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第二章 戦 (九)

 珠姫の祈りが天に通じたか、大坂戦役における和平が成立したのは、意外にも早く、十二月二十日のことであった。

 和平交渉があったということは、豊臣方、徳川方のどちらが勝った負けたという話ではないということだ。いくら武功を上げても、勝ち戦ではない。

 早々と家康は駿府へ、秀忠も伏見へ戻るなか、利光もまた、大軍を引き上げることとなった。真田丸での戦いが尾を引いて、配下の武将の処遇について、憂慮するところを抱えながらの帰郷の途であった。

 金沢城に帰還し、何をおいても珠姫のもとにむかおうとした利光を制したのは、直属の部下たちだった。

「恐れながら申し上げますがね、殿。そのように垢じみた戦装束は、女人のもとに赴くための格好とは思えませんな」

 本多政重がくだけた調子で言えば、めずらしく賛意を示した康玄は、小姓か何かのようにかいがいしく立ち働いて、利光にある建物の方角を示した。

「湯殿の用意をさせました。どうぞお使いください……」

 風呂と聞いて、利光はもどかしい心地になったが、この者たちがわざわざ口に出していうからには、よほど自分はひどい風体なのであろうと、おとなしく湯殿へとむかった。

 果たして、こざっぱりして現れた主人に、康玄はさらに珠姫の縫った小袖を着ていくように勧め、新丸御殿へと送りだした。

 珠姫は利光無事帰還の報を聞き、安堵のあまり寝込んでいた。そこへ、当の利光のお成りである。あわてて床を出ようとするのを引きとめて、利光は珠姫の枕の脇へとあぐらをかいた。

 珠姫の額に手をあて、利光は久方ぶりの妻の顔を見つめた。いくらか面痩せしたらしく、以前のような幼い丸みは失せていた。

「心配をかけたな」

「殿がご無事でお戻りになり、無上のよろこびでございます」

 礼儀に反して横になったままのあいさつだ。言われた利光は気にもならなかったが、口にしたほうはそうでもないらしい。そわそわとしたようすだった。

 周囲の目を気遣ったのだろう。何も、礼を欠いたふるまいを乳母の局に叱られるとか、作法も知らない姫と陰でそしられることを恥じているとか、そうした話ではない。ひとえに利光の立場が悪くなるのでは無いかと慮ってのことだった。

 乳母の局は、婚姻の当初から口には出さねど、利光のことを軽んじているところがある。将軍家の姫のほうが、藩主よりもずっと立場がうえであると考えているのだ。そうして、時折、その考えが外ににじみでてしまう。年若い奥女中たちは概して、上役にあたる局の立ち居振る舞いに学び、考えかたを真似るものだ。局が利光を軽く扱えば、同様にするだろう。

 その風潮を、珠姫はこころ苦しく思っているようだった。目につくごとに局たちをたしなめているが、ひとたび珠姫が夫への礼を尽くさなければ、「体面を保つためにわたしたちをお叱りになるけれど、御前さまも内心では……」と、あらぬ想像をもたれかねない。珠姫は奥女中たちに示しがつかなくなるのを過度に恐れているのだ。

 利光はそこまで理解したうえで、しかしながら、あえて自分は何の口出しもしてこなかった。どれほど軽んじられようと、御しやすいと思われようと、女たちがそう振る舞えるのは、この新丸御殿のうちだけだ。ほかに影響が出るものではない。もしも、城の外へと風評が出まわったとして、藩主が正室に軽んじられているとか、正室を下にも置かぬ扱いをしているとかと聞いて、ひとがなんと思うか。せいぜい「ああ、殿さまもひとの子だ。嬶の尻に敷かれていなさるらしい」と笑われるくらいのものであろう。

 ──痛くもかゆくもない。

 それが利光の結論だった。

 けれども、こうまで珠姫が気に病むようでは、ろくに再会をよろこべまい。利光はつ……と、局に目をやった。

「あとで亀鶴のもとへ行こうと思う。局どの、使いに立ってはくれまいか」

 邪魔にされたのを知って、局は「まあ!」と短くも憤慨をこめた声をあげたが、逆らうことはせず、席を立った。立ち去りざま、控えていた奥女中たちに声をかける。

「おまえたち、おさがりなさい。御前さまのお邪魔になりますよ」

 言うことはもっともらしかったが、殿のお邪魔と言わないあたりが局である。

 ──いやいや、局であれば、『殿』などとは呼ばないか。

 きっと、『筑前どの』だの『筑前守さま』だのと、いかにもよそよそしく呼ぶだろう。かれこれ十五年近くの長いつきあいになるが、局のうつくしくも険のある態度も、およそ衰えるきざしがない。まったく、面白いことである。

 口にこぶしをあてて笑いを漏らし、利光は局たちの衣擦れの音が聞こえなくなったころになって、珠姫にむきなおった。

 珠姫は、忍び笑う夫の姿に不審そうな顔をしながらも、ようやく緊張から解かれたか、床から利光の胸へと手をのばした。

「──ああ」

 応えて、床に倒れこむように夜具ごと抱きしめる。妻のからだは、こんなにも小さく細くたおやかだったろうか。思いの外、軽い手応えに驚く。

「……なあ、珠。実はだいぶ痩けたよな?」

 このあたりが、と、腰を撫でながらついつい口に出して問うた利光に、珠姫は間近から夫をにらみ、みるみるうちに真っ赤になった。

「わ、わたくしにだって、食べものが喉をとおらない日くらいありますっ! それに、『痩けた』だなんて、たとえこころに思っても、女に使うことばではございません!」

 怒鳴るように口にした珠姫は、自分のことばを耳にして、さらに感情をゆさぶられたのだろう。双眸に涙が浮かんだ。利光に気づかれたことがわかったのか、ぱっと顔をそむける。だが、それだけの動きでは、利光の視界から表情を隠せるものでもなかった。

「すごく、すごく心配したのよ……?」

 涙に震える声だった。

「知っている」

 やさしく言い、もっと強く抱きしめると、珠姫は利光の耳元でささやいた。

「毎日、不安だった。もし万が一、殿が帰ってこなかったら、どうしようって。まだ、()の子も生まれていないのにって」

「気にするな、いずれは恵まれるものだ」

 ささやきかえす。そのあいだにも、珠姫の涙があふれて、自分の頬を濡らしていく。

「『いずれ』じゃ、ダメ。いま欲しいの」

 ──なんて、このひとはかわいいのだろう。

 苦しくなって、利光は無理に笑った。

「はてさて、それは困った。さっそく今日から、毎晩励むしかないな」

 無自覚で大胆な発言をさらりと躱して茶化した利光に、珠姫は強く怒りをぶつけてくる。

「わたくしは真面目に話しているのよ!」

 叱られて、利光は少しだけ身じろぎした。珠姫の頬に手を添えて、くちびるをふさぐ。

「……ッ、──と、の」

 息継ぎのあいまに呼びかけられたが、利光はその先を言わせなかった。

「なあ、珠。もしかして、俺が珠に会いたくなかったとでも思っているのか? 頼むから、そう煽らないでくれ。男の子のためなどと言わず、いまこの場ででもいいと、その……、たがが、外れそうなんだ」

 しどろもどろに言いつのって、自分の声の熱っぽさに恥ずかしくなる。珠姫も珠姫で言いかけられたことの意味を察したか、耳の先や首元まで真っ赤になって顔を覆ってしまった。

 利光はその手の甲にくちびるを落とし、己を律して、そっと身を離した。

「会いたかった」

 つぶやくように言うと、珠姫はそろそろと顔を覆っていた手を外した。赤く染まった頬に手をのばして、利光は微笑んでみせた。

「珠。──まずは、からだをいたわってやれ。こんなふうに倒れるほど弱りきっていては、触れるのも怖くなる」

 大事に大事に愛しんでいたいのに、自分がひとたび離れていると、珠姫はこんなにもひどく、己の身を壊してしまう。それほど深く思われることはありがたいが、ちっともうれしくはなかった。

 もう離れたくない。ずっと、側にいたい。

 思ったが、その願いが叶わないことを利光は理解していた。

 このたびの大坂の役では、大坂城の堀を埋めたてることで和平の証とした。つまり、根本的な問題は、なにひとつ解決していない。ふたたび豊臣方に動きがあれば、またすぐにも招集がかかり、利光は戦の場に赴かねばならないだろう。

 せめて、次の戦までのあいだに、男の子が生まれれば、多少は珠姫も安心するのだろうが……。

 そう、うまくは行くまい。利光は、面には笑みをたたえたまま、こころのうちだけで考えをめぐらせた。

 廊下のほうから衣擦れの気配がする。亀鶴姫のもとへやった局が戻ってきたものらしい。利光は元気づけるように珠姫の手をとって、声をかけた。

 部屋の外から、控えめな声量で局の呼びかけがある。それに返事をし、利光はもう一度、珠姫と目を見交わし、微笑みあってから、おもむろに腰をあげた。


 慶長二十年四月十八日。家康の招集に応じ、利光は二度目の大坂の役へと出陣した。

 このとき、見送った珠姫の面立ちは前回に比べて格段に穏やかだった。珠姫は涙もみせず、凛然として障子戸に手をかけ、空を見遣った。遠ざかる陣太鼓の音に耳をすませながら、静かにてのひらで腹を撫でる。

 珠姫の腹には、ふたり目の子が宿っていた。

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