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第三章 局 (四)

 夏姫の容態が変わったのは、四月の末のことだった。

 高熱でからだじゅう真っ赤に火照らせた夏姫の前で、珠姫はなすすべなく神仏に祈りを捧げた。医師が手を尽くそうとするも、これほど小さなからだの赤子に薬など大量に与えられるものではない。できることは限られているようだった。

 万一のことを考えて、珠姫は利光に使いをやろうとした。だが、それさえも、局は遮ろうとするのだった。

「何を弱気なことをおっしゃいますか。必要ございませんわ。夏姫さまは健康にすくすくとお育ちになるのでございましょう?」

 言質を取って、局は微笑む。いつもと同じ言いまわしだが、たたえる感情が違えば、これほどまでに冷酷に響くとは。

 ああ、確かに言った。言ったとも。珠姫は悔しさに涙を浮かべて局をにらんだ。そうして、周囲に目を走らせる。

 局の息のかかった奥女中たちでは使い物にならない。自分の思うままにはできないだろう。だれか、だれかいないか。

 考えていると、部屋の隅に震えて泣く女がいるのが見えた。夏姫の乳母だ。夏姫が熱を出したことを、目が行き届いていなかったと、とがめられるとでも思っているのだろう。珠姫と目が合うなり、女は平伏するように床に手を突いた。その女にむけて、珠姫は叫んだ。

「おまえ、急ぎ本丸へお行き! 一大事とて殿にお伝えして参れ!」

 新丸御殿の主からの命令に、女は跳ねあがる勢いで部屋を飛びだしていった。それを見届けた珠姫の耳元で、局はささやいた。

「お認めになりますのね? 御前さまの不注意が夏姫さまを殺めたのでございますわ」

「……夏は生きるわ。局の子のように、泡を吹いて死ぬことなどない」

 明確に相手を傷つける意志を持って、珠姫は刃を繰りだした。けれど、珠姫が思いきって口にしたことばを局はひらりとかわして、笑いながら耳打ちをした。

「たとえいまは生きたとして、産着のことを打ちあけて、筑前どのは御前さまをお許しになるかどうか……」

 ぐっと、ことばにつまる。平気だと言いかえしてやりたかった。利光はおまえの夫とは違うのだと。けれど、珠姫にはそれを言い切る自信がなかった。

 近ごろは、利光となかなか顔を合わせる機会がなかった。利光自身が言っていたように、忙しいのはわかっている。そのなかで暇を見つけると言ったきり、もう二十日近く経っていた。その間、文のひとつもない。音沙汰がまるでなかった。珠姫が不安で押しつぶされそうになっているところへ、遠くから騒ぎが聞こえてきた。

 利光だ。やっと、やっと来てくれた……!

 珠姫が腰を浮かせる。

 部屋に現れた利光は、状況を見てとるや、妙な顔をして、珠姫と医師をのぞいて退出させた。医師に容態を聞き、今度は医師もさがらせる。そうして、珠姫の両手を取り、言い聞かせるようにした。

「珠。俺は夏の一大事と聞いて飛んできた。だが、薬師がいま言ったように、そう大事にはなさそうだ。これまで、上の子らの熱ではそれほどまでに取り乱したことなどなかったろう。いったいどうした」

 やや呆れたようなようすで利光に問われて、珠姫はもどかしくなり、いらだった。胸のうちに巣くう不安を吐きだそうとしたが、産着の件を口にするのはためらわれた。

「何があった」

 重ねて問いかけられて、珠姫はほろほろと泣きながら、産前の禁忌と知らずに産着を縫ったことを利光へと伝えた。これを聞いて、利光は「なんだ、そんなことか」と言いたげな表情になった。

「迷信だ。産着と生まれる子のからだの弱さが関係あるはずもないではないか。珠は母親だろう。そう気弱になるな」

 ばっさりと切り捨てたが、なおも泣く珠姫のようすを見て、利光は困り切ったように頭をかいた。

「今回のこと、局どのは俺を呼べと?」

「──いいえ」

 呼べとは言っていない。正直に答えると、利光は深くためいきをついた。

「何か不安があるならば、俺を呼ぶのは構わない。だが、今度からは先に薬師や局どのの意見をよく聞くように。俺たちには七人も子がある。この先、だれかが熱を出すたびに不安がって呼びだされては、俺も仕事にならない」

「──はい」

 悄然とうなだれた珠姫の頭に手をあて、ぽんぽんと撫でるようにしてから、利光は腰をあげた。部屋を出るなり、外でようすをうかがっていた局を見つけ、声をかける。

「局どの。夏と珠を頼む」

「承知いたしました」

 深々と礼をする局の横顔は、部屋のなかにいる珠姫にだけ見えていた。局は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、紅いくちびるをたわませていた。


 珠姫の姿を見なくなって、久しかった。

 乳母の局が言うには、珠姫の肥立ちが思わしくないとのことだった。四月の頭のうちなどは、面とむかってなじられたものだ。

「産後まもないうちから夜のお渡りなど、言語道断でございます!」

 女人である局にこう言われては、利光のほうも立つ瀬ない。そのかわりと言ってはなんだが、利光はあれこれと文やら贈り物やら届けたが、どれもなしのつぶてで、珠姫からは御礼のひとつどころか、返事もなかった。よもや、返事もしたためられぬほど、ほんとうにからだが悪いのかと気をもんで、わざわざ医師や産婆をさしむけたが、珠姫は医師にも会おうとはしなかった。

 ──これはどうやら、ご機嫌ナナメらしい。

 珠姫の行動を、利光はそのように理解した。先日、夏姫の高熱に際して、小言を言ったおぼえがある。そのせいで、つむじをまげてしまったのだろう。そう考えて、小言についても謝ったが、やはり返答はなかった。

 五月のうちこそ、めげずに足繁く通おうとしたが、三回に一度、数回に一度と会える頻度は低く、だんだんに足が遠のいた。

 局は幼いころより仕えていて、だれよりも珠姫の機嫌の取りかたやからだの具合をよく知っている。その局が、珠姫が会いたがらないとか、珠姫の体調が思わしくなく伏せっているとか言うのだから、利光としては引き下がるしかないではないか。

 さいきんでは、利光は新丸御殿にむかうまえに局にお伺いをたて、体調良好などときいては珠姫のもとへむかうようにしていた。

 ──最後のは嘘だ。利光自身がよくわかっていた。局にお伺いなど立てることもなく、むこうが折れるのを、利光はひたすらに待っていた。

 珠姫はおとなしいかと思えば、気性の荒いところもある。しかし、側にはあの局がついているのだ。きっと取りなしてくれるに違いない。局にまかせておけば、問題はなかろう、と。

 その判断を悔やむ日が来るとは、利光はつゆほども思ってはいなかった。

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