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第二章 戦 (八)

 時は、十日さかのぼる。

 十一月二十四日、金沢にて。珠姫は、短い日を求めて庭を駆けまわる亀鶴姫を見守りながら、自分は部屋のなかにあった。

 次の年明けで三つを数える亀鶴姫は、だいぶ足腰もしっかりとしてきていた。たまに風の気にあたって風病(ふうびょう)にかかることもあるが、そこはまだ幼い子のこと、熱を出すのはよくあることだ。

 亀鶴姫は好奇心旺盛で、庭歩きがことのほかお気に入りだった。よく乳母を連れて庭に降り、てくてくと一周二周しては、四季折々の花に手をふれ、なんだか満足げに戻ってくる。乳母の手を振りきって、今日のように走ることも、ままあった。大事な姫さまが転びはしないかと、乳母はやきもきしているが、それしきのことで叱る気は、珠姫にはなかった。

 亀鶴姫も含めた遠景として庭を眺めて、目がとまったのは例の楓だった。楓は紅葉の時期を過ぎ、いまではすっかりと葉も落ちて、寒々しい姿をしている。それを目にして、珠姫はふと、思い出の品のありかについて、考えをめぐらせていた。

「──ねえ、局? 殿からいただいた楓の葉を押し葉にしたものがあったでしょう。あれは、どちらへやったかしら」

 目の前で、いっしょに庭をみていた乳母の局に問いかけるも、反応は思うようにはなかった。局は、実の母よりもずっと、亀鶴姫の一挙手一投足が気になってしかたがないらしい。亀鶴姫の乳母と同じように、いつ転んでしまうかと、ひやひやしているのだろう。もう一度、少し大きな声で呼びかけると、局はやっと、珠姫のことばに気がついたのか、うなずいて腰をあげた。

 書棚に近づいていき、漆塗りの文箱のひとつをおろして戻ってきた。

「こちらでございましょうか、御前さま」

 確かめるように中身を取りだしてみせる。局の手元をのぞきこんで、珠姫は顔をほころばせ、綴じ本を受けとった。

 珠姫手製の綴じ本は不格好だが、それはそれで味わいがある。料紙には上等の越前鳥の子を使い、横本に仕立ててある。からからに乾いた楓の押し葉は、しかし、在りし日の色合いをそのままに残していた。

 珠姫は押し葉を崩さぬように、あいだに挟みこんであった薄葉の斐紙のうえから、そっと楓に指をすべらせた。赤ん坊の頬を愛おしげに撫でるように、やさしく触れる。

 ──殿は、ご無事だろうか。

 戦中とあっては、居場所ひとつとっても重要な情報となる。利光からの便りはとんと無かった。

 ──どうか、ご無事にお戻りになって。

 楓の葉越しに卯辰山の神にでも祈るつもりで、珠姫は綴じ本に触れたまま、瞑目した。

 そのまま、長い長いときを祈りに捧げていた気になっていたが、ふたたび目を開けてみれば、風景にはさほどの変化はなかった。日差しすら、陰りもしていない。

「かかしゃ……?」

 母さま? と、亀鶴姫に庭から呼びかけられて、珠姫はそちらに目を転じた。亀鶴姫は珠姫の持つ綴じ本に目を奪われたようすだった。うつくしい絵入り本をたくさん見せたせいだ。これも新しい絵入り本だと思ったのだろう。乳母が草履を脱がせようとするのももどかしげに、亀鶴姫は縁側へよじのぼると、たたた……、と、近くまで駆けてきた。

「こちらは、母さまの大事な大事なものよ。亀鶴の好きな絵入り本ではないのよ」

 先手を打って言い、珠姫は綴じ本を閉じた。亀鶴姫が手をのばそうとするのを避けて、局に手渡す。局は心得たようすで受けとるや、文箱に戻して棚のうえへと綴じ本を隠してしまった。

 ドンドンと足を踏みならしてかんしゃくを起こし、亀鶴姫が泣きわめく。乳母があわてたようすで幼い姫を抱きあげようとするのを制して、珠姫は久方ぶりに我が子を膝に抱いた。だが、姫は嫌がって手を振りまわして、なおも泣き叫ぶ。

「まぁ、亀鶴や。聞きわけのないこと」

 笑う珠姫のようすに、見かねたのだろう、今度は乳母の局が脇から手を出した。ひょいっと亀鶴姫を抱きあげると、いとも容易くあやして泣きやませてしまった。そうして、ふたたび珠姫の膝へ座らせると、局は亀鶴姫と同じだけ身を低くし、目を合わせて少しだけ怖い顔をした。

「亀鶴さま。先ほどの御本は、絵入り本にはございませぬ。楓の押し葉が、何枚も貼りつけられているものでございます」

 うん、と、首を縦に振って、亀鶴姫は神妙に聞き入る。局は先を続けた。

「紅葉を見たことがないとおっしゃるお母さまのために、お父さまが土産ものとして、卯辰山の楓の葉をとり、お贈りになったのでございますよ」

 違う。それは富田邸の楓の葉だ。

「……。」

 珠姫はあやうく訂正しそうになって、途中で思いとどまった。なぜ富田邸なのかのくだりを説明するには、お忍びの外歩きの件も明かさねばならない。

 ぐっとことばを飲みこんだつもりでいたが、ふんいきで局に伝わってしまったらしい。局はいぶかしげに珠姫を見上げた。

「──何か」

「いっ、いいえ、なんにも!」

 ぶんぶんと両手と首を横に振り立て否定をすると、局はさらに不審そうな顔になったが、それ以上の追及はなかった。局は亀鶴姫にむきなおると、言いふくめるように言った。

「大事なものを粗略に扱われれば、だれしも辛く悲しく思うものでございましょう。亀鶴さまとて、もしも気に入りの絵入り本を破られてしまったら、悲しくはなりませぬか」

 答えはない。だが、亀鶴姫は悄然とうなだれた。姫も、ものごとの道理の一端は理解しはじめている。ことばは話せずとも、聞いて意味をとることはできる。局が言ったことも、おそらくはわかっているはずだ。

 しょんぼりとしたうしろすがたをみて、珠姫はうしろからのぞきこむように顔を近づけ、やわらかな頬にほおずりをした。

「母さまは怒っていませんよ。亀鶴や、そんなに落ちこまないで、ね? ……亀鶴も(とと)さまは好きでしょう。母さまといっしょに、父さまのご無事を神仏に祈ってちょうだいな」

 そう口にすると、亀鶴姫は胸の前で、小さな両手をぱっと合わせた。まるで、楓やもみじの葉のような手だ。身を縦に小刻みにゆらして、なむなむと祈るそぶりをしている。

 亀鶴姫のしぐさを、ほほえましそうに見ていた乳母の局だったが、珠姫と視線が合ったとたん、何かを思いついたようだった。

「──御前さま。よろしければ、どちらかの社なりへと、ご祈祷など依頼されてはいかがでしょう」

 そういえば、自分も利光の出立前は、能登の一宮の御守や御札でもと考えていたはずだ。すっかりと失念していた。

「それは、いい考えね」

 局の提案に賛同し、どちらに祈祷すべきかと思案する。珠姫にはよい案が浮かばない。無理もないことだ。出歩く機会がなければ、土地勘など養われようはずもないのである。

「だれか……そうね、芳春院さまにお伺いしてみましょう」

 藩祖利家の妻であり、初代藩主利長の母である芳春院であれば、どこの社寺が霊験あらたかであるか、きっとくわしく知っているだろう。ここで、珠姫の口から、姑ではなく大姑の名が先に出るのは致し方のないことだった。姑の玉泉院は、どうしても珠姫を養子の妻と扱うためだ。利光とはなさぬ仲であるのは、どちらも同じはずだが、姑とはどこかこころの隔たりを感じてしまう。珠姫としては、大姑とのほうがつきあいやすかった。

 書を送ると、城内にある芳春院からは、すぐに返答があった。

『越中国礪波郡埴生八幡社になさるべし。古くは旭将軍が倶利伽羅峠の戦勝祈願を行った御社なり』

 旭将軍とは木曾(きそ)義仲(よしなか)のこと、倶利伽羅峠の戦いは、平氏追討の命を受けた義仲が十万の兵を破った戦いである。この戦勝祈願を例にあげて示された社は、奇しくも利光が珠姫の安産祈願を行った社であった。

 ──ここにしよう。

 すぐにこころは決まった。

 珠姫は、その日のうちに使いを立て、埴生八幡社に、祖父家康、父秀忠、夫利光の戦勝を祈願し、御守と御札とを求めたのである。

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