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第二章 戦 (七)

 十二月四日の未明、それは起きた。

 続く緊張に耐えかねたか、一部の兵が勝手に大坂城の南端の曲輪(くるわ)、真田丸へと攻撃をしかけたのである。

 利光はそのとき、陣の奥にあり、騒動の予兆を察知することかなわなかった。

 事の発端は、加賀藩の兵の配置にあった。加賀は、越前や彦根の兵と並んで、篠山という小さな丘の前に陣取って大阪城の動向に目を配っていた。この篠山に、はじめのうちは豊臣方の足軽が鉄炮を持って潜んでいたのだが、長期の戦ゆえか油断があったのだろう。この夜明けに至っては、足軽の姿をとんと見ないことに、気の大きくなった加賀の兵が口々に言いだした。

「いま行けば、むこうはみんな、丸の内のなかだ」

 そう言い合ううちに、彦根の兵も同じところへ出てきた。

 同じころ、曲輪のうちでも、見張りのため、持ち場へ出てきた者があった。この人物が誤って、やぐらのうえで鉄炮に込める火薬に火をつけてしまった。起きたのは小さな爆発だったが、この火花が燃えうつり、物見やぐらはたちまち燃えてしまった。夜闇のなか、煌々と明るい火の手は、徳川方の士気をあおるのにじゅうにぶんだった。

 さて、これを見た越前兵の反応はふるっていた。もともと、敵陣中には徳川の内通者があったのだが、この内通者ともども反旗を翻した兵があったものと思いこみ、この機に乗じて真田丸を攻めようと、藩主みずから先陣を切って堀に降りていったのである。

 加賀、彦根の兵はつられて、越前の兵に続いて堀へ乗りこんだ。堀のなかにたてられた柵を破り、堀の底へたどりついたときだ。曲輪のなかから雨あられと鉄炮の弾が降り注ぎ、加賀藩では、討ち死にした兵は三百騎に上った。

 利光は急いで使いを立て、住吉に陣を構える家康へと知らせを送った。だが、この知らせが届くより先に、正午ごろ、家康は住吉から出て、茶臼山からこの戦いを目にして、たいそう立腹したという。

「暴れ者めが……ッ! まだ、下知もしておらんというのに攻めかかりおって!」

 家康はただちに兵を引き上げさせると、おのおのの将をきつく叱責した。

 そして、それは住吉から戻った後の利光も同じだった。

「軍令を忘れたか!」

 生き残った者たちにむかって声を荒げて、利光はほぞを噛んだ。

 家康は塹壕をつくらせ、塹壕のすぐ側に弾避けの鉄盾や竹束をも備えさせたが、それがかたちばかりのものであることを、どう説明すればよいのだろう。ことばどおりに言えば、下々の兵に広がり、いずれは敵方にも伝わる可能性がある。そうなれば、自軍の不利に働く情報だ。だが、いま利光が言わなければ、今日のようなことがこれから先もたびたび起こるかもしれないのだ。

 利光は思い悩んだ。家康がこころのうちでは戦いを望んでいないことなど、血気盛んな者以外の多くの将は、おおよそ理解しはじめていた。これだけたくさんの備えをし、兵糧の手に入りにくい冬場にも関わらず大勢の兵を城の周囲に幾重にも並べ続けるのが、城中への威嚇でなくて何だというのだ。

 家康は、豊臣方と剣を交えるつもりはないのだ。極力交戦を少なくし、最後には頭だけ刈り取れば、兵にも土地にも被害は最小限で済む。

 そして、その合理的な考えかたには、利光も大いに賛成だった。

 この大坂戦役に、前田家が率いてきたのは二万人である。徳川方全体を見渡しても、これほどの軍勢を率いている将は、利光のほかにないだろう。年若い利光の双肩には、二万の命、その数倍の家族らの命がかかっている。軽々しく、命を散らしてこいなどと、言えるはずもなかった。まして、今朝ほどのような無謀な戦いには、ひとりたりとも身を投じさせるわけにはいかない。

 ──なぜ、言うことを聞けないのだ!

 もどかしい思いで握りしめたこぶしをふりあげる。それが振り下ろされる前に、さっと利光の視界の端で動いた者があった。

 利光はそちらを見遣った。そこには、富田治部左衛門重政の姿があった。

 重政はゆるりと小さく首を横に振る。

 ──いまは、抑えるべきときにござる。

 師の声が間近に聞こえた気がして、利光はこぶしをほどいて、腕を体側に戻した。軍令違反の者たちを見渡して、冷静に言い渡す。

「戦功を立てようと逸るこころはわからでないが、こたびの戦役において、我が藩は大御所さまの指揮下にあれば、決して、その意に反すべきではない。たとえ武功成るといえども、軍令に従わぬ者には、俺も報いてやることができん」

 無法なふるまいをする者には、いくら敵の首級をあげようとも、食禄の加増もしないと、こう、宣言したわけである。

 家康曰く『暴れ者ども』であった連中は、目の前にエサをちらつかされて、すっかりとおとなしくなった。

 もので釣るやりかたに、利光自身は自己嫌悪にかられたが、重政はうっすらと微笑んでうなずいた。もしここに養父がいたならば、きっと「お見事! よく言った!」と、高く手を打ち鳴らして、愉快そうに目を細めたことだろう。いまこの場には、利光と同じこころもちでいてくれるのは、唯一、横山康玄だけのようだった。

 見てとってから、利光は声を張り上げた。

「話はこれまで。今後、こころに留めておけ! 各自、持ち場に戻ってよし!」

 この号令で命拾いしたとばかりに持ち場へ戻っていく兵卒から目をそむけ、利光は、ふん、と鼻で息をついた。

「殿は、まこと、上手にことをお捌きになる。うまい位置に治めなさいますなぁ……」

 近寄ってきた重政が、感心しきりのようすで声をかけてくる。利光のほうも、ほかには聞こえぬような小声で、混ぜっ返した。

「──うちの奥ほどではない」

「さようでござりましたな」

 これはしてやられた。

 ぺっちんと額を手ではたいてみせて、重政は愛嬌ある笑顔を浮かべた。つられて、利光も頬が笑っていた。ただそれだけで、硬くしぼんでいた気持ちがほぐれるのを感じた。からだもほぐれて、頭のすみずみにまで、新鮮な空気が行きわたる。

 戦地にあって、気心の知れた相手とのこうした気楽なやりとりは、何よりありがたい。まるで、命に水を与えるようだった。

 ──あらためて、珠に感謝しなければ、な。

 重政を呼びよせてくれて、ありがとうと。

 遠く金沢の空へと思いを馳せ、利光はしばし目を伏せ、妻の姿をまなうらに描いた。

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