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第三章 局 (一)

 元和七年十月。金沢はうつくしい冬を迎えていた。朝晩には冷えこむが、まだ雪にはいささか早く、冷えこみが厳しくなるにつれ、山は赤や黄色に見事に色づいていく。

 珠姫は産着を縫いながら、ふくらみかけた腹を撫で、卯辰山のほうを望んだ。

 十五で初産を迎えてから、二十三になるいままで、珠姫は三男四女に恵まれた。次女の小媛だけは二つ足らずで短い命を終えたが、ほかの六人の子はすくすくと育っていた。

 乳母の局などは、毎年のように御養育のための乳母を選ばねばならないと、口では愚痴っているのだが、内心では幼い子らに囲まれて、忙しくも楽しい思いをしているようだ。元来の子ども好きであるのだろう。子らのほうも、うつくしいものにはとんと目がない。四十路を越えていまだ衰え知らずの美貌のおかげで、局は珠姫の子らに大人気だった。

 腹にいるのは四男か、それとも五女か。楽しみに思いながらも、近ごろでは度重なるお産のせいか、珠姫も少々、血の道で気分を悪くすることがあった。特に今回の子は、とりわけ利かん坊らしく、これまでにないほどのつわりが珠姫の身を襲っている。床に伏せることも、たびたびとなっていた。

 ──殿は、今日もいらっしゃらないのだろうか。

 つわりが重いときは、どうしても気が立つ。利光の訪れを立て続けに断ったことがあったせいか、見舞いに当人が現れることはほとんどなくなっていた。それでも、お産が近づけば、またむこうから連絡なりあるだろうと、珠姫は楽観していた。

 もう珠姫も床につくばかりではない。こうして、手ずから産着を縫うことだってできる。そのことを伝えてやってもよかった。

 珠姫の針仕事の腕は、局の指導の甲斐あって、格段に上達している。もう、今日のうちに一着仕上がりそうだ。満足げに成果を眺めていたところへ、局がやってきた。

 朝からずっと、何か用向きがあったのだろう。今日ははじめての対面だ。いつもどおりのあいさつをかわそうとしたそのときだった。

 局の視線が珠姫の広げる産着に注がれる。血相を変えて、局は珠姫に駆けよるや、産着を手から奪いとった。

「いけませぬ! なんてことを……っ」

 声を荒げた局に驚いてぽかんとした珠姫のようすに、局自身、一気に頭が冷えたのだろう。力が抜けたようにぺたん、と、その場にくずおれた。

「……取り乱しまして、申し訳ございません。産まれる前に産着を縫うと、弱い子が生まれると申します。そうした習わしがあるのを、これまで御前さまにお教えせずにおりましたのは、わたくしの不手際でございます」

 たおやかな手のなかにある産着を目にして、珠姫はどう言って慰めたらよいのかわからなくなった。

 小媛を産む前には、産着など縫わなかった。けれど、小媛のからだは弱く、三つにならずに死んだ。弱い子は、どうしたって弱い。だから、珠姫はそうした習わしなど気にならなかった。だが、局がそうと信じるのなら、局のしたいようにすべきだと感じた。

「ねえ、局。どうしたらよいの? すぐにも燃やしたほうがよいかしら。それとも、だれか赤子に与えて、着せてやればよいの?」

 腹の子の産着でなくなればよいのだろうと、いろいろに考えを口にする珠姫に、局は青い顔をして、ゆったりとかぶりを振った。

「──わたくしも燃しました。庭ですぐ、火を焚いて」

 ああ、ダメだったのだ。

 珠姫はかすかにめまいをおぼえた。

 局の子が幼いうちに死んだ話は、以前に聞いたことがある。高熱で泡を吹いたと言っていた。その子の産着を、局は縫ってしまったのだ。初産で何も知らず、せっせと産まれる前に縫いあげた。きっと、上手に縫っただろう。生まれる子がくるまれるのを思い描いて、ひと針ひと針ていねいに仕上げただろう。でも、そのあとでだれかから習わしを聞いたのだ。あわてて、産着などなかったことにしようとして、庭で火をつけた。

 知らなかったとはいえ、珠姫は局のこころの傷口に不用意に手を触れ、ふさがりかけた古傷をこじあけてしまっていた。

「……局のせいじゃ、ないわ」

 そう口にするのがせいいっぱいだった。

 局は血の気の失せた顔で、珠姫の縫った産着を握りしめていた。力の込められた手が白く色が変わっている。その目はうつろに手元でつぶれる産着を見下ろしていた。

「すべて、わたくしのせいでございます。

 夫は寛容で、漢籍などの学に熱をあげるわたくしを許すばかりか、時には高価な本を買い与えてくれるようなひとでした。けれども、子が死んだあと、わたくしが産着のことに思い当たって口にしたとたん、顔のかたちがかわるほど殴られました。頭でっかちな女は、これだからダメだったのだと。ほんとうに必要なことはなんにも知らずに、おまえがあの子を殺したのだと罵られて、殴られ、蹴られ、命からがら逃げだして──」

 ふふふ、と、暗い表情で局は笑った。その狂気の見え隠れする姿は、いままで見たどの姿よりも、凄絶なまでにうつくしかった。

「御前さま。わたくしの業が、かようなところにまで及ぶとは、まったく思いもよらないことでございました。誠に、申し訳の次第もございませぬ」

 どんな裁きも受けよう。この首をさしだそう。そのような意味合いを含んだことばだと、耳にしてすぐにわかった。だが、珠姫はわからないふりをした。

「だいじょうぶよ、局。腹の子はきっと元気に産まれて、すくすくと丈夫に育つわ。……この産着はね、たぶん、小媛の着るぶんなのよ。次の子はきっと小媛が守ってくれるわ」

 産着を母が縫ったせいで、産まれる前からからだが弱くなることが決まっているなど、そんな理不尽なことがあるはずはない。そのようにむごいことを、腹の子には聞かせたくなかった。

 そなたは弱くならなくてよいのだよ、元気に産まれ出ておいで。そう呼びかけるように、よいことばばかりを選んで、言祝ぐように珠姫は言いつらねた。

 局は、神々しいものでも見るかのように、まぶしそうな顔で珠姫を見て、それから涙ぐんだ。泣き笑いながら、恥ずかしそうに顔を半分隠しつつ、うなずいてみせた。

「御前さまのおっしゃるとおりにございますね。わきまえないことを申しました。ご容赦くださいませ」

 そう言って、頭をさげる。珠姫は許しを告げて、局の手から縫いかけの産着を取ると、庭へと放った。それから火鉢のなかから赤々と燃える炭を火箸でつまみとり、庭の産着のうえへと投げやった。

「どうか、小媛のもとへ届けておくれ!」

 はじめこそ、炭はぱちぱちと音を立てて爆ぜ、その場でくすぶっていたが、やがてちろちろと火がのぞいた。炎は瞬く間に産着をつつみ、煙はゆらゆらと天に上った。

 ──どうか、無事に育ちますように。局の不安が晴れますように。

 こころのなかで祈りを捧げて、珠姫はすがるような思いで、立ちのぼる煙に手を合わせた。

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