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第四部_あまつみそらの大図書館

天上界アマツミハラは、株式会社オービットの「桃華月憚」における神々の聖域、上津未原かみつみはらより名前をいただいています。空の上ということも踏まえ本シーンのタイトルは「あまつみそらの……」としています。


◇あまつみそらの大図書館


「到着な~のよ」

 一面に広がる白銀へ真っ先に足を踏み入れた魔女ノエルが遠足気分で両手を上げた。

 文字通り一瞬のことだった。夜明けとともに案内され、館にあった扉を抜けた俺たちは、その瞬間にはもう巨大な神殿の前に立っていた。この場所が天上界アマツミハラ。遙かホウライを見下ろす創造主の本所ということになる。

 こんなときでなければユーリイを始め誰かしらが件の扉のカラクリを気にして騒ぎ立てるところだろうが、生憎今日の皆にはそんな好奇心に振り回されている余裕はない。

 世界を守る目的がある。魔女の願いを果たす目的もある。

 俺や昨夜の悲劇から立ち直ったユーリイは勿論、船長まで表情を険しくするほどの重大な局面だ。ここまで来て緊張を微塵も感じていないのは恐らく魔女ノエル一人だけだろう。尤も彼女の場合は性格の問題もあろうが、それ以上に、自分に絶対の自信を持っている。かつて創造主に敗れた彼女がそのような態度を取っていられる理由が俺にはわからないが、ただ彼女の持つ「力」は娘であるスミ子の曰く一族の中でも別格なのだそうだ。

「は~やくはやくなの~。ノエル一人で入っちゃうのよ~」

 いつの間にそこまで行ったものか、気づけば入り口の大扉の前で魔女ノエルがこちらへと手を振っている。そうして皆を先導するような立場を採っておきながら、しかし彼女は今日の戦いには参加しないことになっている。かつての実績があり、そして娘も太鼓判を押すほどの者だ、俺としては是非にも助力をお願いしたいところであったし、実際に頼みもした。そして本人も快く了承してくれた。しかしそこで思いがけず物言いがあったのだ。よりによって彼女を誰よりも知るその娘からだ。

『坊っちゃまはこのセカイを救いたいのですよね?』

 最初は言われたことの意味が正直、わからなかった。お前は違うのかと、聞き返しそうになったほどだ。しかし至って真面目な相手の表情に、俺がその言葉にまだ続きがあることを悟るまでに長い時間は必要なかった。


 だったら、母様に手出しをさせてはいけません。


 一旦はまとまった話だったが、俺はその場で辞退を申し入れた。思えば頼むことはあっても、一度頼んだものを断ったことは初めてかもしれなかった。そのときスミ子が浮かべた安堵の表情は忘れられそうにない。

 そんなことがあり、今日の彼女はあくまで立会人ということで落ち着いている。だから自衛の場合を除いては何もしないことになっている次第なのだが。

「ぴんぽ~ん。ぴんぽ~んなの。ノエルが入りますなのよ~」

 そうはいっても天性の性格はそれを許さないらしい。先走った彼女は勝手に扉を開けてしまった。正確には開け方がわからず力任せにあれこれしている内に壊してしまったのだが結果は同じことだ。

「開いたのよ~。皆も早く来るのよ~」

 俺たちを振り返り、朗らかな笑顔とともにぶんぶん手を振ってくる――のは、いいのだが。

 その瞬間に途方もない戦慄に襲われたのは、俺一人ではなかったはずだ。何故って彼女の背後、白亜の内側に二つの赤い瞳が光ったからだ。神殿の内部を守護する者、俺たちなど一飲みにしてしまえるほどの巨大な白蛇――それが今まさに彼女を食らわんと大口を開いているのだ。

 身に迫る危機を俺たちが叫ぶ――。

 それより早く、彼女の口が小さく動いた。魔女ノエルはそちらを振り向くこともなくこう言った。

「ないない」

 その一言から生まれたのは、砂だった。砂の山。真っ白な砂の山だ。彼女に牙をむいていた大蛇が、一瞬の内にそれに変えられてしまったのだった。

「これがノエル母様ですよ」

 呆然としていた俺はお手伝いの声で我を取り戻す。何が起きたのかまったくわからなかったが、目の前の結果だけあれば、彼女が魔女としていかほどの実力者であるかは充分に理解できたつもりでいる。あの者とて神が住まう地の警護にあたる存在だ、自分たちで戦っていたらきっと苦戦を強いられていたに違いないのだ。

 ここはやはり――。

「まさか今からでも母様の力を借りたいなどと考えてはいませんよね?」

 隣からお手伝いが顔を覗きこんでくる。こういうときは妙に鋭い。

「まぁ、少しだけ」

「では少し考えるだけで終わりにしてください。母様は手加減ができない上に、張り切るとまるっきり手がつけられなくなる方なので」

 スミ子の視線に俺は思い留まる。それがこの世界のためになるのだと自分に言い聞かせ、神殿に足を踏み入れた。

 外見と異なり神殿内部はまるで王国立図書館のように、書物で埋め尽くされていた。五メートルを優に越える天井、そこに迫る高さまである棚は隙間なく一面本一色。本が壁を、ひいてはこの建物を形成していると言っても、過言ではないかもしれない。それらの本は、魔女ノエルが言うにはそれぞれが一つのホウライ。以前イヴが話してくれた「並行して存在する世界」たちがここには一冊ずつの書物として管理されているのだ。

 ここに安置されている書物の世界は、「~したら」「~しなかったら」と思う個人の希望や後悔などの数だけ存在する。だからこうしている間も、これからも増え続けていく。そのすべてを収めるここは言わば、成長する神殿でもある。

 この中には、魔女が幸せな一生を終えられる世界もあるのだろうか?

 尋ねてはみたが、スミ子は曖昧な笑みを浮かべただけだった。

 暫く何事もなく歩いた頃、分かれ道に行き当たった。直進する道と右に曲がる道だ。

 右に曲がれば創造主に会えると魔女ノエルが言うので、俺たちは彼女に従い右の道を行く。他にやるべきことがあるというスミ子と、船長とは再会を誓いそこで別れた。

 俺たちは魔女ノエルの先導の下、迷路のような神殿を、衛士を蹴散らしながら駆ける。目指す存在への接近を予感させるように目に入る景色は次第に図書館から裁縫道具の博物館へと変わっていった。

 ガラスケースに並ぶ長針、短針。紡錘機材の変遷を示す模型。動物性糸に植物性糸。

 ボタンにボビン。糸切り鋏に裁ち鋏。

 巻き尺、足踏みミシン、機織り機。

 そうしてかつてこの世界を縫合した創造主を象徴するに相応しい物たちが過ぎ去っていく中、突然まばゆい光が眼前に広がった。

「ここは――」

 それというのが、その地に足を踏み入れた俺が初めて発した言葉だった。そこに待っていたのは緑豊かな大地に建ち並ぶ素朴な家屋、だだっ広い畑、古井戸、歴史を感じさせる木造の集会所という風景。戦に備えて組まれた柵、物見櫓や土塁石塁にも見覚えがある。遠くには山が連なり、澄んだ清流も望むことができる。

 どうしてここに――その風景を知る皆を代表して俺がそれを呟く。

 そこは紛れもない故郷、ステラ村の風景だった。


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