第三部_世界の頂で
「Top of the world」よりタイトルをいただいている今話です。
まったく関係のない話ですが『烈火の炎』の終盤、八竜同時召喚の際に累が、
「がんばれ がんばれ! がんばれ!!」
と言っていたあの場面が好きです。それ以外のことは、殆ど憶えていません。
◇世界の頂で
山路は初めこそ石段の急傾斜が続いたが、次第に石畳を敷き詰めた歩きよい道へと変わっていった。大回りではあるものの、頂上へと向かって螺旋道がなだらかに、流れるように続いていく。肌に合わない蒸し暑さも標高が増すにつれてやわらぎ、快適といかないまでも負担ではなくなった。無理せず休憩さえきちんと確保すればどうということもない、これまで歩いてきた旅路の延長だ。
「どうして誰も来なくなってしまったんでしょう?」
やがて吹き上げる風に乗って漂い始めた、もう二度とそんな経験をすることはないだろうと思っていた深い霧は、確実に頂上が近づいている一つの実感になる。その証拠に足下もまた、いつしか石段の道に戻っている。いよいよかと期待が高まってくる中で「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」と踊るようなステップを踏むスミ子が言った。
それは道中、俺自身も考えていたことではある。ただここまで来てしまうと、これだけ環境が整っている中で人が来なくなる理由など、殆ど限られているようなものだ。
行きたくても行けなくなった。
行く必要がなくなった。
行きたくなくなった。
これらに照らしてみる。
例えば一つ目については、道が途中で崩れて通行不能となったケースが考えられる。分かれ道もない一本道だ、崩落などにより通行できなくなれば当然、意思に反して進むことはできなくなってしまう。ただこれは今までの道のりを鑑みるに却下していいだろう。幅広く、頑丈なこの道がここまできて通行不能になっているとは考えにくい。続いて二つ目として考えられるのは花が絶滅してしまったというケース。これは俺の信条と心情に照らして却下する。確認をしない内に結論を定めたくないし、自分たちの苦労を無駄にしたくもない。
結果――俺には三つ目が残された。
道もあるし花もある、そんな中で花の入手を妨げる仕掛けの存在だ。それで命を落とすようなことがあれば人足も自然と遠ざかるだろう。俺たちもその危険をこそ覚悟しておくべきなのかもしれない。
階段を終えた先に待っていたのは、それはもう見事な花畑だった。知っている草花も知らないものも、見目鮮やかな植物が季節を問わず盛りを迎えるその様子はあたかも、昔話に聞くだけのホウライの原風景。悠久の理想郷が現世に顕現したような、広大な花畑があるばかりの風景だった。
このどこかに、ヒガンバナが……。
今のところこれといって異変は感じない。強いて言うなら標高の高い地を目指してきた割に、周囲は明るくなるどころか一層暗みを増して――。
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「走れっ」
イヴァンが突然、ジークムントの背を押しました。
よろめいた彼がいきなり何をするのだと振り向くのと、自分が立っていた場所に何か大きな塊が降ってくるのとは、ほぼ同時に起きたことでした。もしも今、背中を押されていなかったら……ジークムントは冷たいものが背筋を伝うのを感じました。
彩花を散らしてもうもうと土煙が上がります。その内側、煙に包まれた存在に嫌な気配を覚えてジークムントは思わず後ずさります。静かに、剣を抜きました。
「大丈夫ですか? これはいったい……?」
駆け寄ってきたお手伝いを振り返ることなくジークムントはただ前だけを見据えます。
土煙の内からは金属の擦れ合う不快な音が届きます。剣を構え、戦いの緊張感へと精神を研ぎ澄ます彼の前に間もなく煙が晴れ、それは現れました。
「お前が言った、人が来なくなった元凶だ」
盾と槍を携えた鋼の騎士でした。全身を鋼の鎧で覆い凛と立つその姿は、本来であれば騎士道精神を表すために精錬されていると言っても過言ではないでしょう。不意打ちを仕掛けておきながら――ジークムントは、その内側にいる者を鼻で笑いました。この者が生身の人間であるとはこれっぽちも思ってはいませんでした。
人ではないという点に関してジークムントの考えは当たっていました。この騎士もまた、南の森で彼らが退治した怪物同様、創造主の手により生み出された内つ臣の一つだったのです。エウノミアこと秩序を長女に据えたように、何よりも秩序に基づく平穏をこの世界に望む創造主にとって果たすべき役割を終えた者がいつまでも世に留まることも、失われた過去に執着することも秩序を乱す行いなのです。
そのような神の都合など露知らず、ただ一つの敵として騎士と向き合うジークムントの中に、未知の者と刃を交える恐怖は爪の先ほどもありません。南の森の怪物や王がつくり出した幻影などによって怪異に慣れが生じたわけではなく、それは王国打倒に向けた戦いの中で戦士として彼自身が成長した結果、大切な仲間を救いたい強い使命感を自覚した結果です。だから、負ける気はしませんでした。
お手伝いを下がらせ、ジークムントの方から敵へと向かっていきます。合図をしたわけでもなく、イヴァンもタイミングを合わせて斬りかかります。前後からの挟み撃ちになりました。
騎士は足を止めたままでいます。そして、ジークムントにだけ応戦しました。丸い盾で防ぎ、槍で返します。当然のことながら騎士は、背後からのイヴァンの剣撃をまともに受けることになりました。
鋼が閃き、騎士の背に、頭から腰にかけて大きな裂傷が走ります。
勝った――勝利を確信したジークムントへと、しかし止まることなく騎士の槍は繰り出されます。甲冑の傷が自然に塞がっていくのを認めたイヴァンが、それを伝えました。不死身の騎士、それがこの敵の正体だったのです。
騎士は執拗に、ジークムントを狙います。イヴァンが斬りつけるのをさせたいままに――腕を落とされようが足を失おうがすぐに元通りになってしまうのです――ジークムントだけを狙います。他の三人の存在になど気づいてもいない様子で、ただ一人だけ。
それならそれで、旅の仲間たちにはチャンスでもありました。ジークムントは自分が囮になっている間にヒガンバナを探すよう指示を出します。手のひらを広げたみたいに花びらが上を向いている赤い花だよ、葉っぱはないよ――と確認してお手伝いとアリス船長は駆けていきます。イヴァンはその場に残りました。
さて――どうしようか。ジークムントは呟きました。
目の前で起きていることは夢でも幻でもありません。滅びない敵、滅びずに攻め続けてくる敵を前にどんな戦いができるでしょう。弱点はあるのか、あるとしたらそれはどこか。槍を受け流しつつ彼は考えます。イヴァンは既にそれを行動に起こしています。頭、胸、腹、腕も脚もすべて一度は壊しています。その中でまだ壊されたことがない部分は――騎士の象徴たる盾と、槍。盾と槍を携えた騎士ではなく、盾と槍が騎士を操っているのだとしたら。どちらか、或いは両方を破壊することでこの者は滅ぶことだろう。ジークムントはそう見立てました。
ただ、それが問題でした。斬り結ぶことを前提とした防具と武具の強度は、甲冑部とは比べ物になりません。武器で盾を壊すこと、武器で武器を壊すことは一対一に勝利するよりも難しいのです。
「お前はもっと歴史を学ぶべきだ」
いつそこに来たのか隣でイヴァンが言いました。
騎士は尚もジークムントのみを狙って槍を突き出してきます。その隙に素早く左に回りこんだイヴァンは、敵の腕を斬り落とし、その手にする盾を奪ったのでした。
「僕たちに無理なら、コイツ自身に壊してもらえばいい」
彼は奪った防具を、ジークムントに手渡しました。これまでイヴァンの行動などまったく意に介さずにいたことが騎士には災いします。繰り出された渾身の一突きは彼の思惑通り正面から衝突し、盾と槍は相砕け散ったのでした。
騎士はしかし、動きを止めません。瞬く間に元通りになった槍を手にまたしても向かってくるのです。
――正真正銘の、不死身。
今度こそ終わったものと油断していたジークムントは咄嗟の反応で横っ飛びし、かろうじて不意の一突きをかわしました。しかし着地と同時に足首に痛みを覚えました。
彼の中で、この者を倒すための手立ては失われています。仲間たちが花を見つけるのと自分が力尽きるのとどちらが先だろうか――脳裏をよぎるのはそんな考えばかりでした。
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