第四部_仙女に守られた地
「この世界の片隅に、うちを見つけてくれてありがとう」
『この世界の片隅に』における主人公の台詞です。最近読み返してみて、改めて素敵な発言だなと感じました。
◇仙女に守られた地
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最初は、時を超えてやってきた未来人だと思っていました。ユーリイが味方であることも森の化け物が真っ先にジークムントを狙うことも、戦における作戦の立て方も、王都でネージュがアメリアを乗っ取ることも、それによってジークムントに訪れる危機についても――彼女の頭の片隅に、その「記憶」がうっすら揺らめいていたからこそ手を打つことができたのです。意識より先に体が動くことさえありました。
今になって振り返ってみると、あのときは自分の目にしたあらゆる事柄が、彼女が無意識に管理する記憶の引き出しの奥にある出来事と合致していたように感じます。だから彼女は当然に、自分を未来よりの存在と感じたものでした。
しかしそれも革命が成されるまでのことでした。その成就を機に彼女の中からは、今までそれとなくあった既視感がきれいさっぱりなくなってしまったのです。
明るく振る舞う陰で彼女は心細さを覚えました。しかしアメリアを心配する皆に水を差してはならないと思い、じっと口を閉ざしたのです。
イヴァンが自らの過去を告白したことで彼女は、自分という存在について決定的な情報を得ることができました。それによると確かに、自分は未来よりの者でした。それまで正体を隠し続けてきたイヴァンが今更嘘など言うはずもありません。彼女は紛れもなく革命の、アメリアの結末を知り、それを変えるためにやってきた存在だったのです。
では、自分はどこでそれを知ったというのでしょう? 革命後の未来から来たのであれば、何故自分にはその未来における記憶がないのでしょう? その答えを知るためにも彼女は魔女ノエルに会わねばなりません。
ノエルという名前には聞き覚えがある気がします。ない気もします。何にせよ会ってみないことには、その者が自分の母であるかどうかも、何とも言えません。ただ、新たな希望を見出した仲間たちに隠れて彼女は思うのです。
記憶を取り戻したとき自分は何を知るのだろう?
そしてそのとき「スミ子」はどこへ行ってしまうのだろう?
彼女はその不安を、誰にも言えずにいました。
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船長の案内を頼りに俺たちはまた海を渡り、件の村にやってきた。
船長はすぐと言っていたが、実際には三日の道程になった。時間にあまり拘束されることのない田舎者の俺ではあるが、彼女との時間感覚の違いには驚かされた。この三日間が拷問のように長く感じた俺だった。
村は、三日に亘って行われる祭りのちょうど中日を迎えていた。三日間祭りの期間があるといっても初日は準備に充てられるため、実際は二日の開催となっている。奇しくも俺たちは祭りの実質的初日に到着したわけだ。船長が、気が急く俺に言い続けた「お祭りは逃げないよ」の言葉が身に染みる。
村に着いた俺たちは祭りの開催に伴い閉店していたものを何とか頼みこみ、まずは宿だけ確保した。本来村祭りはこの村の者だけで楽しむごくごく閉鎖的なもので、その期間中に外部の者を受け入れたのは史上初のことであるらしい。つくづく運がよかったというべきか、それとも再会を明言した魔女ノエルの導きによるものか。何にせよ俺たちにとってはよい結果だろう。
それにしても――だ。
年に一度の村祭りの喧噪に俺は、溜め息を禁じ得なかった。祭りを祭りらしく全身全霊で楽しもうという心意気は結構なのだが、世界が危機に瀕している今、無邪気にはしゃいでいる人々の姿はあまりに不謹慎に思えてならない。とはいえ村人たちが呑気にしていられるのは祭りの開催ばかりが理由というわけではなかった。喩えるなら凪、または砂漠のオアシス、或いは台風の目……この村、いや、この島自体がこの世界においては場違いな存在だった。ありとあらゆる自然災害から隔離された平穏な地なのだ。恐らくこの地に生きる誰一人として、世界各地で異変が相次いでいることを信じてはくれないだろう。「ノエルさんの話の方が嘘に思えてくる」と呟いたユーリイに異を唱える者はいなかった。
出店で商売に励む村人に、世間話のついでに尋ねてみると、何でもこの平穏は村で古来より崇められている「仙女様」の力によるもの――とのことだった。遙か昔にどこからともなく現れた彼女の不思議な力で砂漠だったこの地は潤い、緑豊かな土地に生まれ変わったという。以来長い歴史の中で一度として凶作に見舞われることなく、村は一切の自然災害とも戦乱とも無縁でいられた。そして現在に至る、ということだ。その話の特に興味深いところは、それがただの伝説ではなく、仙女が過去から今に亘って実在する存在であるという点にある。この村祭りは今も変わらず年に一度この地を訪れる彼女をもてなすために行われる感謝祭なのだ――と彼は笑顔で結んだ。
「その仙女様とはもしや、ノエルというお名前ではありませんか?」
魔女が逸早く皆を代表して尋ねたが、彼は首を横に振った。
希望が一つ潰えた瞬間だった。話を聞く限りその仙女は創造主がもたらそうとしている破滅に真っ正面から対抗する世界をこの地で保ち続けている。創造主に劣らず、また恐れないその行いは、昔話に登場する魔女そのものだ。ユーリイたちの言葉もある、魔女を自称したノエルこそがその仙女に違いないと俺も思っていた。
だが違うなら違うで俺たちは、それもまた一つの収穫としなければならない。魔女と仙女――人智を超えた存在が要はこの世界に二人いるということになるからだ。しかもその仙女は毎年この村の祭りにやってくる。チャンスは二倍になったのだ。
「皆さんは、旅の方だとおっしゃいましたね」
話を終え立ち去ろうとした俺たちを引き止めるように、今度は店主が言ってきた。
「折角ですから、明日の催し物に参加していかれませんか?」
スミ子と魔女を交互に見遣りながら彼が言うのはずばり、船長も言っていた歌姫祭りの由来たる催し物のことだった。彼はその行事の責任者らしかった。曰く内容は至って簡単なもので、女性出場者が自由に歌をうたい、その年の歌姫を決めるというもの。見事歌姫に選ばれた者には何物にも代え難い最上の名誉が与えられるのだと、彼は物売りらしいセールストークを交えながら続ける。
「特にそこの人形をお持ちのお嬢さんとメイドさん、あなた方のような娘さんならきっと仙女様も喜ばれますよ。いえ、勿論まだ優勝と決まったわけではありませんが」
「……ボクは?」
「仙女様は歌が上手で『健康的』な娘を特にお好みなのです」
事務的にきっちり船長に釘を刺してから改めて二人に向き直ると、
「さぁ、どうなさいますか? 八百年続く村の歴史において村外から出場者を募るのは初の試みでもあるのですが」
「勿論、出場です!」
店主に答えたのは意外にもスミ子だった。一度俺に顔を向け、
「仙女様も大事ですが、ノエルさんも大事です。その人がここに来るのであれば、ただ闇雲に探し回るよりこちらから存在をアピールするのも手だと思うのです」
家事の合間にうたうのとは勝手が違うことなど百も承知といった様子で言う。内気なコイツにそんなことをさせて大丈夫だろうかと不安にも思うが、なるほど、その言うことは尤もだ。コイツはコイツで自分が果たすべき役割の責任感を自覚している。だったら俺はその背中を押してやるだけだ。
一方魔女は人前は苦手なので、と辞退した。
「では出場者登録をしますので、お名前を」
「はい。ステラ村の」
スミ子は少し迷ってから言った。
「ほのかと申します」
「かしこまりました。ステラ村よりの――」
書類の上を軽やかに動き始めた筆がぴたりと止まった。
そうか、だから宿屋のヤツも――。
おもむろに手帳を確認した彼がそう漏らしたように、俺には聞こえた。
「コイツが何か?」
「いいえ、何も。明日は時間になったらお呼び致しますので、それまでご自由にお楽しみください」
手続きを終えた彼は、急にぎこちなくなった笑顔でそれだけ言い、今度は逃げるように、店番もそっちのけでいずこへか駆けていくのだった。
「この村にはね……ちょっとした予言の風習があるんだ」
そう言って、置いてけぼりにされた俺たちに船長が説明してくれた。
村人複数の元に、ある日突然、仙女から手紙が届くことがある。時候の挨拶などはなく、そこには近い将来に訪れる出来事について数行の文章が書かれている。内容はこれといって他愛のないことばかりなのだが、その通称「予言書」には三つだけ守らねばならない点がある。
一つ、受け取った予言書の内容を他人に口外してはならない。
一つ、予言が実現した後であれば口外してよいが、相手は同じく予言書を受け取っている者に限る。
一つ、祭りが終わった後にはすべて自由に暴露してよい。
もしそれらの一つでも破った場合は……。
「何年前になるかなぁ……ボクの友達がね、予言書を受け取ったんだ。……内容が内容でさ。それで自棄になってボクにその予言書を見せた途端に……」
その先の言葉は殆ど聞き取れなかったが、結末は想像に難くない。仙女が何を目的にそれを行っているのかはわからないが、どうやらあの店主もその予言書を受け取っているらしい。平穏な地に生きる人も楽ではなさそうだ。
「ところで」
これからどうしようか、と俺は皆に問う。自ら声をかけておきながら、しかし俺はそれについてあまり真面目に考えていなかった。それよりも魔女の様子が気がかりだったのだ。人前が苦手であることを理由に断った彼女だが、どうにも顔色が優れない。道中では一言の弱音を吐くこともなかったが、やはり病み上がりの旅路は負担だったのだろう。元々の儚さも手伝って、その姿は一層弱々しく映る。
「すみませんが先に宿に戻ります」
魔女がユーリイを胸から降ろし、一人戻っていく。ユーリイは珍しく妹を追わなかった。
彼女に付き添うにはまだ早い時間だったので、俺たちはそのまま屋台巡りなどしながら、一縷の望みを賭けて魔女ノエルを探すことにした。俺たちという前例があるのだ、彼女だって遅れ馳せながらこの祭りに到着しているかもしれない。それに行動さえしていれば、彼女を探す過程で仙女に出会える可能性もないわけではない。
彼女と面識があるユーリイを軸に俺はスミ子と行動をともにする。このメンバーになるのは南の森以来になる。今回同様「魔女」を探そうとしていたあのときと同じ三人組になったのに験担ぎのつもりがないわけでもない。船長とイヴはユーリイからの「不釣り合いな印象の人」との手がかりだけを頼りに別行動に入った。
本当にそのヒントで見つけられるのだろうか?
絶対無理である、に賭けてもいいと思った俺だった。
その日俺たちが魔女ノエルと出会うことはなかった。勿論イヴたちもなかった。
ただ夕方宿に戻った俺たちはちょっとした想定外によって迎えられた。いったい何が起きたのか、急ごしらえで確保された兼物置の窮屈な部屋は、広々とした大部屋に模様替えされていた。しかも頼んでもいないのに、軽く十人前はあろうかという量の食事まで並んでいる。優雅な仕草で果物を口へと運んでいた少女が、恥ずかしそうに小さく頭を下げた。
「すみません。先にいただいてしまって」
「何があったんだ?」
「それが、わたしにもさっぱりで」
戻ったときには既にこうなっていたとのことで、問われた魔女もどう説明したらよいものかと困惑していた。食事は先程、運ばれてきたらしい。その際、食事代も宿泊費もいらないと言われたのだそうだ。自分も驚いているのだと控えめながら身ぶり手ぶりを交えて説明すると、彼女はそこで、俺とスミ子を呼び、他人事のようにこう加えた。
「そういえば、お二人の分はないそうです」
「……嫌がらせか」
「そういうことではないと思いますが」
眉を顰める俺を魔女は冷静な口調で否定する。そして俺たちには別室が用意されたと言う。
「宿のご主人はどうやら、お二人を夫婦と見ているようなんです。恐らくアリスさんの言っていた『予言書』によるものではないかと」
ここまできてしまうと最早、予言という気はしない。予言書の名を借りた指示書のようにも感じる。だが仙女はいったい何のためにそんなことをしたのだろう? ……まぁ、元々その予言書自体、さして意味のある行動にも思えない。八百年も同じ祭りを続けていると、たまには外部者を巻きこんで遊びたくもなるのかもしれない。巻きこまれる方は、たまったものではないが。
「坊っちゃま! スミたちの部屋ですって! スミたちだけの!」
特別扱いに気をよくしたお手伝いを意識しないように、俺はその別室の案内を受ける。
本当に、仙女は何故俺たちを標的に選んだのだろう? こうなったらさっさと食事を済ませ、さっさと寝てしまうに限る。
ぼやきながら案内された部屋を見た俺は、その瞬間に言葉を失う。
はしゃいでいたスミ子もそれに続いた。
美しい装飾、豪華な調度品、テーブルが一脚に、椅子は二脚、そして――ベッドは一台。
そこは、正真正銘の夫婦部屋だった。




