた。いよいよ式の始まりだ。舞台の横の壁に貼られた筆書きの式次第の一は「開式のことば」、そして二が「国歌斉唱」。どきどき。
毎年春になるとニュースの種になる問題。君が代(と国旗)。どこかの校長が自殺したり、先生が処分されたり、あちこちで騒ぎになる。死んだ人も職を追われた人も、どの人も日本国民としての誇りを持ち、日本の国を愛しているのに、何でこうなるんだろう。「握り箸の人には日本料理の味がわからないに決まっている」と言い切るのと同じくらいの不条理さが、「歌う・歌わない」の問題にはある。とわたしは思う。この問題に触れて、処分された先生の気持ちを擁護するような事を書くと、わたしは反国家分子として公安のリストに載ってしまうのかもしれないが、とんでもない話である。わたしは日本に生まれたことに感謝し、日本の風土と民族を愛し、平和な農耕民族の末裔であり、高度な文化を持つ日本こそが世界に向けて人類の幸せを発信するエンジェル集団になるべきだと思っている。とあまり書きすぎると今度は右翼分子としてリストに載ってしまうので賛辞もほどほどにしなければならない。ややこしいのである。意見すると。わたしは思想家なんかじゃないのに。はぁ。困った。
「ただ今より第24回卒業証書授与式を始めます。全員ご起立願います」とアナウンスが流れ、生徒はシャキリと、父兄はのそのそと椅子から立ち上がり、舞台の横の壁に貼られた筆書きの式次第を見た。
これか!これが“一”だな!この1行だけのせりふが!
一呼吸おいて「君が代を斉唱いたします」という声が流れた。これが式次第の“二”である。
うまい・・・・。開式の挨拶で立たせ、なにげに歌わせてしまおうという作戦である。「君が代を斉唱いたします。全員ご起立ください」と促すよりもはるかに起立斉唱に対する抵抗が少ない。まあここで座っちゃって揉め事の種になる人がたまにいるわけだけど、私の場合、「どんな歌であれ、大きな声で歌うときは立つもの」と思っているのでわざわざ座ろうとは思わない。立つ立たないより以前に、何でここで君が代か?という疑問のほうが大きくない?。うーん特に歌う理由はないんだが、学校行事なんだから学校の決めたメニューに従うのが常識だろうと諦めて黙って歌う。だって、何で君が代?とか言い出したら、同じレベルとして、何で式の終わりにゆずの「栄光の架け橋」を歌うんだ?という疑問も新たに持ち上がってくる。歌の好きな人が式の内容を決めたらしく、「栄光~」、「旅立ちの日に」「蛍の光」「校歌」と4曲続けて歌わされる。君が代を含めると1時間半の式の間に5曲である。歌いまくり、迄はいかないがかなりのボリュームである。「栄光~」は、オリンピックのときにNHKがテーマとして使用していたこともあり、忘年会でも音楽会でもよく歌われている。だけど私はゆずのファンじゃないし、この歌に特に思い入れもない。この時期の歌ならスガシカオの桜並木のほうが好きだし、キャンディーズの春一番で明るく景気よくサヨナラってことでも、私は一向に構わない。君が代だろうと、POPSだろうと、歌いましょうと促されたので歌うのである。キャンプファイヤーのときにフニクリフニクラを歌うのと、それは同一線上に存在する動作なのである。だから、ゆずはいいけど君が代はやだとか言わないのである。
そもそもこの君が代であるが、この歌は国歌として作られた歌ではない。江戸時代の歌人・隆達が作った歌で広く民間でお祝いの歌として酒の席などでも歌われていたものがこんなにご大層に扱われるようになったのである。私は隆達小唄は結構好きである。粋で色っぽい、生きた歌であると思う。日本のすばらしい文学の歴史のひとつであると思っている。歌われるたびに眉をひそめられるようになってほんとにご災難としか言いようが無い。まあそれはいいとして、君が代を歌うときに、抵抗を感じた人はその体育館の中で何人、いや何割いただろうか。決してごくわずかというわけでは無いように思うのだが。だが、歌わないはっきりとした理由というものがないので、みんなおめでたくなさそうな顔をして、祝いの歌・君が代を歌ってしまうのである。今年はいったい何人の愛国者が吊るし上げられるのだろうか。
参考■国歌斉唱/卒業式における問題(Wikipedeia)
『卒業式』
3月のその日は、前日の陽気を誰かがそそくさと片付けてしまったかのような、ひどい冷え込みの曇った日だった。
中学校の体育館には触るとヒヤッと冷たいパイプいすがずらりと並べられ、窮屈そうに腰掛けている父兄席の間を、流れる音楽と同じくらい神妙にすました生徒たちが通り抜け、卒業生の席へと流れ、ひとクラスぶん集まっては、礼をしてストンと着席していった。
父兄席も中学生の親ともなると白髪混じりの頭が多く、スーツの色も、ピンクやブルーの淡い色を着てくる人がめっきり少ない。何しろ次は高校に進学するので、この春は札束に羽根が生えたかのような勢いでお札があちこちに飛んでいく。ここのような下町の公立中学では、親が着飾っているような余裕はないという家も多い。着回しのできるありあわせの地味なスーツに、造花を付けたりネックレスを足してみたりして、フォーマルな雰囲気を出そうとしている人がちらほらいて、普通の参観日との違いを感じることが出来る。
生徒たちは、こわばった顔や極度の緊張で笑い出しそうになる顔で、歩いていく。見慣れた体育館も、こすれてピカピカになった制服も、今日でさよならである。
音楽が鳴り止み、3年生全員が着席した。しーんと静まり返る体育館で、ヒトの呼吸で湿り気を帯びた冷たい空気がそっと動いていた。
「ただ今より、第24回、卒業証書授与式を始めます」
確かめるようにゆっくり、はっきりと、マイクを通した女性の声が響いた。
「全員、ご起立願います」
続けて、起立を促すことばが添えられ、がたがたと床の鳴る音がして全員が椅子から立ち上がった。
多くの人が、式次第の1は何だったろうと、舞台横の壁を見やった。1は「はじめのことば」である。何か挨拶があるのだろうかと思うか思わないかの所に「君が代を斉唱いたします」という声が響き、ピアノの演奏が始まった。
ということは、式次第はあまりに自然な流れで2の「国歌斉唱」に移っているのである。君が代のときに立ちたくない、立たなきゃダメだろうか、立たないとどうだろうか、そういうことを考えていた人も、あまりの自然さと、一旦立ってしまったのにまたすぐに座ることの面倒くささに負けて、「流れで仕方ない」と自分に言い訳しながら立ったままで君が代を歌い始めた。そこには、一応君が代に対して疑問とかこだわりはあるけれど、ココで自分が座って口をつぐんでも、歌は最後まで歌われるし、何も変わらないというあきらめの気持ちと、強制的に歌わされるのは嫌いだが、君が代自体に罪はないという迷いがある。君が代は国の繁栄を祝う歌だという説があるが、もともと庶民が歌ったただの祝い歌という説もある。歌詞のわかりにくさ、あいまいさはいかにも昔の日本人が作った歌らしく、「憎もうとしても憎みきれないやつ」に似ている。
「キーミーガーァーヨォーオーワァー」日本古謡らしい間延びした歌詞とメロディが体育館にもわぁっと湧くように広がった。「チ~ヨーニィー・・・」「僕たちはっ、何で君が代を歌うんだろうっ」
無表情に前を向いて口ずさむ人々の顔が、「?」という顔に変わり、歌いながら首を回して辺りを見回す人や、あからさまに目を丸く開いて驚いた顔の人や、周囲の人の戸惑いを見て何事かが起こっているとはじめて気がついてきょろきょろする人。どこからか声が聞こえてくる。
「私たちは、こうやって成長してきました。大人の皆さんに支えられて。そしてこれからも成長していき、世界を支える大人の人間になるんです。」
まるでラップのようだ。ピアノは止まらず流れ、アレレと戸惑いながらも人々は歌い続ける。
「私たちは日本が大好きです。平和な日本がずっとこの世界の中にあって欲しい」
「だから、私たちは、大人になって、強くやさしい日本の国をつくりたい」
「国に何かを押し付けられるんじゃなくて、私たちが国を作るのですっ」「イェ~~ィッ!」
なぜか君が代は、2回目をリフレインしている。歌が止まらない。
「私たちは歌うっ。僕らの未来を祝福する歌を!」「僕らのためにっ!」
身をよじりシャウトしてる男子生徒や、両隣と一緒に踊りながら歌う女子生徒もいる。
職員席の陰でこっそり着席していた教師が立ち上がり、最後の部分に差し掛かった歌詞を、一人一人の生徒の顔を見ながら口ずさみ始めた。
3回目は君が代の大合唱になった。いまだかつて聞いたこともないような力強く明るい君が代である。
「こっけぇっのおおおおっむ~~~すうううううまああああでええ~~」
拍手が沸き、ピアノが止み、きらきらした顔の生徒が気をつけの姿勢に戻った。体育館に気持ちのいい静寂が戻ってきた。
「着席ください」
何事もなかったように式進行の声がスピーカーから聞こえてきた。
生徒も父兄も静かに着席し、額に光る汗をハンケチでぬぐった。
「卒業証書、授与。」
式は3番目に進んだ。壇上に進む生徒の顔も、脇で順番を待つ生徒の顔も、ニコニコと輝いている。
「おめでとう。」
舞台奥に貼られた校旗を背にして、礼服姿の校長が証書を差し出した。花台の横に掲揚されている日の丸も、今日の主役に向かって頭を垂れて祝福している。
「ありがとうございます!」
生徒は練習したとおりに順番に左右の手を差し出し証書を受け取ると一礼し、くるりと振り向いた。
明るい、この人たちの時代への旅立ちである。