第四部_わたしだけの時間
主人公一人の死の場面です。穏やかな気持ちで、しかし少なからず未練を残して――と構想を改めました。今わの際の回想は第三部の「たった一言のため」や構想中作品
「23時の亡霊」にも繋がる場面です。この世界の秘密に触れている場面でもあります。
◇わたしだけの時間
お祝いムードの館をこっそり抜け出した。
別についていけないわけではないし、二人を祝福する気持ちも勿論あるけれど、そういうおめでたい席は何となくわたしには相応しくない気がした。厳密には少し違うのだけれど、兎に角、外の空気を吸いたい気持ちになったのだ。
束の間の安息に身を委ねる皆にわたしは心からのお礼と「お疲れ様」の言葉を贈りたい。
国を変えるために戦って、続けてわたしを助けるために旅をして、今度は世界を救おうとしている。折角のお祭りもスミさんがさらわれたりで楽しむどころではなかっただろうし、ここに来るまで皆、緊張の連続だったと思う。だから最後の戦い――わたしが勝手に戦いだと思っているだけだけど――に向けてやっぱり休息は欠かせない。皆には万全の体調で臨んでもらいたい。そしてきっと勝利して、この世界の未来を守ってもらいたい。その行く末を見届けてもらいたいと思っている。何だか、旅立つ子どもを見送る親の気分だ。
涼やかな秋の夜風が吹き抜けた。
思えばわたしも、随分と遠くまで来たものだと思う。
皆の歩んできた軌跡はそのまま、わたしの軌跡でもある。霧の中で一生を終えるつもりだったわたしはエウノミアを変え、世界の頂に至り、海を越え……ついには神々の聖域に手の届くところまでやってきた。身に余る冒険の幸福を与えてくれた仲間たちに、わたしはたくさん、たくさん感謝しなければならない。
何だかしんみりしてきた。でも、こればっかりは仕方ない。
わたしは明日の、皆の出立には同伴できない。怖じ気づいたわけでも責任を放棄したわけでもない、わたし自身の問題によってそうせざるを得なくなってしまった。そう――寿命という問題だ。
ネージュと戦い、森の化け物と戦い、革命においてもわたしは自分の持てる力を酷使した。死という罰を願っていた当時の若気の至りで、わたしはがむしゃらに、貴重な命をすり減らした。
でもそれだけが理由というわけではない。
お母さんの亡霊と戦ったあのときを最後に、わたしは拳を振るうことができなくなった。出立前夜、ノエルさんに怒鳴ったのを最後に声を張りあげることができなくなった。ホウライ山で皆に向かって駆けたのを最後に走ることができなくなった。日に日にわたしの体からは自分の感じるところで、感じないところで力が失われていく。こうしている間にも、大切な何かがまた一つ、失われているのかもわからない。
そんな状況になって漸く、わたしは爺様の本に書かれていた、古代王族とその扱う奇跡に関わる重大な秘密を思い出した。
女神の力に関わる使用対価と、契約対価――。
前者は言わずと知れた、その力を使うにあたり払わなければならない対価だ。エウノミアの末裔であるわたしで言うならば、生命力。そして後者は、女神様から力を授かるにあたり、人間たちが支払った対価。言い換えるなら一族を縛る楔、もしくは呪い。
創世神話では信頼に足る者たちに力を授けたことになっているけれど、実際のところ女神様たちはそんな甘い考えを持った存在ではなかった。王族たちが結束して神々へと反旗を翻すことがないよう対価という形で不都合を押しつけたのだ。
その腹の内を知ってか知らずかエウノミア一族の始祖が対価として女神様に差し出したのは、寿命だった。結果エウノミア族は使用の対価と契約の楔、二重に命を搾り取られる宿命を負うことになった。そう――つまりエウノミアは短命の一族だったのだ。
王家に生まれた者はどんなに長くても二十を数える頃には一生を終える。急激に老化するわけでも病気になるわけでもなく、時計が止まるように静かな死を迎えるらしい。ただそれはエウノミアの力を生涯使わなかった場合。使えば使った分だけ大切な時間は失われてしまう。以前お母さん、トレニアールはわたしと殆ど年の変わらない少女の姿で現れた。でもその頃には既に結婚し、わたしという娘を授かってもいた。そうでもしなければ血が絶えてしまう、エウノミアはそんな家系だったのだ。
そうやって引き継がれてきたエウノミアの血筋も、わたしでとうとう絶えることになる。わたしが絶やしてしまうことになる。自分の体だ、どういう状態であるかは自分が一番わかっている。自身の終焉を悟り、皆が守ってくれたエウノミアの終焉を悟り――そう、だからわたしは一人で外に出た。
ユーリイだけは、わたしの変調に気づいていた。でも何も言わずにいてくれた。わたしの意思を察して、こうしてわたしだけの時間をくれた。十四年も一緒だった家族だもの、事情を理解していたって、それはなかなかできないこと。やっぱりあの人はわたしにとって世界一のお姉ちゃんだ。でも、そのユーリイの顔すらももう思い浮かべることはできない。わたしの中から失われてしまったのだ。
――わたしの時計は今、何時何分を指しているのだろう?
絶対の自信があった目が、闇の中に何の輪郭も見つけられなくなった。わたしは手探りで見つけた木の陰にひっそり腰を下ろす。のたれ死ぬのは構わないけれど、行き倒れみたいな見苦しい最期を曝すことだけは絶対にしたくないって、そういうプライドだけは残っているのだ。まぁ――両者に大した違いはないのかもしれないけれど。
腰を下ろしたわたしは、ポーチからノートの切れ端を取り出した。そこには世間知らずのわたしが、今よりもっとずっと世間知らずだった頃に書いた、叶えたい夢たちが書かれている。目が利かなくたってそこに何が書いてあるのかは自分のことだもの、当然に憶えている。
外の世界へ出てみたい。
アメリア、と名前で呼ばれたい。
もっとかわいい服を着てみたい。
キスの一つもしてみたい。
これらは叶えることができた夢たち。
素敵な恋をしてみたい。
お母さんになりたい。
そしてこれらは叶えることができなかった夢たち。その機会を永遠に奪われた夢たち。そして叶える資格のない夢たちでもある。
わたしは結局、この生きてきた時間の中で、この世界に何を残すことができたのだろう? 村を滅亡に追いやり、エウノミアの正義を覆し……思い返せば壊してばかりの人生で、人に誇れることもロクにない。魔女を名乗っては死を願い、周囲に散々迷惑ばかりかけてきた。わたしって、本当に何だったのだろう――?
そんな風に思うのは、異郷で終えるのも悪くないと思っていた人生に未練がある証拠に違いなかった。仕方のないヤツだ、なんて笑いながらも自分の頬を、涙が伝うのを感じた。あぁそうなんだ、って今更気づいて。わたしは今まで口にすることのなかったその思いを言葉にする。本当はもっと、生きていたかったんだ――と。
もっと早くその気持ちに気づいていたら、そう感じた自分を素直に曝け出していたなら、きっと今とは違う結末があったと思う。一人で寂しく逝くのではない、皆に見守られながら、満ち足りた気持ちでそのときを迎えられる未来もあったと思う。わかったような顔をして、でも本当は何一つわかっていなくて、そしてそれを曝け出すこともしなかったわたしには、そんな人間に相応しい最期しか残らなかった。でもそれが、罪を犯した者が負うに相応しい罰なのだと思う。
罪と、罰――か。
呟いた途端、不意に目の前に広がる光景があった。
知らないはずなのに、どこか懐かしい香りのする光景だ。
『コマリんはもういない』
ノエルさんが悲しそうに、わたしにそれを告げた。
嘘だ、とわたしは叫ぶ。
思わずそうした自分の顔を、わたしは知らない。でも、これだけはわかる。彼女を信じていないからそう言ったわけではない。彼女の言うことを認めたくなくて言ったのだ。
『嘘じゃない』
ノエルさんは首を左右させた。
『この世に熊谷子鞠という人間はもういない』
言葉より先に、手が伸びた。肩を掴んで力任せに彼女の体を揺さぶって、わたしはどうして、と重ねる。どうしてそんなことをしたの――と。
わたしは泣いていた。そして怒ってもいた。相手にも、自分にも。怒らずにはいられなかった。何故って、知っていたからだ、ノエルさんがそれをした理由を。
彼女はその答えを口にする。
『トーコが願ったからよ』
そう――だ。それが起きたのはわたしのせい。わたしが本気でそれを願ったから、それを願った相手が他の誰でもないノエルさんだったからこそ、それは起きた。取り返しのつかない不幸の引き金を引いたのは他ならぬわたし自身だったのだ。
だったらもう一度聞きなさい――わたしは言う。マリを返してとわたしは涙ながらに訴える。
でも、
『失われたものは、もう取り戻せない』
ノエルさんの答えは変わらない。その度に、苦しそうな顔をして首を振る。
そんなやり取りがどれだけ続いただろう。ノエルさんが不意に、言った。
『失われたものを取り戻すことはできない。でもトーコが望むなら』
わたしは顔を上げた。
『トーコが望むなら、ノエルはトーコのための世界を創ってあげる』
ただし――彼女は一呼吸おいた。
『コマリんはもう、コマリんじゃない。トーコもトーコじゃなくなる』
それでもいいかと問うてくる彼女にわたしは構わないと答える。でも、とそこでもう一つだけ、最後の願いを伝える。罪を犯したわたしには罰を、どうか決して報われることのない、重い重い罰を――と。
『ならそれはトーコの罪と罰の軌跡』
そう言ったノエルさん――ノンちゃんは悲しそうにこう結んだ。
『そしてきっとノエルの、罪と罰の軌跡』
――あぁ、そうか。そういうこと、だったのか。
再び闇に閉ざされた世界で、わたしは呟いた。
この土壇場にきて、わたしは全部思い出した。マリのこと、ノンちゃんのこと、そしてわたし自身のこと――自分が何者で、何を大切にしていたのかも。何を憎み、どんな過ちを犯したのかも、すべてを思い出した。
それを知ることは悲しくもあり悔しくもあり、決して幸福なことではなかった。だってそうだろう。この土壇場にきて、何て仕打ちだろう。折角自分を取り戻したのに、わたしは「アメリア」として命の終わりを迎えなければならない。
でも……仕方ない。これはわたし自身の望んだ罰だもの。ノンちゃんはわたしの願いを叶えてくれた。そうすることでまた、わたしの罪をともに背負ってくれたのだ。だから――わたしは、これでいい。
さようなら、ユーリイ。さようなら、ノエルさん。
わたしはやっぱりこっちの人間だ。
このまま、住人として消えていくよ。
わたしの時計はそろそろ、二十三時五十九分を回った。
近くで誰かの話し声がしているようだけれど、もう、わからない。




