第二章 戦 (十)
大坂における度重なる戦乱は、五月に徳川方の勝利にて収束した。同年七月十三日、慶長から元和へと改元が行われる。
元和元年十一月二十日、珠姫は男児を産んだ。待望の男児の誕生に、周囲は沸きに沸いた。利光の継嗣となるこの男児は、加賀前田家代々の風習により、犬千代と名付けられた。
そうして、祝福に満ちていた加賀に、人知れず、一筋の陰りがさした。
元和二年四月、家康が死去したのである。
その直前に、利光は諸大名と同様に、遺言を聞くため、死の床に呼ばれた。
枕元に腰をおろした利光はこの年、二十三歳。対する家康は七十四である。曾祖父と曾孫ほど歳の離れた利光に、しかし、家康はまるで同輩に対するように言った。
「いまのうち、子どものうちにお手前を殺しておくようにと、将軍にたびたび申したものだが、将軍はこれに同意せず、手も打たないできた」
横たわったまま苦しげに息をつぎ、家康は呆れたように遠くを見て続けた。
「将軍は、どうにも珠が可愛いらしいのう。──あれは将軍にはむかぬ器だが、お手前だけはよく仕えてくれ。わしには恩義は感じずともよいが、これまでお手前を殺さずにおいた将軍の御厚恩を肝に銘じ、それに真摯に報いるよう」
ただただうなずいて、遺言に耳を傾けるうちに、利光の胸のうちではじわじわと変化があった。家康に感じていた恐怖が徐々に薄れていく。それと同時に、ほんのわずかだが、落胆が生まれていた。
家康も、ただびとであった。薄皮一枚剥いでしまえば、死の淵で子の行く末、孫のしあわせを思うひとりの老人に過ぎないのだ。
そのことに気がついて、利光は自分がどれだけこの老人を神格化してあがめていたのかを悟った。そして、家康の皮を通して見ていた秀忠にも、思いは同じだった。
ふたりとも別に、戦いを厭い、世の平和だけを切に望む神仏のような存在では無かった。武家の棟梁の器を持たぬ子のためにと必死に世をととのえてやる老人と、父任せ娘任せのふがいない男がいただけだった。
涙がこぼれた。それを感動によるものとでも思ったか、家康もまた涙する。利光はいたたまれなくなって退出のあいさつをして、ほとんど一方的に家康の前から下がった。早足に行く道すがら、玄関のあたりで入れ違いに参上する老齢の大名に偶然行き会い、むこうから声をかけられた。
「筑前守どのや。大御所さまの御用は何事でございましたかな?」
こう問いかけてきたのは、伊達氏だった。
涙のあとでも見られたかと、利光は気恥ずかしくなりながら返答した。
「そちらもご存じのことでございましょう」
「……さようでございますな」
伊達氏はうなずき、それ以上の追及はなかった。だが、その眼光は鋭く、面に浮かんだ表情には、いくらか探りをいれるようなようすがあった。
言えるはずもなかった。
利光は、からだつきや面差しがことのほか父に似ている。歳を重ねるにつれ、亡き父を懐かしんでか、『お父上を思いだしますな』と声をかけられることが多かった。一度しかまみえなかった父に似ていると言われるよりも、立ち居振る舞いが利長に似ていると言われたほうが、きっとよほどうれしかっただろうと思う。
家康もまた、おそらくはこの見た目ゆえ、利光のなかに、藩祖利家を見たのだろう。そうして、臆面も無くあのように言ったのだ。
──俺が無能の将軍に従うことで世が平和になるならば、それで加賀が無事にあるならば、そのようにしてやろうではないか。
もはや、家康に対しても秀忠に対しても、敬愛の念はなかった。だが、その志に憧れた日々までは否定することができなかった。
利光は乾いた涙のあとをぬぐいながら馬上の人となり、無言で金沢への帰路をたどった。




