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第一章 楓 (十一)

 将軍より駿府城の修築を課せられたとき、利光は「やっと自分の出番が来た」と思った。

 養父である利長が富山城へ隠居したのは、二年前のことだ。

 以降、礪波郡五ヶ山の税を定めたり、城下の町人の課役を免じてやったりと、新藩主として、利光が命令を下すようになった。

 しかし、その実、利光ひとりでこなしたことは、なにひとつとしてないのだ。隠居してのちも、利長はことあるごとに藩政に口を挟む。利光の意見を押さえこむ。そうしながらも、表立っては、利光の名でさまざまなことが決められていく。

 ──五月蠅い。

 そう感じるまでには、長い期間などいらなかった。はじめのうちは、自分が藩主の役目に慣れるまでのことだろうと、無用の口出しがあっても鷹揚に構えていた。けれども、どうやら利長の腹は違うようだと気づいたときには、城中の家臣たちが利光を見る目は、変わってしまっていた。

 まだ、ひとりでは何もできないお子様だ。家臣から目を向けられるたび、そう、視線が語る。表情が物を言う。それでも、年かさの彼らは道理をわきまえて、頭をたれるのだ。

 妾腹の利光をいまの地位にまで引き上げたのは、他ほかならぬ利長だ。さしもの利光も、口に出しては利長の悪口など言えなかった。だが、利長からの書状や指示が届くたびに、だんだんと気分を害するようになった。

 面倒ごとが起きるや否や、利長は利光が取りかかるまえにと、あれこれと手を回して気を利かせる。そのやり口が嫌だった。子どもには任せられない。養父の声が聞こえるようで、鬱屈は募るばかりだった。

 そこへ、家康からの普請の命があったのだ。徳川家でも家康が二年前に、子の秀忠に将軍位を譲った。富山城に移り住んだ利長とは違って、家康公はすぐには隠居先を決めなかった。各地を視察して回り、比較検討を重ねた結果、家康は新天地での隠居生活ではなく、かつての居城、駿府城を拡張し、三の丸を作ることを選んだのである。

 修築がはじまったのは三月中旬のことだが、加賀藩に天下普請の命令が下ったのは、五月に入ったころのことだった。

 養父に知られる前に。

 利光は内々に修築に携わる人員を確保し、駿府にむかわせようとした。その直前のことだ。

 待ったがかかった。だれかが、この件を利長の耳に入れたのだ。

 ──五月蠅い、五月蠅い。

 眉根が寄る。報告によれば、利長が急ぎ、富山城からこちらへとむかっているという。利光の了承や命令を待たずに、前藩主を歓待するための場が設けられる。

 利長が現れたのは、一刻も経たぬうちのことだった。四十も半ばを過ぎた身には、老いと威厳とが共存している。少々、太り肉になったように見える。その利長がうしろに従えてきた男を見て、利光は何が起きたのかを正しく理解した。

 剃髪し、僧服姿の男──利長が藩主であったころの家老、横山長知(ながちか)である。いまは家老職は辞しており、その子、年若い康玄(やすはる)が利光の側についている。

 康玄が漏らしたか。考え至って、利光は態度を硬化させた。十八歳と、自分と年の近い康玄にすっかりと気を許してしまっていた。

「何の御用でございましょうか」

 最低限の礼儀は外さずに、けれども、すげなく問うと、利長は設えられた上座にどかと腰をおろし、利光を側近く呼びよせた。

「御普請に使わす者どもの数はそろったか」

「はい。明日にも出立させます」

 短い確認のあと、利長はふところから折りたたまれた書状を取りだしてよこした。

「駿府城にて御普請のあいだ、人足などを取りまとめるための掟を作った。これを急ぎ、お手前の名で……」

「いいえッ! ──いいえ。私ではなく養父上の御名で出されたほうが、きっと皆もよく言うことを聞きましょう」

 否定のひとことこそ叫んでしまったが、その先は感情を交えずに淡々と進言し、利光は目をそらした。利長は、受けとられもせずにいた書状を指先でもてあそび、嘆息すると、そのまま長知に投げ渡した。

「わしの名でよい。しっかり行きわたらせろ」

 長知は主人をとがめるような顔を一瞬だけ見せたが、すぐにそれを恥じたようすだった。大事そうに書状を両手に抱え、部屋を退出していく。

 それを見届け、利長が立ちあがり、手ずから部屋の戸をたてた。そうして、部屋のなかに父子ふたりきりになると、利長は憐れむような目で利光を見下ろした。

「利光。世が世であれば、お手前ほど、武家にふさわしき者はなかろうに。お手前は、父によう似ておる。武に優れ、からだつきの壮健なる男子じゃ」

「……私では、頼りになりませんか」

 「世が世であれば」。そのことばの裏を勘ぐって言った利光を笑い、利長は大きくかぶりをふった。

「そうではござらん」

「では、なぜでございますか! 養父上!」

 ──なぜ、こうも邪魔立てするのか。

 にらむように見上げた双眸の光に、養父はやはり、笑うばかりだった。それが、利光の怒りに油を注ぐ。

「私が至らぬと、そうおっしゃりたいのではございませぬか! 藩主になってこのかた、私がひとりで定めたことなど、ひとつとしてございません。何故、……何故ッ」

 最後は、憤りのあまり、うまくことばにならなかった。背をかがめ、握りこぶしを固くして、利光はうなった。その垂れた頭に、そっと、利長が手を乗せる。

「わしや長知は、何もお手前に性無いことをするつもりはあらなんだ。徳川に、お手前を敵と思わせてはなるまいと」

「……?」

 風向きに、利光は面だけを上げた。利長は子の頭をなぜるようにやさしく叩く。

「利光よ、おぼえておくがよい。お手前が雄々しく賢く立ちまわれば、加賀はいつか、徳川に荒らされてしまうじゃろう。何のためにお手前に姫をいただいたと思うておるのじゃ。何のためにわしが隠居したのか、一度、腰を据えて、よく考えてみられるがよかろう」

 手が離れた。利長は戸を開け、廊下に出た。

「養父上」

「富山へ帰る。長居すると、ひと雨降られそうじゃからのう」

 おどけた調子で言ったあと、利長は部屋のなかの我が子をふりむき、話題を変えた。

「──近ごろは、細君とは睦まじくしておるか。最後に訪れたのはいつじゃ?」

「……。」

 ぱっと答えのでなかった利光に、利長は残念そうに身をよじった。

「なんじゃ、行っておらんのか。わしは早く孫が見たいのにのう」

 そのことばの意味するところを読み取って、利光は顔を真っ赤にしてわめいた。

「恐れながら! 珠は、まだ九つにございますっ!」

 照れた利光を、はっはっは、と高く笑いとばして、利長はうなずいてよこした。

「知っておるとも。冗談じゃ。じゃがのう、利光。細君は大事になさるがよろしかろう。幼い御身で金沢に嫁いでいらしたのだ、頼りはお手前ひとりであろうに。放っておくなど情けないことじゃぞ」

 わしなら、三日とおかずに通おうものを。

 言い残し、利長は扇子をひらひらと遊ばせながら、廊下を歩いていく。そのむかいから、長知がやってきて、合流するのを見届けて、利長は嵐が去った後のように、ぽっかりと空虚な心地になった。

 所在なくたたずんで、庭を眺めわたし、鳥の飛ぶのを見遣る。

 ──掟とは、どんなものだったのだろう。

 せっかく養父が作ってくれたというのに、目も通さなかった。内容も知らずに拒んで、わめきちらすなど、ほんとうに子どものすることだ。いまとなっては、自分の所作が恥ずかしくてならなかった。

 ──見に、行くか。

 利長の手による原書はどこかにあるだろう。それを探して読んで、ついでに、新丸御殿まで、珠姫のところまで、足をのばそう。

 いったい何日ぶり、何か月ぶりのことなのか、利光は改めて考えてみてもわからなかった。それほどの長い期間、自分は珠姫のことを気にしてやらなかったのだ。

 ひさしぶりに訪れた自分を、珠姫はどのように迎えてくれるだろうか。笑うのか、それとも、無沙汰を怒るだろうか。

 ひとたび珠姫のことを思いだすと、すぐに会いたくてたまらなくなった。身勝手だと、自分を叱りつけながらも、足取りが軽くなる。利光が珠姫のもとにたどりつくのは、それから半刻も経たないうちのことだった。

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