第二章 戦 (一)
慶長十七年三月。
老中本多佐渡守正信の子、本多安房守政重が加賀藩の家老となったのは、昨年のことだ。以降、政重は利光の政務のよき助けとなっている。
だが、一方で、この政重の存在が、利光としては悩みの種なのだった。
政重は、当年三十二の男盛りだ。なるほど、たいへんなキレ者で、家老に登庸せよと推挙されるのもわかる。反面、いささか血気にあふれたところもある。熱しやすく、すぐにカッとなり、手が出てしまうのだ。
特に、政重は時折、横山康玄とは馬のあわないようすを見せた。政重と奥村摂津守栄頼とが親しいせいだ。康玄の父長知と栄頼とは、互いに張りあうあいだがら、いわば政敵である。政重も康玄も、何かしら付随して悪いうわさが耳に入ってくるのだろう。このふたりが顔をつきあわせると、あいだに挟まれるような心地がして、利光は政務どころではなかった。
康玄とは、藩主となって以来のつきあいである。珠姫とのお忍びにも、幾度かつきあってもらった。年の近い兄のような存在だ。それに対して、政重は、ごくさいきんになって、とつぜん現れて、家老となった男だった。
もちろん、養父利長の藩政では、同様に加賀に仕えたころがある。その縁での登庸ではあるのだが、利光が政重に辟易するのは、つきあいの浅さだけではなかった。
政重の父は、先に示したとおり、老中だ。そのせいで、政重は徳川の間諜ではないかと疑うむきがあるのだ。康玄のみならず、他の者どもも、折に触れては疑いの目をむける。まったく厄介でならなかったが、翻って考えてみれば、利光はすでに徳川方についていると言っていいはずだ。わざわざ間諜を放つ必要があるだろうか。
このように思考がぐるぐるとめぐっては、はじめに戻る。養父への推挙があっての登庸ゆえ無碍にはできず、かと言って、扱いやすいとはとても言えない。政重はたいそう面倒な男なのだった。
──養父上と会って話がしたい。
政重が現れてから、前にもまして、利光はそう思うようになった。養父の口出し手出しがうるさくてたまらなかった幼い時期を過ぎ、近ごろ、利光は養父のやりかたに倣うべきだと感じることが多い。
税率を改めるとき、法を定めるとき、腹を割って話せる相手、議論を交わせる相手が欲しかった。数年前までは、利長の指示するとおりに動くばかりでは人形のようでつまらないと、自分でいろいろと決めてみたいと感じていたが、いまではすべてが己の手中にある。己の思うままにできる。それが、時に恐ろしかった。
藩主となって七年。政務にはじゅうぶんに慣れたつもりだが、それでも足元のおぼつかない感覚に襲われて、この決定でよいのかと不安になることもある。そうしたとき、昨年まではその都度、養父のもと、高岡城へと足を運び、または書を送って相談していた。
そのやりとりを一時とりやめるようにと、昨秋、養父利長は、利光に書をよこしたのである。
利長は、病に冒されていた。
将軍からも幾度となく病中見舞いの文やら、放鷹で得た雁やらが届いているのを、利光は知っている。病は篤く、おそらくもう、治る見込みはない。
利光はまぶたを伏せ、壁にもたれた。
昨年の五月のことだ。養父から、書状が届いたのは。
「お手前は既に成人しているから、助言などいらないだろうが、わしは腫れ物が再発して歩くことができず、病気もあれこれとあってどうにもならぬからだなので、命あるうちに家中の者どもにもお手前のことを頼みたくて、前田対馬守と奥村伊予守のふたりに申し渡しておいた──」
前田対馬守長種は、義兄にあたる。利光にとっては異母姉の嫁ぎ先だ。越中の守山城代の時分に、利光を育ててくれた恩人でもあった。利光は人質となるまでの七年間、対馬守のもとで養育された。もうひとりの奥村伊予守永福は、栄頼の父だ。
五月十五日に届いた書状の内容は、藩の重鎮を通して家臣にあまねく伝えられた。そこには、利長の死後、どのようにすべきか、方針が事細かに綴られていた。
利光は、養父の病状を知るや、急いで病悩平癒を四つの社寺に祈らせた。だが、祈りもむなしくその三月後、養父からの書状には、「病が辛いから、もう政務について相談してくれるな」と書いてあったのだ。
利光はふたたび目を開けた。夜闇だけがそこにあった。
養父上が亡くなる前に、子をなさねば。
政治のことのように考えて、その実態の生々しさに、見る者もないのに顔を覆う。手が冷たい。火照った頬から徐々に手を外して、利光は物思いにふけった。
今年、利光は十九になった。珠姫は十四。十四歳ともなれば、少し早いが、祝言をあげる者もある年齢だ。
ふたたび考えて、みずから打ち消す。
本多政重が政務のついでのように、利光に継嗣の話をすることがあるのは、おそらくは利長の病状のせいだろうと思う。家をつぶさぬためには、正室とのあいだに子がなければ、養子をとるものだ。政重は、今日の天気でも聞くように、「いかがなさいますか」と問う。
養子を取るかと問われているものやら、それとも政務後には珠姫のもとに訪なうのかと問われているものやら、これまではずっと、政重の発言の真意を追及せずにきた。
それが今日ここにきて、後者の意だと気がついた。政重は利光とふたりきりになった隙をついて、耳打ったのだ。
「先刻、こちらを預かり申しました。御前さまの御乳母どのからとのことでござります」
さしだされたのは、小さく結ばれた文だった。急ぎの用なら、使いをよこせばよいものを。利光はいぶかしみながらも文を開き、書かれていた内容に瞠目した。
『御前さまにおかれましては、御身が満ちたごようす。内々に、お日取りなど取り決めたく、使いなどよこしてくださいますよう』
人柄のよく現れた流麗な筆跡だった。短い文面を何度も目でたどり、利光はその文が自分宛てではないことを理解した。
「──これは、おまえ宛てだな?」
「はい」
あっさりと白状して、恥ずかしげもないようすで、政重はしれっと言ってのけた。
「恐れながら、殿は夜のお渡りもいっさいなく、奥手でいらっしゃるようなので、どうしたものかと、乳母どのと幾度かやりとりをさせていただきました」
あちらさまに、いまだに月のものが来ていなかったとは予想外でしたが。
主語をぼかしながらも直接的な物言いをして、政重は主君を見据えた。
「……で、いつがよろしいでしょう」
「いっ、いつとは?」
うろたえた利光に、やれやれと言った調子で、政重は文をたたみながらささやく。
「私はいますぐでもいいと思いますよ。先代さまのおからだは、来年まで持ちますまい」
「不敬だぞ」
「存じております」
鋭い応酬を重ねたあと、政重はまた、眠たげな双眸を利光にむけた。
「跡継ぎはかならず、ご正室に産んでいただかねばなりません。何のために徳川家の姫を拝領したとお考えか。養子を取ったり、側室の子を跡継ぎにしたりするのならば、徳川との縁は切れたと思ったほうがよろしいでしょう」
己と相手との身分差も気にせず、容赦なくずばっと斬りこむと、政重は文字どおり利光の尻を叩いた。
「まったく、未通娘のように悩まないでください! 私は加賀藩にも将軍家にも恩義はあるが、沈む船には興味がない。殿の希望が特にないなら、これからすぐにも返事を書いて、私が日取りを決めますよ」
「いや、待て! ──俺が決める」
そう言って遮ったが、いつにすればよいかなど、すぐには思い浮かばなかった。面前の政重にも、それは伝わったのだろう。
「さようで」
小馬鹿にしたような調子で肩をすくめて、政重は結び終えた文をふところに戻した。
「今宵ひと晩、お待ち申し上げる。明朝、ご政務の際には日取りをうかがいましょう。吉事は早くあるべきでございますぞ」
言いたいことだけ並べると、政重は用事があると言い、退出していった。残された利光はそれから、明かりもとらず、ひと払いをして、じっと考えていたのである。
子を産むのは正室の義務だ。それでも、からだが満ちたとたんに初夜を迎えるようなやりかたは、義務を頭から押しつけるようで利光は好かなかった。だが、政重の言うとおり、一刻の猶予もないのは明白なのだ。利長が存命のうちに、利光と珠姫は睦まじい夫婦である、ひいては前田と徳川は懇ろであると示すにはやはり、子の有る無しは大きい。
政治的で打算的な考えになど、珠姫を巻きこみたくはなかったが、こればかりは避けられないことだろう。
──珠には、なんと言おう。
父の病についても、徳川との縁についても伏せて、素知らぬふりで睦言をささやいて?
珠姫は驚くか、はにかむか。怯えさせることだけはしたくないと思った。大切に大切に慈しんで……
そのまま、ついつい初夜の光景まで想像してしまい、利光は己の考えのきわどさに顔を覆って、その場に転げた。からだが熱い。
「……くそぅ」
うめいた声が思ったよりも響いた。
利光が気恥ずかしそうにするのを、未通娘のようだと政重はからかったが、そのとおりだった。徳川の姫を妻に持った身で、市井の若い男のような気軽な女遊びなど許されなかったし、利光自身、珠姫以外の女とみだりに関係を持つことなど考えたこともなかった。
こんなことを政重に打ちあけようものなら、きっと大笑されるだろう。
──笑いたければ笑え!
顔の火照りを手で冷やしながら、頭のなかの政重を追いはらう。身を起こすころには、利光の腹は決まっていた。